第十三話 易者が手紙の謎を解く

 パイプ椅子を別に引いてきた道玄がつきあってくれる。

 テーブルに広げた例のDMを二人で覗き込んで。


「——じゃあ、彼がやりとりしていた相手の雰囲気が途中から変わったんだね?」

「はい、そう言ってました」

「始めの方が本来で、途中からおかしくなって?」

 碧が頷く。出したカードの話もする。

「……なので、僕の見立てではこのDMは会社に無理やり書かされているんじゃないかと。理由がわからないんですが」

 聞いている道玄が顎を撫でた。

「文面を見るとさ」「はい」

「まともな手紙を書ける人だと思う。一般的なクレームの文面だとすれば、言葉は強いが特におかしくも乱暴でもない。だからいくつか違和感があってね」

「違和感?」

 道玄が紙を指差して。

「ここは要らない」


——今後も世間を斜めに見て絵を描いていくなら、

 このメールも一旦バラシで構いませんが。——


「ああ。それ。三田も怒ってました。なんでそんなこと言われなきゃいけないのかって。おかしいですよね?」

「おかしい。ここだけで三つ、おかしい」

 碧が驚く。

「三つも?」


「一つ目。前の文面に〝やる気が無いなら早めにお知らせ下さい〟と書かれてるじゃないか。同じことを重複して言う必要はない。バラシって、そういう意味だろ?」

 言われて碧が気づく。確かに。

 バラシとは仕事の白紙化のことだ。

 道玄が続けて。

「二つ目。その〝バラシ〟の使い方がおかしい。バラすのは仕事の予定とか案件だろ? メールをバラすなんて言わない」

「ほんとだ……」

「三つ目。彼が怒った部分だ。世間を〝斜めに見て〟絵を描くなんて言い回しは変だ。なくはないかもしれないが、この人の表現で、ここだけ浮いている。普通に書くなら〝斜に構えて〟とか〝世間になびかずに〟とかじゃないか?」

「うーん」

 猫背を戻して、遠目に紙の文字を見て。



かなり前回のサンプルより時間が経っています。

描かないつもりでしょうか?

拘りがあるのかも知れませんが、周りに迷惑がかかります。

もしやる気が無いなら早めにお知らせ下さい。

これは貴方が受けた案件ですよ。


日程の変更もコーダーにはこれ以上言えません。

曲げるよう頼むのは現場の私どもです。

せめて期日だけでも伝えるのが礼儀とは思いませんか?



