K田さん

 くそっ! 僕が就いたのはこんな仕事じゃない! 仕事じゃないんだっ!


 ……と、四つん這いで床ドンしてからの辞表提出ムーブをしてみたい所だが、生憎とそこまで僕の心はフットワークが軽くない。

 怠け癖と言う名の脂肪の付いた僕の心は割と人生観を変えそうな事件にも特に動くことなく、いつも通りだった。

 だから特に気にすることなく、無人販売店コンビニで買って来た昼食をむぐむぐと口に入れて昼食を済ませた。

 贔屓のコンビニチェーンの、贔屓する理由。クレープ生地で包んだ生クリームとチョコのデザートの甘さを味わいながら、ミルクだけを入れたコーヒーを啜る。

 ブラック飲めない民である僕だが、チョコ系のデザートには砂糖の無いコーヒーが良く合うと思って居る。甘味と苦みは相性がいい。

 ここ数日で出来上がった食後のルーチン。自販機前で昼食後のコーヒータイムと洒落込む僕の下に、同じようにルーチンを築いたのであろうK田さんがやって来た。


「何かトラブルがあったんですか?」


 その第一声に僕は、あー、となる。

 E藤さんのことだろう。突入から始まっての捨て台詞絶叫は騒がしかった。同じ建物にいるK田さんに聞こえて居てもおかしくはない。


 ――うるさかったですか?


 すみません、と半笑いで僕。


「いえ、今日はログインされてなかったみたいなので……」


 ゲーム画面を見せながらK田さん。

 あぁ、成程。フレンド登録した僕に動きが無かったからか。だが今日は朝から色々あったのだ。忙しかったのだ。E藤さんに関してもだが、それよりも前に――


 ――息子さんとお話をさせて頂いて居たので、朝にログインできなかったんですよ


 冗談めかして、そんな言葉。

 少しK田さんの表情が硬くなった。そう来たか。そんな表情だ。


「……止めるのは、仕事ですか?」

 ――仕事ではないですし、止める気も無いですよ


 まさか、と応じる僕とK田さんが見つめ合う。三秒。それでK田さんは溜息を吐き出して自販機に向き直った。砂糖を入れてミルクは無し。何時ものコーヒーを片手に僕の横へと腰を下ろした。


「……どう、思いますか?」

 ――職員の立場からは何も言えませんし、子供の立場でも、正直……


 何とも言えません、と僕。

 僕と両親は仲が悪いわけではない。だが仲が良いわけでもない。無関心。それだ。一応、育つ為のリソースを割いてくれたことへの感謝の気持ちはあるが、それ以上の感情を僕は彼等に対して持ち合わせていない。

 だから僕は両親が自殺屋の利用を決めても、表面上で惜しみ、両親が望む『子供らしさ』で止めて見せつつ、内心では『好きにすれば良い』としか思えないだろう。

 その程度の――いや、そう言う親子関係だ。

 だがK田さんは……K田さんのお宅は違う。

 僕には息子さんの様な熱量を持って親の自殺を止められない様に、息子さんも僕の様にフリ程度で留める“止める”で抑えきれない。

 そういうことだ。


「……私は、酷い親なのでしょうか?」

 ――息子さんが成人したのなら法的に言えば親の義務は果たしてますよ


 微妙にズレた回答を、わざと投げ返す。

 言葉のキャッチボールならぬドッヂボール。それでも“誰か”に聞いて欲しいと言う思いから零れたK田さんの独白は続く。

 これを聞くのが、恐らくは自殺屋が人間である理由だ。

 何とは無しにソレを察した僕は軽く息を吸った。呼吸音。一度。響く。冷たいリノリウムの床に落ちたソレが僕がこの場に居ることを、そして僕が言葉を発する気が無いことを、K田さんに告げる。


「嫌われているとは、まぁ、思っていませんでした」


 でも、とK田さん。


「まさかこんな風に駆け込んで来る程だとも……思っていませんでした」


■□■□■


 三十年近く前のことだ。

 岸田は社会に出て、働き出した。

 既に彼が大学を卒業する頃には人類を越えながら、人類の奉仕種族となった人工知能は労働を肩代わりしており、豊かさを望まない最低限の、“生きる”だけの生活を行うならば人が働く必要は無くなっていた。

