カンタレラと神の花【1】

@kokoma4649

第1話 ペットショップにいた少年を買い取ろうと思います

 


 あなたの瞳に吸い寄せられていた


 この出会いは、きっとあなたが作った運命だ 






 *****






 街の郊外の小さな森の中、パンッ!と銃声が鳴り、遠くの空を飛んでいた鳥が撃ち抜かれた。




「すげえやロジンカ!百発百中だな!」




 先程まで茂みの中で息をひそめていた少年たちが、わぁっ!と歓声を上げて彼女に走り寄ってきた。




「ふふ、こればっかりは先生にも負けたくありませんから」




 鳥を撃ち落とした少女は、輝く銀色の髪をかき上げて花がほころぶように笑い、愛用のマスケットを頬に寄せる。




「まいったな…狩りの事に関してはほんとうにもうロジンカに教えられることがないよ……」


「「狩・り・の・こ・と・に・関・し・て・は・ぁ・?」」




 先生と呼ばれた青年が暗がりから出てきてぼやくと、お調子者の少年二人がにやにやしながら追求した。




「せんせ~、さっきの授業でもギーメル語の文法間違ってロジンカに教えて貰ってたじゃん~!」


「見栄張るなって!せ、ん、せ~~~?」




 青年を指さしてお道化た彼らがそういうと、青年は顔を真っ赤にしてプルプル震えながら怒鳴った。




「うるさい!これ以上先生を馬鹿にすると闘技場に連れて行って猛獣の餌にするぞ!?」


「うわ~!脅しだ脅し!こえぇ~~~!」




 その様子を見て誰しもが笑っていた。


 ただ一人、ロジンカだけがそわそわと早く帰りたがっていた。






 *****






「ロジンカ、準備はできたの?早くいらっしゃいな」


「待ってくださいお母さま、どっちの服がいいか…」


「ゆっくり決めたらいい。ペットショップはまだまだ閉まらないよ」




 クローゼットの中を見上げるとロジンカの好きなピンクとスミレ色でいっぱい!


 今日はロジンカの10歳の誕生日だった。そして家族にとって記念すべき、新しい家族を迎える日でもある。


 こんなに浮かれてしまうのは彼女にとって初めての事で、たくさんあるお気に入りの服に埋もれながら胸をドキドキさせていた。初めて会う家族には、一番素敵な自分を見て欲しいのだ。


 でもなかなか決まらずまだキャミソール姿のまま。


 馬車で待っているお母さまはちょっと怒り始めていた。


 もう迷っていたって決まらない。全部素敵な服なんだからどれだっていいんだという事に思い至ったロジンカは、目をつぶって一番最初に手に当たったドレスにすることにした。




「これだわ!」




 選ばれたのは袖の部分を、首の付け根から脇の下までカットしたネックラインのシンプルなパステルピンクのドレス。


 あまり肌を出すのははしたないかもしれないと思って赤いボレロを羽織って、白いタイツにブラウンのパンプスを履いた。


 本当はお母さまのようにヒールを履きたいけれど、ロジンカにはまだ早いといって買ってもらえないのだ。


 銀の髪を左耳の上でシニヨンにして、リボンを垂らしたら出来上がりだ。


おまけで綺麗な指輪もつけよう。この指輪は特注のものなのでお気に入りなのだ。




「お父さま、お母さま、ごめんなさい。もういけます!」




 階段を転がるように駆け降りると、しかめっ面で待っていたお母さまがふきだして笑うからロジンカは小首を傾げた。




「ロジンカ、後ろを見て見なさい」




 お父さまが困り顔でそういうので振り向くと、今しがた走ってきた階段には点々とドレスが落ちていて、下を見れば足元に引っかかった下着を引きずっていた。




「……、はしたないところをお見せして……すみませんでした。」




 そう言って綺麗にお辞儀をしたが、足にズロースが引っかかったままだったので、今度こそ二人がお腹を抱えて笑う気配を背に感じて部屋に戻った。






 *****






 ここはヴァヴの国、教皇が治める世界一大きく平和な国とされる。


 焼いた生石灰と石で作られた円形の家々は、教皇宮殿を中心に段々と下っていく山形のシルエットを作っている。


 ロジンカが居るのはその中の丁度中腹、大きな闘技場が目立つ、中流階級が多く住む場所に居た。




 馬車に揺られて、歴史ある石造りの街並みを見ながら、ロジンカは絶対に買うなら猫がいいと主張していた。


 もふもふの子がいいか、すらっとスリムな子がいいか、色はどんな子がいるだろう。


 犬派のお母さまの声は聞こえず、ロジンカの目には馬車の窓から見える石垣を歩く猫しか見ていなかった。黒い短毛の野良猫は何故か馬車を追いかけ、野性的な魅力をたたえた黄色い瞳でロジンカを見つめ、いつしか追いつけなくなって遥か後方に消えていった。