 道玄がまた顎を撫でて。

「この人は、ひょっとしたら俺と似たような世代かもなあ」

「え? なんでそんな思うんです?」

「ちょっと気付いたことがある。他の紙、ないかな。あと書くもの」

 碧がプリンタのそばから裏紙を取って。

 そばのボールペンを渡す。

 道玄がペンでDMの文字を書き写し始めた。が。

「メールをバラすってこういうことじゃないか?」

 なぜか。頭の部分だけだ。しかも。

 漢字をひらがなにバラして。


 かなりぜんかいのさんぷる

 かかないつもりでしょうか

 こだわりがあるのかも

 もしやるきがないなら

 これはあなたがうけた


 にっていのへんこうも

 まげるようたのむのは

 せめてきじつだけでも


「で、斜めに見て」

 言われて碧が読んで。


 か なりぜんかいのさんぷる

 か か ないつもりでしょうか

 こだ わ りがあるのかも

 もしや る きがないなら

 これはあ な たがうけた


 に っていのへんこうも

 ま げ るようたのむのは

 せめ て きじつだけでも


 ぞわああああっと。

 碧の全身を走る今度の鳥肌が半端ない。

 道玄が言う。

「昔スマホが普及する前の掲示板では、こんな遊びが流行ってた。縦読みとか斜め読みとかいうやつだ。これは斜め読みだな」


「いや。いやいや! 怖い! 怖いです! なんでこんな。そしてわかんない。わかんないですってこんなの!」

「わかんないよなあ、だから二段構えなんだ」

「二段構え?」「そう」

 道玄が指差すのは元の漢字の文面だ。

「これさ。この部分さ。別にその彼の名前、どこにも書いてないよね?」

「え? ……ええ。まあ、そうですね」

「てことは、ここはテンプレなんだよ」

「テンプレ?」

「みんなに送ってるのさ」

 椅子を碧の方に向けた道玄が。

「気づかない人は気づかないでいい。仕事受けてないんだって? それでこんなメールきたらみんな怒るんじゃない? 彼も怒ってたんだろ?」

「怒ってました」


「ここからは想像だけど。この人って有望そうな素人を発掘するスカウトなんじゃないかな。何人か集めて、それなりに育てて。どこの業界でもあるだろクリエイティブなとこなら」

「あるかもしれませんね、バンドマンとか」

「そうそう。で、育てているうちに会社から無茶な指示が出たんだ。本格的な囲い込み、契約しろって。おそらくかなり叩いた条件だと思う」

 ああ、と。碧がなんとなくわかってきた。

「それで〝かかわるな にげて〟って。気づかなくても怒らせてブロックさせれば目的は達せられるって、そういうことですか?」

「うん。その彼はたまたまペンを無くしてて、描くのが遅れてて、このテンプレにピタッと嵌まっちゃったんだろうなあ」


 うーんすごいなあ、と。ひたすら感心する碧を見ながら。

 道玄が可笑しくなるが黙っておく。

 こんな調子で、騙せるのだ。

 なんだかんだ言っても、彼はこうしてカードのリーディングから離れたら、まだ普通の高校生なのだなあ、と。

 碧はひとつ見落としている。

 この主が〝なぜ〟こんな手の込んだ子供騙しをDMに仕込んだのか、ということをだ。

 碧には二段構えなんて話で煙に巻いたが、こんなの簡単に気づくはずがない。

 そして警告なら相手が気づかなくては意味がない。


 だから〝警告〟ではないのだ。

 これは〝保証〟だ。


 道玄は理解している。

 これにもおそらく二つの理由がある。

 ひとつは彼または彼女自身のアリバイだ。

 この会社は相当悪どい契約条件で囲い込みを仕掛けているのだろう、おそらく法律に触れるレベルのことだ。

 万が一先々に調査が入った際に、自分だけは加担しなかった、なんとか相手に知らせようとしたという〝すぐすぐには見つからない証拠〟を埋め込んであるのだ。証拠になるのかどうかは怪しいところだが。

 二つ目。こちらのほうがきっと本命だが、おそらくそれをやっていると言うことは、この者は遠からず会社を辞めて独立する腹なのだ。

 文章は丁寧だが方法は乱暴だ。あんな意味不明なDM、今後も在籍してクリエイターと付き合うつもりなら送れるはずがない。

 逃げた画家のリストは手元にある。

 後々に相手と接触したとき、仮に言い寄られたら目の前でこれを解いてみせるためだ。

 おや? 気づかなかったのですか? とか。

 他の皆さんは気づきましたよ? とか。

 若い子なら、ころっといくかもしれない。

 今の碧のように。

 解けた暗号の向こうにもう一個、心理的な罠があるなんて誰も気づいたりしないのだ。


 DMの主も、こいつはこいつで。けっこう危ないやつだなあ、と。

「碧くん」「はい?」

「まあ、そういうことだからさっさと手を切るなりブロックするなりしていいと、その彼に伝えておいて。先にまた何かあるかもしれないけど」

「先にですか?」

「そう。それでね、もし彼が——」



◆◇◆

 


