第8話  ゾンビ研究所とウィル・オー・ウィスプ

 しばらく階段を上り続けて、ようやくさっきと似たような階段ホールに出ることができた。


「さて、地下四階っと」

「四階⁉」


 ルグノーラの呟きに、思わず聞き返してしまう。


「ええ、地下四階よ。下りるの、結構苦労した」

「地下……四階……」


 思わず漏れた言葉に失望感が混じる。さっきみたいな危険が、あと四回も続くのか。

 ……ま、止まっていても埒があかないな。


 気を取り直して、部屋を見回してみる。

 広さ的には、さっきファイア・リザードと戦った部屋と地下五階の階段フロアを合わせたようなホールだ。扉が正面に三つ、左に二つ。奥側は普通の扉だが、手前はさっきの昇降機と似たような大きさの扉だ。天井には、今までと同じく光る石が嵌め込まれており、午後と思われる硬質な光を放っている。


「……この部屋には、あまり長居したくないな」


 左の大きな扉を見やりながら、独りごちた。

 ルグノーラも同じ考えだったようだ。奥の中央にある扉に向けて一直線に歩を進める。


「上に続く階段から、ほぼ一直線にこの扉を抜けてきたの。この階は実験用のモンスターや新型のアンデッドモンスターを研究している所らしいわ。こんな薄気味悪い所、あたしもさっさとおさらばしたい」


 彼女も眉間に皺を寄せながら、重厚なドアの取っ手に手を掛ける。

 今度はすんなりとドアが開いた。

 中を覗くと小部屋があり、奥には同じデザインの扉が。


「扉が四枚あって、奥の廊下からの侵入を防いでいるのよ」


 ルグノーラがそのまま奥の扉に手を掛け、警戒していない様子で開いていく。一度通った扉だから、罠はないのはわかっていたのだろう。

 開いた隙間から覗き込むと、彼女が言った通り、また同じデザインの扉が鎮座していた。

 念のため、【顕術けんじゅつ】でゴムの楔を創り出し、扉が完全に閉まらないように細工をしていく。こんな狭い部屋に閉じ込められたら大変だ。

 四枚の扉を抜けると、左右と正面に廊下が延びていた。幅は随分と広く、自動車が悠々とすれ違えるくらいはある。


「こっちよ」


 正面の廊下を早足で進むルグノーラ。

 突き当たりにはさっきと同じデザインの重そうな扉があり、端の方には人間サイズの廊下が脇に伸びていた。

 扉の前まで辿り着くと、ルグノーラはくるりと振り返り、笑顔を作った。


「ここからまた四枚の扉があって、その先はすぐに上への階段よ。このまま何もないといいけど」


 木漏れ日のように光る天井の下で見るルグノーラの笑顔は、いつになく魅力的に見えてドキリとさせられる。こんな場所じゃなければ舞い上がってしまいそうだ。


「い……いや。まず脱出できたのは君のおかげだよ。頼りにしてる」

「そんな……カイ様のためなら、例え地獄だろうとガファスだろうと、ってね」


 ルグノーラは笑顔を蕩けさせながら扉の取っ手に手を掛け、そして笑顔を一瞬にして消し去った。


「あれ? 来るときは鍵も罠もなかったのにな……そうトントン拍子には進まない、かしら?」


 扉は開かなかった。

 ルグノーラは罠の探知と解錠を試みる。が、今度は何やら時間が掛かっている。しばらく鍵穴や蝶番、扉の上下の隙間まで丁寧に探っていたルグノーラだったが、諦め顔で戻ってきた。


