「貰い受ける」

「お兄ちゃん、珍しく手間取ってんじゃん。どうしたの、調子悪い?」

「うるさいよ。少し調子が出ないだけだから」


 地面に着地した逢花は、皮肉のような笑みを浮かべながら弥幸を見る。適当にあしらいつつ、弥幸は妖傀から目を離さず警戒し続けていた。


「翔月……」

「待って」


 低い唸り声を上げ、苦しんでいる妖傀に思わず手を伸ばしてしまう星桜。だが、直ぐに逢花が肩を掴み止めた。


「忘れてそうだから再度言うね。妖傀は貴方を狙っているの。だから、お兄ちゃんから離れないで。私では貴方を守れないから」


 逢花は真摯に伝える。だが、彼女は納得できないと言ったように、悲しげに眉を下げながら翔月妖傀の方を見た。


「翔月……」

「大丈夫よ。お兄ちゃんなら助けることが出来る。ねっ!! お兄ちゃん!!」


 逢花は弥幸に笑顔を向け、星桜を安心させるように言い切った。その言葉に、弥幸は「努力はする」の一言で終わらせる。


 彼は鞘に戻していた刀を再度握り、引き抜く。体を横にし、右手を横へと垂らす。

 一見、無防備に見える姿だが、目だけは妖傀から離さずギラギラと輝いていた。


 つま先を妖傀へと向け、膝を折る。刹那、光の如く速さで妖傀の頭上を取った。


 頭上を取られた妖傀は上を向き、十本の腕を全て、空中で構えている弥幸へと向けて伸ばした。


 十本の腕の動きを見切り、体を捻ったり、刀で弾いたりと。全てを躱す。だが、数が多いため無傷は不可能。頬を少し掠ってしまい、血が流れ落ちる。

 一瞬、星桜が肩を震わせるが、傷を負った事など気にも留めず。弥幸は、重力に逆らわず徐々に妖傀との距離を詰めた。


 妖傀は近づいて来る弥幸を潰そうと手を伸ばし続け対抗。四方から迫ってくる手を、弥幸がすべて跳ね返す。負けまいと妖傀は歯を食いしばり、窪み闇が広がる両眼を落ちて来る彼に向け続けた。


 距離が近くなるにつれて、交わし続けるのは困難となる。距離が近くなればなるほど、反射だけではすべてを交わす事が出来なくなってきた。

 腕、足、頬と、徐々に手が弥幸の身体を斬りつける。それでもなお、弥幸は距離を縮め、わずか数センチ――……



『ぎゃぁぁぁぁあああああ!!!!!!』



 刀を頭の上に構え、弥幸は妖傀を袈裟斬り《けさぎり》にした。


 黒い霧が立ち登る中、弥幸は地面に着地し、振り返る。


 耳が痛くなるほどの声量で妖傀は叫び、夜空へと上がる黒い霧に手を伸ばす。まるでその動きは、自分が消えるのを恐れ、助けを求めているようにも見える。


「凄い……」


 星桜は、彼の戦いっぷりに見惚れていた。今も目を離すことが出来ず、汗を拭っている弥幸を見続けている。すると、目線に気づいてか。タイミングよく、星桜の方に顔を向け近づき始める。その後ろでは、今だ深い傷を治そうとしている妖傀の姿。だが、あまりに深すぎるため、治すのに時間がかかっていた。


「お兄ちゃん!? 早くしないと回復しちゃうよ!?」

「分かっている。翡翠ひすい、君が持っている精神の核、我に貸せ」


 弥幸は刀を鞘に戻し腰に差し、星桜に向けて言い放つ。狐面の目部分から覗き見える真紅の瞳に、星桜は一瞬狼狽える。だが、気を取り直し、拳を握り力強く頷いた。


 彼は彼女の反応を見て、懐から四本の釘を取り出した。そのうち二本は自身の左腕に刺し、残り二本は星桜の左胸に投げる。


 隣で見ていた逢花は、弥幸の言葉に目を開き、戸惑いながらも星桜を見た。


「精神の核って……。まさか星桜さん、持ってるの?」


 彼女の言葉に返答はない。


 釘を刺すと、二人の体が淡く光り出す。二人に刺さった釘は、一本の糸により繋がった。


「行くぞ」


 準備が整った弥幸は、一言、短い言葉を吐き、今もまだ再生に手間取っている妖傀へと向かい始める。左手をストレッチするように上下へと振り、妖傀の目の前に。地面に倒れ込み、蹲っていた妖傀は弥幸の気配に顔を上げる。

