第34話 翼


契約書のコピーをクリアファイルに入れ、リュックサックにしまう。


「今更聞くけど…あなた、今日平日なのに学校大丈夫なのかい?まさかサボりってわけじゃあ…」


リュックサックを手に持って、ソファから立ち上がろうとしたとき、須賀教授がニヤったとした顔で話しかけてきた。いたずら心丸出しなのが見て分かるし、オレをからかおうとしているのだろう。


「須賀教授……サボりの語源は、フランス語のサボタージュを動詞化したもので破壊活動という意味です。日本人が誤訳したせいで「だらける」や「怠ける」などの間違った使い方になっていますので、気を付けてください」


「ふぇっ、そうだったのー。次からは気を付けるよ。間違った常識は怖いねー」


「間違った常識は、時に人生を脅かす反乱分子になりえますからね。恐ろしいものです」


不当な理由で学校を欠席したことは、あまり知られたくないため適当に受け流す。


「知らねぇで使ってたのかよ。立場上、常識を疑うことは俺らの常識だろ。頭でっかちが」


トンッ、と沖谷教授が彼女の頭頂部に軽いチョップをかます。


「頭でっかちは言い過ぎじゃない? ほんっと、デリカシーの無さは一級品なんだからなー。このおっさん」


二人の間に割って入るのは少々気が滅入るが、口喧嘩を聞いている暇があるのなら、少しでもお互いの関係性を向上させる方が有意義だ。 


恐らく沖谷教授もそう思っているはず。だからといって人の心を無視して、自分の都合のいい形で物事を進められるほど、やわではないことは承知している。


「二人に聞きたいことがあります。今後にかかわる大変重要なことです」


オレは再びソファに座り直した。


「うん?重要な話って何かな」


「二人が持っている情報の提供を…」


提案を言いかける前に、オレより10センチほど背が高い沖谷教授の右腕が、オレの左肩にもたれかかるようにして乗せられる。


「よっこらせっと。ちょうどいい高さだな。その話をする前に、真理子…お前ってホント鈍感だな。完全に流されてやがんの」


煙を吐き捨てて、須賀教授に呆れた顔を向ける。


先ほどから思っていたが、この人は未成年がいる中で思い切りたばこを吸っている。まぁ、数分ごとにタバコを取り換えるほどのヘビースモーカーである沖谷教授に、「今吸うのはやめてください」と注意しても無駄だろう。


ましてや、この人の性格からは絶対にオレの言うことを聞かないはずだ。


「はぁ、何に? 別に流されていなくない? 何を言っているのかさっぱりわからないね」


「陸人のやつにサボりかどうかを聞いて、上手くスルーされている上に俺の注意を誘って『問題』と『答え』の話の続きを照らしあわされたんだよ。だよな?」


そう言ってオレに視線を移し、問いかける。


「オレは何もしていませんよ」


「真実かどうかを確かめる術を確実に無くす戦法か。サボりを隠す理由はともあれ、そのやり方は相当身に染みているな。解なしと極限の二つの『答え』。今俺が考えうる、最大の答えをすでに持っていたのだから、当然ちゃあ当然か。お互いに協力し合う関係ではあるが、互いに干渉し合わないという規約には建前上従う」


「……」


ただ彼の言い分に傾聴する。


「だがしかし、水面下では俺らの素性を探り…いや、もう知られているのかもしんねぇな。不用意なまま、俺らに接近する危険を冒すのは賢くねぇ。見えないところで、当事者の存在を知られずに支配することが目的だろ?」


こんな短時間でそこまでの考えに至るとはな。SSF、特に『別隊』に属する奴らを良く調べているからか…?


「お前さんは俺らに、指定範囲内での岡本研究所のサポート。俺らは周囲の身の安全の保障、契約金の譲渡、SSFが抱える『問題』に対する『答え』を最も確実な方法で見つけ出すサポートをしてもらうこと。お互いに利益ある行動が、協力関係を強くする最もな方法だ。見かけ上、俺らのほうが圧倒的有利に見えるだろ? だがお前さんは、この話に乗っかってきやがった。俺らにはお前のやり方は、まだまだ謎にしか見えないが、今んところそんなだろ」


