第八話 ー愛とかうどんに秘めたくてー

 料理。人間の三大欲求の一つでもある食欲を満たし、支配するそれこそ、人間を救い、進化してきた、歴史の立役者とも言える。

 これは、そんな料理に愛と魂を込め闘った一人の男の英雄譚である。




 夜の闇に包まれた歩道を走る男が一人。ただ走っているというよりかは、何者からか逃げているという様子だった。その何者かはゆっくりと男に迫っていた。

「何故逃げるのです?あなたは私との勝負に負けた。それなりの対価を払ってもらわないと困ります」

 近づく何者かはコック帽を被っていた。体力の限界で、その場にへたり込んてしまった男に対し着実に距離を詰めている。

「ゆ………許してくれ!頼む!命だけは!」

命乞いに満足そうな笑みで応じたコック帽は

「頂きますよ。貴方の才能、実力、スキルを!」

丁度、蟹のハサミの様に変化した彼の右腕が、震える男に振り下ろされ………





 「お、おいマスター!こんなもんが、お、俺のチャリに……!」

焦りの形相で、喫茶たかいわのドアを再び開けたのは、この店の常連の『徳さん』だった。高岩と同い年の彼は、今日も魔王オムライスとショウイチ君サラダで腹を満たし店を出たが、上記の通り店に再び入ることとなった。

 怪訝そうな顔を浮かべたマスターこと高岩は徳が持っていた細長い木製の棒を受け取った。先端には尖った金属製のパーツがついており、その反対側には細く折り曲げた紙が巻き付けられていた。自転車のサドルが抜き取られ、代わりにこの矢文が収められていたのだとか。

「徳さん、これ矢文だよ。一体誰から……」

 矢文という珍しいガジェットに店中の客及び従業員が高岩に目を向けていた。大勢の注視を浴びながらも、高岩は手紙を外し、広げた。

 そこには、達筆が連なっていた。

『高岩豊へ。

貴様に一対一の料理勝負を申し込む。逃げることは赦されない。最強の料理人が誰なのか決める時が来たのだ。私は必ず貴様の屍を乗り越えてみせよう。一週間後、必ず会おう

川崎修司』

 「こいつぁ、果たし状って奴だな」

徳はその雰囲気に感嘆したようだった。

「本物の果たし状なんて初めて見ました」

詩織も徳に追随するように呟いた。その様子を刃は遠くから見つめていたが、突然口を開いた。

「川崎修司………何者だ?」

再び、視線が高岩に向けられた。高岩は苦虫を噛み潰したような顔を見せてくれた。

「川崎………忘れもしないさ……」

 矢文などあるかないかの二択で問われたら、後者のほうが確実にいい。そう言い切れるはずなのに、高岩はそれから目を離すことが出来なかった。






 その日の夜は、高岩、匠海、刃の三人で食卓を囲むことになった。テレビからはニュース番組が流れていた。西園寺コーポレーション系列のテレビ局のものだ。

 そのニュース番組が箸休めコーナー的なものをやり始めた時、匠海と高岩の箸の動きが止まったのだ。『和洋折中華』という料理店が紹介されたのだ。

 その名が示す通り、和食、洋食、中華、果てはエスニック料理など様々なジャンルにおいて質の高い料理を頂けること、店内が多くのお客様でごった返していることを紹介した後、番組は店長のインタビューに移行した。そのインタビューを見て、高岩はテレビに視線を釘付けにされることになった。

 「こいつは………!」

店長と思わしき人物の下に『川崎修司』とテロップが浮かんだのだ。

「これが果たし状の送り主か。だが、妙に若いな」

一緒にテレビを見ていたノウンがそう呟いた。ノウンの言葉通り、川崎という男の見てくれは大学を卒業したての青年のそれであった。初老の高岩と、因縁を抱くほどの関係である訳だから、刃は自然と高岩と同じくらいの歳の、やや老いた男の姿を想像していた。だからこそ、そのギャップに意外性を抱くのも無理はない。喋るブレスレットのインパクトには匠海及び高岩は慣れていたが、場の謎の緊迫を拭うことはできなかった。

