2-6
その夜。僕はベッドの上で寝返りを打つ。
僕と杉本麦音は一部屋ずつ広い客室を与えられた。ベッド脇に置かれているランプはアンティーク調で、高いんだろうなと思うし、ベッドのマットレスは分厚くてふかふかだ。二日間、自転車をこいで来て疲れているし、普通ならすぐに寝てしまいそうなものだ。
何度目かの寝返りで、こりゃ眠れないと諦め、上半身を起こした。机の上で充電させているスマホに手を伸ばす。
コパンさんがライブ中に亡くなったことを聞かされたのは今日の昼のことだ。それからエモンに会い、追憶体験がどうのこうのと説明された。まだ頭が追いついてきていない。
検索エンジンにトライARと打ち込んだ。予測候補で『事故』と『綾野三奈』というキーワードが出てきた。
僕は事故より綾野三奈という言葉に引っかかって、そちらをクリックする。画面に大人の女性の顔が出てきて、ああと思った。メンバーの中に見覚えのある子がいると思ったんだ。
画像は頬がふっくらしていて、たれ目。綾野三奈はドラマや映画によく出てくる女優だった。主役をすることはあまり無いが、名わき役と言った役どころで、毎クールどこかのドラマに出演している。最近はアクション映画に出演して、その評判も上々らしい。
さらにクリックすると綾野三奈の経歴が出てきた。
十五歳 アイドルグループ トライARのオーディションに合格
十七歳 トライAR解散後 松矢芸能プロダクションに所属
十九歳 ドラマ フォーマルキングに初出演
二十四歳 映画あかんでクールリボン助演女優賞受賞
アイドルから女優に転身して成功した典型的な例だ。それにしてもトライARに所属していた期間が、十五歳から十七歳と二年間、いやそれより短いかも。たぶんコパンさんの件があって、トライARは解散せざるを得なくなったのだろう。
僕は違う記事をクリックした。それを見てぎくりと心臓が止まったように感じる。
『綾野三奈出身アイドルグループ、グループ内の確執でメンバー死亡。事故か事件か、地下アイドルの闇の真相に探る!』
ゴシップ雑誌のタイトルのようだった。二年ほど前の記事でセンセーショナルな言葉で読者の興味を引こうとしている。設備設営の不備でライトが倒れてきた事故と処理しているが、実はメンバーの誰かが仕組んだ事件ではないかと記事には書かれていた。まるでその場にいて見ていたような書き方だった。
だけど、僕が想像していたようなことを書いている。
綾野三奈の出身トライARは一人ひとりにナンバリングをしており、定期的にファン投票によって順位が入れ替わる。亡くなったメンバーは真ん中より下であったが、ライブを重ねるごとに人気が出てきていて、一つ上の順位だった綾野三奈は危うい立場だったと書かれている。他にも実際に行われたことはないが、最下位のメンバーは除籍処分になり、新メンバーが加入される仕組みだったと。
綾野三奈が賞を取った後の記事だ。いかにも軋轢がありそうなことを並べ立てて世論をあおろうとしたのだろう。だけど、僕はトライAR自体も全く知らなかった。
杉本麦音はどうだろう。もしかしたらこの記事の事を知っているのかもしれない。それどころか、信じている可能性だってある。さっき見た映像もメンバー同士仲の良い演技をしていると思っているかもしれない。実際、アイドルならいや一緒に仕事をするなら仲のいい演技ぐらいするだろう。
それよりも気になるのは押されたと言っていたことだ。犯人は分からないけれどコパンさんは誰かに押されたと、その場で見ていた杉本麦音が言うのだ。
「設備設営の不備……」
何にしてもライトが倒れてきたこと自体があり得ないのだけど、仲が悪いからといってとっさに人を押すだろうか。
いや、とっさのことだから何も考えずに押してしまった? それでやっぱり設営が悪かったから、グループも解散してその押したメンバーも隠され不問になった?