口に咥えたタバコをポケット灰皿に捨て、また新しいタバコに変える。


「まじで言ってんの、原ちゃん。にわかに信じがたいんだけど」


半信半疑に沖谷教授とオレの顔を交互に見る。


「人の心を読むことは昔から得意っちゃあ得意だからな。犯罪心理学も一応教えている身だしよ。まぁ…これから陸人のやつが、どう答えるかはよくわかんねぇけど多少は合っているはずだ」


自分のことを冷静に分析された結果に対して、どう返答すべきか。もちろん噓は言えない。なら、


「ただ学校を休んだことを教育者であるあなたたちに知られたくなかっただけですよ。高校側に連絡されたりすると厄介ですから」


真実を多少ぼかした返答をする。これがオレの常とう手段だ。


「ほらぁ~原ちゃん。やっぱ見当違いだったんだって。ひやひやさせないでくれよー」


「…ちっ、相当なくせもんだな、お前。契約後にちょこっとだけ本性見せやがって」


「いえ。オレは恥ずかしいことに噓をつくことができません。これが本性ですよ。さっき沖谷教授の言っていたことはよく分からなかったですし、人の気持ちによく鈍感と言われるので、そんな器用に考えることはできないです」


「私は陸人くんの言うことが正しいと思うなー。原ちゃんは考えすぎだって。ぷふっ、進んで自滅してやがんの~」


オレのところへ近くに寄ってきた須賀教授が、後ろから腕を回してきて、軽くバックハグされるような態勢になる。お互いに気にしてはいないが、それを見た沖谷教授は、半ばあきれ顔をしている。


「真理子っ!おめぇってやつは少しは警戒しろよな…今日会ったばかりのやつに馴れ馴れしい態度見せてれば、そのうち痛い目見るぞ」


「はいはい。気を付けますよー。で、腹の探り合いはいったん止めて、陸人くんの話を聞こうじゃないか」


ようやく話を聞いてもらえそうなので、二人をソファに座り直すよう促して、対面する形で話し合う。同じソファに座る沖谷教授と須賀教授の距離は、だいぶ離れている。


「高等教育高の数学担当教員、平野ツバサ先生の情報を教えていただきたいのです」


本題とはこのことだ。この先の計画に支障をきたす可能性がやや高く、要注意人物である平野先生を潰さなければならない。そのためにも彼らに協力を申し込む必要があった。


「さっきも言ったように、俺らは岡本研究所のサポートのみだろ。関係ねぇ話は…」


沖谷教授がそう拒否しても、強行的にいかせてもらう。


「いえ、深く関係しますよ。実際にオレは平野先生に弱みを握られています。こちらが置かれている立場や行動を知られている可能性も高いです。反対にオレらは彼女のことをよく知りません。不可解な存在である彼女を無視して、岡本研究所の存亡も危うくなる恐れもあるのですから、十分協力に値することです」


「…なるほどな。間接的に関わってくる可能性ありと。この契約内容だと、やっぱお前さんたちの方がメリット大きいんじゃ…」


「もう契約したんだから、つべこべ言うんじゃないよ。女々しいなー」


真剣なムードの中、一人ニヤニヤした顔を浮かべる須賀教授。


「あぁ?だけどよ…」


「じゃあ!このことは私から話さないといけないね」


腑に落ちないままでいる沖谷教授を無視して、須賀教授は真面目な顔つきになる。


「よろしくお願いします」


平野先生との付き合いが一番長かった、須賀教授の過去の話を注意深く聞いていく。


「どっから話せばいいかな…うちとツバサは従妹でね、小さい頃は家族同士の付き合いで、よく一緒に遊んだりしていたんだ。年の差は10あったかは覚えてないけど、お互い将来の夢は学校の先生になることだ、って話し合ったり、家もそんな遠くなくて、二人で一緒に頑張って勉強してたなー。


本当に懐かしいよ。いつも私の後を付いてきてくれるツバサは本当に可愛くて、うちが進学した高校や大学にも受かって、どこまでも後をついてきてくれた。私はそんなツバサをいつも甘やかしてばっかりだったよ。そんなこんなあって、あの子が大学三年生の時……」