「どう?」

「難しいわ。技術的なものではなく、何か物理的な……つっかえ棒のようなもので扉が開かなくされているの」


 つっかえ棒、か。俺がログスを閉じ込めるときに使った手だな。盗賊の技云々と言うより、邪魔な物体を裏から取り除かないと開かない、っていうことなんだろう。


「じゃあ、【顕術】で小さい扉を創って潜り込むか?」

「それもやめたほうがいいわね」


 いままさにドアノブを創り出そうとした俺の掌を、ルグノーラがそっと握る。そして反対の拳で、びくともしない扉を軽く小突いた。


「扉が厚いから微かにしか響かないけど、この向こう側は液体が満たされているわ」

「液体……!」


 一年も冒険者をやっていれば、『液体』の恐ろしさは嫌でも身につく。

 大抵は水とかそういう穏やかなものじゃない。熱湯、油、酸……最悪なのはスライムだった場合だ。石以外の全てを溶かす、恐るべき原生生物。「ボク、いいスライム」的なものを想像していた俺にその恐ろしさを教えてくれたのは、他でもない、ルグノーラだった。


「参ったな」

「でも、こんな面倒な方法で扉を固めたとなると、先方だって直すのが面倒なはず。つまり、どこかに回り道があるはずってことよ」


 一度、大通りに出てきた場所まで戻る。さて、どう回り込めば閉じた四連扉の向こう側に辿り着けるだろうか。


 左はひたすら、大型モンスター用のケージが並んでいる。が、中は空だな。もしかして、俺たちが攻め込んだときに使い切ってしまったのだろうか。


 右はアンデッドの保管庫だ。小部屋それぞれに奇妙なアンデッドモンスターたちが収納されている。腐敗の程度別に冷凍されたゾンビ、腕を増やされたスケルトンなどなど。丈夫そうなガラス扉の奥で彼らは微動だにせず、ある者は立ち尽くし、ある者は座り込み、またある者は横臥していた。そして、扉はぴたりと閉じられているはずなのに微かに漂う腐臭。居るだけで気が滅入ってくる。


「研究用に保管しているのね」

「こっちは……ポイズン・ジャイアントのゾンビか。ただでさえ毒が厄介なのに、腐肉とか撒き散らされたら脅威だな」


 ガラス扉越しに暗緑色の巨体を見上げる。

 呼吸すらしていないそいつは、今にも目を醒まして襲いかかってきそうな筋肉を縮めて、窮屈そうに部屋に収まっていた。

 何か魔術的な施錠がされている保管庫のガラス扉は、ルグノーラでも解錠不可能だった。とは言え、できてもやらなかっただろうけど。

 突き当たりにあった両開きの扉が保管庫と同じ魔術的施錠であることを確かめると、ルグノーラは小さく溜息を吐いた。


「少し、休みたいわ」


 気づけば、天井の光が橙色を帯び始めている。

 外界では日が傾き始めたようだ。

 気丈に振る舞っているが、ルグノーラの疲労も蓄積しているようだ。無理もない。一撃即死の俺を無傷でダンジョンの最奥部から救い出すという、デリケートなミッションだ。気疲れは相当なものだろう。

 俺たちは回り道のことは一旦棚上げし、安全に休息できそうな場所を探すことにした。そして、さっきの塞がれた四連扉の脇に空室の保管庫をいくつか見つけることができた。こっちは魔法生物や植物モンスターを保管していたエリアだったようだ。