 それでも、まだ“人は働かないと”と言う空気が社会には満ちており、ベーシックインカムだけに頼った生活を選んだモノは負け犬と表立って嘲笑される時代だった。

 岸田もそんな時代に生きる若者らしく、そう言う生き方を選んだ同級生を羨んで見せつつ、内心では小馬鹿にして嗤っていた。

 そんな時代の“当たり前”。平均的な一般人として岸田は働きだした。そこに大した考えは無い。やりたい仕事が有った訳でも、クオリティの高い生活が送りたかった訳でも無く、周囲に合わせる様に、そして世間体の為に働き出した。

 そんな動機だ。その程度の動機だ。

 だから始めの一ヵ月で既に岸田が掻き集めたなけなしの労働意欲は底を尽いてしまった。

 時代が悪かった。そう言う言い方も出来る。

 働かざる者食うべからず。そんな生きる為に金が必要な時代、逃げることが出来ない時代であれば、そのまま働き続けるしか無かっただろうが、既に人類に労働力としての価値は無くなっていた。

 一部の専門知識と専門技術を持った者と、一部の目標を持った者、そう言ったある意味で“選ばれた者”以外は働く意味も無ければ、必要もない。そう言う時代だった。

 薄っすらと岸田も察していた。

 自分がやっているのは“やる必要のない仕事”だ、と。そんな風に思えてしまう仕事が面白い訳もなく、達成感が得られるはずも無い。

 だから岸田は半年で仕事を止めて、かつて自分が嘲笑った同級生と同じ様に、支給されたアパートで、支給された食事を消化する仕事に就いた。

 半年と言う短い期間とは言え、その間の収入の殆どを貯蓄に回していたと言うことと、金のかかる趣味を以っていなかったこともあり、岸田は転職後もそれなり程度には楽しい生活を送ることが出来た。

 ベーシックインカムに生活の土台を任せ、貯蓄は趣味に回す。

 人生と言うモノをだらだらと溶かすこの行為でおかしくなるモノも居るらしいが、岸田にはこの怠惰な生活は理想だった。

 食うには困らないし、趣味に回す金が無くなればバイトをすればいい。機械は人間の為に働いてくれるが、人間の為に働く場所を空けてもくれる。

 ある時、ふと岸田はキャンプを始めてみようと思った。

 万年床でゴロゴロしていた時、不意にアホな考え『俺以外の人類が全員滅んだらどうなるのだろう?』と言うのが浮かんだからだ。

 電気は止まる。ガスも、水道も止まる。――つまり、キャンプでは?

 そんな何処に出しても恥ずかしいアホな結論にひとしきり笑った後、岸田はバイトの求人サイトを巡りだした。

 そうしてバイトを始めた。

 そうしてキャンプ用品を揃え、キャンプ場の水道で米を研ぎ、買った薪で焚火をすると言う管理されたキャンプを楽しみつつ『俺以外の人類が全員滅んだら俺も死ぬな』と言う結論に達し、そのことをバイト先の同僚におもしろおかしく話して見た。

 岸田の馬鹿話に彼女は笑ってくれた。

 そうして何時の間にか恋に落ちて、付き合うことになって、気が付いたら左手の薬指に輝く指輪が嵌っていて、その手で妻のお腹に触れて「あ、今動いた!」と言うテンプレの行動を取って、気が付いたら一児の父親となっていた。