「果たし状………お知り合いですか?」

匠海が刃に問いかけた。

「あぁ。おやっさんのな」

刃は視線を高岩に移した。高岩はあいも変わらずテレビを見つめていた。

「叔父さん、誰なのあの人?」

少しの静寂。気前よくインタビューに応じる男の姿を見つめたその後、腹を決めたかの様に高岩は喉を震わせた。

「あんまり話したくはなかったけどね。あれは俺が調理師学校にいたときの話だ…………」







 8月24日。在りし日の高岩豊にとって、それは忘れられない日となった。

「第十六回熊沢調理師専門学校内創作料理大会。優勝は、三年、高岩豊です」

 ナレーションの後、ギャラリーの生徒たちが歓声を上げ、拍手を捧げた。

 創作料理大会。名門、熊沢調理師専門学校(以下熊校)で十六年前から行われ始めたイベントだ。優勝者は兵揃いの熊校の頂点に君臨するという名誉ある大会であり、数多もの生徒達が名誉の為、しのぎを削っていた。

 誰もが羨む料理人となった高岩だったが、彼の胸には無視することのできないしこりが居座っていた。

 表彰式を終えた高岩は、迷うことなく校長室の扉を開けた。校長は面倒くさそうな顔を滲ませていた。そんな彼らの前に立っていたのは、同級生の川崎修司青年であった。

 川崎と目があった。彼は未練を残した瞳をこちらに向けた。それで、高岩は発言の決心を固められた。

「校長、今回の大会の決勝はやり直すべきです」

校長はため息を吐き、述べた。

「金賞が何を言う。今更事を面倒にしてくれるな」

その一言は、彼の憤りを加速させた。

「川崎が使用していたコンロは故障していました。しかし、相当の処置を取らなかった。それで彼は料理を作れず、決勝で実力を出しきれなかった。こんなの勝負じゃありません!」

 上述のように、器材のトラブルにより、川崎は制限時間内に料理を完成させることは出来なかった。それを涼しい顔で何事もなく受け流した運営にも、納得がいっていなかった。

 自分はこの結果に満足していない、と行った趣旨の発言をしようとした刹那、

「黙れ!」

という怒声が鳴り響き、高岩の声帯を止めた。反射的に向けられた高岩の視線には、川崎が映っていた。川崎は赤くなった唇を小刻みに震わせていた。

「お人好しのお前に教えてやる。憶えておけ。勝者の同情は、敗者にとって最大の侮辱なのだ!」

憤怒が濁流の如く場を支配した。時の流れを妨げたのだ。しかし、それも長くは続かず、きまりを悪くした川崎は部屋を出ていってしまった。

 去り際、川崎と目があった。涙を耐え、血を迸らせていたあの目を、高岩は忘れられなかった。

 