「……ペットショップに黒猫はいるかしら?」


「まぁ、黒猫なんて、なんて縁起の悪い動物に興味を示すのかしらこの子は。昔話を知っているでしょう?黒猫は迷子の子供を闘技場まで連れていって、猛獣が食べた子供のおこぼれを貰うのよ。」




 お母さまは扇子で口元を隠し、ああ怖いといってみせるけれど、ロジンカはそんな昔話は信じていなかった。彼らは猛獣に媚びを売れる程大胆ではないと思う。


 そんなに黒猫を悪く言うなら、絶対に黒猫を迎えて可愛さをわかってもらおうと決心してしまった。




 馬車の揺れが止まると御者が「こちらです」とドアを開けてスロープを用意した。お父さまとお母さまが順番に降りていく中、ロジンカは固まっていた。


 声がするのだ、動物たちの声。


 最早何の動物が鳴いているのかすらわからない様々な鳴き声に圧倒されていた。


 カーテンを閉められた馬車からは何も見えないが、外に出たらわかるだろう。


 どれほどの生き物が、誰かの家族になる為にここにいるか。




 カーテンを開いて、一歩地面に足を付けた。


 瞬間、狼が群れで吼えて大地が揺れる。


 その振動に驚いて顔から転んでしまいそうになった。




(ああ、ドレスが……)




 お母さまに怒られてしまう、と思いながら目をぎゅっと瞑ったが、地面に叩きつけられるような衝撃はやって来ず、代わりにぼ・す・ん・っ・と何か暖かいものに受け止められたように感じた。


 恐る恐る目を開くとそこには大きな黄色い瞳があった。




「ねこ……?」




 それがあまりにも先程の猫の瞳に似ていたので、思わず頓珍漢なことを言ってしまったが、それはどう見ても人で、肩まであるぼさぼさした黒の長髪に片目を隠して、大きな瞳でじっとロジンカを見つめていた。感情を感じさせない表情が、やはりどこか黒猫を思わせる。




「お嬢様に何をしているんだ!君、早く離れなさい!」




 先に店を見に行ってしまっていた両親と御者が慌てて戻ってきながら怒鳴ると、少年か少女かもわからない黒猫の彼は、支えていたロジンカの腰から手を放し、何処かへ走り去っていった。




「ロジンカ!大丈夫かね?なにか不埒な真似をされなかったか?」


「いいえ、お父さま……私、転びそうなところを助けられて……」




 珍しく急いで走るお父さまをぼうっと眺め、自分で言って気が付いた。


 私はあの子に助けられたのだ。




「お礼を言い損ねてしまいました……」


「あんなみすぼらしい子供にお礼なんていりません!隙を見せるから寄って来るのです!今後は転ばないように気をつけなさい」




 ロジンカはお母さまがそういうのを話半分に聞いて、家族になる子を探し始めても、目ではあの子を探していた。


 さっきまで圧倒されていた雑踏や動物たちの鳴き声も、どこか遠く聞こえる。




 ペットショップは普段も人の集まる大きな噴水広場を拠点にした一日限りの露店だ。


 何処から連れてきたのかわからない首の長い生き物や、虎や象などはこの区画にある闘技場のコネを使って集めたのだそう。


 今日に限っては上流階級の人達もこの街に降りてきているため、お父さまは各方面に挨拶に行っていた。




「噴水の周りには名前もわからない大きな動物ばかりね……。やだ、狼まで沢山売っているわ!さっさと離れるわよ。猫がいいのでしょう?それなら左のテントよ」


「お母さまは犬がいいのでは……?」




 先程までは犬以外は認めないというくらいの勢いでまくし立てていたお母さまがころりと主張を変えたので、ロジンカは驚いた。いぶかしんで背の高いお母さまを見上げると、彼女は透けた白いチュールの下でふてくされていた。




