第3話 色仕掛けにかかる幼馴染は、オカルトにもはまっているようです

 ところが咲耶は、いきなり俺にすがりついてきた。

「待ってよ」

 背中に押し付けられる胸の圧迫感は、結構、凄い。

 実際のボリュームもさることながら、腕の力もプロレス級なのだ。

 いろんな意味で呼吸困難に陥った俺だったが、喘ぎながらも何とか声を立てることはできた。

「……何だよ、いきなり」

 やっていることのノリは、小学校に上がる前と変わらない。

 何かというと抱き着いてきて、俺の息を止めにかかったものだ。

 ひどいときには、お盆過ぎの夏の川で、俺をうつ伏せに押し倒したこともある。

 お互い素っ裸だったから、今になって考えてみると、もの凄い光景だ。

 もっとも、あの時は息が詰まって死ぬかと思ったから、そんなことを気にしている余裕もなかった。

 咲耶はというと、アブをよけようとしたんだと恩着せがましくうそぶいたものだったが、今は。

「帰っちゃダメだ」

 背中で、熱い吐息が囁いた。

 これには俺もドキッとしたが、そこは冷静になる。

 咲耶は、そういうタイプじゃない。

 俺とも、そういう関係じゃない。

 だいたい、帰るなと言われても、咲耶とひとつ屋根の下で暮らすわけにもいかない。

 むしろ、そうしなくてはならない相手は羅羽のほうだ。

 そのためには、早く帰って仲直りもしておきたかった。

「悪いけど」

 俺がそう言うと、咲耶は思いのほか素直に腕をほどいた。

 心と身体への圧迫から解放されて、俺はようやく息をつくことができた。

 ところが何をどうやったのか、咲耶は俺の腕を掴むなり、くるりと正反対の方へムキを変えさせた。

 そのまま、じっと見つめてくる。

 大きく見開かれた目の黒い瞳に、俺の顔が映っていた。

 その真剣な眼差しに、思わず息を呑んだときだった。

「死相が出てる」

 またいきなり何を言い出すかと思えば。

 確かに昔から、そんなことを言うところがあったといえばあった。

 川の深い淵の中に人の顔があるとか、黄昏時に遠くから歩いてくる落武者の影が見えるとか。

 今になって思い出してみると、空想と現実の区別がつかない子どもだから、仕方ないといえば仕方ない。

 だが、このトシになってみると、やっぱりドン引きだ。

 こんなオカルト女になっていたとは。

「縁起でもないことを」

 とりあえず、そう言ってしのいでおく。

 いきなり転がり込んできて長話を聞いてもらった身で、こんなことを言うのは何だが。

 そろそろ、日が陰ってきたのが分かる。

 黄昏時の家の中に、会ったばかりの義理の妹を放ってはおけなかった。

 だが、そこで咲耶はいきなりうつむくと、手で顔を覆った。

「ひどい……克衛もボクのこと、そういう目で見てたんだね」

 これには胸が痛んだ。

 子ども心にも、なんとなく感じてはいたのだ。

 咲耶の住んでいた辺りの人たちを、大人たちは敬遠していた。

 いや、はっきり言うと、忌み嫌っていた。

 大人たちは、道ですれ違っても声をかけることさえしなかった。

 そういえば俺も、神社のお祭りで遊ぶ女の子たちの中に、咲耶を見たことがない。

咲耶の住んでいる辺りの神社は、別のものだった。

 変なヤツだけど、傷ついていたのだ、こいつも。

 軽い気持ちでのありふれた受け答えとはいえ、ひどいことを言ってしまったものだ。

「いや、そうじゃなくてさ」

 そんな言葉でごまかすしかない自分が、うしろめたかった。

 俺は、咲耶の両親に会ったことがない。

 いつも面倒を見ていたのは、地域のおじさんおばさんたちだった。

 何か、事情があって当然だ。

 そういうことを考えないで、どこか変わった女の子だという目で見ていた自分はごまかせない。

 思わず、その場に立ちすくむ。

 その一瞬の隙を、咲耶は見逃さなかった。 

「じゃ、行っちゃダメだ」

 再び正面から、しがみついてくる。

 やられた。

 さっきの、たっぷりと充実した絶対の圧迫感が再び、俺を襲う。

 しかも、正面から。

 頭一つ低い身体が、俺の身体にもたれかかる。

 小さな額が、胸のあたりにこつん、と当たった。

 全身を駆け巡った熱が、脳天へと一気に駆け上る。

 それでも俺は、必死で理性を奮い起こした。