 「あいつは俺にとって、唯一無二のライバルであり、親友だった。俺だったらあいつを救えるかもしれない。あいつとまた、完全な状態で戦えるかもしれないって思ってたんだ」

沈鬱な声音で高岩はここまでの話を聴かせた。ここまで沈んだ高岩は初めて見るような気がした。

「それ以来、あいつは学校に来なくなった。スランプを苦に自殺したとかいう噂も流れたけど、それを信じられるほどの気力もなかったよ」

高岩の後、ノウンが口を開いた。

「しかし、奇妙だが、奴はどうやら生きていたようだ。少しは安心しても良いのではないのか?」

少し濁した調子の問いかけだが、高岩は顔色を変えなかった。

「あいつは今も俺を恨んでいるかもしれない。そう考えるとなんだか悲しくなるんだ」

笑みが似合う男ゆえ、高岩の俯いた憂い顔は痛々しく胸を締め付けるものがあった。重苦しい空間をテレビの音声だけが意味もなくよぎる。

「……なら戦えばいい」

 おもむろに刃が口を開いた。二人の顔がこちらを向くと同時に、高岩がえ…、と短く唸る。

「たぶん、そういういざこざは考えるだけじゃ解決できない。正面からぶつかってみて初めて解決できる」

確かな芯のある声に同調するように

「そうだよっ。折角矢文なんかくれたんだ。その時の決着つけたほうがいいって」

と匠海も口を開く。高岩が黙り込んだままだったのは気まずかった。だからこそ、寸分の後に彼が顔の角度を上げる様に刃も匠海も瞬発的に希望を持てたのである。

「覚悟決めた。勝負、してみるよ。どっちみち、逃げられないような気はしてたからね」

 高岩に笑顔が覗いたので、空気はいつの間にか明るくなっていた。その次第に安堵しつつ、刃は垂れ流しにされているニュースに目を向ける。川崎の特集が終わったようで、入れ替わるように報道されていたのは、『有名フレンチ料理店店主殺害』という主旨のものだった。





 ナイフのような尖りを見せる三日月が暗闇のワンポイントになっていた。薄い月光と街灯に照らされる男が二人。一人は壁に背を付け、怯えていた。まるで、もう一人に追い詰められているかのように。

 男が右腕を上げる。その腕が、蟹のハサミの様に変わった。街灯を反射し、赤く煌めいている。

 振り下ろされる。その刹那。銃撃がハサミを襲った。追い詰められた男は芯のない声を出し、逃げ出した。

 「何をする……?」

蟹の男が視線を移す。銃口の向こうに鈴鹿将暉の顔が見えた。

「コック連続失踪事件の犯人がコックさん、もとい蟹だったとはなぁ。現実は小説より奇なり、ってやつ?」

悠長な物言いの将暉をコックは注視していたが、やがて口を開いた。

「邪魔をするつもりならば、消す……!」

 男が闇夜に舞い上がる。大きく振り上げられたハサミを腕で防御し、押し返す将暉。距離が近い。ならば。

「お腹がガラ空きだぜ?」

コックの腹に零距離射撃。腹部を抑え、大きく後退したコックの身体が蟹を模したネクロに変化した。

 再び将暉の銃撃。それをもろともせず進撃するネクロ。ハサミが伸ばされる。それを背中を反らし回避する。だが、もう一つのハサミが将暉の首を捉えた。

 跳び上がるネクロと将暉。上昇中でも銃撃や蹴りの応酬が繰り広げられる。

 将暉の横に立つビルの屋上が見えた。そこに打ち出すように、将暉はネクロの腹を蹴り込んだ。想定通り屋上に転がり落ちたネクロ。

「霊装」

 三日月を据えた夜空に、雅の姿が映える。

 跳躍ついでに距離を詰め、アームカッターでネクロの胸板を引き裂いた。悲鳴を上げるネクロ。それと同時に、口から泡を吐き出した。その泡が鎧に当たった瞬間、続けざまに小爆発が起きたのだ。

「クソっ、何で泡が爆発するかねぇ?」

 上がる火花を振り切った雅。しかし、ネクロの姿はもうなかった。

「今日は蟹鍋が食えると思ったんだけどなぁ」

将暉の独り言は暗闇に吸い込まれるようだった。






 過去。ベッドに寝転んだ高岩は、虚ろな目を天井に向けていた。

 学校を卒業し、三ツ星レストランの料理人として働くようになっても、川崎という黒い影を拭うことは出来なかった。川崎が自殺した。ちょうどその頃流れ出した風の噂はその影を濃くするには十分だった。レストランでの過労も祟り、精神をすり減らし続けた末路が、このベッドで寝ころむ自分だった。

 川崎が友人ではなく赤の他人だったら、どれほど楽だっただろう。川崎を思い出すたび高岩はそう考えた。ただ、いつも答えは浮かばなかった。自分が苦しくなるだけだった。

 ドアをノックする軽い音が聴こえた。そう間を置かずドアが開いた。

「豊くん、調子どう?」

ドアの向こうには、丼を乗っけたお盆を持った女性が立っていた。

「あぁ……玲子か」

 岡井玲子。学生時代の友人で卒業後も何かと高岩のことを気にかけてくれていた。

「悪いね……毎度迷惑かけて………」

「いいよ。私、好きでやってるんだから」

 温かい笑みに代表される、彼女の優しさが、高岩は好きだった。ことあるごとに励ましや応援をくれるのは嬉しかったし、十六回の事について、深く触れてくれなかったのもありがたかった。