それとも……。
いかんと、僕は頭を振る。可能性を考え始めたらきりがない。どちらにしろ、明日には真相が分かるかもしれないんだ。僕はスマホを充電器に戻して、眠りについた。
次の日はあいにくの雨だった。あれだけ見通しの良かったエモンの家からの眺め。いまは街全体が白く煙っているように見える。分厚いガラスなのか、雨粒が窓を叩く音もしないけれど。
「これじゃ、自転車は無理だな」
僕はフォークでスクランブルエッグをすくいながら二人に話しかけた。朝食も峰山さんが作っていてくれた。遠慮しているのか朝からずっと姿を見せないけれど。
エモンがオレンジジュースを飲み干し、グラスをテーブルに置く。
「そもそも僕が自転車なんかで行くわけないじゃん。車だよ、車」
その自転車でここまで来た僕はムッとして言い返す。
「自転車なんかとはなんだよ、なんかとは」
「僕、汗かくの嫌なんだよね」
だから、そんなにひょろひょろとしているんだ、と言おうと前のめりになったときだ。
「あ、あのー」
「どうしたの、麦音」
杉本麦音は最初店に来た時と同じ、白いポロシャツにデニムのスカートを着ている。おずおずと手を上げて話を切り出した。
「できれば今日は……」
という訳で、僕らは現在電車に乗っている。
「やっぱ東京は人が多いな」
「だから車にしようって言ったんだ」
「ご、ごめんなさい」
通勤ラッシュの時間帯からズラしたから、ぎゅうぎゅう詰めという訳じゃない。だけど、社内はそれなりに混んでいた。杉本麦音の肩が腕に当たるような距離だ。僕とエモンの荷物は傘だけだけど、杉本麦音は茶色い小さなバッグを斜めにかけている。
「傘」
僕を横目に見ながら不機嫌そうにエモンがつぶやく。
「え?」
「君の傘が僕のズボン濡らしている!」
僕たちはエモンの家から駅に行くのに傘をさして歩いていたから、傘は当然濡れていた。
「しょうがないだろ。他にどこにもやりようがないんだから」
「どうにかなるだろ、ちょっと向こうに……へっくしょん。冷房効きすぎだし」
エモンは長そでのシャツの上から腕をさすった。文句の多い奴だな。電車が混んでいるのだからしょうがないじゃないか。冷房が効いているだけでもありがたい。
「それで、何か思い出しそうか?」
僕は杉本麦音の顔を覗き込んだ。杉本麦音はライブ会場の場所を覚えていなかったが、いつも電車で通っていたことは覚えているらしい。十年も前で、しかも六歳の時の記憶なら仕方ないだろう。
「ごめんね。せっかく、車辞めて電車にしたのに、思い出せなさそう」
「そっか。でも、駅に着いたら何か思い出すかもな」
そう言っている内に、到着のアナウンスが鳴る。
『秋葉原~、秋葉原~』
プシューという音と共にドアが開き、僕たちは吐き出されるように外に出た。足早な人達の流れに乗って改札口へ。スマホで料金を払って外に出ると、思わず僕らは足を止めた。
「おぉぉ」「うわぁ」
秋葉原の街を見て、僕と杉本麦音まで感嘆の声を上げる。
「ちょっと、田舎者丸出しだからやめて欲しいんだけど。だいたい、テレビでもネットでも街の様子なんて見たことあるだろ?」
エモンはそう言うが、秋葉原の街はこれまで通ってきた所とは全く違う。ビルとビルの間に巨大な立体ホログラムが映し出されていたのだ。最近人気が出てきているバーチャルアイドルで曲も流れている。それだけじゃない。
「おい、上見て見ろよ」
ペンギンが空を群れで泳いでいき、イワシの軍団にクジラが迫る。駅前の一帯は海の底に設定されているようで、さらに上空には水面が揺れているようにも見えた。雨が降っていて少し見えづらいのが残念だ。
「すごいね。街全体がホログラムのテーマパークみたいになっているんだよね」
杉本麦音も僕と同じように顔を巡らせていた。夏休みで観光に来ているような人たちも駅前で立ち止まって、写真を撮ったりしている。
「……でも、十年前と街の風景が全然違っていて場所を思い出せないかも。せめてビルの名前だけでも覚えていれば良かったんだけど」
立体ホログラムの技術は前々からあるものだけど、街全体の観光に取り入れたのは秋葉原が初めてだった。ここ二、三年の話だ。
「まぁ、街中を回って探すしかないな」
僕がそう言うとはあとエモンはため息をつく。
「雨なのに歩き回るのか。それで駅からどう行ったかぐらい分かるよね」
「えっと、お姉ちゃんが、私が迷子にならない様にって手を引いて、たしか真っ直ぐ」
「行くか」
ビニール傘を三つ開いて、僕らは秋葉原の街へと歩き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます