第29話  貨の王

「異議あり!」


 声の限りに叫ぶ。

 散々焦らしてくれたが、ようやく救出対象が出てきた。

 いよいよ行動開始だ。

 フード付きマントをかなぐり捨てる。ロクサーナとメフルもそれに倣った。


「勇者カイ! ……と、皇女殿下⁉」


 一気に前庭がざわつく。

 俺たちはは構わずガシェールムの立つステージへ進むと、群衆は預言者を前にした海のように割れた。


「皇女殿下をお連れしたぞ。お前の即位も水の泡って訳だ」


 ガシェールムは眉一つ動かさなかった。しかし、踵が僅かに下がったのが見て取れた。直後には一瞬で喜びに溢れた表情を作る。


「……おお、首を長くしてお待ちしておりましたぞ、皇女殿下」

「無断で摂政を気取る者が城を牛耳っていたので、危険を感じて身を隠していました」

「いやいや、目の前にエルナール軍が迫っている状況で、国を挙げて迎撃するには、帝位委譲を急ぐ必要があると判断しました」


 ガシェールムがうそぶく。

 その忠臣面に、吐き気を催すほど胃がむかつく。

 そのままガシェールムは、大仰な仕草で俺を指差した。


「それより、なにゆえに仇敵の勇者などと行動を共になさっているのですか? さ、危険ですから、私のもとにおいでください」

「あなたの?」


 ロクサーナの嘲笑に棘が生じた。今までに聞いたことがないほどの辛辣さと侮蔑を感じる。


「父殺し……いえ、大逆の疑いがある臣下より、たった十二日間でも、わたくしを守り続けてくれた仇敵の方が、幾らかは安全です!」


 ざわつくガファス貴族。ガシェールムとロクサーナの顔を交互に確認する者も見られる。

 さらに追い打ちを掛けることにしよう。


「俺の記憶を見せよう。信じる、信じないは勝手だがな……『記憶投影メモリー・プロジェクション』!」


 呪文を唱えると、エルナール軍の惨劇を映していたスクリーンの前に、魔力で形作られたひと回り小さいスクリーンが現れる。そして、ひと月前に俺が見た光景が映し出された。





「カイ様。戦であれば互いの『正義』に齟齬が生まれるのは当然のこと。あたしたちの『正義』は、エルナール王国の安寧、そして魔皇帝タフリルドースの討伐よ!」


 ルグノーラが叫んだ。映像が揺れたのは俺の二の腕が揺すられたからだ。

 そして映像はタフリルドースにフォーカスする。

 俺はこのとき、タフリルドースに思考と立場の多様性を説かれ、呆然としていたはずだ。


「……仕方ないわね。できるかわからないけど、魔皇帝はあたしがやる!」


 そしてルグノーラが腰から突剣を抜き、タフリルドースに躍りかかる。

 次の瞬間だ。タフリルドースに異変が起きたのは。

 あまりに鮮明すぎる衝撃だったから、よく覚えている。映像もご丁寧にスローになった。


「がっ!」


 タフリルドースの目が見開かれ、その身体が仰け反る。口元からごぼごぼという音が漏れる。

 改めて映像を確認すると、モルサルはやや離れた場所におり、やはりタフリルドースを刺すことができたのはガシェールムしかいなかった。

 ルグノーラが突剣を突き立てる前に魔法を解除する。余計な情報だし、ロクサーナにとってショックが大きい映像だと判断したからだ。





「どうだ? どっちに付くのか、よく考えるんだな」


 呼びかけると、いとも簡単に動揺が広がった。

 近くの同僚と視線を絡めるガシェールムの配下。じきに、彼らはおどおどと揺れながらガシェールムの立つステージの前に集まっていった。


「……無理もない。自分の意思を曲げることは、大きな勇気と、それ以上に力を必要とする」

「集団の中にいた方が安全である、と考えてしまうのも無理もないですね」


 メフルとロクサーナが酷寒の視線を射込むと、配下はびくっと震え上がる。が、やはり群れている方が安全であると考えているのだろう。


「……でも、この程度の群衆など、群衆ごと消し去られる時もあることを知るべきかな」


 とどめとばかりに脅してやると、ガシェールムの配下たちはステージに張りつかんばかりに引き下がり、越冬する虫のように密集した。


「ガ……ガシェールム様をお守りしろ」

「勇者を近づけるな」

「刺し違えてでも一太刀浴びせるんだ」

「お前が先に行けよ」


 ガシェールムを守らなくてはならない義務感と、命を惜しむ気持ちとがせめぎ合っているのが見て取れる。


「あくまでガシェールムに肩入れするのか。上司と違って義理堅いことだ」


 壇上で顔に笑いを貼りつけていたガシェールムを挑発して出方を伺う。

 ガシェールムは僅かな逡巡を見せた後、不気味なまでに柔和な笑顔を崩さないまま、口を開いた。


「私としても、部下がみすみす命を散らすのは見るに忍びない。そこで、どうでしょうか。新体制を築かんとする私と、旧体制の象徴であるロクサーナ皇女殿下とで一騎打ちをするというのは」