 屈託のない笑顔のまま、玲子は起き上がった高岩に丼を渡した。うどんだった。彼女の家は老舗のうどん屋だった。

「これ、私がつくったの。食べて!」

しばらくの間、キッチンに籠もっていたのは、これの準備の為だったことを高岩は理解した。

 うどんを啜った。美味しかった。この手の料理にも精通していた高岩は出汁の素材や、麺の茹で時間などを口にするだけで理解できた。ただ、そのどれにも該当しない何かがあった。

 胸が、心が、温かくなった。自分を占めていた冷たく、悲しい何かが溶け出していくようだった。

 正体は、玲子の顔を見て、解った。

ただただありがたかった。嬉しかった。癒やされた。

 「頑張らなくていいからね。少しずつ、豊くんらしくなれればいいって、思ってる」

玲子の優しい声が高岩の鼓膜を揺すった。

「………ありがとう……」

カーテンの隙間からさす光が、明るくなった。







 


 ネクロ討伐の任を終えた刃が喫茶店の玄関をくぐる頃には、時計の短針は右斜め上の2を指していた。日中に比べ、夜はネクロの活動が盛んになる。その為、深夜に戦闘を行い、遅い時間に帰還する、などということは、刃にとっては自然な事であった。

 ただ、慣れた景色と違ったのは、キッチンに明かりが点いていた点だった。出汁だろうか。ドアを開けると同時に、鼻孔にやんわりと染み渡る香りも気になった。

「おぉ、ご苦労さん」

金属光沢が映える銀色の鍋を前にして、高岩が笑みを浮かべた。明かりがあるのは、高岩が作業をしているからあった。香りの出処も、恐らくはあの鍋だろう。

 興味で足が動きキッチンに入る刃は、そのままの流れで、例の鍋を覗き込んだ。そこには、出汁の薫りを含んだきつね色の液体が、鍋底に白い光を取り入れていた。鋭く整った高岩の視線もそこへと注がれている。その瞳も見慣れないものだった。

「これは……?」

「うどんの汁だよ」

自信なげに高岩は答えた。西洋料理以外もつくれる事は、居候の刃も承知していたが、それでも、うどんの三文字は以外な響きをもって、刃の鼓膜に籠もった。

「料理対決は、うどんで勝負するのか?」

再び問いかけた刃に調子も変えず、まぁね、と高岩は応じた。

「………だけど、これじゃ駄目だな。出汁の風味とか、口当たりとか。そういうのが全然違う」

ぽっと出た一言から、妙に高岩が悄げている理由が解ったような、そんな気がした。

「誰かのレシピを参考にしているのか?」

ノウンが目を点滅させる。

「参考というか、なんて言うのかなぁ……、でも、大切な味だから……このうどんで勝負したいって」

「大切な味……?」

「うん。この味に救われた事があってさ」

鋭かった目元が和らいだ高岩が、感慨に浸るように呟いた。

「料理ってさ、結局は人がつくってるわけだから、少なからずその人の思いみたいなのも入ってるって、そう信じてるんだ」

そう話す高岩はいつものような温和さを取り戻していた。それに対する安堵も込め、刃は彼の紡ぐ言葉により熱心に耳を傾けた。

「前に食べたうどんとは、使ってる材料とかが違うからさ、悔しいけど、どれだけこだわっても完全に同じものを再現することはできない。だから、このうどんに込める思いだけでも、大切にしなくちゃいけないんだ。そういう思いが、人を救うこともあるからね」 

 その微笑みは、一切の憂いを取り払っていた。改めて見たうどんの汁の輝きが何処か愛おしく思える。暗がりを照らす、金色。眩しすぎる気もする。

「……あまり、無理はするなよ…」

刃は一言絞り出すと、踵を返し、キッチンを去った。そっちもね、と親切にも高岩は労ってくれた。

 人の思いが人を救う。それは、ある一種の真理として、刃の心に灯された。それは未来への救いでもあり、過去への重りでもあった。しかし、高岩が後者とならないで欲しいような、祈りに似た心地を刃は得た。高岩が陰る所を、見たくなかったのやもしれない。




