菅井の告白と僕の決意

 朝に起きてみれば先輩は居なかった。


 夢だったのだろうかと一瞬だけ考えたけれど、テーブルの上には空になった酒の缶が置いてあって、先輩にかけてあげた布団はいまは僕にかけられていた。


 ああやっぱり夢じゃなかったんだな~。


 暢気にそんなことを考えながら時計を見れば、まだ朝には早い時刻だ。


 酒を飲んでいた割には体調はすこぶる良くて、二日酔い特有の頭痛も気だるさもなくて快調そのものだった。


 今日は講義があるし、せっかく早く目覚めたので散らばった酒缶や残されたお菓子、その他のゴミを片付けていき、ついでに最近サボリがちだった部屋の掃除もしているうちにもう部屋を出る時間になっていた。


 ゴミ袋の口をしっかりと縛った際、ふとまだ缶底にしぶとく残っていた酒と同時に先輩の香りがした気がする。

 

 同時にあのときの先輩の言葉も同じように脳内をリフレインした。


 出掛けにゴミ袋をゴミ捨て場に置いて歩き出したときでさえ、それはまだ僕の心内にはふわふわと残っていて、真新しくつけられた傷のように不意に思い出されて気づく。


 それでもそれはネガティブな感情ではなくて、進む足取りを少しだけ軽くする程度にはポジティブに記憶に思えた。




「…そうか、彼女が家に来たんだね」


 午前の必修講義を終えて、昼休みに守口先輩と喫煙所で出会う。


 安雄はまた今日も来ていない。


 どうしたんだろうか? 


 心配ではあるけれどあの様子を考えれば、いま出会うのは少し気まずい。


 バイトまでにはまだ早く、なんとなく手持ち無沙汰で喫煙所に向かえばすでにそこには守口先輩が居たのでそのまま会話をはじめた。 


 話せる人間がいたことに内心、ほっとする。 安雄が大学に来ていない今は守口先輩だけが気負いせずに話せる人だ。 


 塚原先輩のことを話せる人っていうのも含めて…。


 軽い挨拶から始まって他愛もない話から先輩が昨夜に来たことを報告した。 


 あの独白のことは言っていない。 


 本人は冗談だと言っていたし、なんとなくその真意(?)を軽々しく言いふらすようなことも先輩に対して悪い気がしたからだ。


「そうか~、僕のこと覚えてなかったか~」


 先輩が守口先輩のことを忘れていることは言った。 というよりも先輩が来訪したことを言ったら守口先輩は前のめりになって自身のことを何か言っていなかったかを詰問してくるので言わざるを得なかったというのが正しい。


 それでもあのときの言葉を幾分和らげて言い換えたけれど。


 守口先輩は傷ついたようでもなく、参ったな~と言わんばかりの意外に柔らかな反応だった。 

 

 それでも僕はそんな先輩の態度にもうしわけない気持ちが沸いてきたけれど、それで僕が謝るのも変だろうから、何も言わないし、言うことはできない。


「まあ…あの時は酔ってただろうし、僕はあまり特徴的じゃないからさ」


 自嘲するような先輩の様子に他人事とはいえズキリとした痛みが胸に走る。


 僕だったら…いや誰だって忘れられている方が嫌われているよりも辛いんじゃないだろうか?


 少なくとも嫌いだと思われていても、自身を認識しているという点を考えれば幾分マシだと思う。

 

