育てた後輩を送り出したらハイスペになって戻ってきました

藤浪保

第1話 再会(1)歓迎会

「やばい、完全遅刻だ」


 皆瀬みなせ早苗さなえは、アスファルトにヒールの音を響かせながら、居酒屋が建ち並ぶ繁華街を急いでいた。


 日はとっくに落ちたとはいえ、日中の春の陽気に温められた街は少し暑い。早歩きをしていると、ジャケットの下にうっすらと汗をかいてきてしまう。


 早苗は立ち止まってジャケットを脱ぎ、スマホのマップアプリで会場の店の場所を確かめた。


 方向音痴の早苗にとって、マップアプリは必須アイテムだ。これがなければどこにもたどり行けない。


 今日は、別の本部の営業部隊からこの本部の営業部隊に移ってきた転入者の歓迎会だった。


 早苗は開発部隊に所属しているが、開発費折衝せっしょうや顧客との打ち合わせなどで、営業部隊と関わる機会は多い。


 普段の営業内の飲み会に呼ばれることはないが、歓迎会や送別会、忘年会などは合同で開かれることが多かった。


 今回の転入者は、早苗のプロジェクト専任になるという話で、これから深く関わっていくことになる。


 その初顔合わせとなる大事な歓迎会に、顧客との打ち合わせが長引いたせいで、早苗は絶賛遅刻中だった。


 もちろん幹事には連絡を入れているが、これで道に迷ってさらに遅れることになったら目も当てられない。


 時々全世界位置測定システムG P Sの調子が悪くて現在位置を見失いそうになりながら、早苗は歩く速度を強めた。





 会場の居酒屋に入ると、店員が笑顔で近寄ってきた。


「いらっしゃいませー」

「えと、あの……」


 極端な人見知りの早苗はどもりながらも、なんとか幹事の名前を告げる。


 何度か聞き返されたあと、ようやく部屋へと案内してもらえた。


 半個室になっているそこは座敷ではなく、テーブルと椅子の席だった。


 よしよし、幹事、良くやった。


 今年入社してきた新人幹事に心の中で褒め言葉を送る。後でちゃんと言ってあげよう、と心のメモに書いておく。


 女性は靴を脱ぐのに抵抗があるのだ。正座はもちろん、横座りし続けるのもつらい。座敷にしても、せめて掘り炬燵ごたつでないと。


 椅子席は大正解だった。


 お互いの距離は離れてしまい、乱入もしにくくなってしまうが、そんなもの、なくてもいいだろう。無礼講だとはしゃぐわけでなし。


 各テーブルにはすでに料理が並び、ビールのジョッキが半分ほど減っている。


 それ以外の飲み物を飲んでいるメンバーもいることから、乾杯からずいぶん時間がたっていることが察せられた。


 あいている席もあるが、ざっと見て二十人くらいか。なんだか女子率が高いような気がした。


 それぞれの席に座る面々を見れば、営業部隊と開発部隊はきっぱりと分かれている。


 そりゃそうだ。普段一緒に仕事をしている人と飲んだ方が楽しいに決まっている。


 店員から渡された飲み物のグラスを回している幹事に一言遅刻のびを入れ、早苗は自分のチームメンバーが座る席に行こうとした。


 その早苗を呼び止める声があった。


「さなえー、こっちこっち!」


 声のした方を見ると、同期の久保くぼ加世子かよこが手を振っていた。


 自分の隣のあいている椅子の背をぽんぽんと叩く。


 周りは営業の社員ばかりだったが、まあいいか、とそちらへ向かう。加世子とはしばらく会っていなかったから、少し話がしたい。


 早苗は加世子の隣の席の背もたれに折りたたんだジャケットをかけて座った。


「お疲れ。遅かったねー」

「お疲れー。打ち合わせが長引いちゃって」


 おしぼりで手を拭きながら、加世子に返答する。


「早苗のプロジェクトはそろそろサービス開始インだもんね」

「そうなの。一応試験も順調なんだけど、調整事項がたくさんあって」


 幹事が早苗にビールのジョッキを持ってきた。


 それを「ありがとう」と言って受け取る。


 本当はビールは苦手だが、「取りあえずなま」は幹事の負担が一番少ない。文句を言うつもりはなかった。


 加世子がカシスソーダらしいジョッキを持ち上げる。


「かんぱーい」

「乾杯」


 ごくっと一口。


 苦みのある炭酸がしゅわしゅわとのどを刺激しながら通り過ぎていく。


 思ったよりも美味しく感じた。


 外が暑かったから、気づかないうちに喉が渇いていたのかもしれない。


 冷たいビールがからっぽの胃にたまるのを感じて、早苗は割りばしを手に取った。


 お酒に強い方ではないから、きっぱらにアルコールを入れるとすぐに酔ってしまうのだ。


 早苗は肩までの長さのさらさらの黒髪を耳にかけ、さっそくお通しのキャベツを口にした。


 塩とごま油のかかったそれは、キャベツの甘さと唐辛子とうがらしのピリッとしたからさも相まって、シンプルながら美味しい。


「加世子の方も提案あるでしょ」

「うちはアジャイルになったから、そんなに大変じゃないんだってば」


 そうだった、と早苗は思い直す。


 加世子が担当しているプロジェクトは、最近アジャイル開発に切り替わったのだった。


 一方の早苗のプロジェクトは、古き良きウォーターフォール開発である。


 短期間で小規模開発を繰り返すアジャイルとは違い、要件定義から試験まで、年単位の時間をかけて順番に開発していく方式だ。


 堅実に進めていける反面、世間の移り変わりに弱いという欠点もある。

 

 今はその試験工程フェーズで、あと三ヶ月後の七月には、一年かけて開発してきたシステムのサービス開始日を迎えるところで、早苗のチームはてんやわんやだった。


 それでも、普段から飲み会を好まないメンバー以外は全員参加している。どんなに忙しくとも、たまには息抜きが必要なのだ。


 早苗も、今日は楽しもうと思っていた。


「仕事の話はこの辺にしとこうよ」

「そうだね。ごめん。はい、これ」


 加世子がサラダを取り分けてくれた。


 さすがの女子力だ。


 早苗は他人ひとのために料理を取り分けるタイプではなく、自分で好きなだけ取ればいい、と思っている。


 でもこうやって取り分けてもらうのは、それはそれで嬉しい。


 こういうとこだよな、と早苗は内心でため息をついた。


 加世子はげ茶色に染めた髪を器用にい、メイクもばっちりで、営業らしく華やかな見た目をしている。


 早苗のように上下セットのパンツスーツではなく、春らしいオレンジいろのふわっとしたスカートに、ベージュのジャケットを合わせていた。


「で、今日の主役は? いないみたいなんだけど」


 転入してきたという人物を探して視線を走らせるが、知った顔ばかりだ。


「あそこにいるよ。部長に捕まってる」


 加世子の向けた視線を辿たどると、会場の端の方で、壁を背にして座る部長に日本酒をついでいる男性がいた。


 背を向けているから顔は見えないが、確かに見ない背格好な気がする。周りはみんなジャケットを脱いでネクタイを緩めているのに、その男性は律儀にグレーのジャケットを着ていた。


「後で紹介してあげる。超イケメンだからびっくりするよ」

「へぇ」


 早苗は興味のない声を出した。


 なるほど、だから女子率が高いのか。


 そう言えばフロアの別プロジェクトの女性社員が、営業にイケメンが入ってきたって言っていたような。


 てっきり新入社員のことかと思っていたら、転入者のことだったらしい。

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