第25話  杯の王

 何者かの襲来を確認してからのサマンは素早かった。屋敷中の者に武装させ、狼煙を上げ、緊急事態を領内に知らせた。

 配下の動きも機敏で、続々と武装と食糧を背負った者たちがアルドの館に集結してくる。


 『緑の軍』の者たちは十中八九、俺の姿を見ると敵対的な態度を取ってきた。俺はガファスの民を数多く葬ってきた宿敵……当然だ。

 ログスはそんな者たちに、俺がもう害意がないことを説得するのに忙殺されていた。

 納得したアルドの部下たちも不承不承という表情ではあったが、俺が出会い頭に殴られたりしない程度には落ち着いてくれた。


 別な色の狼煙が上げられ、敷地の門が閉ざされた。


「今のは、『避難指示』の狼煙です。集合に間に合わなかった者たちは、就労施設の避難所や自宅の壕に避難します」


 ログスが狼煙の意味を教えてくれる。

 アルドの館に集まれたのは、サマン隊のほぼ全員を含めて『緑の軍』の一割ほどだそうだ。それでも数千……少なく見積もっても二千はいる。

 緊張が高まる中、砂塵が近づいてくる。それが人影の一団となり、姿を現したのは――


「アンデッドの軍隊だ……」


 誰かが呟く。

 その言葉は動揺となってアルドの館を包んでいった。

 ゾンビやスケルトンの集団は、道路も耕地もなく進んでくる。


「俺たちの作物が……」


 収穫の近い作物を蹂躙され、群衆のそこかしこから溜息が漏れてきた。


「エルナール軍じゃないな」


 えっ、と振り向くログスに俺は言葉を続ける。


「少なくともひと月前までは、エルナールにアンデッドの軍隊はなかったし、国民にも不死の魔物を特に毛嫌いする雰囲気があった」

「とすると……」


 ログスが言いかけたとき、軍の中に輿が担がれているのを目視した。真っ赤な台とながえ、担ぎ手の大柄なスケルトンも赤塗り……悪趣味極まりない乗りものに、赤ローブに身を包んだ大きな肉団子のような魔族の男が揺られていた。


「『杯の王』……」

「モルサル様が直々に俺たちを葬りに……」


 ざわつく『緑の軍』。


「静まれい!」


 赤ローブが輿の上で怒鳴る。不快な声が魔法で拡声されている。


「吾輩は『杯の王』モルサルである!」


 しんとする館の様子に満足したのか、モルサルは口許を歪めて話を続ける。


「『棍の王』アルド! 卿には逃亡した勇者とその逃亡を助ける『道化の王』ログスを匿っているという疑いが掛けられている。吾輩はそれを取り調べるために来た。大人しく差し出すならよし、さもなくば屋敷を破壊し、勇者とログスを捜索するぞぉ!」


 モルサルの声に合わせてスケルトンがカタカタと鳴り、ゾンビが吼える。

 目的のためなら味方の被害も厭わないクズが。

 ことここに至っては、守ってもらってばかりではいられない。

 俺は兵たちを押しのけ、庭で待機する『緑の軍』の前に出た。


「何をするつもりだ、勇者よ。多勢に無勢だぞ」


 引き止めるサマンを片手で制する。


「サマン、迎えてくれてありがとう。俺さ、ああいう目的のために手段を選ばない奴のこと許せないんだよね」

「わたくしもです」


 兵の裏に座っていたログスも立ち上がった。彼女の後ろには常にメフルが付き従う。


「……無理なさらぬよう」


 そう言うと、サマンは門を開かせた。

 俺とログスとメフルが門を出たのを確認すると、門は閉じられた。

 アンデッドの軍勢が割れ、中央に輿が進み出た。輿の上のモルサルが、文字通り上から目線を下ろしてくる。


「潔いな、勇者よ。お主と『道化の王』ログスの首二つで、アルド及び『緑の軍』の一同について、今後の活動を保証しよう」

「活動って……おおかた殺してアンデッドにして働かせようって魂胆だろ。部下を見りゃわかるよ」

「ぐ……」


 言葉に詰まるモルサル。図星かよ。


「で、同じ『王』なのに、アルドとログスは呼び捨て? お前、何か勘違いしてるんじゃないか?」

「黙れ!」


 モルサルが吠える。


「陛下亡き後、帝国の運営に腐心するガシェールム殿を補佐する吾輩と、何を血迷ったか音沙汰なく身を隠しているアルドが、同じだなど……無礼であるぞ!」

「なるほど」


 俺の横で遣り取りを聞いていたログスが声を発する。


「陛下亡き後、ガシェールムはあなたと結託して摂政ごっこで国政をほしいままにしていた、ということですね」

「口を慎め、『王』の補欠風情が!」


 顔まで赤くして叫ぶモルサル。

 背後の『緑の軍』が気色ばむのがわかる。

 モルサル……沸点低いなぁ。

 そこまでしてから自分の作ったキャラと違うのに気づいたのか、赤い肉団子が息を整えて俺の方に尊大な視線を寄越してくる。


「それよりも、勇者カイ。吾輩が用意した贈りものは気に入ってくれたかな?」

「贈りもの?」

「おや、気づいていなかったとは!」


 モルサルが大袈裟に仰け反る。


「お主の死んだ仲間を、また動ける状態にして再会させてやったのに。急ごしらえで作ったにしては言葉も喋ったし、なかなかいい出来だったであろう?」

「ああ……」


 モルサルの挑発に全身の産毛が逆立つのを感じる。

 これは怒りだ。

 だけど、不思議なことに感情が爆発しない。代わりに感じるのはロクサーナが信管を握っていてくれている安心感だ。

 モルサルがさらに口許を歪めて汚い声を垂れ流す。


「そう言えば、エルナールにも『死者の種』を売りつけてやったが、どうなったことやら。人間というのは汚いことを思いつくのに長けているから、さぞかし卑劣な目的に使ったに違いないなぁ!」


