第2話 日和の間に

 厳島神社の参拝入り口は、相変わらず観光客で混雑していた。内侍さんの言ったとおり、入口の左右に立つ石燈籠の上には青銅製のからすの像がちょこんと乗せられていた。互いに向き合うように内側を向いている。ここに次の場所への手がかりがあるはずだ。


 四メートルくらいの高さがある石燈籠なので、地面からは上部に手が届かない。背後にある一段高くなった通路に上って覗きこむと、灯火の入る火袋の部分に何か丸っこいものが置いてあるのが見えた。

 左右をちらりと見てから火袋に手を伸ばす。つかみ取ったのは直径五センチほどの木製の球体だった。上端がドラクエのスライムみたいにぴんと尖っている。真ん中あたりの円周部分に水平に細い線が走っていた。上下に手をかけて捻ると、くるりと回って二つに分かれる。内部の空洞に折りたたんだ紙が入っていた。広げてみると一行の文が書かれていた。


 『日和の間に招き入れ 手を取った世にうつされし』


 改めて文をにらむ。手書きの文字で、『日』と『招』は赤い字、それ以外の字は黒い字で書かれている。『き』の字だけ少し小さい。この文がどこかの場所を示しているのだが、それはいったい……。『うつされし』だから何かを移動したのだろうか。


 何度読み直しても思いつくものが無かった。とりあえず関係しそうな場所に行ってみることにする。

 文の最初に『日和の間』とある。これは、『ひよりのあいだ』と読むのか、それとも『ひよりのま』なのか。『日和』には晴天とか、船路に適した天候とかいう意味があったはずだ。日和のあいだに招くのだとしたら、船が入る港なのかもしれない。対岸からのフェリーが到着する宮島桟橋に行ってみよう。


 海沿いの参道を桟橋に向かって歩き出す。参道は海側の堤防沿いに松の木が植えられ、数メートルおきに石燈籠が並んでいた。


 参道が海に向かって大きく張り出し、海上の大鳥居が間近に眺められる場所は、参道の幅も広がり、写真を撮ろうとする観光客で混雑していた。撮影台を据え付けた写真屋や、道端に人力車を停めた人力車夫が、さかんに売り込みをしている。中でも、真っ黒に日焼けした人力車夫の声が一段と大きかった。


「お姉さん、人力車に乗っていかんかね。水族館でも西の松原でも大聖院でも人力車だったら、らくうに行けるよ」


 見たところ五十代くらいのおじさんで、剃り上げた頭に藍染めの鉢巻きを巻いている。愛想よく微笑んで、通りかかる観光客にさかんに声をかけている。


 「人力車じゃったら視線がたこおなるけぇね。一味ひとあじちごおた景色が味わえるよ」


 遠慮のない広島弁に観光客たちはくすくすと笑いながら過ぎていくが、おじさんは気にする素振りもなく次々と声をかけている。


 「道中の左右に並ぶ名所めーしょや史跡をこまこお説明しながら行ったげるけぇね。ちーとも退屈ぅはさせんよ」


 思わず足が止まった。このおじさんなら地元の情報を詳しく知っていそうだ。瑞稀からは、問題文を見せてはいけないと言われたが、周りの人との会話を禁じるものではなかった。人力車でいろんな話を聞きながら行くのも、謎解きの有効な方法かもしれない。おじさんに声をかける。


