第九話 無謀な先導者は罠に嵌る


——夕方の、誰もいない営業所の事務室で。


 ブラインドの隙間から横顔に差し込む西日もそのままに、ただ自分のデスクに座って猫背でせわしく隈のある目を両手でる神崎は、きっと焦っていたのだろう。

 なぜ、こうも上手くいかないのか? と。


 リーダーシップには自信があった。高校、大学とラグビー部で自分を慕った後輩たちとは社会人の今でも交流があるし、そのうちの一人の横山とは職場の同僚だ。

 その横山を含めて三人の仲間が今回の独立を後押しして、街の後輩たちも「なにかあったら手伝いますよ」とまで言ってくれているのに。

 確かに昔から無鉄砲で、考えるより先に行動するところはある。

 それでも。

 今度のことは神崎なりに勝算があったはずだ。

 なのに上手く回らない。ひとり呟く。

「……くそッ」

 アタリをつけておいた仕入先の社長は「まあ新規ですからねえ」と取引条件も売値も馬鹿みたいにこちらが不利な内容を提示してきた。

 銀行に出した融資申込の事業計画書も簡単な数字の間違いを突っ込まれて、提出資料が増えてしまった。

 しかも予定していた事務所テナントも先約が決まってしまったのだ。


 やはり。

 

 


 だがやることが多すぎる。手が回らない。

 日常業務が減るわけではないのだ。

 きっちりココを辞めて時間を作ってから立ち上げの準備に入ればよかったのか?

 だが「そんなことしてたら会社から手を回されるに決まってるじゃないですか」と

 やれることはやるからのだ。

 実際、急ぐべきなのだろう。

 今回は言ってみれば喧嘩別れのようなものなんだから。

 動きが早いに越したことはない。


 汗ばんだ首元を擦る。と。事務所のドアが開いた。

「——なんだ、いたのか」

「どうも」

 入ってきたのは主任の磯川だ。

 神崎はこのインテリじみた、骨ばった顔の上司が苦手だ。

 なにかにつけて屁理屈ばっかで身体を動かそうとしない。

 営業なんて足で動いて電話かけまくってなんぼなのに、やれ効率化がどうのシステムがどうのと愚にも付かない話ばかりしている。

 この人の元じゃやる気も出ないというのが今回の発端でもあったのだが。


 特に目も合わそうとしない神崎に、珍しくぼそっと磯川が声をかけた。

「おまえ最近、少し疲れてるんじゃないのか?」

「え、ですかね?」

「そう見えるんだがな……明日は出るのか?」


 本来なら土曜なので公休だが。神崎にはやりたいこともある。

 もうと横山に言われたからだ。


「午後だけ休出で、書類の整理ありますんで」

「そうか」

 特に話を繋ぐでもなく、カバンを取った磯川は事務所を出ていった。

 また一人に戻った神崎が今更。西日に気づいてブラインドを捻るのだ。

 

 

◆◇◆



 翌日の土曜。


 学校は休みで、特にどこに行く用事もない碧は占い館の更衣室でノートを開いていた。

 宿題をやるなら近所の自習室もあるのだが、席が取れない。

 もう昔から慣れ親しんだここが碧の第二の勉強部屋、なのだが。

 シャーペンを鼻の下に挟んでくいくい動かすだけで、今日はどうにもやる気が起きない。


——とにかく現状で、今の状態で四枚出しな。会社と上司と、その先輩と、本人だ——


 先輩と横山本人のカードを出すのは確かに理にかなっているが、もう去っていくはずの会社と上司のカードって要るかなあ? と思いながらも。

 

——忘れるんじゃないよ。ことがうまく進まないときは、どこかに見落としたこと、やり残していることがあるんだ。それがどんなに無関係そうに見えてもね——


 碧の母親は、それを繰り返し言う。

 昨夜だけじゃない。碧がカードを触るようになってから、もう何度も何度も聞いたセリフなのだ。

「……あー。もう。先にやろっ」

 今日は土曜だが横山の鑑定は入っていない。

 忙しくしているのだろう。

 今日が入らないなら、最短で来週の火曜まで都合三日は横山が来ないということだ。

 さっさと観てみないと、この件を三日も寝かしておくのは精神衛生上よくない。

 事務机のノートと参考書を脇に追いやって、席を立った碧が名前の書かれたロッカーを開けて取り出したのはブラックのポーチだ。

 箱ごと取り出し中身をざあっとテーブルに広げる。

 78枚のフルデッキ。

 一気にシャッフルしたカードをまとめて数回カットする。

 こういう時に。躊躇したらいけない。


 ぴしりと一枚テーブルに伏せた。

 神崎のカードだ。言うことを聞かない暴走ナイトの先輩だ。

 今どきは棒の7で忙殺されているカードだろうか、それとも剣8あたりでにっちもさっちも行かなくなってるんだろうか? だが。


  聖杯クイーン 逆位置

〝女王は流されて他者に依存し決めきれない〟


「へ?」

 誰もいない更衣室に素っ頓狂な声が響く。

 碧が。混乱する。

 聖杯の女王? そんなキャラじゃなかったじゃん。

 棒騎士の逆じゃん。暴走キャラじゃん。

 周りの言うこともろくに聞かない突っ走り系だったじゃん。

 そもそもなんで女王? 今から社長やろうって人間が。

「……王じゃないのかよ」

 と。自分で呟いておきながら。

 碧の細い右腕にざわりと鳥肌が立って。

 また一枚。カードを伏せる。横山本人のカードだ。

 開けばそこに。


  金貨キング 逆位置

〝王は立場と知識を悪用し謀略を張り巡らす〟


 もっと早く。引いとけばよかった。

 碧がそう思ったのだ。



 なんで今日に限って主任も休出してんだよ、と神崎が自分のデスクでぶすっと独りごちる。

 営業所には自分一人かと思って、溜まっていた事業計画書の書き直しをやろうと思っていたのが台無しで、離れた主任の席から見えないようにちょろちょろ書類を整えるぐらいしか進まなかった。

