第3話 選択のとき

 次の日の放課後、僕はまた「開かずの間」の前にいた。


 今日一日はまるで録画の早送りのようだった。きちんと授業は受けたのだが、なんだか実感がない。まるで今この瞬間を迎えるために今までの時間が一応存在していたかのようだ。もしかしたら、今さら学校で習うことなど、僕には足し算引き算のようなものだから、そう思えるのかもしれない。きっとそうだ。


 開かずの間は、僕にようこそ、とでも言っているかのように、真っ赤な口を今日も開けていた。

 僕はためらいなく、呼ばれるように、中を覗く。昨日と同じ光景が広がっていた。

 まさに地獄。

 燃え盛る炎、終わることのない責め苦を受ける人々。

 それをあざ笑う残忍な鬼たち。


 不思議とドアは熱くもなんともなく、鬼たちはこちらに気づく気配もない。地獄側では切ったり潰したり叫んだりのさまざまな音が渦巻いていて、ドアにぴったり体をよせる僕にもその音は僅かに届いてくる。ただしドアから顔を離してしまうと、一切それらは何も聞こえなくなる。これではドアの外からは何も聞こえないだろう。つまり、このドアはこの世と地獄を完全に遮断しているのだ。このドアを超えて、一歩でも中に入ればこちらには戻ってこられない。なぜだかそう僕は確信する。向こうの鬼や人間がこちらにやって来る気配がまるでないように、こちらとあちらは完全に別の世界なのだ。まあ、拷問されている人間は、こっちに来る気力などないだろうが。


 僕は拷問されている人間達に、篠崎の姿を重ねてみた。篠崎が、串刺しにされて、釜ゆでにされて、ひいひい泣き叫ぶ姿を思い浮かべると、胸の中に、じわりと甘い喜びがしみでてくる。

 篠崎を地獄ここに落とせたら……。


「そんなところでなにやってんだよ、ガリ勉」


 僕はこれ以上ないというぐらいの速さで振り返った。そこにはなんと当の本人、篠崎が立っていた。下品な笑いを浮かべている。


「なんで、ここに」


 僕はやっと口を開く。


「あ、ガリ勉くん、口きけたんだ。おべんきょのしすぎで声の出し方忘れたのかと思ってたぜ。オレは、担任に、進路相談室に呼ばれたんだよ」


 進路相談室は、確かに、同じ階の、階段をはさんで向こう側だ。


「来てみたら、ガリ勉くんが覗きみたいなことやってるから、オレも混ぜてもらおうと思ってさ。なあに覗いてんの? 誰か中で着替えてるとか? 」


(僕をお前のような矮小な人間と一緒にするなよ)


 僕は心で毒づいた。


「おいおい、まただんまりかよ。ってか、その見下した目をやめてくんない? すっげムカつくんだけど」


(お前が僕をいらいらさせるんだ、ふざけるな)


「クラスで浮いてんのわかんねえの? もっとこうよ、心を開けよ。人生勉強だけじゃないだろ? 」


(こ、こいつ僕に説教する気か、身の程を知れ! お前のようなやつは害虫なんだ。億害あって、一利なしだ! )


「N高ごときに入るのに必死で、可哀想だよ」


(こいつ!! )


 僕の中で何かが沸騰して、爆発しそうだった。


「んで? ガリ勉くん、何覗いてたわけ? オレにも見せろよ」


 篠崎が僕を押しのけて、ドアの隙間を覗く。そしてあっと声を上げた。


「うわっ。なんだよ、これ。おい、マジかよ! 」


 驚きと勢いで篠崎はドアを全開にした。目の前に地獄が広がる。篠崎は無防備な背中をさらしている。今、全力で中に押しこめば、篠崎は戻って来られない。地獄に閉じ込められる。チャンスは今しかない。



 どうする?

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