須賀教授の表情が曇り、彼女の話が急に止まる。


恐らくここから先の話が、須賀教授と平野先生の関係が崩れた、きっかけに触れる話だろう。


沖谷教授のほうを見てみると、彼女の心情を察しているのか、はたまた寝ているのか分からないが、ただ目を閉じて無言でいる。…恐らく寝ているだろうな。


このままではらちが明かないため、須賀教授の話を続行させるためのきっかけを与える。


「助教に就任したての須賀教授と、教員採用試験の勉強の真っただ中…平野先生と何かもめ事があったと。同じ大学ということもあって、二人の距離が近くなる機会が増えたはず。なら……」


「ははっ、調べがついているかー。そうだよ」


協力関係であっても警戒は怠るな。常に相手を疑う大切さを持て。そんなことを示唆するような発言で刺激を与える。


表情こそ晴れていないが、どうやら話す気力は戻ったようだ。


「……仲が良かったうちらの関係がこじれてしまったんだ。ツバサは大学に行かせることに反対だった親御さんの反対を押しのけて、学費や生活費も自分で払わなければならなかった苦学生でさ。下宿先としてうちのアパートに住ませることにしたんだよ。そのことが大学内で広まったらしくて、助教と同居する学生はズルいとか言われててさ。


バイトやサークルを掛け持ちしながらも、当時成績も優秀だったツバサをねたむ周囲の声は多くてね。そのことを聞いたあの子はすごく辛かったに違いない。うちも助教になりたての頃だったからね……この際あんまり言い訳したくないんだけど、研究とか忙しくて、ろくにあの子のことを見ることができなかったんだよ。


その結果、悪口を言われたり、いじめにもあっていたツバサを助けることができなかった私には、今でも強い後悔が残っている。いつも一番近い距離にいたのに…同じ家族なのに、なんで助けてやれなかったんだろうってね。


そして徐々に心を病んでいったツバサはついに『やってしまった』……はぁ、なんでこんなことになったんだろうね」


須賀教授は、同じ夢を追いかけるほど仲が良かった平野先生を本当に好きだったんだな。助教の家に学生を住まわせること自体、何の問題もないが、当時の須賀教授は、平野先生に良くない噂などが立つことに気づいていながらも、平野先生の支えになろうとした。親の反対を押し切ってまで、同じ大学に進学してくれた平野先生を見過ごすことはできなかった。


きっと自分なら平野先生を助けることができる。彼女の気持ちに寄りそうことができると、長年の付き合いで生まれた、そんな自信にすがっていたのだろう。


須賀教授の話で、平野先生の人格やその頃の二人の心情は理解できた。また、今の平野先生にどうつながっているのかも、何となく想像できる。


しかし大事なのはこの後だ。


「これは私個人の情報だから、深くは言えないけど、その頃には私は『協力者』の一員だったんだよ。契約金と助教の収入で生活は安定してきて、ツバサのためにも大学からちょっと離れた場所にあるマンションに引っ越そうかも考えていてね。ちょうどその頃に、あの子は気づいてしまったんだよ。私が『協力者』だっていうことを…」


「待ってください。最初から平野先生は『協力者』の存在を知っていたんですか?」


「気づいてしまった」という須賀教授の言葉から、自分から平野先生に『協力者』だということは伝えていない。仮に平野先生が須賀教授とSSFの監視役の人が話しているところを目撃したとしても、国家機密に触れた話をしているなど普通は考えないだろう。


ましてや国家機密に触れる書類は、本部で厳重に保管しているし、それを閲覧することはまずできない。


今の話を聞いた限りだと、最初から平野先生は『協力者』の存在を知っていた。その可能性もあるということ。だが、その可能性があること自体イレギュラーな問題だ。


「いや、違うんだ。まだ続きがあるから聞いてほしい。あの子は私が『協力者』と気づく前から、うちの通帳を使ってお金を抜き取っていたのさ。バレない程度に一回二千円とか、そのぐらいにね。心が病んでいった結果の行動…いや、自分に気づいてほしいという、私の助けを求めた行動だったのかもしれない。利用明細には、ちゃんと記入してあるからバレバレだったんだけど…私は止めることができなかった。もちろん彼女のその行いが、犯罪だということは百も承知さ。


ある日、ツバサが私の通帳を持ってお金を下ろしているところを、うちの監視役が気づいてしまったのさ。私のいないところで、自分名義の通帳からお金が下ろされているところを目の当たりにした監視役は、ツバサの存在を疑い、彼女は『協力者』に深く関与する者として、SSFの上層部に報告された。『協力者』として生きるか、死ぬか。の二択を選ばされることになった彼女は、こうして今に至るってわけさ」