「すみません、お願いしていいですか?」

「もちろんじゃ。どこまで乗って行きんさるかね?」

 おじさんは愛想よく答えた。

「宮島桟橋まで。途中で風景や名物の説明をお願いできたら嬉しいです」

「まかせんさい」

 おじさんは白い歯を見せてにこっと笑った。

「ここは長い歴史のある所じゃけえ、知らん人は気付かずに通り過ぎてしまう所でもいろんな故事来歴があったりするんよ。詳しゅー説明して行ってあげるけぇね」

「ありがとうございます」

「宮島桟橋まで案内しながら行くことで、二千円いただいてえーかね?」

「はい」

「じゃあ、車に乗ってつかぁさい」

 俺は、おじさんが人力車の前に置いた踏み台を使って人力車に乗り込んだ。


「出発しますけぇ」

 おじさんが梶棒を持ち上げると座席は高い位置で安定した。人力車は参道を海沿いに進んで行く。

「お客さんは、どちらからんさったんかね?」

「東京から来ました」

「やっぱり、観光かね?」

「そんなところです」

「よぉんさったね。宮島は何年かおきにお客さんのブームがあるけぇね。外国からのお客さんにも、えっと来てもろぉとるよ」

「へえ」

「まあ、宮島は昔から神の島で、人が住むようになってからは信仰や交流の拠点じゃったけぇね。古くは弘法大師から一遍上人、明治になってからだと夏目漱石やアインシュタインやヘレン・ケラーなんかもちょられるよ」

「そうですか」

 答えながら俺は文にあった『日和の間に招き入れ』の部分を思い起こした。もしかしたら招かれて宮島に来た人物に関係しているのかもしれない。

「あの、その中で招かれて宮島に来た人っていますか?」

「ほうよのう」

 おじさんは首を傾げた。

「それぞれ経緯があってちゃったんじゃと思ぉけどの……。そおじゃ、毛利元就とたたこぉた陶晴賢すえはるかたは宮島に誘い込まれたとゆわれとる。招かれたちゅうのとはちょっと違うがの」

「すえ……?」

陶晴賢すえはるかた、厳島の戦いで毛利元就に討たれた武将じゃ。宮島桟橋のそばにその時の城跡があるけぇ、着いたら案内したぎょおかぁ?」


 俺は少し考えて、

「お願いします」

と答えた。


 人力車は宮島桟橋に到着した。おじさんは桟橋に隣接する広場の端に人力車を止めた。

「毛利元就の厳島の合戦は、そこの銅像の平清盛たいらのきよもり公の厳島神社の社殿造営、神社護持と並ぶ歴史上の二大トピックスなんよ」

 おじさんは広場の縁に立つ銅像を指さした。豪華な袈裟を着た僧形の人物が手に扇を持って立っている像だ。

「お坊さんの恰好をしていますけど?」

「ああ、清盛公は平家の棟梁なんで公家で武将、政治の実権を握ったまま出家したから僧侶でもあるんよ。この銅像は僧侶の姿じゃが、航路の開削をされた音戸の瀬戸にっとる銅像は公家の衣装を着とる。扇を広げてたこぉ掲げた姿じゃ」

「いろんな顔があるのですね」

「ほいじゃけぇ、たびたび大河ドラマで取り上げられて、そんたびに宮島の観光客が増えるんじゃ。毎年三月に、ここから西松原にしのまつばらの清盛神社まで平安時代の扮装で行列する清盛まつりをやっとるよ」

 おじさんは広場の前にある小高い丘を見上げた。

「じゃあ、城跡を案内したげるけぇ」



「裏からも行けるけど遠回りになるけぇ、石段でこぉやぁ。案内したげるよ」

 おじさんに案内されて、参道脇の商店の横の石段を上る。矢印と厳島合戦古跡の文字が書かれた立札が立てられていた。

「ここは宮ノ尾城址、要害山とも呼ばれとる」

 石段はスロープに変わり、丘をぐるりと回って山頂へ続いていた。山頂は擬木の手すりが付けられた展望台になっている。木々の間から瓦屋根が並ぶ街並みが臨めた。西側に五重塔と巨大な瓦屋根の建物が建つ丘があり、その向こうに厳島神社と海沿いに伸びる松並木が見えた。

