044

 翌朝疲弊しきったサンニが出勤すると、昨晩嫌というほど見た衛兵の群れが出来ていた。動かぬ足を無理に動かし、階段をのぼる。

二階の廊下に出たサンニは、メインオフィスがある左側を向けばそこには衛兵が更に詰めている。そして社員へ事情聴取を行っていた。昨日娘に菓子をくれた青年も、そこには居た。

青年の顔を見ると昨日の幸せなやりとりと、本来娘に与えるはずだった無駄に甘い菓子を思い出してむせ返りそうになる。ぐっとこらえて重い足を進める。


 しかしただ一人、副社長であるソフィーの姿だけ見えない。彼女は遅刻するような性格では無かったが、とサンニは思う。それになんと言っても、サンニとの繋がり方こそ問題があったというものの、記者として正義を行うものとしては優秀だった。

そんな女性が今窮地に陥っている会社をないがしろにするはずがないのだ。

 いつもの彼であれば、ハイエナのような記者精神で気づくだろう。だが彼はもうすでに疲れ切っていた。十分とは言えないが眠りもした。

しかしそれでは取れないほどの疲労。ホテルでの食事と睡眠は、味気なく失ったものが全てを表していた。


 フラフラと誘い込まれるようにオフィスへ入る。遠くでサンニを制止する衛兵の声が聞こえたが、彼の頭は止まろうと司令を送らない。

オフィスの最奥、彼の部屋。いわゆる社長室。

そこに一番人だかりが出来ていた。


「なん……だ、これ……」


 そして彼は見てしまった。

 天井からぶら下がる縄。ギシギシと軋んでその体重のかかり具合を知らせる。部屋中悪臭で満たされている。恐らく床に垂れている糞尿のせいだろう。

 そして何よりも問題だったのは、その首をつって死んでいたのは副社長のソフィーだった。


 サンニはぺたりと座り込んだ。すぐにでも離れたくなるような耐え難い悪臭であったが、心身ともに疲れ切っていた。動く力など全て奪われた。

 衛兵が寄ってきて「サンニさんですね?」と声を掛けたが、返事はない。衛兵も分かっていたのか、彼が落ち着くまでは離れていることにした。


 ソフィー・ラウテンが会社のオフィスで首を吊って死んでいた。そばには遺書も発見され、先日のイリアルに対する記事のことから衛兵達も自殺で間違いないと話をしていた。

 新入社員の青年の証言もあり、最後にオフィスに残ったのはソフィー一人だったと証明された。


 結局その日丸一日、衛兵や冒険者達による捜索で仕事にもならなかった。当然だがこんな疲弊しきったサンニでは、もとより仕事にすらならない。


(俺が……何をしたと……)




 だがイリアル――もとい、ノーンとペトラがここで手を止めるはずがない。

 絶望も終わらぬまま、翌日のサンニを待っていたのはまた人だかり。

しかしそれは前日と違い衛兵ではなかった。立派な衣服に身を包んだ国の人間。資料を持ち、社員たちと会話をしている。


「あ、社長のサンニさんですね?」

「そうだが……」

「こちらをご覧ください」


 渡された一枚の紙切れ。びっしりと文字が敷き詰められていたが、簡潔に言えば「会社を手放せ」という国からの指令書。

こんな横暴は彼の働いてきた人生で見たことがない。

 最高機関である国王ですら怯える女。それに歯向かった凡人の末路など、誰もが理解しよう。


 昨日今日とで重版するつもりだった新聞は、印刷所自体がストップ。すでに配られたものは、特に咎められなかった。しかし恐れをなした国民の大半は、自らそれを捨てたり燃やしたりしていた。

 ここまでくると、本当に国を操っているのは誰なのか。そう問いたくなるほどだ。


 震える手で一文字一文字しっかりと紙を読みすすめるサンニ。

ただの一枚のペラペラの紙だったが、書かれている言葉は強く厳しく残酷だ。


(正義とは、圧倒的な力の前では愚かなのか)


 国に逆らえばサンニは反逆罪として裁かれるだろう。彼に断る理由なんてない。

視界の端に見える社員達が、いそいそと自分の荷物を運び出しているのが見える。

彼らにも正義はある。サンニほどの異常なものではないが、少しだけでも持っている。だがそれは自分の命を無事だと保証されればの話だ。

 サンニ側について、命を捨ててまで振るう正義ではない。

 実際サンニについた人間――妻子と副社長はすでに死んでいる。


「は、ははは、ハハハッ」

「!? お、おい、待て!」


 サンニは国の人間に紙を押し付けると、一目散に走り出した。

向かう場所は決まっている。――冒険者ギルドだ。


 人の目など気にせず、壊れた笑顔で全速力で走り出す。途中市場を通り抜け、肉屋にぶら下がっていた包丁を奪い去る。

 都市の中は知り尽くしていた。衛兵が追ってこようが、路地に入り込みすぐに姿をくらませる。

危険な取材もやってきた彼にとって、持久力も自信があった。今となってはめったに走ることなんて無かったが、それでも少しは発揮できていた。


 そしてギルド前。

意識して通ったことはないが、やはり賑わっている。今も冒険者が出入りして、これから依頼に向かうところだろう。

 乱れた衣服、手に持つのは肉切り包丁。そんな男を、普通だったら通さないだろう。

だがギルドに居る人間は、誰もそれを止めることなくただ静観していた。

 入ってすぐに見える受付、そしてそこにいる女性スタッフですら驚きはしない。

 こういった客が日常茶飯事であるのもさながら、今回はから止めるなと言われているからだ。


「サンニ様ですね。お待ちしておりました」

「……っはぁ、は、はぁ、……あぁ?」

「こちらへどうぞ。イリアル様がお待ちです」


 リリエッタが何食わぬ顔で案内する。カウンター裏にある扉を開ければ、廊下が待っている。そこの最奥には、イリアルのいるギルド長室だ。


「この先にイリアル様がいらっしゃいます」


 最奥の扉の前。リリエッタは扉を手で差した。未だ呼吸の荒いサンニは、リリエッタをにらみつける。そこでようやくビクリと体を震わせたリリエッタ。

「で、ではごゆっくり」と告げれば、逃げるようにカウンターに戻り、廊下へつながる扉を閉めた。


 静かな廊下に響き渡るのは、荒々しいサンニの鼻息。手に持っている包丁はかたく握りしめられており、彼の確固たる殺意を表していた。

 最奥のギルド長室に辿り着いたサンニは叫んだ。


「……ふーっ……ふぅー……、い、りある……イリアル・レスベック=モアぁあぁあ!!!」


 細かな彫刻が施された扉を、荒々しく蹴り開ける。

目の前にある机に、イリアルが座っている。そしてノーン、ペトラがその後ろに立っていた。

 一歩、二歩と歩みを進める。背後で蹴り飛ばしたはずの扉が瞬時に修復され、それがノーンによって掻き消されたのを、サンニは気づかない。


「待ってたよ」

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