幕間(鋭い手術刀の因縁について)

医療局長の女は名をエバという。体に沿った緑のドレスを身に纏い、扇子を携えた彼女が大勢の取り巻きを従えて歩くさまは、医療局の権威主義的な面を強く示していると言えた。さておき、議会の中では女王の意向によって立場の平等がうたわれている。上っ面だけと思われた取り決めはその実、合理と建前、力関係の兼ね合いによって水面下の合意が結ばれていた。だが、本来エバは傅かれる側の人間だ。ひとたび議会の枠を外れたなら、彼女の扇は他者のくらしを容易に刎ねた。


「今日も賑やかだね、エバ」

柱の影から唐突に現れたのは白い衣をまとった金髪の子供だった。エバは僅かに眉を上げる。統一議会にも年若い構成員はいたが、こちらの棟への立ち入り許可を持つ者は諸国の王や側近を含めてもなお一人。彼の名はディアナといった。色素の薄い巻き毛を持ち、連れ歩くのは銀の獣。議会に二人いる女王のうち、若く小柄で男の方がそこにいた。少年女王は小さな靴で歩みよる。ディアナは顔の見える距離で立ち止まると、右から左へ視線を動かして廊下に留まるひとりひとりの顔を見た。小さな手は形式的にマントを広げる。

「こんにちは」

「あら、誰かと思えばディアナじゃありませんの。剣の調子はいかがかしら? 今日は手土産はなくってよ」

無感動な挨拶を寄越したディアナへ、揶揄するようにエバは言った。それに対し、ディアナは表情を動かさないままゆっくりと目を瞬く。

「知っているよ。あなたがそれを止められていることもね。決定には従うさ、それが議会の答えだというなら」

事態を知るもの、知らぬもの。誰もが口を閉ざしていた。中心に立つ権威主義者の主から怒りを買わぬよう、あるいは、この底知れぬ少年女王の目に留まらないように。


ディアナは怖れられていた。彼の持つ、真実剣と名のついた妖刀は不可思議な力で人の臓腑を斬る。過去、医療局の主であるエバは、完治の見込みのない患者を連れてきてはディアナの剣の贄とした。いくらかの確立で病が正しく切り取られ、それ以外の場合、苦痛と死によって後顧の憂いはそそがれた。女王の手を借りた治療によって、議会の権威を知らしめんと狙うエバの目論見はやや歪な形で叶えられた。二人はある種の共犯関係となり、ちなまぐさい手引きは事態が明るみになるまで続いた。だが、ひとたび議会に禁止されたが最後、ディアナは行為の一切から手を引いた。手土産受領の機会は永遠に失われ、エバはそれを手ひどい裏切りだと捉えている。



「なにかな」

「いいえ、別に?」

エバを見返す目には感情がこもらない。髪と似た黄鉄鉱の光彩は透き通っているが、そこに輝きはない。足下を哨戒するように連れの獣が回るのをエバは視界の端で捕らえている。女王の飼い犬は医療廃棄物を食べて太る獣だ。病が故に切り取られた全てを女王は懐へと入れた。懐柔がために与え、満更でもない様子であったのにことが起これば結果はこのざまだ。忌々しい、と思いながらも、エバはまだ女王の利用価値について考えている。

「うん、ううん?」

黙ったままエバの連れ合いを眺めていたディアナが脈絡なく顔を上げた。取り巻きの一人がヒッと身をすくめたのをエバは目で制した。ディアナは気にした様子もなく喋り出す。ゆっくり、しかし、一方的に。

「あなたは、議会の決定をよく思っていないようだ。いや、違うのか。私が従ったのが気にいらないみたいだ」

それでも、私にはどうしようもないことだ、と無表情のままどこか他人事のように言う。ぴったり中心で鏡あわせにしたような精緻な顔の作り。砂色の目を持つ一族にもめったに見られない濁りのない金色の目。尋常のものではない姿を持って道理の通らぬことばかり言う女王を見遣り、エバは眉を上げて皮肉を返した。

「……決定すべてに従うなんて、小さな女王様は聞き分けのいいこと。ええ、ええ。あの人もこれくらい簡単ならどんなにいいでしょうね。……ほら、あなた、そう思わなくって?」

エバは横にいた年若い女を小突き、慌てた相手がへつらうように頷くのを見てよしとした。

「不満そうだね、エバ。議長と喧嘩でもしたのかな。あまりあしざまに言うと報復があるよ」

「あら。あたくしに意見するおつもり? 解決の施策もなしに、ひとのすることへ口を挟むものじゃなくってよ」

エバは遠回しに黙っていろと言った。ディアナはわかっているのかいないのか、軽い調子で頷いた。

「もとよりそのつもりだよ。あなたたち大人の考えることはわからない」

すがめられた目は笑っていない。無感動な視線が厭わしくなって、エバは広げた扇子で口元を隠した。ディアナは黙ってエバの方を見ている。

「……まだ、なにかありますの? わたくし暇ではなくってよ」

「手土産を携えて会いに来るときのあなたは、楽しそうだったなと思ってね。抱える望みがどんなものかはわからないが、あなたの幸福を願っているよ」

「そう思うのなら手伝ってはくださらない?」

パチンと扇子を閉じ、エバは言う。返答は厚かましくも無感情な瞬き一つきりだった。

「あなたに手を貸すことは許可されていなくってね。議会の決定に反しない個人的なお願いなら聞いてあげることもできるけど。希望があれば聞いておくよ」

エバは心の中で舌を出した。議会の決定に反しないお願いであるなら。それはつまり、エバの肩を持つ気がまるでないということだ。

「同じことをあたくし以外の誰にでもいっているのでしょう? 公明だこと。神託で女王に選ばれるようなお方は、やはり他とは違うということかしら?」

「さてね。……あなたの望むのは独占かな。私は特定の誰かに肩入れするようなことはしないよ、『女王』はみんなのものだから」

それよりなにかお話をしてくれないか、とディアナが言うので、エバは取り巻きのうちから心臓の強そうなやつを呼び寄せて、目の前の子供へくれてやった。

「後で迎えを寄越しますわ。あなた、学校の話でもしておやりなさいな」

言って、その場をあとにする。エバは取り巻きに感づかれぬよう顔をしかめた。議会の女王は厄介だった。アルゴスは言うに及ばず、御しやすそうなディアナでさえこのざまだ。議会の白い塔から出られないとはいえ、次なる計画の邪魔をすることも考えられた。やり方を考えなければと思いつつ、エバは閉じた扇子を指先で撫でた。

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