 これだったら家でやった方がマシだ。

 ただ電話は、こそっと外に出て繋げることができたのはさいわいだ。

 独立後に太い顧客になるはずの柘坂つみさか工業の馴染みの担当に今後のことをカミングアウトしたら、ずいぶん向こうは驚いて微妙な受け答えだったが、周りに誰かいたのかもしれない。

 改めて飯にでも誘って、きっちり話そう。

 そう思いながら、ちらと主任席を伺う。

 自分と同じ休出の磯川は、なんだか席でやることもなさげにぼんやりとしたままだ。

 給料泥棒かこいつ?

 どうでもいい。やることやってさっさと引き上げてしまおうと、神崎が書類の整理を始める。


 なんだか落ち着かなく遠くの席で作業をしている神崎に、本当ならいい機会なので少し話でもするつもりで出てきた磯川だったが、どうも本人が会話したくない雰囲気であったので、結局なにも言えずに今日も終わろうとしている。

 この神崎をはじめとしてウチの営業所は本当にノリが体育会系というか行動派ばかりの部下達で、うまく使えば業績も伸びたのかもしれない。

 だが磯川はそういうタイプの上司ではなかった。

 どちらかと言えばロジカルで、業務後の付き合いもせず淡々と仕事をこなすタイプの男だ。

 最近の若者とはそれぐらいの距離感があってるんじゃないかという自負もあったのだが、部下達との相性だけは水ものだ、仕方がない。

 配属先が悪かったのかもしれない。

 まあ、何を語るにしても今更なのだ。


 神崎も磯川も。事務所で二人。

 早めの帰り支度を始める。



 逆さに出た女王と王を、しばしぼんやりと碧が見ている。


 やられたなあ。と。

 最初からそのつもりだったんだ。

 こういう占いの使い方もあるとは。

 間違ったことをやらせて。正しい答えは抱え込んで。

 新しい会社の実権を後から乗っ取るつもりだったんだろうか。

 はからずも、それに加担した自分が情けない。

「くっそお……」

 先を見通す術があっても結局は社会経験のない高校生ということなのだろうか。

 なんだか急にやる気がなくなった碧だったが、母親にはこの後の経緯を報告する約束をしている。

 残りの二枚も引かないといけない。

 まとめてぱっぱっとテーブルに伏せる。まずは会社のカードからだ。


  剣6


「……あれ?」

〝撤退〟のカードだ。〝敗北者〟ってなんだろう?

 神崎、横山の立ち上げる新しい会社に、客を取られるって意味だろうか?

 続けて上司のカードだ。碧はこの人の名前は知らない。

 前は剣のナイトだった人だ。


  剣ペイジ 逆位置


「〝その使者ペイジは話すべきことを話せていない〟……?」

 誰と? その先輩と? 会社と?

 なにを話すというのだろうか?


 その時。碧の目が丸くなる。

 名も知らぬその上司のカードが〝光り始めた〟からだ。



 磯川の胸ポケットのスマホが震える。

 怪訝な顔で取り出す。今日は土曜日なのだ。

 一体誰が……画面には〝柘坂つみさか工業 尾瀬部長〟と出ていた。

 馴染みの部長だ。付き合いも長い。

 なにか商品の不具合でもあっただろうか?

「はい。磯川です。お世話になります」

『あ、磯川さん? 柘坂の尾瀬です。すみませんね、お休みに』

「いいえ。何かありましたか?」

『今いいですかね? ちょっと耳にした話なんですが——』

 話の内容に。

 だんだんと磯川の細い目が見開かれて。

 ちらと目をやれば神崎はそろそろ帰り支度のようだ。

「……そうですか。わざわざありがとうございます。この話は一旦、私預かりでお願いできますか」

『ええ、ええ、出過ぎた真似かと思いますが、お耳に入れておこうと思いまして』

「とんでもございません、ありがとうございました」

 電話を終えて神崎を見て。

 しばし磯川が考えて。

——もう、こいつがその気なら放っといても構わないだろうか、どうせ今さら話しても、こいつも後には引けないのでは——



 碧には、光るカードが何を起こすか、わからない。

 それに触れるべきか。触れずにおくべきか。

 ただ。カードが光る時はいつだって運命が行き詰まっている時だ。

 このままでは神崎先輩は失敗するだろう。いいようにあしらわれて。

 それが碧には気に入らない。だから。

 伸ばした右手の空気が揺れる。


「なにを話すっていうの?」


 剣のペイジが正位置に戻る。



 神崎が席を立って。

「じゃ、お先失礼します」

「うん」

 事務所のドアに手をかけようとした、その彼に向かって。

「……神崎」「はい?」


「ちょっとこっちにきて座れ。話がある」

 顔を上げた磯川が、声をかけたのだ。


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