 ましてやそれが好きな人なら余計にそうだろう。


「…あの人は無神経なところありますよね」


 昨夜、言い負かされたことすら忘れて、先輩への反感が出てくる。 


「ああ、別にいいんだよ…でも記憶にすら残ってないってのは正直、キツいな~」


 それをフォローと解したのか守口先輩はやはり困ったように取り直してくるものの、やはり傷ついているようだ。


「先輩は良い人…いや誠実だと思いますし、それだけあの人のことを想っていることはやっぱり素晴らしい…ですよ」


 良い人はどうでも『良い人』という塚原先輩の言葉を思い出して言い直す。 それでも内心で感じる気まずさに最後は少しぎこちなくなってしまった。


「ありがとう…よく言われるんだけれど…でもね~やっぱりそれでもさ」


「…塚原先輩が好きなんですか?」


「…うん、前にも菅居にも言われたし、早く忘れて別の人を好きになった方がいいとは言われてるんだけどね…」


「ああ…まあ、それは難しい…ですよね」


 確かに守口先輩の恋は不毛だ。 でもだからといって好きな気持ちをそう簡単に忘れることも、また別の人を好きになることだって簡単じゃない。


 特に守口先輩のような真面目な人には難しいだろう。


 ただでさえ常人とは違う感覚の塚原先輩に守口先輩のような人は傷つけられてしまう。


 ましてや『初めての相手』だとすれば余計に心を捕らわれてしまうのも当然だ。


 塚原先輩が言っていた『刻み付ける』という目的を考えればまさしくあの人の理想どおりなのだろう。


 …なんてひどいことをするんだろう。


 当事者の一人であり、昨日、あの人の心底に触れてそれを少しだけ可愛らしいと評した僕でさえ、やはり先輩のそういったことは好きにはなれなかったし、嫌いだとさえ思えた。


「…菅居とは昔から知り合いだったんですか?」  


 落ち込んでくる空気に耐えられず、話題をとっさに逸らす。


「うん?ああ、彼女は高校のときの後輩でね…文学部だったんだけど部員がずっと僕しか居なくてさ、やっと入ってきてくれたのが菅居だったんだ」


「ああ、そうだったんですね、あんまり菅居が本を読むのはちょっと想像しづらいですけど…」


 我ながら少し、失礼な言い方をしている気がするけれど、大学での菅居は活発なほうでハキハキとしといて、大人しく本を読んでいるようなタイプには見えなかった。


「ハハハ、でも彼女、結構読書家だよ。色々と読んでてね、最初は僕がオススメを紹介してたけどそのうちに僕のほうが彼女の眼鏡に適ったのを進められるようになってね、よく読んだ作品についてアレコレ話したんだけど…」


 思い出しているのだろうか? 先輩は火のついたタバコを手に持ったまま視線を上にして高校時代のことを話してくれた。


「懐かしいなあ…考えてみればあのときが一番楽しかったかもね、作品の見方が違うと議論…なんていうには稚拙だったけれど色々と意見を交し合ってさ…もっとも僕のほうが言い負かされることが多かったんだけどね…」


 そんな思い出を語ってくれる先輩の瞳からはさっきまでの憂いのようなものはすっかりと消え、大事な思い出を愛でるように、磨くように大切に取り出して聞かせてくれる。


 それが逆に切なくて、そうさせてしまう塚原先輩にはやはり『こんな人を傷つけるなんてひどいことをする』以外の感情が沸いてこないのだ。


 ああ、やはり僕には先輩が好きになれそうにない。 恋愛的な意味では百%だ。


 一人の人間としては先輩のあのやり方もその考えも否定する気はないし、なぜか不思議と憎めない。 良くも悪くもあの人の天真爛漫さとも言える有り方は自分とは違っていて、ある種の敬意さえ持つことも出来るかもしれない。

 

 それでも僕は恋慕の意味で憧れることはないだろう。 


 親愛と恋愛感情は必ずしも両立することはないのだということを僕はそのとき理解した。 

 

 それが塚原先輩だということが皮肉ではあるけれど。




 先輩とはそのまま別れた。 時間にすれば一時間くらいだろう。


 帰り際に先輩が『彼女のこと、何かあったらまた教えてくれるかな?』といつになく真剣に懇願されたのが余計に辛くなってしまった。


 いったい何が悪いのだろう? 何が駄目なのだろう?


 塚原先輩がああいう人だとは理解している。 それでもどうして守口先輩ではいけないのだろう?


 確かに守口先輩とはまだ出会って数日しか経っていない。

 

 でもあの人が塚原先輩のことを真面目に好きで、誠実に想っているというのに…。


 塚原先輩は一体何がしたいんだろうか? 凡人な僕からしてみれば先輩の行動は非合理的で誰も喜ばない、むしろ無駄に他人を傷つけるような行いにしか思えない。


 刻み付けたい。 忘れられないように。


 あのとき先輩が言っていたことがもしも真実ならばやはり僕には到底理解することのない望みだろう。


 不特定多数に自身を刻み付けたい。 その考え自体は正直、わかるのだ。


 誰だって自分を他者に受け入れてもらいたい。 唯一無二として、誰にも侵されない。 一人の例外も無いただ一人として…。


 それでもやはり僕にはそれはできない。


 それは能力的にとか魅力的にとかではなくて…言葉の上で定義することはむずかしいけれど、端的に言ってしまえば『そんなことにやっぱり意味はない』だろう。


 だって誰かにずっと強く想われているなんて疲れてしまう。 四六時中、自分のことを考えられてただそれだけを…。

 

