腹痛

 ジュンキと別れて自宅マンションに帰りついたアラトは、玄関の扉を閉め、靴を脱ぎ捨てるや否やトイレに駆け込んだ。


 アラトは、昔から胃腸が弱く、よく腹痛に襲われる。

 特に強いストレスを感じると、胃がキリキリと痛み腸が激しくうねった。

 高校に入ってからはそれがさらに顕著になっている。


 いや、正確にはあの時からか。


「オエッ、エエェェェッ!」

 胃の内容物をすべて出し切り、居間のソファにぐったりと寝転がる。


 このマンションの一室に、今はアラト一人だけだ。

 両親は共同で小さな会社を経営していて、夜遅くに帰り朝早くに出て行ってしまうため家で顔を合わせることは少ない。


 それでもアラトが孤独を感じないのは両親の仲の良さと、明るい性格によるものだろう。


 それに、今のアラトにとってはこの一人の時間が心地よく、ありがたかった。

 他人を気にせずにいられることがちょっとした安心になる。


 始めは、本当に小さな違和感だった。

 中学生のころからだろうか。

 少しずつ周りの友人たちとの距離を感じ始めたのは。


 少なくとも小学生のころまでは、何の違和感も無く過ごせていたはずだ。

 今考えればそれはおそらく、小学生が興味を持つ世界が広く、浅いものであったからではなかろうか。


 中学生になったあたりから、周囲の興味の対象は移り、同じ方向を向いて固定化されていった。

 昨日のテレビ、流行の曲、噂話、悪口。そういったものに段々ついて行けなくなる。


 最初は小さな違和感程度だったものが、学年が上がる度に膨らんでいく。

 最初の頃は周りに合わせようともしてみたが、そんな自分にも違和感があってやめた。


 人と話すことは減ったが、ジュンキやヒロとは変わらず仲が良いままだったので、別に気にならなかった。


 アラトは、どうやら自分は他人に無関心なのだと気が付いた。

 親密な人とならばもっと話したいと思う。

 一緒にいて楽しいとも思う。


 両親からの教えもあり、困っている人がいれば積極的に手を差し伸べても来た。

 だが、他人と足並みをそろえることは、どうにも苦手だった。


 中学二年生の時の担任教師は、そんなアラトに「狭く深い人間関係しか築けない人間も、一定数いる。でもまあ後々役に立つのは深い関係だから、あんまり気にしなくていい」と言った。


 他人とのズレへの恐怖は、それ以来少し弱まった。

 その後には、はっきりと相手を拒絶して傷つける恐怖が残った。


 他人に無関心なクセに、他人の痛みにだけ共感してしまうジレンマで、アラトは中学生ながらに胃薬が手放せなくなってしまった。


 嫌がられないように、傷つけないように。

 なるべく他人と関わらずに中学生活を過ごした。

 三年間バレー部は続けたが、部員ともほとんど関わらずに終わった。


 高校に入ってからも自分のことを気にかけてくれるヒロとジュンキの気持ちは嬉しい。

 高校に入ってからは二人以外の人と話すこともあまりなくなったが、その分共に過ごす時間は楽しい。だが、その気持ちに応えることが出来ない自分が何とも情けない。


 ヒロは人望があるし運動神経も抜群なんだから、自分のことなど捨て置けばいい。

 バレーが上手い訳でもない自分をわざわざ部活に誘う理由は無い。


 ジュンキも、少し押しの強いところはあるが人当たりが良くて友達も多い。

 自分と関わることが二人にとって迷惑になりはしないか。

 それならばいっそ……と考えたことも一度や二度ではない。


 ハッキリと拒絶することも出来ずに、二人の善意にズルズルと甘えてしまう。

 二人を傷つけるような勇気も無い。


 本を読むのは、一つの逃げの手段だった。

 もともと本を読むのも知識を増やすのも好きだったが、最近では気分を落ち着かせる薬のようになっていた。


 ダメだ。考えれば考えるほど胃がキリキリと痛んでくる。

 もう一度トイレに行くかどうか悩んでいると、インターホンの電子音が部屋中に鳴り響いた。

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