第3話 「アリアミス・テニス・センター②」

 別料金のデザートを勝手に追加したことについてブーブー言われた雅だったが、無理やり席について一人ずつスプーンで「あーん」して食べさせてあげるとそれ以上は追及されなかった。頼んだデザートの大半は雅が代わりに食べたが、料金はしっかり4人に払わせた上、サネハルには今度大学の友達を10人以上連れてくるように約束させた。


「センパイ友達多いでしょうから、期待してますねっ」と言いながらにっこり微笑むと、「100人は連れてこよう。オレの人徳を見せてやる!」と大見得を切っていた。

 1ミリも期待はしていないが、意外と約束を守る男なのでひょっとすると5人ぐらいは連れてきてくれるかもしれない。お調子者軍団は終始くだらないやりとりを披露しながら店を後にした。


 ランチタイムの仕込みまでを手伝った雅は、当初の予定通りお昼には『ジュ・ド・ポーム』での手伝いを終えた。一緒にきたパスタを一般解放されているドッグ・ランスペースで遊ばせている間に、まかないとして作ってもらったパニーニを昼食として食べた。


 風もなく陽射しの柔らかな春らしい良い天気だ。このままここで昼寝するのも悪くないなぁと思っていると、携帯端末片手にキョロキョロしながらうろついている青年の姿が目に入った。その様子を見て彼がどこを目指しているのかピンときた雅だったが、取りあえず彼がどうするのかを見守って眺めていた。


 身長は自分と同じか、もしくは少し高いぐらいだろうか。彼氏にするならやはり多少は自分より背が高い方が良いなとぼんやり考えていると、ふいに目が合った。なんとなくお互い視線を外せずにいると、青年は意を決したように近づいてきた。予想と違ってナンパか?と一瞬だけ思った雅だったが、青年の顔に浮かんでいるのは申し訳なさそうな表情でいかにも道を教えて欲しいのですが、とでも言いだしそうだった。


「あの、ちょっと道を教えて欲しいんですが」

 案の定である。身長の割りにベビーフェイスで優しそうな人柄がにじみ出ている。

「ここの、総合受付ってどこでしょうか」

 青年は実に害が無さそうな、というよりも何となく困っていたら助けてあげたくなるような雰囲気が全開に出ている。母性本能をくすぐるタイプで検索したら、この青年が出てきそうだ。この後は特に用もないので、雅は道案内役を買って出ようと決めた。


「総合受付はですね、入り口が少し遠いんです。地図だとこっちが近いんですけど、実際の入り口は駐車場方面からなので。良かったら案内しましょうか?」


 雅は立ち上がり、お尻についたゴミをはたく。

「あ、いや、場所が分かれば」

「私、ここの選手なので遠慮しなくて良いですよ。ここ初めてですか?」

「えーと、久しぶりなんです。すごい様変わりしてるから戸惑って」

「へぇ? ま、じゃあなおさら案内しますよ。パスター!帰るよ~!」


 他の犬と元気に遊びまわっていたパスタが雅の呼びかけに一瞬こちらを向く。

が、すぐそっぽを向いて追いかけっこを続行している。


「あー、あいつめ。こらー! パスター! 置いてくぞー!」

 声を少し尖らせた雅の呼びかけに「やべ」と反応したパスタが慌てて駆け寄ってくる。その顔はさも「ごめんごめん聞いてなかったどうしたの?」とすっとぼけた様な顔である。


「じゃ、行こっか」


 青年の返事を待たず、雅は歩き出した。こういうのは多少強引にしないと遠慮しあって中々話が進まない。海外なら割とすんなりじゃあお願いとなるのだが、日本人は大抵一度遠慮するし、好意を受け取るためのタテマエがないと変に渋る。青年も一瞬戸惑ったようだったが、無理に断るのも失礼だと思ったのか、大人しくついてきた。


「ここには、スクールの入会とかですか? 部活でやってるとか?」

 ここから総合受付の入り口まではゆっくり歩いて5分程度。

 黙って進むには長いので、雅は世間話を振ることにした。

「はい、部活はやってないんですが、選手育成クラスに入りたくて」

「えぇ?」

 雅は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。選手育成クラスとは、つまり雅が所属している通称『強化クラス』の正式名称だ。ここでいう選手とはプロを意味している。つまり『テニスのプロを目指すクラス』だ。


『プロを目指す』

 一般的に、どんなスポーツにおいてもプロ選手を目指すのは生半可な事ではない。どの種目であれ、幼少期から環境と才能に恵まれ、その上で努力を継続していなければ到底達成しえない目標だ。スポーツでプロを目指すというのはゴールではなく、過程である。プロになり実績を出し続けていくことが要求され、言ってしまえばゴールなどない。力の及ぶ限り戦い続ける必要があるのだ。


