第27話 デート(1)約束

 サービス開始リリースから一週間たった金曜日、早苗は開発チームと居酒屋にいた。リリースの打ち上げと、奥田の送別会だった。


 桜木も参加している。


 普段は営業は呼ばないのだが、桜木はリリースでも活躍してくれたし、奥田とも長い。呼ばない訳にいかなかった。


 早苗はまだ桜木に別れ話をしていない。


 というのも、わざわざしなくてもいいのではと思い始めたからだ。


 別に毎週金曜日にセックスをすることを決めていたわけではない。始まりもなんとなくで、セフレになろうと合意したわけでもない。


 忙しさもあってしばらく桜木の家には行っていないから、このままフェードアウトすればいいのではないかと思った。


 もしも誘いがあったとしても、断り続ければ桜木も察するだろう。


 下手に真面目に話してしまうと、仕事上の関係でもギクシャクしてしまうかもしれない。すでにそうなりつつあり、これ以上の悪化は避けたかった。桜木に言った通り、早苗は桜木の働きには期待している。


「今回は本当にお疲れ様でした! 奥田さんも、今まで本当にありがとうございました! 乾杯!」

「乾杯!」

「かんぱ~い!」


 早苗の乾杯の音頭おんどで飲み会が始まる。奥田には後でじっくりスピーチをしてもらうので、開始の挨拶あいさつはさっくり終わらせた。


 料理が次々に運ばれてきて、お通しのみだったテーブルの上が一気ににぎやかになった。


 早苗はさっそく桜木の席に行った。最初に話しかけてしまえば、後から話しかけられることもないだろう、という姑息こそくな考えだ。


「桜木くん」

「うぐっ、げほっ、げほげほっ」


 黙ってビールのジョッキを傾けている桜木に話しかけると、余程驚いたのか、桜木はむせた。


「すみません、まさか先輩が来てくれるとは思わなくて」


 おしぼりで口を押さえた桜木が言う。


「なんで?」

「なんでって……」


 早苗が無邪気に聞くと、桜木は目を彷徨さまよわせた。


 さすがに早苗が避けているのは感じているらしい。だがそれをここで言うほど桜木も浅慮ではなかった。


「リリースの時はほんとありがとね」


 カチン、とジョッキを合わせる。


「いえ、先輩の役に立てて、嬉しかったです」

「じゃ、飲み会楽しんでね」

「え、もう?」


 立ち去ろうとした早苗に、桜木が物足りなさそうな視線を向ける。


「あの、先輩、後で話したいことがあって」

「うん? 何? いま聞くよ」

「あ、いえ、ここではちょっと……」

「仕事の話なら、来週聞くよ」

「仕事じゃなくて……」


 十中八九お誘いだろう。でなければ別れ話か。


「わかった。じゃあ、後でね」


 先輩なら、後輩が相談を持ちかけてきているとしたら、仕事の話ではなかったとしても無碍むげにはしない。ここで固辞しては、周囲に不自然だと思われる。


 だから早苗は社交辞令的に返した。


 お誘いか別れ話以外なら、喜んで聞くのだが、この感じではそうではなさそうだ。


 早苗は、話しかけられる隙を作らないようにしよう、と決意して、席に戻る。


 すると、チームメンバーが奥田に話しかけていた。


「それにしても、奥田さんが辞めちゃうなんて」

「まあ、いろいろあって」


 実は早苗と奥田の頑張りが実り、奥田は一ヶ月後に再契約となることが内々に決まっているのだが、周りにはまだ公表していない。今の会社とのかね合いがあるからだ。


 だからチームメンバーは、奥田が戻ってくるとはつゆ知らず、このままいなくなってしまうものと思っていた。


「今までありがとうございました」

「いえいえ、こちらこそありがとうございました。色々と勉強させて頂きました」


 早苗と奥田もそれっぽいやり取りを交わしておく。


 その後、桜木が奥田に挨拶をしにきたが、早苗はさっと席を立ってトイレに行った。


 鼻歌を歌いながらトイレから出る。アルコールが入って上機嫌になっているのが自分でもわかった。


 奥田の再雇用が決まっていなければ絶望のどん底にいるところだったが、不在の間に要件定義が大変になるとは言え、ちゃんと戻ってくるのだ。心配なことは何一つなかった。


 しかし、席に戻ろうとしたとき、曲がり角からふいに桜木が現れた。


 しまった。油断した。


「先輩」

「何?」


 早苗は平静を装って首を傾げた。


 きょろきょろと周りを見て、誰も居ないことを確認してから、桜木は言葉を続けた。


「あの、今日、このあと――」


 お誘いの方だったか……。


 早苗は内心でため息をついた。


「今日は奥田さんと朝までコースだから無理」

「えっ!? 二人でですか!?」

「みんなでだけど?」


 開発部隊の飲み会は、一次会、二次会とやったあと、朝までカラオケをするのが通常コースなのである。最後まで残るのは、毎回同じメンバーだった。その中に奥田と早苗も含まれる。飲み会が苦手な早苗でも、チームのだけは別だった。


「ですよね」


 桜木がほっと息をついた。


「俺も行っていいですか?」

「わかった」

「その後はどうですか? 俺、一緒に眠るだけでも、全然」


 それはないだろう。セックスをしないのなら、早苗セフレが行く意味はない。


「明日は予定があるから」

「来週はどうですか?」

「たぶん忙しい」

「……もう、来たくないってことですか?」


 桜木が泣きそうな顔で呟いた。


「ごめん、何? 聞こえなかった」

「いえ……なんでもないです」

「じゃあ、話は終わりでいいかな?」 

「あ、待って下さい! あの、えっと、その、明後日! 明後日の日曜日、一緒に、出かけませんか?」

「えぇ……?」


 早苗は戸惑った。


 どうしてこの流れでそんな話になるのだろうか。


 今まで一度も桜木に遊びに行こうと誘われた事はない。


 そういえば、食事にすら誘われたことはなかった。


 セフレなんてそんなもんか、と心の中で苦笑する


 どうやら桜木は早苗の意図をんではくれないらしい。曖昧あいまいなまま自然消滅はさせてくれなさそうだ。


「桜木くん、あのね――」

「お願いします!」


 早苗がもうはっきり言ってしまおうとしたとき、桜木が頭を下げた。


「ずっと誘おうと思ってたんです。お願いします。もし予定があるなら、違う日でもいいです。お願いします」


 あまりに桜木が必死に言うので、早苗の決心は揺らいだ。


 こんなところで大の男に頭を下げさせているというのも気まずい。


 しっかり向き合って話をするのなら、むしろいい機会かもしれない。


 それに……最後の思い出としても。


 彼女さんには申し訳ないけれど、一回くらい……。


「わかった。いいよ」

「ほんとですか!?」


 今度こそ桜木は、早苗が承諾するなんて思ってもみなかった、という様子で目を大きく見開いた。


 そして、ぱっと満面の笑みを作る。


「嬉しいです! 俺、楽しみにしてます!」


 ずきり、と心が痛む。


 そんなに嬉しそうな顔をされると、逆に苦しい。


「私も……楽しみにしてるよ」


 早苗は薄く微笑んだ。


「それも嬉しいです……!」


 桜木は感激したように言った。

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