 体から抜け出る黒い霧を逃がさないように支えながら、自身を見下ろしてくる弥幸を見上げた。


『おえわぁぁぁぁぁぁぁぁああ!!!!!!!!!』


 怒りが溢れ、妖傀は最後の力を振り絞った様に体を起こしまだ動く四本んお腕を左右に広げた。


「あんたの本心、見せてもらうぞ」

『が、がががぁぁぁぁぁあああああああああ!!!!』


 両手が左右に広げられたことにより、胸元が開き隙が生まれる。弥幸はすかさず星桜と繋がっている左腕を妖傀の胸辺りに突き出した。


 妖傀の左胸に自身の左手を突き刺す。そこから今までとは比べ物にならない程のどす黒い霧が舞い上がり、妖傀は喉が切れるほどの声量で叫び散らした。


 少し距離があるにもかかわらず、星桜と逢花は妖傀の声に耳を塞ぎ苦痛で顔を歪ませる。

 脳にも響く程の悲痛の叫び、慣れていない星桜からしたら今すぐにでも逃げたいほどの声。

 そんな中、一番近くで聞いているはずの弥幸だけは顔色一つ変えずに、顔を俯かせ、手が抜けないようにさらに奥へと入れる。


 弥幸の腕が肘あたりまで妖傀の中に入ると叫び声は小さくなり、二人とも数秒後には動かなくなった。


「赤鬼君、翔月……」


 動かなくなった二人を心配そうに見て、星桜は祈るように手を組み目を閉じた。


「どうか、無事でありますように──」


 ☆


 瞳を閉じている弥幸が立っているのは、何も見えない暗闇の中。今は顔に付けていた狐面はなく、刀も握られていない。

 閉じられていた瞳がゆっくりと開かれ、真紅の瞳が露わになった。周りを見て、現状を把握している。


 弥幸の周りは真っ暗闇で、地面や壁、天井などあるのか分からない空間。彼だけが淡く光っており、右手を腰に当て表情一つ変えず見回している。すると、弥幸の前方に淡く光る人影を見つけることが出来た。


 人影は膝を抱え座っており、何かに脅えているように体を震わせていた。

 弥幸は姿を確認すると、そのままゆっくりと近づき始める。


『違うんだ。俺は、こんなことをしたかったわけじゃない。ただ、気付いて欲しかっただけなんだ……』


 震える声で「違う」と呟く人は、星桜の幼馴染である月宮翔月だった。

 弥幸は翔月の隣に片膝を付き、肩に手を置く。


 翔月は真っ黒な肌をしており、上げた顔は涙で汚れていた。

 悲しげに歪められた顔を浮かべ、思い悩んでいる様子。


 彼の様子を見た弥幸は目を合わせ、表情一つ変えずに語りかけた。


「気づいて欲しい。そう思うのは仕方の無いことだ。我もそう思っていた時がある。だが、人間である我らは、しっかりと言葉を口にしなければ通じない。伝えた結果、自分自身、欲しかった言葉じゃなくても。それは受け入れなければならない」


 弥幸は相手の心に寄り添うように語りかける。すると、翔月が懺悔のような言葉を口にした。


『でも、俺はもうあいつに伝える資格はない。俺はあいつを殺そうとした。心を、傷つけてしまった……』


 翔月は掠れた声で言うと、また膝に顔を埋めてしまう。


「君はまだ後悔している。なら、大丈夫だよ。やり直せる」

『無理だ。俺にはあいつと話す資格もない。隣になんて居られないんだ』

「なぜ、そうやって逃げようとする。なぜ、ぶつかろうとしない」


 弥幸の抑揚のない言葉に、翔月は髪と腕の隙間から赤く染る瞳を覗かせ、彼を見上げた。だが直ぐ、逃げるように顔を隠してしまう。


『……怖いからだ。今以上に嫌われてしまうのが……。とてもじゃないが、怖すぎるんだ。だから、逃げたい。このまま、消えてしまいたい』


 か細い翔月の言葉に、弥幸は諦めず優しく語りかけ続けた。


「逃げてもいい。それはまだ君に感情があるということだ。だが、君自身が消えてしまうのを、我は許すわけにいかない」


 芯のある弥幸の声が、この闇の空間に響く。


『逃げるのは良くて、なぜ消えるのはダメなんだ。普通なら逃げるのも止めるだろ』

「我も逃げたことがあるから人のことを言えないだけだ。でも、これだけは言える。最後まで逃げ続けるなんて不可能。どんなに上手く逃げても、逃げても──それは時間を先延ばしにしているだけ。最後に待っているのは二つの選択肢。一つは、意を決して向き合いぶつかること。もう一つは、消えてなくなってしまうこと」


 口調に変動はなく、表情も変わらない。だが、彼が纏っている空気がかすかに揺らぐ。

 何かを思い出し、後悔しているような雰囲気に、翔月は顔をゆっくりと上げた。


「消えてしまうということは、もう向き合うことも、ぶつかり合うことも、話すこと、一緒に笑い合うことも。何もかも出来なくなる。君は、それでいいの? 何も言わずに、伝えずに。そのまま終わらせてしまってもいいの?」


 目を逸らさず、真摯に聞く弥幸の姿勢に、翔月は息を飲む。

 真紅の瞳の奥には、メラメラと燃え上がる炎が宿り、翔月の冷たくなった心を熱くする。


 一瞬、顔を俯かせ黙ってしまった翔月だが、直ぐに顔を上げ弥幸と目を合わせた。


『────嫌だ。俺はまだ、終わらせたくない。まだ、伝えられてない』

「君は、伝えたいの?」


 弥幸の言葉に、翔月は力強く頷いた。それを見て、無表情だった弥幸の口元に、優しい笑みを浮かばれる。一言、「わかった」と口にし、その場から立ち上がった。


 そして──……


「ソナタの恨み、我、ナナシが貰い受ける──」


 彼の言葉と共に闇が広がる空間に、癒しを届けるような、優しい鈴の音が鳴り響く。

 音と共に周りの闇に蜘蛛の巣のようなヒビが入り、崩れ落ちる。外から注がれる白い光が、中を照らし始めた。


 翔月は光り輝く空間に耐えられず目を閉じてしまい、そのまま────姿を消した。

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