006

 イリアルが受付へ顔を出すと、そのクレーマーはそこにいた。ただでさえ小さい受付(そろそろ改築したい)を占領して、他の冒険者にも迷惑を掛けている。

他のスタッフも座らせるとか気を配れよ……とイリアルはため息をついた。優秀な人間を採用して今働いている人間は解雇しよう、と心で決めた。


「おいおい、上長が女を連れて登場かよ」


 その言葉に振り向けば、ノーンが珍しく女性フォルムそのままでついて来ていた。クレームが悪化した時のための保険として来たのだろうが、せめて幼子の様相で来るべきではないか、と頭を悩ませた。

だがしかし今は目の前にいるこの男の処理である。

 さて、明らか他の客から邪魔だと思うイリアルは、とにかくこの受付カウンターから離れて欲しかった。となると奥の部屋へ通すしかない。

はてさてこの頑固クレーマーが一緒に来てくれるだろうか――なんて考えは、杞憂なのである。イリアル、もといノーンの力にかかれば。


「お客様、『奥の部屋へどうぞ』」


 この能力は先日の厄介ナンパ男にも使った「饒舌なる王ボイスオブキング」である。この能力が発動すると、術者の言うことは絶対だ。洗脳の一種であり一時的に言うことをきかせることができる。

 クレーマーも例外ではなく、フラフラと奥の部屋へ通じる廊下に吸い込まれていった。イリアルは「誰も通すな」とスタッフに注意をして、同じ方向へ消えていった。

そこは力を使わないのか……とノーンは心配になり、一応魔法でみなに暗示を掛けてから後を追った。


 応接室へ入ると、既に色々と始まっていた。ノーンがまずはじめに目にしたのは、自分に助けを求めて走ってくる男だった。

その男がノーンにすがり抱きつこうとしたので、ノーンは思い切り腹を蹴り上げる。男は腹を抑えて床で転げ回り悶えている。


「黙らせたのか」

「だって叫ばれるとうるさいじゃん」


 どうやら男は饒舌なる王ボイスオブキングで叫ぶなとでも命令されたのだ。防音魔法を掛けてくれるノーンの到着が遅れたから、そういった対処になるのは仕方ない。

 とりあえずノーンは部屋の扉を消し、部屋に防音魔法を掛けた。幸いここには紅茶もある。読みかけの本もいいところだったし、とノーンは客用のソファに腰掛けた。


「おい、逃げんな逃げんな」


 片手にナイフを持ちながら部屋中を追いかけ回すイリアル。それは逃げるだろう、普通。なんていうツッコミをする人間はここにはいない。

男がどれだけ声を張っても、喉からはかすれた空気の音だけが漏れるだけだった。

どちらにせよ防音魔法がはられているこの空間では、どれだけ叫んでも外には届かない。


 余りにも捕まらないので、イリアルは苛立ちながらナイフを投げた。それは逃げ回っていた男の背中へと深く突き刺さる。

男はそのままうつ伏せに倒れた。肩甲骨あたりに突き刺さったナイフを抜いて、痛そうに顔をしかめた。声は出ない。

 その時ぐわんとめまいに襲われた。吐き気と寒気もやってきて、まさか……とナイフを一瞥する。ナイフにはべっとりと毒物が付着していて、その作用だとすぐに気づいた。

どんな毒物かは知らないが、この状況からして良いものではないというのは判断できる。


「ナイフは返してくれよ」


 欲深き手腕スキルズオブグリードでナイフを回収すると、男の手の中にあったナイフは消えてしまった。

男は何かを訴えているようだが、口から漏れるのは空気の音だけだ。どうせ命乞いだろう。この二人には通じないと言うのに。


 今度は欲深き手腕スキルズオブグリードで大型の金槌を取り出した。両手で持つタイプの長めのものだ。釘を打つようなものではなく、外で使ったり杭を打ったりする用の、大きなやつだ。