「今日はあなたの誕生日プレゼントを選びに来たのだからしょうがないわ。猫はそっけなくて嫌いだけど我慢します。」




「フンっ」とそっぽを向くお母さまに思わず笑って猫売り場に向かうと、彼女は居心地が悪かったのか、かわいくない子だと後ろでぶつぶつ呟いていた。




 長毛の猫、短毛の猫、中毛の猫……。


 猫売り場のテントは犬に次いで大きく、そのすべてが夢のようだった。


 まるで猫の世界の住人になったよう。私もにゃあと鳴いたらお話してくれないかしら?


 そう思って歩き回っていて、はたと気が付いた。


 白い猫、赤茶の猫、灰色の猫、青っぽい猫、バイカラー……。


 沢山いるけれど、真っ黒の子がいないのだ。


 白い猫は色んな瞳の子がそろっているのに、黒い子だけどうして?




「すみません、黒猫はいませんか?」


「黒猫?」




 通りがかったお店の人に声をかけると、彼は不思議そうに頭を掻いた。




「黒猫なんていないよ。あんな縁起の悪いの、魔女しか欲しがらないと思ったがね」


「えっ……」




 変なものを見るような目でロジンカを見て立ち去っていくお店の人を茫然として見送った。




「ほら見なさい!黒猫なんてありえないって言ったでしょ?世間体も考えて選んで頂戴な。黒猫を飼っているなんてご近所に知られたら、私たち全員魔女扱いなのよ?」


「……そうなの……」




 世間はロジンカが思ってたより迷信に従順で、差別的らしい。


 ロジンカが意外とショックを受けてしまったのに気付いたお母さまは、あの子なんてどう?銀色の尻尾があなたの髪とお揃いよ。あの子は貫禄があってお父さまににているわ。やっぱり犬にする?と、次々に猫を連れてきてロジンカに見せるが、心に黒猫と決めてしまっていたロジンカは、ごめんなさいと言ってテントを出てしまった。




「……どうすればよかったの!?」


 取り残されたお母さまはお店の人に掴みかかって泣いていた。




 黒猫がそんなにダメだとわかってしまい、しょんぼりしながらも他に猫のいるテントは無いか探していた。


 飼うのはダメでも間近で見れないかという一心だったがどこにも見当たらず、そろそろ広場を一周するというところで、夕暮れ時になっているのに気が付いた。


 そろそろ店じまいが始まっているテントもあって、ロジンカが回れる場所はあと一つだけになるだろう。


 選んでいる時間もないので、近くにあった店に取り敢えず入ったが、入った瞬間失敗したとわかった。


 狼だ。


 何故か知らないが、ここは狼専門のテントらしく、あっちをみても狼、こっちを見ても狼しかいない。


 サーカスの業者も来ているので、おそらく見世物用に売っているのだろうが、ロジンカが来るべき場所では無いようだ。


 踵を返して店を出ようとすると、誰かに腕を引っ張られて連れ戻された。


 なんとかバランスを整えて転ばずに済んだが、誰とも知れない人に引っ張られた手は振りほどけない。




「放してください!何ですか?」


「待ってくれお嬢さん!後生だよ!」




驚いて振り向くと手を引っ張っているのは襤褸布を被った、痩せこけた老人だった。


老人はしゃがれ声でまくし立ててくる。




「後生だ…!この狼達は私の村を襲って行った!儂が狩りから戻ってきたら家族も友人も誰も残っとらんかったんだ!群れの半数のこいつらを捕まえたはいいが、毛皮を売ろうにも肉を売ろうにもこれっぽっちも金にならん!残った村人たちを養うにも!死んだ者たちのちゃんとした墓を建てるにも金が要るんじゃ……!もうすぐどの店もたたんじまう時間じゃろ!?朝からずっと待ってたが、皆狼の声を怖がって誰も店に入ってきてくれんかった!あんただけなんじゃお嬢さん!100ロトで1匹どれでもいいから買っておくれ!儂らにはこれくらいしか売れるものがないんじゃ!殺してもええ、殺し合わせてもええ!世話なんてせんでええ!巷で人気らしい飴も付けてやろう!カンタレラと言うたか?取り敢えずやるから!」