 前日夜の道玄さんに碧が感動したのとまったく同じ風で。

 その日の昼休み、駐輪場で三田が驚くのが、碧には可笑しい。

「すっげ! すっげえ! わっかんねえ!」

「ね。わかんないよねこんなの」

 わかんねえ、マジかよと三田の呟きが止まらない。

 やがて。両手を拳で握ってやや屈み腰の彼が、ぱたっと黙って。

 そして振り向く。

「だったらさ」「うん?」

「甲本さんとは繋がってた方がよくね? すげえ人じゃん。頭いいし」

 うわあ道玄さんが言ったとおりだあ、と碧が驚いた。


——もし彼が感動しすぎてDMの主を切りきれない時は、なんとかしてあげなよ碧くん。それとこれとは別だからね——


「うーん、えとね三田さあ」

「何? 反対?」

「いや。だってそれってさ、じゃあそっち方面の絵を描いていくってことなの?」

 ぐうっと。碧の質問に三田が言葉を詰まらせる。碧は続ける。

「いけなくはないよ? どっちの絵柄も両方一緒にやっていけなくはないかもしれないけどさ。相手はビジネスしてるわけだからさ。描く絵の比重って、女の子の方になるんじゃ——」

 そこまで喋って。碧が気づく。

 やっぱり何も解決してないのだ。

 三田には棘が刺さったままなのだ。


〝風景画で食べていく将来のプランをお持ちなんですか?〟

 

 そうだ。思い出した。

 そんなこと言うやつなんだぞ?

 本当に大丈夫か?

 だったらきっちり俺が三田を——。

「ああッ!」「わっびっくりした」

「思い出したあ、またやってしまった」

 はあ? と首を曲げる三田は放っといて。碧が頭を押さえる。


——いちばん大事なカードがないね——


 碧は。まだ三田本人を引いてない。



「うーん」

 会社のデスクで頬杖をついた勇三がふよふよと、指に挟んだペンを揺らす。

 でかくて重いのであまり強く揺らすと指からすっぽ抜けそうだ。

 

 結局、朝方の出がけも正利に話を振るのを忘れていた。

 出勤前でバタバタしてるのに仕方がない。

 こうやって会社についてカバンを開いて「あちゃあ」ってなるのが、もう何日めだ?

 疲れて家に帰れば忘れている自分も馬鹿だが、そもそもこれがなんで俺のカバンに入ってるんだろう、と。

 きっとどこかの晩飯だ。

 あいつ部屋から手に持ったまま食いに来やがって、そのまま置いてったんだ。

 今度は女房がそれを間違えて俺のカバンに入れたんだろう。

 どうだこの推理。

「……どうでもいいか」

「——ここに液タブなんて、ありましたか?」

「え?」

 勇三が頭を上げれば。

 グレーの髪をしっかりまとめて生地の上等な背広を着た初老の男性が、デスクの前で立ち止まっている。

 驚いて勇三が立ち上がって頭を下げた。

「これは。結城先生。今日も新社屋の打ち合わせでしょうか?」

「全室の収納を見て回ってます。そろそろお昼休みと伺ってますので」

「いえいえっ。どぞっ。とっ散らかってますが」

 そう言ってフロアを手で差すが、ペンを持ったままだ。

「ああ、えっとこれは。たはは。息子のを間違えて持ってきてですね」

「CGの専門とかですか?」「まだ高校で」

「え、でもこれ一番高いやつでしょう? すごいなあ」

 すごいのか。確かにセットでべらぼうな値段がした記憶がある。ひょっとして俺の使ってる万年筆とかよりいいものなんじゃないのかと思う勇三に、男性が言う。

「どんなの描くんでしょう、やっぱりアニメーション系ですか」

「え。いや……えっとですね」



「ナニ急に悶えてんだよ」

「いや。ちょっとまって」

 ごそごそジャケットのポケットから碧が取り出したのは。

 小さなトランプの箱だ。

 三田が怪訝な顔をして。

「タロットかと思ったじゃん。なんだよトランプって」

「タロットカードは持ち込まないよ」

 箱の上蓋を開けて、しゃっしゃっと軽く揺らして、左手首に。

 たんッ! と。

「わっ」

 器用に一枚だけ飛び出た。そのカードは〝ハートの2〟だ。

 すっと碧が抜いて。すると。

 

 カードが光り始めたのだ。

 ちょっと驚いて、三田の顔を見る。が。

「……どしたの? これがナニ?」

 やはり見えてないのだ。この光は碧にしか見えない。


 だがどうすればいいのか。

 ハートの2には、上下がないのだ。

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