第4話 「家に来た!」

今日、クローンが家に来る。


心の準備もできず迎えた朝。昨夜は寝れず、眠気が覚めない。まだ夢うつつのような気分で爪を噛む。




「おはようございまぁす!」


丸メガネの猫塚キナコの張り切った声と、ガラガラ引き戸の音でふと我に返る。


チビは猫塚に小さな手を引かれ、古いランドセルを背負って玄関にたたずんでいる。なぜだか僕が子どものころに着ていたのと全く同じ犬のイラストのシャツ。少し汚れた運動グツの足をモジモジさせながら爪を噛んで突っ立っていた。




こっちは大人だ。「こんにちは」と言ってやる心の余裕は持っている。ヤツはペコリともせず、もじもじ郵便受けをイジっている。


猫塚が「こんにちはって」と促すとようやく小さな声で「…こんにちは」という言葉をやっとこさひねり出した。


可愛くない子どもだなぁ。確かに僕もこうだったかもな。似ちゃってなんだか悪いね、と少し思った。




「ゆーちゃん、お客さん来たんかえ?」


奥からばあちゃんが声を上げた。


ばあちゃんには、知り合いの子どもを預かるとだけ話していた。守秘義務があって良かったかも。「クローンの孫がいたよ。」なんて、さすがに体に毒だ。


ばあちゃんは、小さな子どもが家に来るのが余程楽しみだったのか、古臭い一軒家の中をまるまる一週間掃除していた。


ぞうきん片手に玄関の縄暖簾から顔を出し、ドアの前に佇むちいさなユタカを見つけて、「あら」と顔を見つめた。


「‥‥‥」目を大きく見開いたばあちゃんは、言葉も出ず凝視した。やばい、バレるか…。




と思いきや、ほっとした笑みをこぼし、


「ゆーちゃん。」


僕の名で呼んだ。


「ばあちゃん、僕じゃないよ」


「ゆーちゃんやろ。ゆーちゃんや。」


僕にそっくりだと言いたいのか、頭が混乱しているのかはっきりしなかった。ただ、たいそう喜んで、小さな手を引っ張って奥へ連れていった。




実は、先週チビと会ってから、僕は熱を出して寝込んでいた。考えるほど、このトラえもんみたいな話、ありえない。


クローンどころか”子どもと暮らす”、こんなことには慣れていない。なにを用意すればいいのか、ググってみた。


「クローン 子ども 一緒に住む 準備」…キーワードで検索しても、「検索条件と十分に一致する結果が見つかりません」と出るばかり。


とりあえず、近くのイヨートーカドーで新しい布団や、子ども用の歯ブラシ、下着や本、お菓子などを買っておくしか僕にできることはなかった。




「これ、どこへ運びます?」


ダンボール箱を抱えながら猫塚キナコが言った。着替えの服や身の回りの物。続いて、アニメの巨匠似のヤギヒゲ教授がニコニコ嬉しそうに助手たちを引き連れ入ってきた。いくつものジュラルミンケースを運び入れ、慣れた段取りで居間に小型カメラを設置し始める。昭和40年代建造のくたびれた日本家屋の柱やらんまに最新鋭のデバイスが似合わない。しばらく僕たちの生活を記録したいらしい。これも給料の一部だ。


ばあちゃんには、チビの健康管理のためとか、YouTofuで配信するとか言っておこう。




チビはテーブルでモナカをくんくん嗅いでおいしそうに食べた。


「おいしいおすか?」ばあちゃんが聞くと、こくりと頷いた。「そうかいな、そうかいな」


食べる前に匂いを嗅ぐのは僕のクセでもある。チビの顔をじっと見てみた。


「よう、うまいか?」話してみる。食べる手を止め、僕の目を見て…知らん顔をした。


なんだよ。可愛くないなあ。


これが僕か…。一週間ぶりに見たけど、まだ半信半疑。顔を見ていると、畏れと近親憎悪のようななんとも言えない気持ちになる。こいつも、そう感じているのか。




「ねえ、ユタカくん!」猫塚の声がしたとき、




「ん?」


「ん?」




僕と「小さな僕」は揃って同時に振り向いた。




ヤギヒゲ教授たちは「シンクロニシティ!」となぜか嬉しそうにざわめいた。一緒に笑う猫塚。「ははは。ですね。ややこしいですよね。」


当然名前が同じ。並んで振り向く大小2つの同じ顔がマヌケに見えたらしい。


教授は「二人がこんな近くにいるなんて。たまらないです」と恍惚の表情。




僕ら二人は、どう見えてるんだろう。


ふとスマホでツーショット自撮りしてみた。同じような顔が並んでる。気持ち悪い。アプリで自分の顔を移したみたい。小さな僕がモナカをくわえている。




こいつの部屋を作らなきゃな。


机も本棚も二階の僕の部屋にしかないから、仕方なく荷物を運び入れた。僕は他の部屋に寝ればいい。


「ここに置けばいいですか」猫塚が荷物を置いていく。「へぇ、もう少し散らかってると思ってました。」と笑った。


「ばあちゃんが片付けたんです。今日のために。」


「やっぱり。小さなユタカくんも全然片付けられなかったみたいです。お父様との家も、竜巻に遭ったみたいにおもちゃが散乱してましたよ。ふふふ。」猫塚さんはよく笑う人らしい。よく見るとメガネの奥はどことなくガッキーに似てるかな。いや、ガッキーだと思うことにする。せっかくだから。