「五重塔があるのが塔の岡じゃ。当時、元就は周防の国の陶晴賢と中国地方の覇権を争っておった。軍勢は陶の方が多かったため、元就は一計を講じた。間者を通じて、毛利方は宮島を奪われそこに陣を置かれることを恐れとるちゅう偽情報を流したんじゃ。それを信じた陶晴賢は宮島に攻め込み、塔の岡に陣を置いて、ここ宮ノ尾城におった毛利方に攻城戦を仕掛けたんじゃ。毛利方も奮戦し、陶方が攻めあぐねるうち」

 おじさんの口調に熱がこもってくる。

「暴風雨の夜、元就が率いる毛利本隊が島の東側の包ヶ浦に密かに上陸し、翌朝、背後の尾根から駆け下りて陶方を急襲したんじゃ。合戦は毛利方が勝利し、陶晴賢を自刃に追い込んだんよ」

「へえ」

 俺は背後に連なる尾根筋を眺めた。

「すぐそばまで山が迫っていますものね」

「おぉ、島全体が花崗岩でできとって、急峻な地形なんじゃ。紅葉谷公園から厳島神社の背後に流れる紅葉谷川は過去に何度も土石流を起こし、神社の社殿を倒壊させちょる。見てみんさい。神社の向こうに松並木が見えるじゃろう。あそこは過去の土石流で流れてきた土砂を使つこおて埋め立てていった西松原にしのまつばらじゃ。先の方は昭和二十年の枕崎台風の時の水害の土砂でできとる」

 遠目で見ても、松並木が長く伸びているのが分かった。ちょうど潮が引いていて、大鳥居のあたりまで砂浜が見えていた。たくさんの人が大鳥居の近くまで歩いて行っている。よく見ると大鳥居のさらに外側にもぽつぽつと人影が見えた。座り込んでいるみたいだ。

「大鳥居の外側にも人がいますけど?」

 おじさんはちょっと目を凝らせてから答えた。

「あれは貝掘りをしよるんよ。今日はええ潮干狩り日和じゃけぇね」

「貝掘りですか?」

 意外な答えに戸惑った。

「貝を掘っていいんですか?」

「大鳥居の外側じゃったら構わんのよ。潮が引いとるときじゃったら歩いて行けるけぇ、今日のようなええ日和ひよりの時には掘りに来られる方もをおりんさるよ。まあ、あんまり大きいのは採れんけどね」

 問題文について思い起こす。もしかしたら、日和ひよりには潮の状態も含まれているのかもしれない。海辺まで行けは何かわかるかも……。

「どうかね、見に行ってみるかね? 人力車に乗ってもろおた御笠浜みかさのはままで行きゃあ、浜辺に下りる石段があるけぇ」

「お願いします」

 俺は少し考えてから答えた。

「よっしゃ。ほいじゃあ、帰りは千五百円でええよ」

 おじさんは愛想よく微笑んだ。



 一時間後、俺は御笠浜の砂浜でしゃがみ込んでいた。ここに到着してから、大鳥居の外側まで歩いて行き、そのまま西松原まで歩いて行った。石燈籠と松の木が西松原に一度上陸してから、歩いてこちらへ戻って来たのだ。その間、何か手掛かりはないかと気を配っていたのだが、特別なものは何もなかった。


 ポケットから問題文を取り出して眺める。

 『日和の間に招き入れ 手を取った世に遷されし』

 これがどこかの場所を示していると言うのだが……。


考えても思いつくものが無かった。気分を切り替えようとして周りの景色を眺める。潮は引いたままだが、厳島神社の社殿の下から川のような水の流れが大鳥居の方向に続いている。人力車のおじさんが言っていた紅葉谷川の河口が社殿の下にあるのだろう。

 社殿の下を見ていて、砂浜の上に何か動くものがあるのに気が付いた。立ち上がって見に行ってみる。鉛筆の先のような巻貝がたくさん落ちている砂浜を進み、神社の廻廊の近くまで行ったところで動いているのが何かわかった。

