第9話


 目が覚めた時、最初に見えたのは綺麗な顔だった。いつものような仏頂面ではなくて、どこか幼い寝顔だ。眠りについた時とは違ってこちらを向く体に、包み込むように私に回された腕。そっと彼の頬を撫でれば眉がピクリと動いた。

「……んあ?」


 見慣れたシワが眉間に刻まれていくのが可笑しくて笑みを浮かべれば、腰に回っていた手が私の頬を抓る。

「おはよう、灰音ちゃん」

 うまく言えなかったけれど、そう伝えれば片目だけ開けた彼から「……ああ」とだけ返ってきてあまり朝が得意ではないことが分かった。


 ……その声があまりにも大人しくて弱々しかったから。



「……準備しろ。朝飯行くぞ」

 しばらく私の頭をワシワシしていた灰音ちゃんが今度は自分の頭を掻きながら起き上がる。大きな欠伸をして立ち上がると着替え出した灰音ちゃんを、何も考えずぼーっと見ていると「見んなボケェ!!」と怒り出したから通常運転のスイッチが入ったのだろうと枕に顔を埋めた。


「テメェも着替えろ」

 昨日貸してくれたスウェットから、こちらに放り投げられたTシャツとパンツに着替える。どちらも灰音ちゃんのものだ。


 ベッドの上で灰音ちゃんに背を向けて服を脱げば少し慌てたような彼の声で制止された。

「昨日言ったこともう忘れたんかボケェ!!」

「あれ」

「『あれ』じゃねェわ!!一声かけろや!!」

「ごめんねぇ」

 そこで“危機管理どうにかしろ”と言われていたのを思い出す。ああ……と声を漏らして灰音ちゃんを見れば、彼は律儀にも目を瞑っていた。可愛いなあ。



 二人とも着替えを終えるとまた灰音ちゃんの背中にピッタリとくっついて部屋を出る。

 エレベーター完備とは素晴らしい学校だ。ホテルのような寮の内装や設備に改めて驚きながらエレベーターで下りていく階数表示を見ていた。


 ベルのような音が響いてすぐ、扉がゆっくりと開く。灰音ちゃんについて歩き出せば、私にはあまり馴染みのない温かな騒々しさが身体を包んだ。


「──お。遅かったな」

 一番先にこちらに気付いた灰音ちゃんの唯一無二の親友──篠田龍一郎しのだ りゅういちろうが振り返ってニヤリと笑う。そして灰音ちゃんの背中に引っ付く私を発見して覗き込んできた。

「その子が噂の子か」


 昨日の場にはいなかった龍一郎が面白いものでも見たようにニヤニヤしている。彼はとても漢気があって男から好かれるキャラクターだ。女子人気も高く、“リア恋枠”だと名高い──とにかく男前な性格なのだが、なんせ見た目が怖い。ヤンキー丸出しの風貌は分かっていても実物を間近で見て白目になりかけた。


「悪りぃな。怖かったか?」

 そんな私を見て、心情を察知した龍一郎は眉を下げて申し訳なさそうにサッと距離を取る。

「……いえ。だいじょうぶです」

 背が高いこの人は、わざわざ屈んで私に目線を合わせようとしてくれる。小さな子どものような扱いだけど、それが彼の優しさを表していてさすが旦那にしたいキャラNo. 1だと思った。


「可愛いな。ちっせぇ」

「ひぇ」

 ははっと笑って爆弾発言をした龍一郎に灰音ちゃんの雷が落ちる。

「うっせェぞ!!テメェも照れんな!!」

 慌てて顔を引っ込めて隠れるが、それを灰音ちゃんには照れ隠しだと思われたらしい。心外だ。


 私の頭を撫でようとしたのか、こちらに伸びてくる龍一郎の手を灰音ちゃんが払い除けていた。

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