「そんな……でも、このままじゃ」

 本当にひと晩、咲耶の部屋で過ごすわけにもいかない。

 そろそろ薄暗くなっていく家の中で、羅羽が待っているはずだった。

 見ず知らずの俺のために夕食を作ろうとしていた、あの健気な義理の妹が。

「……わかった」

 寂しげに答えた咲耶が、そのしなやかな細い腕を、するりとほどく。

 俺は急いで背中を向けると、アパートのドアに手をかけた。

「ごめん」

 早足に外へ出ようとしたが、俺の身体は動かなかった。

 帰りがけにお土産でも選ばせるような口調で、咲耶が後ろから尋ねた。

「じゃ、これとどっちがいい?」

 凄まじい激痛と共に、俺の腕は捩じ上げられていた。

 もがいてはみたが、手首を掴む力は凄まじい。

 無理に振りほどいて帰ろうとすれば、本当に腕が肩から折られそうだった。

 だが、俺は言った。

「折れよ」

 こんなもの言いを咲耶の前でするのは、初めてだった。

「え……」

 今度は、咲耶が戸惑う番だった。

 いつも好きなように遊ばれていた、子どもの頃の俺とは違う。

 田舎を出てきてからこっち、肩身の狭い思いをすることばかりだった。

 原因は親父が母さんに逃げられたからだし、そんな事情はもちろん、周りに知られたくない。

 そんな俺にできることといえば、クソ度胸を振り絞って腹を括ることだけだった。

 もっとも、親父の図太さも同じことだと言えなくもないが、それは考えないことにしている。

「じゃあな」

 黙ったままの咲耶に、ぼそりと答えてやる。

 10年ちょっとの間に起こった俺の変化を知らなかった幼馴染は、俺の肩まで絡みついていた腕をほどいた。

「ごめん」

 ドアを出るとき、微かな声が聞こえて、それっきりだった。

 邪魔をされることはなく、部屋の前の通路を駆け出すときも、咲耶は追ってこなかった。

 それが何だか気になって、階段を下りてからも、俺はアパートの正面に回り込んでいた。

 咲耶の部屋がある辺りを見上げる。

 期待通りと言っていいのかどうかわからないが、通路の前にある手すりから、咲耶がひょっこりと顔を出した。

 妙にほっとしたところで、俺に向かって何か言うのが聞こえた。

「克衛……」

 そこから先が聞こえなかったのは、アパートの裏にある踏切がけたたましい音を立てると共に、電車が轟音を上げて通り過ぎたからだ。

 しかも、往復で。

 代わりに、俺の頭の上から続けざまに降ってくるものがあった。

 それを受け止めたところで、ようやく聞こえたのは咲耶の言葉の終わりがけだった。

「……だから、困ったときに投げてよ」

 咲耶がさっさと顔を引っ込めてしまったので、聞き返しようもない。

 年賀状をやりとりするだけでスマホのチャットもできず、携帯の番号もメアドも知らなかった。

 だいたい、そんなものが使えるくらいなら、最初からアパートに押しかけたりなどはしない。

 咲耶がくれたものを確かめて、察するしかなかった。

「何だ、こりゃ」

 それは、藁で作ったらしい小さな犬と、布を丸めて作った人形と、紙を折って作った鳥だった。

 映画やアニメやゲームで陰陽師が使いそうな、怪しげな代物だった。

 どう考えても、しばらく会わないうちに、俺の知らないところでやっぱりオカルトにはまったとしか思えなかった。

「どうすんだよ、こんなの」

 咲耶が何を考えているのかは知らないが、傷つけるわけにもいかないから、捨てても帰れない。

 それほど大きなものではないから、ズボンのポケットにでも突っ込んでいくしかなかった。

「そんじゃ、帰るか」

 空を見上げると、もう西の方に沈んだ日の光が、東からの夜の藍色に押し返されはじめている。

 宵のうちに帰らないと、夕食を作り終わった羅羽が待ちくたびれることだろう。 

 いや、見たところ、あの義理の妹になる可愛らしい女の子は、顔に似合わず相当の癇癪持ちのようだ。

 下手をすると、さっきのように締め出しを食らうかもしれない。

 電話のひとつも入れた方がよさそうだった。

「あれ……?」

 スマホから電話しても、誰も出ない。

 留守電さえも、返事をしようとはしなかった。

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