 だから実に五年ぶりにバイトではなく、働くことにした。

 最低限を保障するベーシックインカムだけではどうしても子供に対するリソースは不足する。既にこの頃、育児には免許が必要となっており、子供は贅沢品だった。

 施設が整い、人間を造りだしていたのも大きな要因だろう。子孫を残すと言うこと自体、既に個人がやる必要はなくなっており、人口調整を兼ねて国の管理下だった。

 精子バンクか卵子バンクに登録しておけば、自分の血を引いた子孫は生まれて来て、国と言うシステムが育ててくれる。そう言う時代だ。

 狂っている。そう言う声が一番大きかったのもこの頃だ。確かに人類はどこか間違った方向に向かっている様な気が、岸田にもしていた。

 だが、岸田にはやることが有った。それは育児免許を取る際に渡される教本。その一番最初のページに書かれていた文言だった。


 ――『親』としてこの子を幸せにしなければいけない。


 それは岸田にしか出来ないことだった。

 だから岸田は働いた。相も変わらず、やりがい何てものはない。求めても居ない。金だ。それが欲しいから、必要だから働いた。

 そんな意識だから、やっぱり仕事は辛かった。

 残業、パワハラ、ブラック企業。そう言う言葉は既に無くなったのだから楽なモノだと親の世代は言う。

 それでも辛いモノは辛いし、嫌なモノは嫌だ。

 子供なんてつくるんじゃなかった。そう思う日々だった。

 だが。ある夜、疲れた身体でベビーベッドを覗き込み、眠る我が子の頬を突いた時だ。その指が、岸田の人差し指が――小さな手に掴まれた。

 多分、その時だ。岸田はこの小さな手の持ち主が自分の子供だと自覚した。だから岸田は少しだけ、ほんの少しだけ変わってしまった。

 仕事は辛い。相も変わらず辛い。止めたい。

 でもソレを口に出すのを止めた。二度と『子供なんて――』と思わない様にした。

 それだけだ。

 そうして岸田は働き続けた。

 家族の為に。そんな言い方も出来るが、そうではない。そう言う言い方は止めたのだ。だから岸田は自分の為に働いた。指を握る小さな手が大きくなっていった。つかまり立ちの練習の時、咄嗟にズボンの裾を掴んだ我が子に、妻と一緒に笑い合った。

 そう言う時間の為に働いていた。

 そんなある日、妻が死んだ。

 病気だった。

 岸田のキャンプの話に笑ってくれていた彼女は、岸田に宝をくれた彼女は、不意に岸田の前から居なくなってしまった。

 その時、目の前が真っ暗になった様な気がした。

 現実に追い付かない心では泣くことも出来ず、それでも反射の様に葬儀を行った。

 空っぽになった。伽藍洞になった。

 それでも。

 それでも岸田は見てしまった。

 気が付けば自分と肩を並べる様になった息子。指を握っていた小さな手はすっかり大きくなっていた。その手を見た。

 葬儀の時。棺の前に立った時。手が。その手が。一度、縋る様にこちらに伸ばされ、それでも耐える様に固く握られたのを、見た。

 だから岸田はその手を取って握り締めた。

 息子は驚いた様に顔を上げた後、それでも直ぐに岸田の肩に額を押し付ける様にして身体を震わせた。

 岸田は空っぽだ。岸田は伽藍洞だ。すっかり孔が開いてしまったが、それでも岸田は父親だったから後を追うことは出来なかった。

 だけどそれから五年。

 どうにか生きて、息子が成人になった日。

 空いた孔を塞ぐ為に自殺屋のドアを潜ったのだ。


■□■□■


 K田さんの独白の余韻が、チャイムに掻き消された。

 十一時五十分。午後の業務開始十分前だ。そろそろ席に戻らなければならない。

 だが僕はそのまま俯くK田さんの隣に座り続けた。

 何と言うか、まぁ、自殺屋の批判される部分を見てしまった。

 自殺と言う選択肢が身近になり過ぎた弊害なのだろう。入所の際に記入する書類の理由欄における⑧。『大切な人などを喪った為』。

 俗に言う後追い自殺は良くある“おわり”方だった。

 そう言った喪失を埋めるのは時間なのだと僕は昔飼っていた犬から学んでいた。

 赤ん坊のころから傍にいた半身。未だに僕の人生の半分以上の時間を共有している彼が死んだ時、僕は泣いた。泣いて、泣いて、泣き止んでも不意に悲しさが押し寄せる日々を送っていた。