 鍵の難易度はさほど高くなかったようで、ルグノーラは早速空室の一つに滑り寄って鍵を開け、中の様子を窺っている。


「この小部屋で一晩泊まりましょう」


 室内にものが何一つないことを確認したルグノーラが振り返った。


「大丈夫なの? その、見張りとか」

「うん。床を見て」


 ルグノーラが廊下の床を指差す。

 そこには肉眼で確認できるほど、砂埃が積もっていた。しばらく誰も通らなかった証拠だ。


「これがあたしの足跡で、こっちがカイ様の足跡」

「つまり、長い間誰かがここに立ち寄った形跡はないってことだね」

「ええ。この区域は、しばらく放置されているか、結構前にうち捨てられている。理由はわからないけどね」

「なるほど。休息をとるにはうってつけだ」

「万一誰かが来ても、さっきと違ってガラス扉じゃないから、数瞬の時間が稼げるし」


 早速、小部屋に入り込んで【顕術】で内鍵を創り出し、万一に備える。

 内部はがらんとしていて、ものは何もない。そのお陰か、埃もほとんどなく過ごしやすそうな環境だ。


「足跡、消してくるから」


 ルグノーラはそう言い残すと部屋を出ていった。


「ふう……」


 頼もしい味方と、安全な休息場所が見つかったら、急に疲労感が込み上げてきた。

 喉も渇いてきた。

 こういう時は、甘くて酸っぱい……


「蜜柑が食べたい」


 この一年とちょっと、生態系に気遣ってこっちの柑橘で我慢してきたが、味を思い出してしまうと居ても立ってもいられない。早速、部屋の隅へと行き、蜜柑狩りを思い出す。手首より先に魔力を集中して……高さはこんな感じで、こうやってもいだはず……

 来た!

 石の床からやや華奢な木の幹が生え始める。あっという間に艶やかな葉と、それに負けじと輝く橙色の実をたわわにつけた枝が広がった。そして掌には食べ頃の蜜柑が。


「ぃやっほう!」


 控えめに歓声を上げると、さっそく皮を剥いてかぶりつく。

 ぱくん。

 パチン。


「はっ⁉」


 何かが弾ける音が耳を叩く。

 口中に甘酸っぱい果汁が広がる中、素早く室内を見回す。

 な……何も、いない?

 気配はない。

 空気も、そよとも動かない。

 気のせいか?


 釈然としないものを感じつつ、二口目を口に放り込む。

 ぱくん。

 パチン。


「はっ⁉」


 やっぱり何か聞こえた!

 木の方だ。

 目を凝らすが、特に何も……

 いや、一つだけ皮に焦げ目をつけている実がある。


 俺はその実が視野の端に見える場所に移動すると、注意深く三口目を口に含む。

 ぱくん。

 パチン。


「いるっ!」


 さっきの実に、何かの光がぶつかって消滅した。

 橙色の皮がじゅっという音を立てて僅かに湯気を発する。


「何だ? 何かいるのか?」


 空中に呼びかけるが、しんと静まり返っている。


「こ……怖がらなくていいぞ。出てこいよ」


 呼びかけている俺が一番怖がってるけどな。なぜか害意は感じない気がした。

 しばらくすると、空中にぽっと小さな光が灯った。それはふわりふわりと浮遊し、先程の蜜柑に向かって突進すると、ぱちんと音を立てて消滅した。そして再び虚空に現れる。


「何だ? 蜜柑が食べたい、のか?」


 俺の問いに、その光は喜ぶように円を描いて飛んだ。


「そうか。待ってろよ」


 俺は四分の一ほど焦げついた蜜柑と、その近くにあった実を取り、皮を剥いて床に置いてやる。


「ほらよ。剥いてやったけど、これで食べられるのか?」


 光はぴょこぴょこと跳ねると、床の蜜柑に突進した。中の薄皮は平気なのか? と心配する間もなく、光は果実を徐々に蒸発させながら自身もじゅるじゅると小さくなっていき、最後はぱちんと消えてしまった。


「大丈夫、だったのかな」


 独りごちていると、今度は空中に、一回り大きな光が姿を現した。そして「美味しい」とでも言うようにぽよぽよと踊っている。


「よ~しよしよし。いい子だいい子だ」


 敵の真っ只中にあって、その光のダンスは俺の心を少し和ませた。


「ウィル・オー・ウィスプ!」


 びくぅっ!