ダンボールの中を開けてみて驚いた。全部、僕の子どもの頃と全く同じデザインの服だ。


「父はなんのために服まで似たものを用意してたんですか?」


「それはコピーではありません。ユタカさんが着ていた服そのものですよ。お父様は、あなたの子どもの頃の服をすべて残していたんです。この子に着せるために。」


「どういうつもりで?」


「それは…わかりません」ふと、寂しそうな目をし、「あの子、お父様がなくなってから、周りの大人にはしゃいでみせるんです。なんだか、それが余計に可哀想で。」


「そのくせ僕とはまだ一言も話してませんよ。」




ヤギヒゲ教授が階段からひょっこり顔を伸ばした。


「戸惑ってるんですよ。子供心にわかるんじゃないですか。やっぱりあなたに対して、他の人と違う何かを感じているんでしょう。」


「そうなんでしょうか」そう言われても、まだ半信半疑。


「私たちはそろそろこのへんで失礼します。家の前にバス停があって便利ですねぇ。それじゃ、わからないことがあったら、なんでも”猫ちゃん”に聞いてください」トントントンと降りていった。


へぇ、猫ちゃんって言うのか。




絵本の間から、1枚の写真がひらひら落ちて、足の親指に優しく当たった。拾って見ると、父ちゃんが幸せそうに笑っていた。その横にちょこんと幼い僕が肩を抱かれて笑っている。いや違う、僕じゃない…、チビだ。父が少しだけ歳をとっていた。自撮りしたのだろうか。腕を伸ばす父。その後ろに遊具が見えた。公園かな。仲良かったんだな。僕の知らない、父とチビの重ねた年月がそこにあった。うらやましいような不思議な気持ちになった。


父が亡くなってから、チビはひとりでこの写真を眺めているのだろうか。






その夜は、僕とチビと猫ちゃんとで、ばあちゃんのカレーライスを食べた。コンコンとスプーンを鳴らし、カレーのルーとご飯をぐちゃぐちゃに混ぜるチビ。そういや、僕もこんな食べ方してたっけな。


「ユタカ君、得意な科目は図工なんですよ。ね。」猫ちゃんが水を向けるとチビはカレーを突きながら「うん」とうなずいた。


「ユタカさんも…」二人が振り向くもんだから言い直す。「えっと、大人の方のユタカさんも、図工お得意なんですか?」


「ええまぁ。子どもの頃ですけど。」


「…呼び方決めた方がいいかもですね。」


「名前が同じだしなあ…。」


猫ちゃんがチビに聞いた。「ユタカお兄さんって呼べる?」


「イヤ。」


「じゃ、なんて呼ぶ?」


何も言わず、ぷい。


なんだよこいつ。なんか肌が合わないな、クローンだけど。


これから一緒に住むんだぞ。僕の不満顔を見て、猫ちゃんは可笑しそうに笑いをこらえた。




ばあちゃんが「お風呂入りや。ゆーちゃん二人で入ったらよろし。」と言った。


その瞬間、




「えー!」


「えー!」




「やだ!」


「やだ!」




また揃った。


猫ちゃんは笑いながら「気が合いますねー。教授によると、とっさの反応ほど揃うようですよ。一緒に暮らしていると、よりシンクロ度が増していく可能性が高まるそうですよ。」


「なんだか双子タレントみたいだな。」


「そうそう。でも、むしろ双子より近い存在…二人は同じ人間ですからね。」


その言葉でつい…




「同じじゃない!」


「同じじゃない!」




また揃った。




チビは爪を噛んで、猫ちゃんと一緒に入りたいとグズった。父が亡くなってからは、少しの間身の回りの世話をしてもらっていたらしい。慣れない環境だからか、余計に甘えている。


ばあちゃんに「入ってやって」とうながされ、猫ちゃんは遠慮気味に「じゃあ、お言葉に甘えてお先にいただきます」と手を引いた。 猫ちゃんの黒いスーツから伸びた白く細い右足にまとわりついたチビ。そのまま脱衣場へと消えていった。




お風呂からケラケラと二人の笑い声が響く。


なんだよこれ。へんなシチュエーション。きゃっきゃ騒ぐ声を聞きながら、荷物を整理した。


「こらっ待って」お風呂から、はしゃいで裸で飛び出したチビ。ばあちゃんのうしろに楽しそうに隠れた。その小さな腹のへその横にやっぱり確かにホクロはあった。洗っても消えないなら本物なのだろう。






夜も更け、ぼくは例の分厚い契約書を読んでいた。


布団で寝息をたてるチビ僕を起こさないよう、小さな声で猫ちゃんに尋ねた。


「こいつは、クローンの意味を分かってるんですか?」


チビの寝顔をやさしい瞳で眺めながら、


「わかってるような、わかってないような…。ただ、お兄さんみたいな、双子みたいな、あなたより先に生まれた…生まれ変わりみたいな人だよということは話してあります。」


「余計ややこしくないすか。」


「ま、子供のうちの方が、抵抗なく現実を受け入れるかもしれませんね。常識が邪魔しないので。」


「ふーん」


「今日は余程疲れたんでしょうね。いつもは本を読んであげないと寝られないんですけど。」


「え、それも、これからぼくがやるんですか。」


「そういうことになりますね。ごはんはおばあさまが作ってくださるっておっしゃってましたけど、朝の支度やお風呂などはお願いします。」


「キツイなあ。」


「新入社員。お仕事のひとつです。」といたずらっぽく笑った。「じゃ、私は失礼します。起きちゃうとぐずるので。また明日。」






まだクローンなんてすべては信じていない。


目の前に横たわっているこれはなんだ?子どもの頃の僕の姿で寝息をたてるこれは?


もしもタイムマシンで子供の頃の自分に会いに行ったら、こんな感じなんだろうか。




本棚に飾った写真を見つめた。父が何も言わず笑っている。


いやいや、なによりも大きな疑問が解消されていない。


父はなぜこの子を誕生させたのだろう?






(つづく)

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