 出会った人間全てに…。 そう想像しただけでゾっとしてしまう。


 想い続けることはひどく疲れるだろう。 だが想われ続けることもまたくたびれてしまう。


 執念のような怨念のような。 たとえそれが肯定的な意味であったとしても…それはまるでずっと見られている。 見続けられているような気になってしまって落ち着かない、気が休まらない。


 そしてそれを甘受できるような心持ちに僕はなれないし、憧れないのだ。


 だからこそ先輩のその異常性には畏怖してしまう。


 それでも…。 ああそれでも不思議なことに先輩に対する興味だけは抱いてしまう。


 怖いものみたさでも、刺激されるわけでもなく。 


 一体僕はどうしてしまったのだろう? 先輩を恐れると同時に考えてしまい、それに捕らわれてしまう。

 

 ああ、これが刻み付けるってやつなんだろうか?


 いや! 違う。 僕は僕だ。 先輩が望むような関係にはならないし、そうなりたくない…でも…いや…しかし…。


 ああ! 駄目だ! 頭が混乱してきた。 

 

 スマホを取り出して時刻を見ればバイトまであと二時間以上ある。 いつもなら億劫なバイトの始まる時間がいまは待ち遠しい。


 せめて働いている間は先輩のことを考えずに済むのだから…。


「ねえ、ちょっと…」


「うわっ…!」


 後ろからの声かけに思わず叫んでしまった。


 もしかして先輩だろうか? いや…まさか…そんな…。


「…なんだ菅居か」

 

 後ろに居たのは菅居だった。 そういえば彼女も大学に来ていた。 講義のときに僕の斜め前にいたことをいまさらながら思い出す。


 そのときにはいつもと同じように見えたけれど、今の彼女の表情は暗い。


 そしてキョロキョロと周囲を見渡した後に搾り出すような声で、


「守口先輩は?」


 なんだ先輩を探していたのか。 いましがたビックリして大きな声が出たことを誤魔化すように自身を落ち着かせながら、


「先輩ならさっき別れたところだよ、多分まだ構内に残ってるんじゃないか?」


 やや上ずりながらも答えると、菅居は「…そう」と言った後にキっと僕をにらみつけて、


「それならちょうど良かった…少し、話があるんだけど…」


 返事も聞かないまま、そのまま僕の手を掴んで足を進めていく。


「えっ?ちょっ…なに?…」


 返事も聞かないで、意外に強い力で引っ張るものだから、その剣幕に圧されて小型犬のように引きずられていった。


「なんだよ!どうしたんだよ!」

 

 騒ぐ僕を無視し続けて引っ張る菅居がやっと手を離してくれたのは広い大学構内の隅だった。

  

 そこは人気も無く、ましてや用がなければ行かないどころではなく、そこに用があるのか?というところから考えなければならないくらいに何も無い場所だ。


 痛くは無かったけれど、強く掴まれた箇所をさすりあげる僕を尻目に菅居は黙り込んでいる。


 その表情は先ほど同じように険しい。 それでもむっつりと口を開かない。


「なあ…話ってなんだよ」


 痺れを切らした僕が尚も問いかければ、菅居はやっと口を開いた。


「守口先輩のことなんだけど…」


「…守口先輩のこと?先輩ならさっきまで…」


「違うの!先輩のことではあるけどいまは上原君に話があるの!」


「…なんなんだよ、早く言ってくれよ」


 いつもとは違う菅居の態度に若干の怯えがでてきてしまったのを取り繕うようなぶっきらぼうな物言いをするけれど、菅居は何も言わない。


 こういうのは苦手だ。 塚原先輩のときの沈黙もそうだけれど、こんな風に感情をぶつけられた後の静けさはそれよりもさらに辛い。


 いい加減にしてくれ! と叫びだしそうになった刹那、菅居がやっと口を開く。


「…上原君はさ、あいつと付き合う気はないの?」


「…えっ?」


 あいつとは誰だろう? それはすぐに察することが出来た。 塚原先輩だ。


 ただ菅居の提案というか言葉の意味は理解できなかった。 


「それは無いね」


 ハッキリと答えは口から出た。 守口先輩との会話の中でも思ったけれど、僕は先輩のことを好きではないのだ。 もちろん、それは恋愛的な意味であって一人の人間としては少しだけ惹かれていることは否定できないけれど…。