 勝負当日。刃一行は予め示されていたドームに向かっていた。スポーツの試合などで使うのだろう。高岩は、彼らより早く出かけていった。そういう約束がされていた。

「なんでよりによってこんなところなんですかね?」

詩織が疑問句を言った。その場の誰もが同じことを思っていた。川崎にでかいスポンサーが付いていて、その力でドームを貸し切りにしてくれたのだろうか。

 とりあえず歩みを進めていたが、突然、平衡感覚が奪われたかのように視界が揺れ始めた。歩くことはおろか、立つことをままならなかった。

「く……苦しい……!」

「何だこのゲッソリする感覚は……!」

刃だけでなく、詩織、匠海も同様だった。

 蟹の様なネクロを見たのを最後に、刃の視界は闇に伏された。







 目を開けると、刃は壁も天井も黒い謎の部屋にいた。

「何処だ此処は?」

ノウンが呟いた。コンロが二つ置いてある広いスペースがあったが、刃はそのスペースに立ち入ることが出来なかった。

「バリアが張られている……」

アクリル板を思わせる透明のバリアに触れながら刃が答えた。透明板が一枚置かれているだけで、初見で見破るのは難しく思えた。何なら何も置かれてないようにも見える。

「雑だな」

ノウンが呆れ声で呟いた。刃の後ろには多くの観客席が置かれていた。

 「レデェィィィィィィィス、エン、ジェントルメェェェェェッ!皆様、大変長らくお待たせしました。お待たせしすぎたのかもしれません」

ハイテンションの女性ボイスが流れた。音声の裏でバリバリとした音が響いている。

「なんだ、全裸の奴が出てくるのか?」

ノウンの疑問句を他所にボイスは流れ続けた。

「第六回、料理対決『鋼人!』」

刃の背後から歓声が巻き起こった。見ると、いつの間にか大量の野良ネクロが席を占めていた。

「うわうわうわ、何だぁこれは……」

ノウンが驚きに支配された。ボイスはやはり続けた。

 「司会はこの私、平田詩織がお送りいたします!」

スポットライトが正装の詩織に当たる。野良ネクロが歓声を更に大きくする。

「ブボォォォォォッ!ジボビヂャブバッデバジダ!(うおぉぉぉぉぉっ!詩織ちゃん待ってました!)」

まるでアイドルのようだった。

「あんな奴だったとはな……こいつはたまげた」

ノウンは呆気にとられていた。

 ちなみに野良ネクロは専用の言語『ネクロ語』を有する。人間としての意識が完全になくなったネクロのみが話すことができるのだ。

 「本日の審査員は、こちらの方です!」

詩織が叫んだ。すると、横ばいからコック帽に白衣を着た匠海が手を振りながら現れた。会場の中央の巨大モニターには匠海の拡大映像と匠海を説明するテロップが映された。

「経歴詐称も甚だしいな………」

テロップの『三ツ星レストラン最年少料理長』の文句を見てノウンは呟いた。

「ノウン、知らないのか?有名人だぞ」

しれっと椅子に座った人物がノウンに聞いた。

「あぁ、そういう体の話なのね分かった。経歴詐称を疑った私が馬鹿だった」

知る訳ないと言おうとしたが、刃の素っ頓狂な顔を見てノウンは全てを察した。

 いわばこの空間は、パラレルワールドに近い何かだった。だから、詩織が司会をやっていても、匠海が料理長でも何らおかしくなかった。パラレルワールドで、知り合いの職業、性格や住民の価値観が元来生きてきた世界と異なっていることをに疑問を抱くのは野暮なことなのだ。

