その20「気にしなくていいんだって、おもらしなんていつやってm——ひごふぁ!?」


「大丈夫か?」


「っ…………」


 保健室に着いた僕と地味はとりあえず適当な経緯を養護教諭に話し、学校に常備されているジャージを貸してもらうことで一件は落着した。


 僕も水道で腕を洗ったのだが、少々ほのかにほんの少しだけ……独特の匂いが残っている気がしなくもない。


 はぁ……ん?

 なんだその羨ましそうな顔は。


 ここで羨ましいとでも思った諸君はすぐさま精神科に受診することを勧めよう。世の中には女子高生のあれを聖水と崇め奉るような人間もいるが匂いも色々と好む様なものではない。


 とまあ、これ以上言うと地味が可哀想だからここまでにしておこう。


「気にしなくていいんだぞ?」


「……うぅ、そ、それは……わ、私だって……」


「……まあ、僕は何も、気にしてないけどな」


「…………う、うで……」


「うで? あ、あぁ……」


 すると、うつむきがちに僕の腕を指さした。

 座っているベットが少しだけ軋み、うぅと小さな呻き声が漏れる。


「……か、かか……て……」


「何もなぁ……地味は気にしなくていいんだぞ? 僕は自分がしたくて持ち上げたんだし……あ、でもそれじゃあまるで地味のおし……ん、ぁ、なんでもない」


「い、今……言いかけた」


「すまん、まじでいかがわしい理由があるとかそういうのじゃないからなっ」


「……ひ、ひどい……です」


「悪かったよ……」


 ひどく落ち込んでいるようだ。

 まあ、確かに、この年にもなっておもらしは——何とも言えない。もしも僕がしてしまったとなれば後日には学校内で号外が出され、世間の笑われ者、おもちゃとしてその青春を謳歌しなければならないだろう。


 言っちゃ悪いが彼女に友達が少なかったのが唯一の幸運だな。不幸中の幸いというのは難儀なものだ。


「それで……とりあえず午前の部は終わったし、お昼食べに行くか? 今なら校門近くの屋台もやってるけど……」


「…………ま、またおっかけ」


「あぁ、それなら大丈夫だぞ? 地味が少し寝てた時に伝えといたから」


「え、そ……そうな、んですか……?」


「まあね、先に言っとかない絶対心配するだろって。それに追いかけてきてたクラスメイトの女子たちも悪い奴じゃないし、居なくなったって困っちゃうだろ?」


「ま……まぁ、それは……」


「な、だから気にしなくていいぞ」


「……」


 すると、地味は悩んだように黙り込けた。

 まあ、人の前で漏らしてしまったという事実が精神的に辛い可能性もあるのかもしれない。ふぅ、と息を吐いて落ち込む彼女の肩を叩く。


「な……な、に……」


「まぁ、さ。だれにでも失敗はある。僕だって中学二年までは平均点以下の点数しかとったことないんだ。ずっとサッカーとアニメ一筋で生きてきたから勉強なんてそっちのけだった。まあ、とにかく友達もいなくて一人の時間が多くて辛かったからでもあるけどな」


「……」


「だからさ、気にしなくていいんだって」


「……きに、気にしちゃいますっ……」


「大丈夫だって、僕しか知らない」


「そ、それが嫌です……」


「僕が誰かに言いふらしそう?」


「っそ――そうじゃ、ない……です……っでも、でも……」


「でも?」


「す、す……好き……好きになった人に……み、見られちゃ……うぅ」


 ぽつり、すると嗚咽を洩らした地味から一滴の涙が零れた。

 うぅ……と呻く声。


 肩を数回ビクッと震わしながら、声を噛み締めるように洩らす地味。


 そんな彼女を見て、僕は優しく手を添える。


「そんなの大丈夫だって……僕は何とも思ってないよ」


「う、嘘……です」


「ほんとだって。嘘じゃないから」


「嘘ですっ! だ、だって……昔にもそんなこと、あ、ありました」


 強く言うと、我に返ったかのようにハッとして黙り込み、そっぽを向いた。


「……なんか、辛いことがあったのかもしれないし。僕も地味の事はまだ、良くは知らないけど……断言できることはあるぞ」


「……ん」


「僕は地味の言うそいつらじゃないぞ? 地味に対して何か嫌なことをした人じゃない。それとも……僕が言っていることが嘘に聞こえるか? 僕が昔の奴らに見えるのか?」


「……す、少しだけっ」


 



 ……いや、少しだけ見えるんかい!


 しかもめっちゃ悲しそうな顔で言いやがるし、余計にリアルだし……さすがに傷つく。


「……おい、ここまで続けていってきた僕の努力が消えるだろ」


「いや、でも……そういうわけじゃ、ないです……けど」


「けど?」


「す、少しだけ……」


「……それがちょっとリアルで余計に傷つく」


「うぅ……す、すみません」


「あぁ、いや別にそう言うことじゃなくてな……あぁ、もうなんかさっきから話がループしてるなぁ」


「……すみません」


「いや、良いんだって……というか、地味は謝りすぎ!! なんでも謝るな! 悪くないんだからとにかく謝るんじゃない!」


「だって、その……か、かけちゃって……」


「ああ、それは大丈夫だって……もう、だから気にするな」


「……」


 再び俯いた地味。


「……はぁ、だから! 気にしなくていいんだって、おもらしなんていつやってm————え、地味?」


「っ~~~~うぅ……ぅう」


「あ、あ————なんでも、ちょ、地味? なにその手、ちょ、え、拳をぷるぷるさせて、何やって——あぁ、地味待て待て、待てって——おいjm——ふごふぁ!?」



 そして、僕は殴られたのだった。

 おもらしという言葉の響きが平手打ちの音と共に途切れたのは……言うまでもなかろう。

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