「わか、わかりましたから……腕が痛いです」


「っ、ああ!すまんかった!謝るから……」




唾を飛ばしながら涙を流して懇願する老人を哀れに思い、ロジンカは腕をさすった。


よほど焦っていたのだろう、腕には大きな手の型がくっきりと赤く浮かんでいた。


老人が黙ると、高く積まれた檻の中から狼の唸り声と吼え声がより大きく聞こえる。これではロジンカの声は外に聞こえることはないだろう。


どのみちこの中から1匹でも買わないと外に出してもらえないようだから……。


ロジンカが近づくと狼たちはガシャン!と檻に噛みつき、あるいは体当たりして威嚇してくる。


せめて一番大人しい子がいい、と思って獣臭で満ちた薄暗い店内を歩き始めた。


しかし、当たり前だがどの狼も敵意でいっぱいで目の前を歩くことすら恐ろしい。どう考えても連れて帰るより先にロジンカの幼い喉が食い破られるだろう。


背後をついて回る老人もこちらを絶対に逃がすまいと必ず出口の方を塞ぎながら歩いている。狼よりもロジンカが檻のなかにいるようだった。


この状況で一番いい選択肢はなんだろう。


怪我でもして抵抗できない状態の狼でもいればその子を買って、老いた店主もお金がもらえ、私も生きて帰ることができる。手当てをしている内に懐いてくれたらそれが一番だが……。




「お爺さん、この中に怪我をしている子はいますか?」


「……おらん。傷物はより一層買い手がおらんと思って皆殺してしもうた。」




いない……。その言葉は絶望的だった。最早時間稼ぎにこの恐ろしい店内を歩き回るしかない。


店じまいの時間になったら、御者でも誰でもいいから気が付いて探しに来てくれないだろうか。


祈る気持ちで最後の区画を歩いていると、一か所だけ檻のない場所が見えた。


あれ?と思ってその場所に向かうと、檻半分くらいのそのスペースにいた、ぼさぼさの黒い長髪に片目を隠して、寝ぼけたようなレモン色の目がこちらを見つめていた。




「……あなたは!」


「……」


「なんじゃ?知っておるのか?」


「さっき転んだところを助けてもら……って……」




老人の問いかけに応えようとしたときに、ジャラ……、と鎖の音が聞こえた。


もう一度黒猫の様なその姿を見直すと、さっきはついていなかった手枷と足枷が彼の手足に、そして犬につける様な口枷までついていて、もっと目を疑ったのは裸の上半身につけられた痛々しい傷から滴る血だった。




「彼はどうしてこんな傷を!?」




駆け寄ってドレスの裾をちぎって包帯にしようとしたが、案外丈夫な布地を裂く力がなくもたもたしていると老人が笑って答えた。




「こいつは儂の奴隷なんじゃが、あんた、これを買うのはやめておいた方が良いぞ。狼の方がなんぼもいい」


「奴隷……」




ロジンカは奴隷を見たことが無かった。ロジンカが丁度生まれたころに、ヴァヴの国では奴隷制が廃止され、奴隷の血族は別の国に強制移住したからもう居ないはずだ。


考えられるのは、現教皇の意志を無視して奴隷を解放しなかったか、人狩りをして一般人を奴隷に仕立てたか。


どちらにしても重罪なのは明らかだった。


ロジンカがにらみつけると老人は頭を掻いて弁解する。


「あ、ああ!違うんじゃ、奴隷と言っても飯は食わせとるし、その傷は……設置を手伝わせに連れてきたんじゃが、狼を見張っていろと言ったのにどっかいっちまったから躾をしようとしたんじゃ!でも鞭を忘れてきちまったから馬用の鞭で叩いたら皮膚が裂けちまって……」




ドレスを裂こうとする手により一層力がこもった。


しかし黒猫は、なだめるようにその手を握った。




「ふぁひはほう」




ありがとう、ロジンカの耳にはそう聞こえていた。


彼か彼女かもわからないその子は、レモン色の瞳を細めて確かにロジンカにお礼を言った。




(……何もしてないのに)