 雅がつい驚いてしまったのは、青年の雰囲気がまるでプロを目指している人間とはかけ離れていたからだ。雅は幼少期からテニスの世界に身を置いているが、その影響からある程度相手の雰囲気から実力を推し量ることが出来る。勿論それは正確ではないし根拠もないことなのだが、同じ競技をやっている人間同士、少なからずそうした雰囲気やオーラを感じ取るスキルを持つ者は多い。もし仮にこの青年がある程度の実績を持つ実力者であったのであれば、最初の印象で「あ、テニスをしている人だ」ということが雅には察せられたはずである。


 だが、彼にその雰囲気はない。まるで高校の部活でテニスをしていて今より上手くなりたいからスクールに入会しに来た中級者、そんなところだと思っていた。そんな彼の口からまさか選手育成クラスの単語が出るとは思いもしなかった。


「あの、失礼ですけど高校ってどちらです?」

「えと、時葉ときのは高校です」

「時葉高校……テニス部ありましたっけ?」

「あぁいえ、だから部活ではやってないんです。そもそもテニス部無いので」

「最近この辺に引っ越してきた、とか?」

「いえ、ずっと木代きしろ市が地元です。なんか変ですか?」

「あぁごめんね、強化、えと選手育成クラスって大体推薦とかだから、訪ねてくる人が珍しくて。私、雪咲っていうんですけど、お名前は?」

「若槻です。若槻聖っていいます」



 2時間ほど前 聖の自室にて 

「そんで? 手段は手に入れたワケだが、これからどうすんだ? どうやってプロになる?」


 聖の部屋で、アドが少年の姿のままベッドの上で胡坐をかいて偉そうに座っている。どうやら、聖の視覚情報に干渉すれば人の姿を映し出すことが出来るらしい。他人には見えないので幽霊のような感じだが、態度がデカいので危うく実在するような勘違いをしそうになる。


 椅子に座ってノートパソコンを前にしている聖は、画面を見ながらアドの問いに答えた。

「最終的には、ITF(世界テニス協会)が取り仕切るプロテストに合格しなきゃいけないんだ。とはいえ、これはまだ絶対条件じゃないらしい。国によっても違うし、なんか例外もあるっぽい。だけどプロライセンスを正式に取得出来れば、国の支援が受けられるんだって。調べたけど、テニスのプロになるにはお金が掛かり過ぎる。支援無しじゃとても無理だ。強くなる為のお金を節約出来るにしたって、うちみたいな中流家庭じゃ海外をあちこち飛び回ってプロになるためのポイントを稼いだり実績を上げるのは難しい。そもそも僕は高校あるし、親にプロを目指すなんてまだ言ってない。高校の方は後々どうにかするとして、まずは『プロテストを受ける資格』を手にする必要がある。それで……」


 マウスで画面をスクロールさせながら聖が続ける。

「ITFのジュニアランキング50位以内。個人でこれを目指す必要がある。ITFの定めた特定の大会でポイントを獲って少しずつ上に行かなきゃいけない。その為にはITFへの選手登録が必要で、それには、勿論個人でも登録できるっぽいんだけど、どこかしら団体に所属するのが良いみたいだ。ここら辺で言うと、ATCアリテニだろうなぁ」


「アリテニ?」

「アリアミス・テニス・センターって言って、ここら辺どころか日本で一番大きなテニスアカデミーのこと。毎年何人もプロを輩出してるし、一時期ハル姉もここに行ってたんだ。正式な所属じゃないらしいんだけど。ハル姉にはフランス人の専属コーチがいたから。まぁとにかく、ATCアリテニの選手育成クラスっていうのがあるらしくて、プロを目指すのであればそのクラスに入れてもらうのが良いみたいだ」


「そこはお前みたいな無名の素人がいきなり『い~れて♪』つったら『い~よ!』って入れてくれんのか? 金は?」

「それについては、その、直接聞いた方が早いかなって」

「なンでだよ、調べて出てこねェのか?」

「選手育成クラスについては、どんな活動をしてるか、とか、どこからどんな支援を受けてる、みたいな話ばかりで、入会については良く分からないんだ」

「ンじゃ、間違いなく推薦またはスカウトだろうな。一般公募はしてねェのさ」

「もしそうなら、個人で何かしら実績を作らないといけない。インターハイとか?」

「さァな、そこら辺は確かに詳しいやつに聞いた方が早そうだ」


 アドは知らないのかと思った聖だったが、聞いたところで面倒臭がって教えてくれる気がしない。それに、教えて貰ったところでATCアリテニがもっとも近道であろう予想は当たらずとも遠からずだろう。いずれにせよ、ATCアリテニへ行くことには代わり無い。


