015

 ノナイアス。それは、約600年前に世界を恐怖に陥れんとした魔王の名。一度は学校というものに通った事のある人間であれば、誰もがその歴史と名を知っているはずである名であった。

 それは600年経った今でも伝説として、語り継がれていった。

再び同じ恐怖を味わわぬよう、教訓として。





「……父――いや、母はどこだ」


 暗い部屋、暗闇のようなベッド。そこで眠っていた男が目を覚ました。彼の名前はノナイアス。次期魔王である。

 長い間眠りについていたが、今こうして《タイミング》がやってきたお陰で目覚めたのだ。

 それを迎えるのは臣下の一人・レヴォイズ。モノクルを付けた執事の様相の紳士だ。レヴォイズは深々とお辞儀をして彼に挨拶する。そして後ろにいたその部下も、それに合わせてお辞儀をした。


「おはようございます、ノナイアス様。よくぞお目覚めに――」

「黙れ。俺の質問に答えろ」


 ノナイアスが凄むと場の空気が一瞬で凍りついた。レヴォイズはニコニコと笑ったままだったが、その部下は「ヒィ!」と情けなく言い放ち座り込んでしまった。それを見たレヴォイズは「やれやれ」とため息する。


「失礼致しました。……母君は現在人間の住む地域に行っております」

「人間? 何故だ? 母は昆虫観察でもする気か?」


 魔族にとって人間など滅ぼす対象でしかない。生みの親と形容している存在が、そんなくだらない場所にいっている理由が分からないのだ。

 それはレヴォイズも同じであるが、彼にとってそんな事はどうでもよかった。自分をここまで上り詰めさせてくれた《真のあるじ》の望むことならば、何であれ支援するつもりだったからだ。

 そんなレヴォイズが主から頼まれたのは、分身であり息子であるノナイアスの世話であった。


「隠居、と申しておりました」

「くだらん。俺に引き継ぐのが先だろう」

「まだお目覚めではありませんでしたので」

「フン、まあいい。いずれ母に会いに行く。幹部を集めろ」

「承知致しました」


 《ノナイアス》という名は代々継ぐ名である。とは言え名付け親が毎度毎度変えるのを面倒がったこともあるが、それは置いておこう。

 ノナイアスは常に同じ《母》から産まれた。母は不死なる永遠の存在であり、この世の原始から存在する。言わばひとつの神である。

 ある一定の期間で世界を陥れることで、人々を始めとした生き物が生まれすぎぬよう調節する役割を担っていた。

《母》が子である《ノナイアス》を産み、産まれたノナイアスは各個体それぞれ違う性格や容姿をしているものの、使命は同じであった。

人間を滅ぼし、世界を掌握せんとすること。たとえその過程で、人間側の勇者に敗れようが、本当に世界を制服しようが関係はない。

 一定の期間がくれば母である存在に消されるのだ。そしてまた、平和な数百年が訪れる。ずっと、魔族はそれを繰り返してきた。


「母は美しいか」

「広間にお写真が御座います。気になるようでしたら、小さいものを――」

「美しいかと聞いている」

「……。……とてもお美しいです」


 ノナイアスは先程から質問に対しての返答がおかしいレヴォイズに、苛立ちを覚えていた。

だがそれに対して激昂しないのも理由がある。こういった事態の時のために目覚めてすぐに活動を出来るよう、前任の魔王から必要最低限の記憶を受け継いでいたからだ。


 レヴォイズは母に心酔していた。ノナイアスの母に助けてもらったということもあるが、それを抜きにしても彼の尊敬はもう既に狂信者の域であった。

 故にレヴォイズには、ノナイアスに対する忠誠心に欠けている。どころか彼に対しては否定的である。それは歴代のどのノナイアスに対しても同じであった。


「何故母は俺達を殺す?」






「つまらないからだ」


 ノーンは言った。イリアルはその返答を聞いて「ふーん」と適当な返事を返しながら口に朝食を運ぶ。


 今朝、ノーンは起きると倦怠感に襲われた。魔力を奪われたようなそんな感覚だ。まるで過度な運動をした後のような。起きたばかりだと言うのに非常に疲れていた彼女は、とても苛ついていた。

 だが紅茶を飲み、服を着替え、廊下に出て冷たい空気に触れると、頭が冴えてくる。

おおよそ600年振りの感覚だった。


「何はともあれ、我が愚息が起きてしまった。我としてはもう少し遊んでいたいところだ、酷くなる前に寝かしつけようと思ってな」

「あっそう」

「ちょっ、あの、わたくし理解が及ばないのですが」


 朝食に同席していたのは、イリアルだけではない。当然だがペトラも居る。

イリアルらにすっかり馴染んだ彼女だったが、それでもまだまだ知らないことが多すぎるのだ。


「あぁ、ノーンは魔王だ」

「うむ」

「は?」


 そう、ノナイアスの母であり父はノーンのことである。

イリアルの殺人趣味やノーンの死体捕食の偏食に関しても、慣れてきたペトラ。だがその言葉だけはどうも受け付けられなかった。

とはいえそれであれば今までの奇行や、異常すぎるほどの強大なる力の合点が行く。


「ということでペトラ、お主に頼み事が出来た」

「あ、はい。何なりとお申し付けくださいまし」


 魔王の攻撃が数百年なくとも、世界は腑抜けていない。神託を賜る聖女の存在があるからだ。

魔王が目覚めたことは、聖女が勘付いているだろう。それにより近日中に魔王討伐のための勇者を召喚するはずだ。

数百年前もそうだった、とノーンは言った。

 勇者召喚によって生まれる害は、イリアルが一番被ることになるだろう。魔物討伐といって各地に赴き、ギルドの仕事を奪われるのである。

だが大きな損害を被ることはない。当然ながら魔王が目覚めたことにより、魔物の活性化が行われる。勇者がそれを全て討伐できるとも限らないからだ。


「なるほど。では勇者召喚を確認次第、お伝え致しますわ」

「うむ。……貴様が行くつもりではあるまいな?」


 下々に勇者の召喚が伝えられるのは、数日の差がある。即日で状況を知るには、王城に乗り込む必要があった。

 スリから始まり隠密まで、盗賊のスキルに長けたペトラが潜入するのが通常だが、そうなるとペトラがしばらくの間不在かつ危険な状態に陥ることになる。


「まさか。エレーヌに行かせますわ」


 エレーヌ・メルツァー。元魔法剣士教育学校第二位、冒険者パーティ・蒼き疾風ブルーウィング所属の優秀な魔女だ。

どんな高等魔法でも予備動作無し無詠唱で発動可能で、その腕はリーダーであるルシオすら凌駕する。


「隠密魔法に通信魔法も扱えますから、食料を持たせてしばらく城に送り込むつもりですの」

「なるほどな。バレぬとは思うが……。我の傀儡呪術が掛かってる故、慎重に動かせよ」

「ええ、承知しております」

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