「そういう経緯があったんですね…知りませんでした」


「小さなことで、自分の人生が縛られることになってしまったあの子は、一体何を思ったんだろうね。そればっかりはツバサ本人しか知りえないことだけど、今でもふと、あの子の気持ちを考えてしまうよ」


指を交差させ、自分の目頭に当てて物思いにふける須賀教授。しばらくたってから再びオレの目を見て、口を開き、話を続ける。


「『協力者』の契約金をもらうことになったツバサは、うちから離れて行ったっきり会ってないけど、今でもツバサは自分のしてきた行いを悔んだり、周囲の人間に対して、警戒心が強いところは変わっていないと思うんだ。


他人からは容姿も成績も良くて、順風満帆じゅんぷうまんぱんな人生を送ってきたと思われることが多いあの子だけど、人並み以上に傷つきやすいところもね。あなたが欲する情報はこれで以上だよ」


「平野先生の過去を知れて良かったです。有益な情報ありがとうございます」


そう言って、ソファから立ち上がり、制服のズボンの中で録音していたスマホの録音停止ボタンを押し、操作し終えた後、リュックサックを背負った。


「有益な情報、ね……なんだか人の気持ちを理解していない言い方だなー」


オレに対して、半ば怒りか、彼女は呆れたような目線を送ってくる。

声に抑揚は感じ取れずとも、感情で訴えっていることはよく分かる。


「……」


だが須賀教授の話を聞いて、そのぐらいのことで平野先生との関係が壊れた事、ましてやその程度で感情が揺らぐとは、なんて弱い人間なのだろう、とそう思ってしまう自分がいた。


「すみません。オレには人並み以上に、人の気持ちに寄り添う心がないのかもしれません」


「くぅわぁ~…なんだ?もう話は終わりか。今日はもうお開きだな」


寝起き眼をこすりながら、大きく伸びをする沖谷教授。


「あんたはずっと寝てたから、陸人くん以上に人でなしよ」


沖谷教授は須賀教授の話の序盤から、今度は本当に寝ていた。


「いででっ、耳引っ張んなって!」


「うっさい。第一あんたは人の気持ちをよく理解していながらも、無視しすぎなんだよー」


二人の言い争いを横目に、荷物を持って退出しようとした矢先、


「ちょっと待って、陸人くん!」


沖谷教授から離れた須賀教授が、オレのことを呼びかけて、こちらに向かってくる。


「陸人くん…『翼』をどうかよろしく頼む。あの子を救ってやってほしい……いや、私の手助けをしてほしい。私と彼女を二人きりにするきっかけを作ってくれないかい?」


そう言って深く頭を下げてくる。この時の彼女の声には、わずかだが抑揚や感情がのせられていて、頭の中にすっと入りこんできた。


「高校生に先生を助けてほしいとう教育者は初めてですよ。ですが、それは協力内容と…」


「周囲の身の安全の保障。身内の安全は保障できないと書いてはいなかった。それに、うちらの最後の協力内容にも関わることさ。『翼』は良く頭が働くし、武術もなかなかのものだ。『答え』に辿り着くためにも、知恵と武力を備えた彼女が必要になるし、君たちにとっても邪魔な存在にはならないんじゃないかな」


たしかにオレは平野先生に一つ借りがあるし、根はいい人だということは分かった。戦力になる分には問題はないし、味方になれば円谷校長に一番身近な存在である彼女を利用して、敵のふところに入り込める確率は格段に上がる。



平野先生を想う須賀教授の気持ちは理解している。



だが、その提案を耳にして素直に分かりました、とは言えず、無言で立ち去ることを決めた。




この日、須賀教授と沖谷教授が味方になり、平野先生を潰す計画が今日で完成した。



それは本来の計画が完遂できるための予備プランではあったが、どこまで効能を発揮するかは彼らの働き次第。


確実にオレらの方がメリットがある契約内容にサインした彼らが、いつどこで自分たちが『支配』されているか…まぁ、そのことに関してはうっすらと気づかれているんだが。特に沖谷教授は、かなり頭が切れる。



しかし『支配』されていると分かっていながらも、目に見えない支配下から抜け出すことはゼロに近い。





予想外の邪魔者が、計画に参入してこない可能性を除けばの話だが。






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