 その時、僕が十八を超えていたのならば、僕は恐らく自殺屋を使っただろう。

 幸か不幸か僕はその時、自殺屋を使える年齢では無かったので、今こうしている。

 そう。

 時間が喪失を埋めたのだ。

 そうなってしまえば人間何て少し賢い程度の動物なので、その根底に刻まれた本能が働き出す。基本的に動物なんてモノは生きたがりなのだ。

 だが五年と言う年月でもK田さんの喪失は埋まらなかった。

 孔が大きすぎたのか、そもそも埋めようとしない、或いは埋めることを許さなかったのか、、、、、、、、……その辺りは、そこまで大切なモノを持てない僕には分からない。分からないが――


 ――K田さんは、とても良いお父さんだと思いますよ


 だって。


 ――息子さんの孔を埋めたのは間違いなく貴方です


 二十引く、十八は、二。

 既に選ばずに二年が経っている。息子さんがそれだけの時間を生きた理由の一つは間違いなくK田さんの存在だ。

 だって良くある理由なのだから。後追い自殺は。


「……私は、死なない方が良いんでしょうか?」

 ――僕からは何とも


 自殺屋は手を差し伸べない。

 自殺屋は背中を押さない。

 だから。


 ――息子さんと、話をしてみましょうよ


 そう。話をするべきなのだ。

 死にたいと思っている父親と、そんな父に死んでほしくないと思っている息子は、もう、本気で、本気の本気で感情をぶつけ合って、鼻水とか垂らしながら剥き出しで話をした方が良いのだ。


「ですが、もう、私には時間が――」


 最後の晩餐。

 それは既に終わっている。K田さんが終わる予定であるA直後半の業務はもう直ぐ始まってしまう。もう面談の時間は取れない。

 だから僕はソレに注釈を付けることにした。『面談の時間は取れない』ではなく『本来なら面談の時間は取れない』とすることにした。

 目を閉じる。やることを確認する。必要なことを確認する。深呼吸をして――良し!


 ――あれ? メール行ってませんか?


 あれれ? おかしいぞぉー? と、僕。


「え?」

 ――いや、K田さん。僕に書類の閲覧を許してくれたじゃないですか。僕、それを見てしっかりと仕事を覚えようとしたんですが……実はうっかりミスで処理をするのを忘れた結果、受付がB直になっちゃったんですよ


 だからごめんなさい。

 K田さんの“おわり”は実はB直なのです。と、頭を下げながら僕。


「――、」


 ぽかん、とあっけに取られたようにK田さん。


 ――本当にすいません。でも、だから……って言うのも変ですが、未だ息子さんと話す時間はありますよ


 言うだけ言って、立ち上がり、昼食のゴミと紙コップを纏めてゴミ箱に。

 やらかした新人である僕は苦情が飛んでくる前に立ち去ることにしたのであった。


■□■□■


 五分前行動が社会人の基本だ。

 そんな訳で始業五分前に席に戻った僕を出迎えたのは宇津木先輩の太い腕だった。


「初めて任せた書類だから仕方がないが……ミスが多いぞ、後輩?」


 何やら時計を確認しつつ、「俺が書き直しといてやった」と先輩。

 なんだろう? と受け取ってみればK田さんの書類だった。

 受付はB直で、面談の種別はA。『職員の立ち合い無しで場所も自由。時間制限も無し』の面談が可。つまりB直後半業務が始まるまでの間、K田さん親子には話し合って貰うことが出来る様になっていた。色々と言いたいことはある。あるのだが……


 ――コレ、所長の印鑑とかどうしたんですか?

「百均で買った」

 ――そうではないのですが!?


 僕が聞きたいのは!


「お前も買っといた方が良いぞ? あ、俺の奴も用意しとけよ?」

 ――最悪だ! この先輩、最悪だ!

「まぁ、ミスは多いが、覚えは良さそうじゃないか、後輩? 午前中に教えたことをもう実践出来てる。えらいぞー。そう、これが機械には出来ない人間ならではの――」


 グレーゾーンだ、とにやにや笑いながら先輩。

 それを見て、僕は大きく溜息を吐いた。社会人生活一週間経たずに既に外道に手を染めてしまった。アタイ、汚れちゃった。その事実に僕は力なく――


 ――グレーゾーンですね


 と苦笑い気味に返して見せる。

 この日、僕は初めて自殺屋が機械ではなく、人間である意味が分かった様な気がした。

 それだけだ。

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