 観客が野良ネクロなのは納得いかなかったが。

 「それでは、本日の選手入場です。赤コーナァァ、川崎修司ィ!」

赤く塗られている扉の両サイドからの冷気の噴出とともに、川崎修司が現れた。テレビで見たのと同じ姿だった。悠々とした態度は、隠しきれない自信の現れだった。

 「青コーナーァッ、高岩ァ豊ァ!」

青い扉から同じように高岩は現れた。

「高岩さぁぁぁぁん!」

刃がとうとう黄色い歓声を上げた。先程までのクールな面持ちはどこ吹く風。

「変な夢を見ているようだな。疲れてるのかな……」

ノウンは調子を変えず何処か失望していた。実際、刃の視界は胃袋は高岩に掴まれている訳だから、刃が高岩を精一杯応援するのも無理はなかった。クールで無口というステータスさえ無ければ。

 「高岩!今日こそ貴様を倒し、俺が最強の料理人になる!」

調理器具や食材が並べられたテーブルを前に川崎は高岩を指さした。

「俺も負けるつもりはない。あの日の決着、必ずつける」

高岩は極めて冷静だった。しかし、冷たさの中には熱が、静かさの中にはくすぶりうねる何かがあった。

 役者は揃った。

「勝負開始ィ!」

詩織の絶叫と共に、銅鑼の音が鳴り響いた。会場には、食材の下ごしらえをする音のみが聞こえた。観客は固唾を呑み、勝負の行方を注視していた。

 場が動揺した。制限時間が半分を過ぎた頃だった。高岩が何か白く、大きい何かを取り出した。透明なパックに包まれている。

「バザガ?!(まさか?!)」

「バベバ?!(あれは?!)」

 観客の動揺を他所に、床にそれを置いた高岩は、両足で白い何かを踏み始めた。

「あれは!うどんだァァァァァァッ!」

司会兼実況は驚き混じりのシャウトをかました。

 ここに来てまさかのうどん。川崎含め、場は圧倒されていた。もちろん、刃も例外ではない。

「そんな!高岩さんはフレンチの名手。そんな彼が、何故うどんなんだよりによって?!」

「ソダネーナンデダローネー」

会話上割り切っていたが、まだこの空間に慣れていないノウンはきわめて感情を込めず刃に応答した。早くこの場を出たかった。

 興奮のうちに、試合終了を告げる銅鑼が鳴った。

「それでは、審査の時間です。まずは川崎選手。料理をお出しください」

 詩織のナレーションの後、川崎は料理を匠海の前に差し出した。

「シタビラメのムニエルです」

 こんがり狐色のシタビラメの切り身に人参やじゃがいもなどの野菜が添えられてあった。ハーブ類の混ざったソースもかけられていた。

 硬い面持ちの匠海はシタビラメを一口に切り、口に運んだ。

「バターの濃厚さにハーブが程よく混ざり合っています。シタビラメ本来の風味の使い方もお上手です。貴方、いい仕事してますね」

匠海はそう述べた。コメントを聴き終え、川崎は満足そうに笑みを浮かべた。

 続いて、高岩が料理を出した。

「うどんです。私が若い頃、神経衰弱になってしまったときに、恋人が作ってくれたんです。そのうどんを再現してみました。どうぞ、お召し上がりください」

一連の説明を高岩が述べると、場が露骨にざわついた。ざわつきの中、川崎は嘲笑を浮かべた。

「ふん、そんな庶民的な料理で俺に勝とうとは、とんだ物好きだな。高岩?」

川崎の煽りには耳を傾けなかった。

 「ふぅむ。なるほどね……」

匠海はトッピングのネギを少量のせ、うどんを啜った。温かいうどんだった。

 咀嚼を終えた匠海はゆっくりと、言葉を紡いだ。表情が少し柔らかくなっているようにも見えた。

「丁寧に煮出された鰹出汁。弾力がありつつ食べやすい麺。どれを取ってもピカイチだ。しかし、食べた後に感じたこの胸の温かさ。このネイキッドな温かさは、食材や技術で出すことは出来ない」

微笑みを浮かべながら、匠海はうどんをすすり続ける。その声音は先程の業務的なものと打って変わって、温かなものだった。

「彼女が教えてくれたのです。料理において何が大切なのか。腕を競い、戦い続ける環境にいて忘れていましたが、本当に大事なものは、誰かを思う心。その温かさが伝わっていただければ、この上ない幸せです」