 イリアルはそれを躊躇うことなく振りかぶり、男の左足の足先を砕いた。骨の折れる音と肉のちぎれる音が部屋に響く。

男は叫び声を上げられずに、掠れた息を吐き出している。

もちろんイリアルがそんな男の苦しみを汲んでやるはずがない。そのまま血にまみれたハンマーを再び振りかぶり、もう片方の足先を砕いた。


 男は足の苦痛を受けながら、それでも少しでもこのイカれた女から逃げる為に這いずり回った。まあどれほど逃げ回ろうが部屋は封鎖されているし、立って逃げることも叶わないのだが。


 イリアルは男の右腕を踏む。ハンマーの狙う先は腕だった。男がバタバタと動いて抵抗するものだから、腹が立ったイリアルは頭に1発、ハンマーで殴りを入れた。

抵抗することはなくなったが、何もかも静かになった。

 無抵抗の男の両腕を砕いても気が済まない。イリアルは持っていたハンマーをしまって、今度は小型の片手ハンマーを取りだした。

そして動かなくなった男の頭部をひたすらに殴った。無表情のまま、ただずっと。


「イリアル」


 流石のノーンも自身の食事がただの肉塊へと変化するのは止めざるを得ない。一言声を掛けると、イリアルの手がピタリと止まった。

 ノーンはイリアルに近付き、まずは男の死体から離れさせた。そしていつものように血を消し去ってやり、額にキスを落とす。まるで子供を宥めて褒めるように自然な動作で。

ついでに頭も撫でてやって、とりあえずイリアルをソファに座らせた。


 あとはノーンの時間である。目の前にあるごちそうを食べる。それだけだ。食べるとは言っても、この左手で喰らうだけ。触れれば魂が取り込まれて、魂の消えた死体は無に還る。

 ぬちゃり、と血液と肉の音がした。左手で触れれば、魂が流れ込む感覚がする。ノーンの中に完全に取り込まれると、死体はその場から完全に消え去ってしまった。

肉片も、血液も、何もかも。


「うむ。ご馳走様」


 満足そうに舌舐めずりをする。今は大人の女性の姿になっているため、たいそう艶やかだった。イリアルがまだぼんやりしていなければ、襲われていたところだろう。

部屋に染み付いていた死臭と血液を取り除いて、防音魔法を解除する。入り口の扉を復元すれば、即座にノックがした。

まさかと思って時刻を見れば、かれこれ一時間は経過していたようだ。心配になったスタッフが確認しに来たのだろう。イリアルはこんな状態だし、代わりにノーンが返事をした。


「どうぞ」


 失礼します、と入室してきたのは、先程の使えない男性スタッフだ。スタッフは室内を見渡すと、クレーム男がいないことに気づいた。

そして放心状態のイリアルの存在にも。


「お客様は?」

「あぁ、表では恥ずかしいことをしてしまったと反省されていたわ。裏口からそっと帰ったの。もう心配ないわよ」


 ニッコリと微笑むと、スタッフの顔が少し赤らんだ。イリアルの恋人だか愛人だか知らないが、異常なほど美人の女を前にしているのだ。そうなるのも仕方がない。

まぁこれがいつもイリアルの後ろを小走りで付いていく幼女とは、誰も思うまい。

 ノーンはやんわりと部屋から出るように男に話しかけた。男は名残惜しそうに部屋から出ていき、再び二人の空間へと変わった。


 いつもならそろそろイリアルのぼんやり具合が終わってもいい頃合いだ。しかし、未だに彼女はソファに座ったまま、空を見つめている。

ここ最近の忙しさも相まって、久々の殺しだった。イリアルにとって殺しとは、いわば癒やしである。人の血を浴び、肉を裂き、骨を砕く。ストレス発散の方法はこれと寝食くらいである。


「イリアル」

「ん」

「疲れたのなら帰るか? 明日も仕事なのだろう」

「んー……」


 返るのは生返事だけだった。

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