お礼を、言われた。




私は―――




ま・だ・、何もしていないよ―――




「買います。」




気付けば老人に札束を投げていた。




「え、嬢ちゃん……?」


「足りませんか?いくらでしょうか?奴隷と言うなら値段を付けられると思いました。」




先程まで恐れていた狼の声が遠かった。


ドレスの裾を引っ張って困惑する黒猫の唸り声だけが聞こえる。


「信じて」それだけ言って頭を撫でた。




「落ち着くんだ嬢ちゃん、そいつを買ったって一文にもならん!なんてったって無性別なんだ、わかるか?魔女に体を売って生まれてきたんだ、うまれついての子無しなんてな……」


「それは聞いていません。いくらか聞いています。ここの狼を全部買ったら譲ってもらえますか?」




ロジンカは更にポシェットから札束を出す素振りをした。正直なところ、お金はもう残り少ない。


今の手持ちで彼女/彼を買い切らないといけない。


ここで手持ち以上の金額を約束してしまうと、お父さまを頼らざる負えない。


しかし薄汚れた子供と狼を買ったと分かれば返品するのが当たり前、その時に「奴隷なんて冗談だ、お嬢さんは子供だから冗談が通じなかった」とでも言われたらこの子は連れ帰られてしまうかもしれない。


そうはさせられない。ここで必ず買い取らなければ。


ポシェットの中の時計を触る。時間は刻一刻と過ぎていく。




「しかし……しかしだなぁ」


「ここの狼を10匹は買える値段を出したはずですが……何か理由でも?」




老人は視界のあちこちにある紙幣を脂汗を滲ませて見回しながら、ぐうぅ……、と唸って話し始めた。




「実は……そいつがおらんと狼を連れて帰れん……こいつら全部を捕まえたのはその奴隷……ルトゥムだからだ……荷車と銃一本しかもっとらん。そいつを恐れているから狼もむやみに暴れられんのだ…。正直なところ、ルトゥムが居なくなった後にどうなるかが儂にもわからん」


「それ、知ってます。自業自得って言うんですよ」


「なんだと……!?」




老人は図星を突かれて怒りを露わにした。今にも殴りかかってきそうだった所にルトゥムが吼えると狼達が一斉に怒鳴るような鳴き声を上げる。


驚いた老人に畳みかけるように懐中時計を見せる。




「残り10分で全体の閉店時間です。ルトゥムさんが買えなければ私は何も買う気はありません。何の利益も得られず村に戻るか、1000ロトの収入を得て村人さんたちを養うか。どちらかですよ。買わせてもらえるのなら枷の鍵を下さい。」




そう言って手を差し出すと、怒りと驚きと時間への焦りで目を白黒させる老人は数秒、いや数分止まったが、徐々に余裕を取り戻すと笑い始めた。




「ははは!馬鹿者め!素手でもお前が儂に敵うものか!ルトゥムはやらん!狼を買っていけ!そうでなくてはここで狼の餌にしてやるぞ!大人を舐めたような態度をとるのもいい加減にしろ!」


