第20話 砂漠の洗礼を受ける光と陰の街

シカゴ生まれの友人は大学でアレン・ギンズバーグに師事した。彼女の影響でビート文学に触れた私は回り回ってポウル・ボウルズに行き着いた。いや、1950年代のタンジールに行き着いた。


とんでもなく危なくて、とんでもなく魅力的な街。若さはとかくそういうものに惹きつけられがちだ。けれど酒や薬のダークサイドばかりではない。専攻がイスラム文化で異様に砂漠が好きだったという点からボウルズへの共感が生まれたのだ。


シェルタリングスカイを観てその裏話を聞き、確信は深まった。敬虔な祈りにも似た砂漠への想いがそこにはあった。悪徳を絵に描いたような街にだ。そのバランスに酔いしれずにはいられなかった。


実はエジプト研修を経て、イスラム世界の持つたくましさに辟易していた。もっとゆるゆる構えず疑わず生きるのが性に合う。だからタンジールは消去法でありえない街だった。それなのに……。


映画の余韻の上に、ダニエル・ロンドーの「タンジール、海のざわめき」で夢を見てしまった。彼の「アレクサンドリア」を読んでいたから、その解釈に対する信頼度は高い。タンジール、ああ、タンジール。こうなったら徹底的に、そう思ってミッシェル・グリーンの「地の果ての夢・タンジール」を探しに探して手に入れた。


その結果、いつかこの街に住もうと思った。


サハラに近くていつでも乗り込めて、けれど決して砂に飲まれはしない丘の上の家。青い海の対岸はスペインだ。イスラム教とキリスト教の交錯する文化が何よりも好きな私にとってはまさに!


そしてその家の庭にはイチジクやらオレンジやら実のなる木があるのだ。それを使ってケーキを焼きお茶会もできるだろう。なんという贅沢。それを思えば、オレンジ1個の値段をめぐる攻防戦*にも勝ち抜けるような気がした。


というのは数年前の話で、今の私が住みたいのはウェールズ。けれどそちらはムデハル建築を愛でるという点ではタンジールに及ばない。そんなわけで時折、やっぱりタンジールでもいいのでは……と心が揺れる(行けるかどうかは別として)。「ああ、そうか、別邸!」なんて妄想も限りなく、なんとも贅沢な悩みに、ただただ悶絶するより仕方ない。


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