 芝居がかった口調で挑発するモルサル。師匠に植えつけた『死者の種』の出所は、この男か。

 だけど……なんだろう。怒りが募れば募るほど、心が冷えていくのを感じる。そう――こいつは感情をぶつける価値もないクズだという意識だ。


「勇者カイ、そして『道化の王』ログス。大人しく投降するならよし。さもなくば吾輩が強化した千体のカースド・ゾンビとスケルトン・ウォーリアに屋敷を襲わせるぞぉ!」

「はあ……」


 溜息が漏れる。

 どうもこのモルサルという男、性格に難ありのようだ。

 輿の上ではしゃぐ、赤い服を着た生ゴミ。

 門の中では強化されたアンデッドを見て浮き足立つ『緑の軍』の面々。

 それらを後目に、俺はログスと視線を交わした。無言で長柄ブロードソードを抜き放つ。


「な……反抗的だなぁ。では、この可愛いゾンビがただのゾンビではないことを思い知るがよい!」


 モルサルが啖呵を切ったのをきっかけに、強化されたゾンビ――カースド・ゾンビが殺到してくる。

 俺は一番に飛び込んでくる相手を見定めると、無造作に腐肉の群衆の中に飛び込んだ。


「ホーリー・ヘプダグラム・バースト!」


 無秩序な群れを無理矢理こじ開ける七連攻撃とその衝撃で、十数体のカースド・ゾンビが宙を舞った。

 若干の違和感はあるが、威力はしっかり出ている。

 力業で作られた円形のスペースの中心で、今度は剣に魔力を込めて振り抜く。


「ホーリー・ワールウインド!」


 直線的に放たれた剣気は空を裂き、軌道上にいた五十を超えるゾンビやスケルトンの上半身を斜めに斬り落としていく。その先にはモルサルの弛んだ左腕があった。


「ぐぎゃぁぁぁっ!」


 左腕を斬り飛ばされたモルサルが、嘔吐するような叫びを上げて輿の上に突っ伏す。肩からは、鮮血と言うよりは粘液と言った方がしっくり来るどす黒い液体が垂れている。

 アンデッドの群れが主人のダメージを察知して攻撃をやめ、輿を中心とした防御的な陣形をとった。


「……?」


 やっぱり何かおかしい。

 切れ味はちゃんと戻っている。が、何かが足りていない。

 一方、モルサルは血の池となった床面からどうにか身を起こすと、息も絶え絶えな形相で睨みつけてきた。


「やってくれたねぇ! だがね、この程度の傷は大したことないんだよぉ!」


 苦悶の表情で切断面も生々しい左肩を持ち上げるモルサル。

 傷口が泡立ち始める。それは徐々に肩から垂れ落ちていき、骨、肉、血管を形作り、こちらがコメントする前に蒼白い腕が再生された。


「見たか、吾輩の再生能力! 『命あるもの』如きにどうこうされる吾輩ではないわ!」


 モルサルが狂気を滲ませた笑みを浮かべる。


「まさか……モルサルは自分に『死者の種』を……!」


 ログスから嫌悪感の籠もった声が漏れた。それは、肉体を強化するために自分からアンデッドになったことを意味している。

 つまり、事前に準備や調整を行えば、自我を保ったままアンデッドになれるということだ。


「勇者の仲間で実験したときは、生命力を発する謎のアイテムでエネルギーを供給していたが、同等の力を吾輩の強力な魔力で補えば、生きながらアンデッドの力を得ることなど、容易いわ!」


 モルサルが左腕を曲げ伸ばししながら己の技術を誇る。

 足元を見れば、真っ二つに切断された死体の上半身たちが適当な下半身を見つけては己の作り主の真似をして合体し、よろよろと立ち上がりつつあった。

 その有様を見て、ログスとメフルが絶句一歩手前のような呻きを上げた。


「メフル……どうすれば……」

「『王』の一角に申し上げるのも不敬ですが……薄気味悪いので今すぐ焼却処分したいところです。しかし異常に再生能力が高いので、どうしたものやら……」

「カイ、何とかなりませんか?」

「ふん、何度でも斬り刻んでやる……」


 ログスの言葉に再度剣を振り上げる。違和感の正体を確かめるべくスキルを発動させた。


「フレイム・ワールウインド!」

「わっひゃっひゃぐへぁ!」


 笑いながら、今度は右腕を斬り飛ばされるモルサル。しかしやっぱり再生されてしまう。


「フリージング・ワールウインド!」

「おぎょっ!」


 次いで、再生したての左腕をもう一度切り離す。左腕は鎌鼬に斬り裂かれ、モルサルの後方に飛んでいく。その様子を見て、違和感の正体に気づいた。


「……属性ダメージが乗ってない」

「属性?」


 聞き返すログスに、振り返らず頷く。


「ああ。今、魔術的ダメージが付加されるスキルを使ったんだけど、物理的な傷しか与えられないんだよね。多分、チートアイテムが足りないせいだ。【百人の賢者】っていうんだけど」

「つ……つまり?」

「今は、奴らを切り刻めても……完全な処理はできない」

「じゃあ、わたくしたちは……」


 ロクサーナの不安げな声が極太の角笛のように変換されて発せられる。

 際限なく再生するアンデッドを相手にするには、今ここにいる『緑の軍』では心許ない。完全に破壊したり、除霊したりする手間と隙を考えれば、少なくない損害が出るだろう。

 つまり……


「『緑の軍』のみんなに損害が出る可能性がある」


 背後でざわつきが起こった。

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