 砂浜の上に大きさ二センチくらいの白い蟹が何百匹も並び、胴体と同じくらいの大きさかある片方のハサミをリズミカルに動かしている。何かを呼び込もうとしているようだ。


 もっとよく見えるようにと一歩踏み出した時、

「踏んじゃだめです!」

女性の声が上から響いた。


 驚いて立ち止まり、上を見上げる。廻廊に立ってこちらを見下ろしているのは、最初の問題で神烏の石灯籠について教えてくれた内侍さんだった。

「海上も大鳥居の内側は境内ですよ。殺生はお控えください」

 訳が分からず目で問いかける俺に対し、内侍さんは黙って俺の足元を指さした。俺は足元を見る。そこにあるのは巻貝の尖った貝殻だけだった。

「別に何も……」

 言いかけた時、足元の貝殻が動き出した。すすっと動いていく。巻貝の口に尖った足のようなものが素早く動いている。

「その子たちはヤドカリです。踏みつぶさないであげてください」

 内侍さんの言葉に辺りを見回す。俺の後ろにもいくつもの貝殻、もといヤドカリが散らばっていた。ゆっくりとヤドカリがまばらな場所まで後ろに下がる。

「ありがとうございます。境内にいる間は殺生をお控えくださいね」

 言葉のうち、『間』が印象深く聞こえたのは、さっきまで問題文について考えていたためだろうか。

「すみません。そこの蟹たちに気を取られて足元がおろそかになっていました」

 内侍さんの表情が緩む。

「あの子たちはハクセンシオマネキです。シオマネキの仲間で、白いハサミが扇のように見えるのでその名前があります。扇なのに日ではなく、潮をまねぇとるとゆうことですね」

 いぶかしがる俺を見て、内侍さんは言葉を続けた。

「日招きの扇とゆう伝説があります。平清盛公は厳島の姫君の気を引くため、音戸の瀬戸の開削工事を一日で完成させようとしたんです。人夫を集め、急がせたのですけど、わずかに間に合わなくて夕日が沈もうとした時、清盛公は扇を振って日を呼び戻し、工事を完成させたそうです」


 そう言えば、人力車のおじさんも音戸の瀬戸の工事の話をしていた。音戸の清盛像は扇を掲げているとも。だとすると……。


 問題文を広げる。

 『日和の間に招き入れ 手を取った世に遷されし』

 日と招の字が赤い文字で書かれているのは、この文が平清盛についてのものであることを示しているのだろう。では場所は一体……。

『間』が気になる。そして、閃いた。

『招』の文字を、『日』と『和』の間に入れる。そして、『手』偏を取ると、問題文は、

『昭和の世に遷されし』となった。


 おじさんが昭和について何か言っていた。そう、西松原は昭和の水害の土砂で延長されたと、だとすれば……。

 俺は内侍さんに尋ねる。

「平清盛は西松原の清盛神社に祀られているのですか?」

「ええ、そうですよ」

「清盛神社は昔から西松原にあったのですか?」

「昔からって……、そもそも他のご祭神と一緒に三翁神社さんのうじんじゃに祀られていた清盛公を清盛神社を創建しておうつししたんですけど」

「それは昭和のことですか?」

「お遷ししたのは……」

 内侍さんは首を傾げる。

「清盛祭が始まった少し後のことだから、昭和三十年頃じゃないかしら」

「ありがとうございました!」

 俺は足元の生き物を踏みつぶさないように気を付けながらも、できるだけ早足で砂浜を進んで、参道に戻った。参道を駆け足で進む。目指すは清盛神社だ。

 清盛神社は西松原の西端近くにあった。小さな屋根の付いた柵に囲まれた檜皮葺のお社だ。神社の前に木の立札があり、清盛神社の名前とご由緒が書かれていた。そこには昭和二十九年創建とあった。ここが二番目の目的地で間違いなかった。


 辺りを探すと、立札の根元にあのスライムみたいな形の球体が置いてあった。拾い上げて中を開ける。同じように折りたたんだ紙片が入っていた。


 そこに書いてあった文は『鷹ノ巣の六つの円の目になる所』だった。こうして次の謎解きが始まったのだ。

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