「…なんで?」


「えっ?なんでって…そりゃ…」


「だってあいつが…あの女が初めて執着してるんだよ?それって凄いことじゃない?」

  

 何を言っているんだろうか? 菅居は塚原先輩のことを嫌っているはずだ。     

 

 それは間違いない。 それならなぜ先輩のことを僕に進めてくるのだろうか? 


 『自分が嫌いな人間と付き合ってよ』なんて言われた僕は混乱する。 それとも菅居が塚原先輩のことを嫌っているのは僕の勘違いだったのだろうか? 


 いやいや! さすがにありえない。 もしそうだったとしたなら…怖い。


 塚原先輩ではなく菅居がだ。


 照れ隠しなんてもんじゃない。 もはや理解しようと出来る範疇を越えたその屈折した考えを持っているのならば、塚原先輩どころじゃなく同じ人間とさえ思えないくらいだ。


「…なんでそんなこと言うのさ」


 率直の疑問を告げれば、菅居はまた顔を俯ける。 でもすぐにまた上げて、


「だってこのままじゃ守口先輩が…」


 ああ、そういうことか。 菅居は菅居で守口先輩のことを心配しているんだ。


 考えてみれば当然か。 守口先輩本人の気持ちはともかくとして、塚原先輩のことを思い続けていても残念ながらその想いは報われることはないだろう。  


 記憶にも留めてもらえない関係性。 端から見ていればもはや憐れにすら感じられるそれを親しい人間が案じるのは当たり前だとは思う。


 その考えは正しい。 けれど。 けれども…だ。


「それは守口先輩が決めることだろ?」


 守口先輩も菅居もどちらも間違っていない。 だからこそ他でもない自分自身がそれを決めることだろう。


 たとえ報われないとしても…だ。


 奇しくも先輩に自分が言った言葉を菅居が僕自身に問いかけている。


 そして皮肉にも僕の答えは先輩と同じだ。  


 嫌になるくらいに。 でも菅居の返した言葉は僕とは違った。


「…それなら…それなら私の気持ちはどうなるの!あんなにズタズタになって…傷ついている先輩を見るしかない私の…私の想いは…」

 

 強くも悲痛な声は流れる涙と一緒に、寂しいこの構内の隅で響き渡る。


 菅居は泣いていた。 普段の明るい態度は消え去って、慟哭するように。 泣き叫ぶように。


 女として。 一人の人間として。


「菅居…君は…守口先輩の事を…」


 言葉は最後まで言い切る必要は無い。 菅居もまた守口先輩と同じだった。


 彼女もまた報われようもない想いを抱いていたのだ。


 それは守口先輩に。 でも先輩とは少しだけ違う。 違うからこそ、それは彼以上に救われない想いかもしれない。 


 ある種の諦観を含んでいる守口先輩の懸想とは違って菅居は真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに彼を想っている。 恋焦がれているのだ。


 燃え上がる気持ちに耐えながら、想い人の悩む姿を見るしかないというのはそれこそずっと炎に焦がされているような状況に近い。


 だからこそやはり余計に救われない。


 愛する人が苦しんでいる様を一番近いところでただひたすら見せられていて、それでも彼はその場から動かない。 なぜなら本人がそれを望んでいるのだから。


 救いたくても救えない。 愛しているからこそ去ることもできない。 ただ愛する人が焦がされていくのを見続けるしかない。


 想像するだけでぞっとしてしまう光景。 


 誰かをそこまで好きになったことのない僕でさえ、考えただけでその苦悩に慄いてしまう。


 そして菅居はそれを誰にも言えずにただ見続けてることしか出来なかった。


 決壊した感情でグチャグチャになった頭の中でそれでも菅居はそれを叫ぼうとしている。

 