「現体制、です。訂正なさい」


 ロクサーナが暖かみの欠片もない声で返す。


「おっと、これは失言でしたな。まあ、どちらにせよ、一騎打ちであれば失う命は一つ。帝国の損失は僅かで済みます……おお、もちろん代理を立てても構いませんぞ? 殿下は華奢でありますれば」


 ガシェールムがメフルをちらりと視線を送る。その眼光が獣欲に塗れているのが見て取れた。穏やかキャラを気取っているが、内側は女騎士をいたぶりたい欲望が渦巻いているようだ。


「……では、わたくしは代理を立てます」


 ロクサーナが凛とした声で宣言する。


「代理人は……カイ」

「なっ……!」


 ガシェールムが絶句する。表情を作ることも忘れ、片頬を引き攣らせている。


「何を驚くのです? あなたが言う『帝国の損失』という観点からすれば、これほどの適任はいないでしょう。万に一つでもカイが負けたとしても帝国の命は失われず、勝てば帝国の転覆を狙う奸臣を一人、討つことができるのですから!」


 ロクサーナが言い放つ。

 ガシェールムは不自然に大きな肩を振るわせた。それは怒りのためか笑いのためか……


「ふん……構いません。私もずいぶん信用を失ってしまったようですが、そんなことは今更どうでもよい。ガファスを導くのにガファスの民が相応しいか、エルナールが召喚した異世界人を代理に立てるような者が相応しいか、わかるというものです」


 ガシェールムがステージから飛び降りる。

 ロクサーナは一歩下がると、俺の手の甲にそっと触れた。


「ごめんなさい、カイ。あなたにこの国を……わたくしを託します」

「気にするな。勇者ってのは、悪党を倒して、姫君を助けるのが本業だろ?」


 俺の言葉で気を楽にしてくれたか、ロクサーナが安堵したように微笑む。

 その微笑みだけで十分だ。俺はガシェールムに向き直ると、ゆっくりと長柄ブロードソードを引き抜いた。


「そういうわけだから……倒されろ、悪党」

「ふっ……ふふふはははっ!」


 ガシェールムが穏和な仮面をかなぐり捨て、大笑する。そして星と呼ばれる禍々しい分銅が三つも鎖でぶら下がったモーニングスターを引き抜いた。


「この状況がわかっていないようだな。これは百人の臣下が私に付いたということではない。城が私の手の内にあるという証左なのだ!」

「ふうん」


 ガシェールムの大言は俺の心を動かすことはなかった。俺はそのまま剣先をガシェールムの眉間に向けて構えた。


「ロクサーナには、命を賭けて守ろうとする奴が少なくとも二人はいる。お前のピンチに何人が命を張って助けるか、確かめてやろう」


 そして、切っ先を手前にクイッと引く。


「来な」

「面白い……始めようか!」


 ガシェールムがモーニングスターを振り下ろす。綺麗に三つ揃って降ってきた星を刀身で丁寧にいなす。揺れる星の向こうに貨の王の邪悪な笑み。


「よくぞ受け止めた」

「そっちこそ、慣性の付け方がうまいじゃないか。マラカス奏者になれるぜ」

「減らず口は勇者の特技だな!」


 ガシェールムが鍔迫り合いのまま左手を挙げた。


「者共、そこな旧皇女とメイドを成敗せい! 首級を上げた者を新たな王に取り立てようぞ!」

「……この野郎!」


 こっちがガシェールムと打ち合っている隙にロクサーナとメフルを襲うとか、絵に描いたような卑劣漢だな。言うなれば、世の卑劣が凝り固まって黄色い鎧を着て歩いているかのような存在。


 ガシェールムの配下たちは目の前にぶら下げられた手柄を前に、ざわざわとなにごとか呟きながら、まるで亡者のようにゆらりとロクサーナとメフルに焦点を合わせた。

 彼らのざわつきが高まり、鬨の声となるのに時間は要さなかった。

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