 そういうワケで、聖はアリアミス・テニス・センターへやってきた。


 子供の頃に何度か来たことはあるが、テニスを辞めて以降は近寄りもしなかったのでその様変わりっぷりには圧倒されてしまった。敷地は広かったものの、こんな風に街区のようなところでは無かった。数年で随分様変わりしたものだ。


 携帯端末を片手に総合受付の入り口を検索し、近そうなルートを辿った。しかし建物は見えているがいまいち入り口が良く分からない。入れそうな雰囲気のあるところをさ迷っていると、ドッグランのあるスペースにやってきた。画面と周りを交互に見返してウロウロしていると、ふいに芝生でのんびりしている少女と目が合った。



「じゃあ、聖君はハルナちゃんの幼馴染なんだ?!」

「はい、家が隣で。小さい頃から良く遊んでもらってました」


 総合受付に向かう道すがら、2人はすっかり打ち解けた。子供の頃にハルナのペアをしていたという話を簡単にすると、雅は思いのほか食いついた。どうやら、ハルナと雅は同い年で雅は散々ハルナに辛酸を舐めさせられてきたらしい。とはいえ、別に仲が悪いということはなく、むしろ同じ選手として意気投合しており友達同士だと言う。聖もこれは初耳で、そういえばハルナの交友関係についてはあまり詳しくないなと今さらながら気が付いた。


「ていうか、私、聖君のこと知ってるや。覚えてるもん。確かに昔ミックス組んでたね」

「まぁ、あんまり良い思い出じゃないんですけど……」

「えぇ? どうして? あのハルナちゃんと組めてたのに?」

「僕のせいで負けまくってましたから。はる、素襖さんは気にしてなかったですけど」


 聖の話しぶりから、どうやらあまり触れて欲しくなさそうな雰囲気を敏感に感じ取った雅は、しれっと話題の方向性を変えることにした。


「そっか、ハルナちゃん昔から強かったもん。私もいーっつもハルナちゃんにやられてたよ。『素襖春菜被害者の会』があるとしたら、間違いなく私が会長だねっ」


 プロではないにしても、勝敗を競うスポーツの世界である以上、あながち冗談とも言えない内容なのだが、雅はハルナに負け続けたことに対して何らネガティブな感情は持っていなかった。負けた直後こそ悔しくて何度も泣きはしたのだが、ハルナと試合をするといつも自分の限界以上の力を発揮出来たからだ。同世代でハルナと試合をした事のある選手たちで、ハルナに嫉妬や恨みを持つ者は居なかったと言っても過言ではない。彼女と試合をすると、不思議と自分の中の新しい可能性を感じることが出来た。


「メチャクチャ強いし、何をやっても勝てる気はしなかったけどね、なんていうのかな~、『自分はもっと強くなれそう』って思えて。試合中負けそうなのに、自分がどんどん進化していくような気がして楽しいの。結局は負けちゃうんだけどさ、悔しさよりも次こそは!って闘志が沸いてきたなぁ」


 こんな風にハルナの話を聞くのは聖にとって初めてだった。自分がテニスから離れて以降は、ハルナとテニスの話をすることは殆どなかった。


「フランスを拠点にして、まずは下部大会を回るんだろうね。ひょっとしたらワイルドカードでグランドスラム出場の可能性もあるかもしれないけど。時期的に全仏オープンローランギャロスに間に合うかどうか微妙なところだね。どうするとか言ってた?」

「あぁいえ、そういう話はあんまりしてなくて……」

 聖の態度からなんだか甘酸っぱい感じの波動を感じ取り、ふーんと聞き流しつつもニヤニヤしてしまう雅。コイツはなんだか面白そうなのが入ってきそうだと期待に胸が膨らんだ。


「ま、いいか。おっと、ここからはもう案内板に沿っていけばすぐだよ。選手育成クラスの責任者はかがりコーチっていうの。今日はいるのかな? 知らないや」

「えっと、電話した時に沙粧さしょうさんって人の名前を聞いてるんですが」

「沙粧?!」

 本日二度目の素っ頓狂な声を上げる雅。


「アキラちゃん?! 沙粧って他にいないし……なんでアキラちゃんが出てくんのっ?」

「と、言われましても……」

 雅のあまりの反応に、沙粧なる人物が何者なのか一抹の不安が過る聖。

「えぇっと、なんか変なんですか? 沙粧さんて方が対応するのは」

「ヘン、といえば……ヘンかな? アキラちゃん、沙粧さんてここの最高責任者だから」

「へェえ?」

 今度は聖が素っ頓狂な声を上げることになった。

「なんだろ、ちょー気になる!ね、私もついてってイイ?」

 好奇心に瞳を爛々とさせながら、雅が顔を寄せてきた。その勢いに圧倒され、聖は思わず頷くのだった。



第3話③に続く

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