氷月こおりが午後七時をお知らせ致します。

「皆さんこんばんは。氷月ひゅうがこおりが午後七時をお知らせ致します。今日も私の配信に来てくれてありがとう。今日は雑談枠です」


 観て下さっている方に、最大限の感謝を。


 登録者数が増えた今も、私はこのスタンスを崩すつもりはない。


 始めたばかりの頃は、視聴者数やコメントが一つ増える度に飛び跳ねるほど嬉しかった。逆に一つ減る度に胸に鉛が詰まったと勘違いするほど凹んだ。ご飯が喉を通らなかったこともある。


 それでも配信を続けてこれたのは、観てくれていた方たちがいたから。そしてコメントをくれた方たちがいたから。


 あの頃の私は、あのたった数百人のコミュニティに心を支えられていた。


 初心忘るるべからず。


 私が今こうやって人気バーチャル配信者としてやってこれているのは、あの時支えてくれた人たちがいたから。


 だから一が二になっても、三十万が三十万一になっても思うことは同じ。圧倒的な感謝の気持ちなんだ。


「今日は質問箱に送ってくれたお便りから色々答えていこうと思います」


 話しながらチャット欄に目を向ける。


『睡眠導入ASMR枠きたな』『こんばんは!』『こおりたん結婚して』『質問枠きたこれ』『このコーナーすき』『かわいい』『ワイ送ったやつ読まれっかな』


 配信を開始したばかりだというのに、もうコメントは五百件を超えていた。視聴者数は約一万人。あの頃からは考えられない数字だ。


「コメント頂ければ出来るだけその方の質問を読みますからね。遠慮せず言ってくださって大丈夫ですよ。では最初の質問いきますね」


 私は質問箱をさーっと流しみると、配信に載せても大丈夫そうな質問を適当に選んだ。


 質問全文を表示させ読み上げていく。


「こおりちゃんこんばんは。僕は男子高校生です。クラスに好きな子がいます。夏休みまでに告白しようと思っているのですが、こおりちゃんはどういう告白にドキッとしますか? また、何かアドバイス等頂けたら嬉しいです」


「男子高校生の視聴者さん、見ていらっしゃいますでしょうか? 質問ありがとうございます」


 チャット欄をサッと確認する。本人が観てくれていたら嬉しいな。


『青春やん』『甘酸っぺえよ』『まずい』『男ならいけ』『高校生も観とんのか』『女子生徒に嫉妬』『こおりちゃんはティーン層にも大人気だぞ』『こおりたんが恋愛なんて知ってる訳ないだろ』


 凄い速度で流れていくコメントの波。その中で本人らしきコメントを見つけた。


『それ僕の質問です!!!』


 私は質問を読まれた方は出来ればチャットで主張して欲しい、と予め伝えてある。勿論嘘の主張もない訳では無いが、概ね本人に直接お礼を言うことが出来ていた。


「質問主さんですかね、質問ありがとうございます。ドキッとする告白ですか……。うーん、少し考えさせてくださいね」


 私は正直かなりモテる方だ。それは氷月こおりとしてではなく現実に生きる木崎菜々実として。告白された回数も両手の指では足りない。


 しかしドキッとする告白というのは、思い返してもピンとくるものがない。仮に一回でもドキッとしていたら、ハタチにもなって未だに彼氏いない歴=年齢などという有様にはなっていない。


 どうも私・木崎菜々実は他人に好意を寄せられると一歩引いてしまう心の持ち主らしい、というのが二十年間生きてきた私の分析だ。


 なんならそれが原因で大学も休学してしまった。有難いことに配信でお金を頂いているとはいえ、今の私はニートそのものだ。


 うーん、うーんと頭を悩ませていると、不意に先日助けて貰った方が浮かんだ。


 岡千早さん。


 ……実はそうなのだ。


 私、木崎菜々実。

 人生初の一目惚れというものをしてしまいました。


 困っている私を助けてくれたのもそうだし、おぶってくれたのもかっこよかった。でもそこに一目惚れしたわけではない。


 なんというか、絶妙に私に興味がなさそうだったのだ。私の事なんかどうでもいいから早く家に帰りたい、というオーラがビンビンに発せられていた。なのに私を助けてくれた。そこにドキッとしたのだ。


 マンションに着いた頃には、気が付けば好きになっていた。さっさと帰ってしまう千早さんを見て、もう二度と会えなくなってしまうと思ってテンパって連絡先などを聞いてしまった。

 異性の連絡先を聞いたのは初めての事だった。


 なんだろう、私は恋愛は追いかけたいタイプなんだろうか。そっけなくされると喜ぶタイプなんだろうか。千早さんとの出会いで私の恋愛観が少しわかった気がする。


 とにかくそんなこんなで私はたった数分しか一緒にいたことのない千早さんを好きになってしまっていた。緊張してお礼の約束はまだ出来ていない。

 千早さんの事を考えるだけで胸がドキドキしてくるのだ。どうすることも出来ない。


 そうだ、千早さんにされたら嬉しい告白を考えてみよう。


 そう思った私はコンマ一秒でその思考をシャットアウトした。

 この発想は危険だ。間違いなく私の心が保たない。心臓が破裂してどこかに飛んでいってしまいそうだ。


 だけど、この気持ちは回答に役に立つかもしれない。

 私はこれだ、と得心すると、喉を軽く鳴らし声を整える。


「好きな人からであればどんな告白でも私は嬉しいと思います。なのでドキッとする告白は余程非常識なものでない限り全部ですね。私から出来るアドバイスとしては、とにかく後悔しないように自分の気持ちを素直に伝えるといいかもしれません。恋愛というのは上手くいくとは限りませんから、大切なのは変に肩肘を張らず背伸びをせず、ありのままの自分でぶつかる事だと思います。……偉そうに言ってしまいましたが、私はそういう相手がいたことがないので信ぴょう性は期待しないでくださいね」