 そんな菅居に掛ける言葉が見つからない。


 冷酷なことを言ってしまえば『それでもそれを決めるのは守口先輩自身だ』とは言えるだろう。 


 でもそれは言えない。 言うことが出来ない。


 そんな残酷なこと言える筈が無いのだ。 


 それこそ業火の中にいる人を救えずにただ項垂れるように見つめることしか無力な僕には出来なかった。


 


 

 

「…落ち着いたか?」


 いまだしゃくりあげている菅居にハンカチを差し出す。


「…………」


 泣き腫らした瞳にそれを当てながら無言で座り込んでいる菅居の隣に僕も座る。


 いまは何時だろうか? チラリとスマホを見ればまだ一時間もたっていない。


 バイトまではまだまだ時間がある。 それに少しほっとする。


 さすがにこの状況の菅居を放っていくわけにもいかないが、バイトにも遅れるわけにもいかないからだ。


 菅居の絶望的な状況に同情しつつも、残念ながら僕にも僕自身の都合がある。


 もしかして自分は意外に冷たい人間かもしれないな。


 泣いている女の子のことを気にしつつも自分の都合のことを考えてしまうことに少しだけ罪悪感がでる。


「……菅居も大変だな」


 慎重に言葉を紡ぎつつもやはり気の利いた言葉がでてこない。


 こんなときに安雄なら何て言うんだろうか?  いまこの場に居ない親友のことを考える。


「…ありがとう、そしてごめんね」


「うん、気にすんなよ」


 やっと落ちついたのかハンカチを握り締める菅居の言葉に自然に優しい声が出る。


「菅居はさ…その、間違ってはいないと思うよ、多分守口先輩も…」


「わかってる…でもどうしていいのかわからないの」


 そうだよな。 僕もそう思う。 菅居とは状況は違うとはいえ、僕だって同じ気持ちだ。


 塚原先輩のこと。 守口先輩のこと。 菅居のことも。 そしてまた違う意味で安雄のことも。


 誰も間違っていないのだ。 けれどわからない。 だからこそどうしようもない。 


 僕は先輩とは付き合うことは出来ない。 そもそも先輩が僕のことをどう思っているのかわからないことを抜かしても。


 やはり先輩に対しては畏怖するのみでそんな気持ちになることはない。


 守口先輩は…どうなんだろう? おそらくは気持ちが変わることがあったとしてもそれは今日、明日で変質することは無いだろう。

 

 あの熱っぽく塚原先輩のことを語る守口先輩の姿を思い出す。 

 

 菅居はどうするんだろうか? 守口先輩のことを諦める? 


 それもやはり難しいだろう。 先ほどまでの激しい感情を持て余している彼女を見れば、もしかしたら守口先輩上に気持ちが変わることはないかもしれない。


 八方塞がりだ。 どうしてこんなことに悩まなければならないのだろう?


 いっそのこと塚原先輩と出会わなければ。 


 でもそう考えたところで何の意味もない。 だって僕達は先輩と出会ってしまった。


 確定された過去を変えることなど出来ないのだ。 それはもちろん、人の想い以上に不変なのだから。


 ただそれでも何か出来ることはあるかもしれない。


 いまだ思い出したように泣きじゃくる菅居の小さくなった姿を見ながら僕は一つの決意をした。


 もしかしたらそれは余計なお節介かもしれないし、状況をより悪化させるかもしれない。    


 それでもこのままでいるはずが良いわけがない。


「なあ、俺、先輩に頼んでみるよ…守口先輩のことをハッキリとフってほしいってさ…」


 とたんに菅居が顔を上げる。 涙で矧げた化粧と腫れ上がった瞼で真っ直ぐに僕を見ている。


「…そんなこと、できるの?」


「どうかな?言い出しておいてアレだけど、それでもそうしないと皆、どうしようもないだろ?」


 菅居は僕の言葉を黙って聞いている。 ただそれは不思議に無感情だった。


 期待するわけでも、不安視するわけでもなく、ただただ有りのままで。


「…どうなるのかな?」


「どうなるんだろうね?もしかしたらもっと悪くなるかもしれないけど…どうする?」


 問いかける僕の言葉。 菅居はしばらくの沈黙の後にコクンと頷く。


「…わかった。もうこんなの耐えられないもん」


 その物言いは子供のように素直で、そこではじめて僕達はぎこちなく笑いあった。


 

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