1-12


 夕食後。僕たちは全員で玄関に向かう。


「早く、早く!」「早く、行こう!」


「こらっ、慌てないの!」


 ピンク色の甚平を着たアヤメとユリが家を飛び出ると、階段を駆け下りていった。まだ空は夕日が沈んだばかりで、真っ暗という訳ではない。


 団地に併設されている小さな公園まで来た。これから優子さんが買っておいてくれた花火をするのだ。


「仁太兄ちゃん早く!」


「待てって。準備がいるんだから」


 公園の水道でバケツに水を張る。


「仁太くん達が来てくれて、ちょうどよかった。今年の夏は颯が生まれて、アヤメとユリを全然かまってやれなかったから」


 アヤメやユリだけではなく、優子さんも嬉しそうだ。街灯の下に水を張ったバケツと火をつけたろうそくを置いたら準備万端だ。まずはお手本にと僕は花火を一本取り、火を付ける。ボシュっと音を立てて、火花が飛び出してきた。


「「キャー! すごい、すごい!」」


 噴き出る火花にアヤメやユリは大喜びだ。自分たちも花火を手にして、火を付けて甲高い声を上げた。


「こらっ、こっち向けんなよ!」


 僕は煙が目に染みて顔を背ける。颯までキャッキャと火花に手を伸ばそうとしていた。


「次これー」「変なのー」


 僕は双子にせがまれて、ねずみ花火に火をつける。足元を走り回る火の出るねずみに、これまた大きな歓声が上がった。


「ぎゃっ」


 はしゃぎすぎてアヤメは転ぶ。だけど涙をこらえて、すぐに起き上がった。


「偉いぞ」


 僕は頭を撫でてやった。





 薄っぺらい紙と一緒に入っている一セットの花火はすぐに終わりを迎えた。ろうそくのそばにしゃがみ込んで杉本麦音が線香花火に火を付ける。パチパチと弾ける小さく膨らんだ火花をチビ達は食い入るように覗き込んでいた。


「綺麗だね」


 杉本麦音はなるべく落とさないようにそっと持って、終わるとまた一本ずつ火を付けていく。ゆっくり、じっくりと最後の線香花火は弾ける。


 僕はその背中を少し離れたところから眺めていた。


 自転車をこいでいたのとチビ達との相手とで放置していたスマホをチェックする。案の定、友人たちから大量のメッセージが来ていた。大概が、うらやましいだの、土産を頼むだのといった内容だ。


『うらやましいか?』


 僕は杉本麦音たちの顔は写さずに三人がしゃがみ込んで花火をしている様子をこっそり写して送信した。さっそく続々と反応がある。


『女の子と花火してんの?』


『うらやましすぎる!』


 即座に来る素直過ぎる反応にちょっとした優越感に浸っていると、颯を抱いた優子さんがそばに近づいてきた。


「麦音ちゃんいい子じゃない。おばさんから連絡があった時は、どんな子が来るかと思ったけど。アヤメとユリがなついてよかった」


 そりゃ、遠い親戚だからって、いきなりやってきて泊めてくれなんて普通の子は言わないだろう。


「でも、いろいろと訳ありの子なんでしょう」


 ただ、その言い方に引っかかる。僕は優子さんの顔を見つめて問い返した。


「訳ありって? しょうもないことで親とケンカして家を出てきたんじゃないの?」


 優子さんが少し目を見開く。杉本麦音の方に視線を少し向けて、声を潜めた。


「あれ。仁太くん、聞いてない? 麦音ちゃんのご両親、いろいろあって離婚しているって」


「離婚……」


 ということは、杉本麦音は父親と二人で暮らしているのか。


「複雑みたい。詳しくは聞いていないし、私からはちょっと話せないな。たぶん、仁太くんは知らずに一緒に遊ぶ方がいいと思う」


 そこまで言われるとかえって気になる。杉本麦音の地面に屈んだ後ろ姿はただの細身の女の子にしか見えないけれど。どんな事情を背負っているのだろうか。

気になった僕はスマホを操作して母さんにメッセージを送る。


『杉本麦音の複雑な事情って何?』


 聞きたいような、聞きたくないような。どちらともつかない思いで返事を待つ。返事はすぐにあった。


『なに? やっと連絡があったと思ったら、それ? 優子ちゃんにちゃんとお礼言って、帰りにはお土産買ってくるのよ』


 あまりに的外れな返信にがっくりする。


『分かったって。それより、杉本麦音のこと』


 電話ではない中々返事のこない文字でのやり取りに苛立つ。それに母さんは杉本麦音がタイムリープをしていることは知らないだろう。その事情とやらを知ればタイムリープを繰り返している理由が分かるかもしれない。


『私じゃなくて、本人に聞けばいいでしょ。東京に行く間に時間がいくらでもあるんだから』


 母さんは優子さんと違って聞くなとは言わない。


『僕が聞いても話さないと思うけど』


 言う気があるなら、とっくに本人から話しているだろう。


『そうかしら。東京に一緒に行くなら話してくれると思うけど。これ、出てきたから送るわね』


 文章の後に写真が一枚送られてきた。ワタベサイクルの店の前で撮った写真で三人写っている。


 一人は間違いなく子供の時の僕。身体のあちこちに絆創膏を貼り付けて、ピースサインでにっかり笑っている。たぶん三、四歳ぐらいだから、撮られたのは十年以上前だ。もう一人は僕と同じくらいの歳のおかっぱ頭の女の子で、スカートを握りしめ、大きな瞳でこちらを見ている。その瞳には見覚えがあった。


『これ、杉本麦音?』


『そうよ』


 杉本麦音は一度うちに遊びに来たと言っていた。その時に撮った写真だろう。


 だけど、僕と杉本麦音の後ろに立つ、もう一人の人には見覚えはなかった。黒髪の綺麗な女の子だった。夏らしい涼し気な白いワンピースを着て、カメラに向かってにっこり微笑んでいる。年齢は今の僕たちと同じ十五、六ぐらい。


『もう一人の人は?』


『麦音ちゃんの亡くなったお姉さん』


 なくなった。


 その意味が一瞬分からなかったが、すぐに死という言葉に置き換えられた。


『で、これをどうしろって? 杉本麦音に見せればいいの?』


 杉本麦音の素性を教えろと言ったのは僕だけど、正直この写真の扱いには戸惑う。


『どっちでも。私もどうするのが正解か分からないわ。でも麦音ちゃん、一人で判断してうちに来るくらいだもの。結構大人だから見せても大丈夫かもね』


 杉本麦音が大人? こそこそとタイムリープしているような奴が?


「仁太くん、帰るよ?」


 小さな遠慮がちな声がして、僕は思わずパッとスマホを持っている腕を下ろした。杉本麦音はいつの間にか傍に来ていて、両手で下げるように花火ガラが突き出ているバケツを持っている。どうやら三人でじっくり味わっていた線香花火も終わったようだ。


「ああ、うん。バケツ持つよ」


 僕は杉本麦音の手からバケツを奪い、先を行く優子さんたちの元に歩いた。後を杉本麦音が続いてくる足音がする。僕は写真のことを聞くわけでもなく、たわいのない言葉を探した。


「この時期に線香花火とかすると、夏も終わってしまうって思うよな」


「まだ、当分暑いと思うけど?」


「夏休みはもうあと一週間もないだろ」


 僕ら学生にとって夏とは夏休みのことだ。その夏も東京に行って帰ってきたら終わりだなんて、七月に行ったプールでさえ懐かしさを感じる。


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