『大人のコメント』『安心した』『こおりたんに彼氏なんかいるわけないよ』『すまん、俺なんだ』『おれだけど』『こおりちゃーんーーーおれだーーー結婚してくれーーー』


 コメントが激流のように流れていく。


 氷月こおりへの好意の嵐。


 私が苦手な好意の矢印。


 でも不思議と私はネット上での好意は平気だった。寧ろ、とても嬉しく思う。こんな私を好きになってくれてありがとうと心から思っているし、配信を見に来てくれることに感謝している。


 それが木崎菜々実に向けられたものではなくバーチャル配信者・氷月こおりに向けられたものだから平気なのかは自分でも分からないが、とにかくこのコメントの流れは私にとってとても微笑ましく映った。


 それにしても……告白かあ。


 勿論そんなものをしたことはない。私の人生にとって恋愛とは、付き合う気にもなれないし断ったら色々面倒がおこる厄介事の範疇だった。


 それが今や、好きな人のことを考えるだけで顔が熱くなってしまう有様。


 はぁ……どうすれば千早さんの彼女になれるんだろ。

 私が質問したいくらいだった。





『こおりちゃんこんばんは。僕は男子高校生です。クラスに好きな子がいます。夏休みまでに告白しようと思っているのですが、こおりちゃんはどういう告白にドキッとしますか? また、何かアドバイス等頂けたら嬉しいです』


「質問読まれたぁぁあああ!!!!」


 俺は真っ暗な部屋の中でガッツポーズした。ゲーミングPCの怪しげな虹色の光だけが薄ぼんやりと室内を照らしている。


 男子高校生を装うことで質問を読まれやすくする高等テクが見事に機能した。


 人気になってから質問の量も莫大に増えたのか、俺が投稿した質問が読まれることが極端に減った。そこで今回は少し内容を考えてみたのだ。


 俺は祝杯の缶チューハイを開栓すると、勢いよく喉に流し込んでいく。


 仕事も終わって家に帰り、こおりちゃんの配信を肴に酒を飲む。


 最高だな。間違いなく優勝。生きていて一番楽しい瞬間だ。


 それにしてもこおりちゃんの恋愛事情か。


 質問してはみたが本当に読まれるとは思っていなかった。知りたいような知りたくないような。


 もし彼氏なんていたらショックだし、でも本人が幸せなら喜ぶべきなような…………。


「ぐぐぐ…………!」


 これはいけない思考だ。俺は自分で思っていたよりファンとして出来た人間じゃないのかもしれない。やっぱりこおりちゃんに彼氏がいたらショックだ。


 まあでも実際いるんだろうな。最近男の有名配信者と一緒にゲームすることも多いし。当たり前だが裏では色々仲良かったりするんだろう。寧ろ何も無いと考える方が脳内お花畑だ。


 めちゃくちゃ辛いけど、そういうのは飲み込んでいかなきゃいけない。


 俺はこおりちゃんに彼氏がいても笑顔で「おめでとう」と言えるファンになるんだ。


 なれるかな。なれない気もする。でも頑張ろう。


 俺はキーボードを素早く操作しチャットを送る。


『それ僕の質問です!!!』


 質問を読まれた人はコメントで視聴するのがこおりちゃんの配信のハウスルールだ。なんとこおりちゃんがお礼を言ってくれる。質問を読まれる一番のメリットと言っていい。


『質問主さんですかね、質問ありがとうございます。ドキッとする告白ですか……。うーん、少し考えさせてくださいね』


 こおりちゃんがお礼を言ってくれる。それを聞いてなんだかサシで話しているような錯覚に陥った。この瞬間が堪らない。


 清らかなファンでいるべきという理性と、お近付きになれたらな……と考える本能が、天使と悪魔の姿を借りて頭の中で激しく火花を散らし合う。


 そもそもただの一人のファンである俺がこおりちゃんと個人的に知り合うなど土台無理な話なんだ。だったら妄想くらいしてもいいんじゃないか。頭の中では悪魔が優勢だ。 そしてこの戦いは頻繁に行われていた。大体週に一度はこういうことを考える。そして大抵悪魔が勝つ。


 これではダメだ。俺は健全な気持ちでこおりちゃんを応援している。心のどこかでワンチャンを願っている他のファンとは違うんだ。


『好きな人からであればどんな告白でも私は嬉しいと思います。なのでドキッとする告白は余程非常識なものでない限り全部ですね。私から出来るアドバイスとしては、とにかく後悔しないように自分の気持ちを素直に伝えるといいかもしれません。恋愛というのは上手くいくとは限りませんから、大切なのは変に肩肘を張らず背伸びをせず、ありのままの自分でぶつかる事だと思います。……偉そうに言ってしまいましたが、私はそういう相手がいたことがないので信ぴょう性は期待しないでくださいね』


 ヘッドホンから甘々ロリボイスが流れ込んでくる。瞬間、こおりちゃんに告白する自分の姿を夢想してしまう。


 こおりちゃん、好きです。僕と付き合ってください!


 こおりちゃんはドキッとしてくれるだろうか。きっとしてくれないだろうな。あまりにも悲しい。


 ぐっと缶チューハイを呷ると、すぐ中身が空になってしまった。


 俺と同じだ。空虚な毎日。


 こおりちゃんだけが、俺という空っぽの容器に注がれている。

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