「あなたが餌になったらごめんなさいね」


「は……?」




小さな銃声が鳴ると、一瞬ぽかんとした老人が脚を抱えてのたうち回った。


何事か理解できなかった黒猫は、音の発生源を探すと、ロジンカの指輪から硝煙が上がっているのが分かった。


花を模しているのかと思った六つの穴は銃口、少女が持つには無骨だと思っていたそれはファムファタルという正真正銘の銃だった。




ロジンカは老人の腰についていた鍵束を持ってくると一つ一つ当てはめ、何個目かですべての枷を外すことができた。




「良かった!外れましたよ〜!」


「……ありがとう」




ありがとう。今度こそ、その言葉を正面から受け取る事が出来る。




笑顔で頷こうとすると、外からの光で数人の大人の影がテントの幕に映った。




「警備兵だ!そろそろ店仕舞いして貰おうか」




ロジンカはハッとすると「警備兵さん!」と叫んで店の出口まで走った。よく分かっていないルトゥムも後から着いていく。




「助けてください!このお店の人、彼のこと奴隷だって言ってて……!お店から出してくれなくて!怖かったから発砲しました!」


「え?何を……」


「この……小娘がッ!!!」




大声を上げてルトゥムの背後からぬっと現れた老人が銃を構えて、振り向いたロジンカの眉間を撃ち抜こうとしていた。


警備兵も動けず、まさか老人が動けると思っていなかったロジンカも固まってしまった。


トリガーを引くその刹那、黒い影だけが見えた。




ドンッ




響き渡った音は天に向かった。


ルトゥムに蹴り上げられた銃口は天井に穴を開けていた。


老人が取り落とした銃を奪い、続けて落とされた的確な手刀によって、老人は地に倒れ伏した。


あっという間の出来事だったそれは、攻防と言う程のものでもなく、ひたすらに黒い影が圧倒していた。


警備兵が気を取り直して老人を囲み、拘束する頃にはルトゥムは腰を抜かしたロジンカの傍に寄り添い、心配そうに顔を覗き込んでいた。




「……そんなに強いのにどうして今まで抵抗しなかったの?」




素直な疑問を口にすると、少年は困った様に目を逸らした。




「なんとなく……」




それだけ言った彼を追及はしなかった。言いたくないことは沢山有るだろうから。




遠くからお父さまの声が聞こえる。


今日は大変な日だったな。と小さく思った。








*****






結局家族が増えることは無かったわね。


ロジンカはしょんぼりしていた。


学校からの帰り道、今日も馬車に乗って窓から街を見ている。


馬車に乗っているとそれくらいしかやることがない。今日も代わり映えのない風景だけれど、ロジンカは自分が育ったこの街が好きだった。


この街で、彼も暮らせたら良かったのに、一緒に学校へ通って狩りや勉強をしたかった。




あの日、ロジンカは色んな事を警備兵やそのお偉い様に聞かれた。


答えられる事に正直に答えていたのだが、老人と言い分が異なる部分があると言うことで、聞き取りは3日間を要した。


難航したのはやはりルトゥムの事だ。奴隷として扱っていたというロジンカの主張と、手伝いのために連れてきていただけだという老人の主張が真っ向から食い違っていたのだ。


最終的にはルトゥムが怪我をしていた事や、枷の跡が付いていた事から、奴隷のような扱いをしていたことは間違いがないという結論に至ったようだが、その後、彼がどうなったかはわからない。


誰に教えて貰おうとしても、「子供は知らなくて良いんだ」と言葉を濁されてばかりだった。




結局、安否も何処にいるかも分からないまま2週間ほど過ぎてしまい、ロジンカは彼に関わることを諦めていた。




きっと何処かで自由に暮らしてくれると思いたい。その一心で毎日女神に祈っているが、神という存在をいまいち信じて居ないロジンカにとってそれは無意味な事と変わらなかった。




はぁ、と、ため息を付いて窓の外から目を外す。


さっきから荷車が横をずっと走っていて風景が見えないのだ。


荷車くらい何時でも走っている大通りだが、こんなに付いてくるのは珍しい。


目的地がお隣さんとかなのだろうか?と思っていると、いつの間にか自分の家に着いていた。


荷車も我が家の前で止まる。




「……御者さん、今日は何かお届け物のある日でしたか?」


「いいえ、私は何も聞いておりませんが……。」




2人して小首を傾げると、家の中からおとうさまが出てきた。


荷車の御者台に乗っていた人と何か話している。




「私は了解していない!何故うちで引き取らんといけないのだ?」


「そう言われましても……」




何を話しているのか気になったけれど、また大人の話しというやつなのだろう。


私が聞いてもわからないことだから、とりあえず今日はクッキーでも焼こうかしら。




そう思って言い合いする2人をぼーっと眺めていると、目の端に荷車の後ろから降りてきた黒い影が映った。




「え……」




それはボサボサの黒い長髪に、片目を隠したレモン色の瞳、今日は黒いナポレオンジャケットだったが……。




「ルトゥム!」




黒猫を思わせるその姿は、紛うことなき彼だった。




どちらからともなく駆け寄り、抱きしめ合うと、ロジンカは泣き出した。心配していました。無事でよかった。怪我はどうなったの?




その全てに「大丈夫」と答えるルトゥムは困り顔で笑っていた。






*****








感動的な再開の横で、大人たちは応酬を続けていた。


「ほら、娘さんも喜んでるんだから良いでしょう?私たちだって困ってるんです。罪状も無いのに処刑する訳にもいかないし」


「馬鹿な!そんな理由で押し付けられてたまるか!無性別なんて不吉なものを一般市民に委ねないで貰いたい!」


「そんなこといわないで、そうだ、そんなに嫌なんでしたら、いい考えがありますよ!




この飴、カンタレラって言うんですけど、実は」




曇り空の中、ロジンカとルトゥムだけが幸せそうに語らっていた。

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