匠海を見つめつつ、高岩の口から自然とそんな声が溶け出していた。同情を誘うつもりか、という川崎の横槍には目もくれない。

 自然と聞き入っていた匠海は、徐に立ち上がった。その瞳からは、透き通り輝く涙が一筋。そして、両手を額に当て、

「心がハァァァァァァトフウウウウウルゥゥゥゥゥッ!!!」

と、叫んだ。すると、額から金色の光が放たれ、空に謎の文字を描いた。

「え、何?立て撃て切れ?」

ノウンが素っ頓狂な声を出した。

「これは!匠海サインが出ました!このサインは、高岩選手の勝利を示します!」

 赤い縁の変わった眼鏡をかけた詩織が叫んだ。アナウンスの後、観客が叫び声を上げた。高岩の勝利を称える歓声が場を支配した。みんな眼鏡をかけている。

「これかけると匠海サインの意味がわかるんだよ」

わざわざ刃がノウンの目に眼鏡をやった。眼鏡越しに『うまいっす』の文字が見えた。

 ちょっと感心している自分自身をノウンが憐れんでいた時だった。ちなみに高岩は『オメデトデス』と彫られた金メダルを誇らしげにぶら下げていた。

「ふざけるなぁ!」

川崎が叫んだ。一同が川崎を注視する。

「何故だぁ!私は与えられた新たなる力で!多くの料理人の技術を得た!そんな私が!何故!貴様の!庶民的な料理ニィ!負ぁけるんだぁ?!」

場の空気が張り詰める。誰一人声も出さないし、身動ぎ一つ起こせなかった。

「貴様への敗北、そして貴様によってもたらされた屈辱はァ、私を死に追い込み!異形の者へと私を変えたァ!」

血走った目をギョロつかせ、川崎の熱弁は続く。聴衆はあいも変わらず、独得な空気に圧倒されている。

「高岩ァ!貴様一人に勝つためにぃ!俺は人間を捨てた!それでも神はァ!俺を勝ぁたせてくれないのかァァァッ?!敗北者の運命はぁ!逃れられない物なのかァァァ?!」

「何だ奴は?一人で熱くなっている……」

ノウンの冷静な指摘も今の川崎には届かない。

 やがて、川崎は先程まで使っていた包丁を手に持った。気味の悪い笑みを浮かべている。

「待て、何をするつもりだ……!?」

高岩が一歩ずつ後退する。それを嘲笑した川崎は包丁を正面に構え

「野郎ぶっ殺しャァァァァァァッ!」

と、叫んだ。凄まじい声量。

 川崎が走り、高岩に迫る。だが、横ばいから飛んできた蹴りによって、包丁が川崎の手から落とされた。

 川崎と高岩の間に、立ちはだかるように刃が立った。

「めでたい日にケチを付けるな!」

刃の調子はいつもの様に戻っていた。

「貴様!何故正気を取り戻したぁ?」

川崎が問いかける。刃が口を開いた。

「そんなこと俺が知るか!」

まさかの説明放棄。

「お前は城茂か」

ノウンが呆れ口調で呟いた。

「クソォ!ご都合主義なんて嫌いだァァァァ!」 刃と川崎が取っ組み合いになり、川崎が蹴りによって吹き飛ばされた。

 飛ばされた先は、スタジアムの観客席だった。

「特撮ワープだぁ……!」

正気に戻った匠海が叫んだ。詩織、高岩の姿もある。

「おのれ霊装武士!貴様のせいでこの結界も破られてしまった!貴様は一体何者だ?!」

怒り心頭の川崎はそう吐き出した。刃はキッと目を川崎に向けて、言った。

「俺は、通りすがりの食いしん坊だ!」

「ダッセぇ」

 ノウンの罵倒をなかったものとし、天高く上げた右手を鼻の位置まで降ろし、左腕を突き出した。

「霊装!」

刃が暁に変わった。

「こっからは俺のショータイムだ!気張って参上!」

「怒られるよ」

ノウンの忠告を亡き者とし、刃は締りの悪い決め台詞を吐いた。

「ふざけやがってこの野郎!著作権に殺されろ!」

 川崎の姿が蟹ネクロ『ズバダラバ』に変化した。

ハサミ攻撃を腰を低くして回避し、ズバダラバの腹部に拳を一発入れる。更に首筋にも手刀を数発。

 ズバダラバも負けてはいない。ハサミの斬撃でダメージを与える。更に、暁の腰回りを掴み捕縛する。だが、それを暁は両腕を広げることで解除。炎の拳でズバダラバを殴りつけた。