 背後で険のあるルグノーラの声を聞き、恐る恐る振り向く。俺はきっと、捨て犬を拾ってきた子どものような顔をしているにちがいない。


「あ……あのな。この光った奴が蜜柑を食べたいって言うからちょっとあげていたんだ……」

「その調子だと、どうやらそれに触れてはいないようね」


 険しい表情のまま安堵の溜息を漏らすルグノーラ。


「ウィル・オー・ウィスプに触れると電撃を受けるわよ……相当痛いと思うわ」


 それを聞くと同時に、反射的に逆四つん這いで光から距離を取る。チートアイテム【百人の賢者】のデータベースにあったはず。曰く、ウィル・オー・ウィスプに会ったら警戒せよ、と。


「……触ってないぞ」


 それを聞いて気分を害したのか、ウィル・オー・ウィスプはルグノーラの眼前を挑発的に飛び回ると、俺に縋ろうとする。慌てて顔を庇うと、光は俺の左腕に吸い込まれていった。

 電撃が……来なかった。


「カイ様、大丈夫?」

「あ、ああ」


 気遣わしげな声色で聞いてきたルグノーラに答えつつ、恐る恐る左腕を見ると、円形の痣が一つ増えている。六個目の痣には【召喚】と表示されていた。これは……新たな力を手に入れたか!


 一方、ルグノーラはほっとした顔で俺の左腕を両手で撫でさすっている。生身の一般人が受けると命に関わるダメージなのだろう。目尻には涙まで浮かんでいる。


「ああ、よかった……本当に。今日は安心して眠れそう」


 パーティーを組んでいたときよりルグノーラが色々心配してくれる。フォリックが死んで不安だった所にわざわざ助けに来てくれたルグノーラは、まさに地獄に仏だ。

 こんなに気遣ってくれると、何だかドキドキするな……

 俺が勝手に鼓動を速くしていると、彼女はおもむろに立ち上がり、後ろ手に扉の内鍵を掛けた。突剣の下がった剣帯を無造作に床に落とす。慣れた手つきでレザーアーマーのバックルを外していく。鎧が自重で床に落ちると、薄いキルティングのアーミングダブレットに包まれた彼女の肢体が露になった。恥ずかしそうにしてないから、異性と密室にいる自覚がないのかな……余程疲れているに違いない。

 早く休ませてあげないと。こっちとしても眼福……いや、目の毒だし。


「あ、ちょっと待って……衝立を創り出すから。ああ、壁の方がよかったかな? 部屋が狭いから圧迫感が出るかも知れないけど、できなくはないよ……」

「いいの、そんなの。くふふ……」


 口の端から笑いが漏れるルグノーラ……何だか様子がおかしい。目はらんらんと輝き、獲物を狙う肉食獣のような危うさを纏って、ゆっくりと歩み寄ってくる。もちろん、獲物は俺だ……あっ、口の端をペロリと舐めた!


「な、何を……」

「せっかくカイ様と二人っきりでお泊まり……今までは仲間の手前、遠慮していたけど、今宵いよいよチャンスが!」


 彼女には既に俺の言葉は届いていない。身体が無意識に危険を察知し、後ずさろうとする。が、踵が床の凹凸に引っ掛かって無様に尻餅をついてしまった。

 ルグノーラはそのまま俺の身体にのし掛かり、関節の周辺を絶妙に押さえ込んでくる。

 軽いはずのルグノーラの身体が押し返せない。

 控えめで柔らかそうな彼女の唇は半開きではかはかと呼吸し、瞳孔はハートになっている。端から見たら大興奮のシチュエーションだけど、いざ自分がやられると怖いっ!


「大丈夫よカイ様! あたし、痛くても我慢するから!」

「そうじゃなくて……」

「あんっ! いきなりそんな所を押さえさせないで!」

「いや、それ言うの、俺の方だよねっ⁉ ちょっ……そこはイヤ! らめぇぇぇ……アッ⁉」


 ゴツッ。


 首を振り立てて抵抗しているうち、勢い余って床に後頭部を強打してしまった。くぐもった音が後頭部から響き、鈍痛が意識を刈り取っていく。意識がブラックアウトする最後の瞬間、「パチン」という微かな音が聞こえたような気がした。

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