 距離が空いた。跳躍。すかさずキック一発。空中で回転しながら、暁は倒れ込んだズバダラバの元へ。そして、ズバダラバを持ち上げた。

「イェァァァァァッ!」

謎の掛け声とともに、持ち上げた両手で円を描くような挙動でズバダラバを投げた。うつ伏せのズバダラバが横に回転しながら宙を舞う。

「ありゃウルトラハリケーンの投げ方だなぁ」

詩織が首を傾げる横で、同じく観戦中の高岩が感心する。

「いいよなぁ帰りマン。捨て難いなぁ」

共鳴する形で匠海が呟いた。

 人工芝のコートに落下したズバダラバ。飛び降り、着地する暁。その手には、炎を纏った霊刀が握られていた。

「いかんぞ……!」

ズバダラバは何かを察した。

 暁が刀を構え迫る。近づく距離。

「スキルさえあれば、どんな相手にも勝てる。そう信じきったことが、お前の不幸だ!」

暁が吠え、更に距離を詰めていく。

「待ってくれもう一度俺に料理をつくらせてくれ!今度は勝てる!あのうどん如きにィィ!」

「問答無用ッ!ダァァッ!」

命乞いも虚しく、刀がズバダラバのに腹部を切り裂いた。

 まさに、その時だった。川崎の、彼の中で、瞬間が駆け巡った。何故自分が料理人になったのか。それが時の流れの中で、鮮明になっていく。彩りを増していく。匂いが香ってゆく。

 俺が見たかったのは、笑顔だったのだ。自分の料理を食べたあの人の、あの笑み。俺はだれかを幸せにすることが出来た。いや、もっと幸せにしたかった。そんな純粋な思いが、俺を動かしていたのではないのか。技術だとか知識だとか。それを求道する為に、俺は生きていたわけじゃ断じてなかった。そうだ。俺が忘れていた。忘れてはいけなかった。大切な事を、今、思い出した。

「俺は……これを求めていたんだ………」

走馬灯の中、ズバダラバは溢れ出す炎に包まれた。そして、澱みのない、純白の煙が、青空へ還っていった。





 少しばかり背の高い木に周りが囲まれていると、その場は静かになるものだった。ひっそりと広がった墓地の、ある墓石の前に高岩はいた。

 線香の煙を前に手を合わせ終えた高岩はゆっくりと呟いた。

「川崎は技術、センス、全てにおいて俺に勝っていた。正直、俺が勝てる相手ではなかったよ」

やがて高岩はゆっくりと立ち上がると、墓石に水をかけた。水のかかった部分の色が少しばかり濃くなる。

「だから、あいつに勝つには、想いが必要だった。人の心を暖める優しい想い。君が俺に教えてくれたよね。それとおんなじ事をした。川崎にも食べさせてやりたかったが、俺の事、赦しちゃくれないだろうな。頑固だからさ」

 一通りの作業を終えた高岩は、墓石の前に懐から取り出した金メダルを置いた。『オメデトデス』と彫られていた。

「あっちの世界で川崎に会ったら、ごめんって伝えといてくれ。できたら、うどん、つくっといてやれ。俺が惚れたうどん。あいつも満足するさ」

 また来るよ、と言い残し高岩は墓石から立ち去った。若くして遠い空へ羽ばたいていった君。だが、彼女がそばにいてくれて本当に良かったと、今でも思う。時間がかかってもいいから、自分らしくやろう。改めて高岩は誓った。彼女が教えてくれたように。

 その墓石には『高岩玲子』と彫られていた。

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