異世界女子校バトルロイヤル

渡葉たびびと

第1話 秘密のお茶会

 さすがのエリィも少し緊張している。


 己の五体に目配せし、何度目かの身だしなみ確認を行う。汚れひとつないセーラー服。折り目ひとつ乱れないスカート。きっちりセットされた三つ編みの髪。何度見たところで、どこにも抜かりはない。


「どうぞ、お座りなさい」

「…………はい」


 促され、腰を下ろす。

 目の前にいるのは、この派閥の二年生筆頭と目される傑物、ユレィヌ。まともな学園生活を送っていれば、二人きりになる事など絶対に叶わぬ相手だ。


「そんなに緊張しなくても良いのよ。神聖な儀式とはいえ、手順に則るだけのものだし。何より、誘ったのはこちらなのだから」

「緊張しない事、それ自体が失礼にあたりますので」

「そんな事ないのに」


 ユレィヌは僅かに目を細め、優雅に笑んだ。それは後輩の固さをほんの少しでもほぐすためだったが、効果は然程なかった。


 エリィはごくりとつばを飲んだ。緊張している理由はいくつかあるが、最も直接的にエリィの心臓を打っているのは、ユレィヌの美しさそのものだろう。


 放課後の夕陽を背に、長い髪が極彩色に輝く。妖艶な笑みを浮かべるその顔面は全てのパーツに職人が魂を込めた彫像のように整っている。彼女の笑顔を見るだけで、心拍のリズムがワンテンポ速くなるようだ。


 周囲に人影はない。ユレィヌが既に人払いを済ませているからだ。この「お茶会」は派閥内にて普段行われるものとは性質が全く異なる。だからここ、新校舎の第三中庭には現在ユレィヌとエリィの二人しかいない。


 ユレィヌはカチャ、と僅かな音を立てながら茶器を準備する。今回の茶会においては彼女がホスト、後輩のエリィがゲストという形になる。


「実際のところ、私としても有難いと思っているのよ。一年生でも筆頭有望株のひとりと言われ、座学、体技、魔法のいずれも優秀。あなたには是非、私の下に来て欲しかったから」

「…………」

「あ、もちろんリップサービスは抜きよ? 事実としてあなたは優秀で……」


「……一番であれば」

「?」


 エリィに口を挟まれ、ユレィヌは思わず手を止めた。


「一番であれば、『有望株のひとり』などという言い方はしません」

「あら……お気に障ったかしら。ただ、こうして率直な表現で伝えているという事は、私の発言が本心であるという事の証明でもあるのよ」

「もちろん、それは解ります。でも、だからこそ……うん。やはり『お茶会』を済ませる前にお聞きしておきたいです」

「……何を?」


「なぜメリアではなく……私を?」


 エリィは高鳴る心臓を抑え、つとめて真正面からユレィヌの目を見た。

 ユレィヌの笑顔は変わらない。細めた目の奥の、黒く塗りつぶされた瞳にたたえられた彼女の感情を読み取る術はない。


「……私が心奪われたのは、あなたの方だからよ」


 ユレィヌはさほどの間も置かずに返答した。真正面からの好意に、エリィはほのかに顔を赤くする。だが、それでもまだ腑に落ちない部分があった。


「そんな。私が勝っている部分なんて、ないはずなのに」

「それは間違いよ。事実私は、彼女よりあなたに好感を抱いている」

「……そんなことが、あるって言うんですか」

「あるわ。だからあなたは、今ここに呼ばれている」

「でも……」


 エリィは口をもごつかせた。ここで言うべきか、迷う要素があった。

 それは、実利についての問題だ。この「お茶会」は、ただ気に入った生徒と一緒にできれば良いというものではない。人選には常に政治的な意図が絡む。


「お願いします。やっぱり、教えてください。私がここにいるのが、派閥のためになるというんですか。メリアよりも」

「ええ。天才児・メリア……あれはまともな人間じゃないわ。仲間に引き入れることが派閥として最善とは思えないし、私と馴染むとも思えない」


 ユレィヌは言い切った。


「だから、利害と相性。その面でもあなたで間違いないわ。ただ……」

「ただ?」

「これだけは忘れないで。私は純粋に利益であなたを選んだわけじゃない。あなたに惹かれたから選んだだけよ」

「……っ。わかり、ました」


 好意を受け取ることに不慣れなエリィは、口をつぐんで下を向いた。ユレィヌは相手の表情を見て、満足したようにいっそう微笑む。そして言葉を続ける。


「だから、そう固くならないで。はやく、やる気満々ないつもの貴女を見せてよ」

「えっ」

「ふふっ。あなたの授業風景、よく見ているわ。面白くって。たかが授業であんなに殺意剝き出しな生徒、珍しいもの」


 そこまで見られていたとは思わず、エリィは一歩たじろいだ。


「……見て、らしたん、ですね」

「下級生の授業をチェックするのは情報収集の基本よ。といっても、あなたの授業は単純に面白いから見ていただけだけど」

「ふふ。……そうですか」


 エリィが笑う。その笑みは不敵さを含んでおり、先程まで先輩に圧されていた時とは明らかに声色が違う。


「ユレィヌ様」

「……なぁに?」

「もしかして、私。いや、あたし……隠す必要、ないですか?」

「ないわ。私が惚れたのも、のあなただもの」


 エリィの口元は、静謐な中庭と神聖な茶会におよそ似つかわしくないほどに、にやついていた。ユレィヌはそれを見て、朗らかにうふふと笑う。


「わかりました。なら、失礼して……ひとつ、誓います」

「誓い?」

「ええ。あたしは、『女王』を目指します。そのために『生徒会長』を目指します。でもその前に、あたしを認めてくれたあなたのために、何よりも」


 彼女はそこでひと息ついて、それから、今まで取り繕ってきた上品さも、この空間の神聖な静謐さも何もかも捨て去る覚悟を決めた。そして、


「――メリアの野郎を、ぶっころす!!」


 瞳にいつもの炎を灯し、己が人生の目的を吐き出した。


「はは、……ははは! やっと生で聞けたわね!」


 一言喋るごとにボルテージをあげるエリィに、ユレィヌは手を叩いて喜んだ。この先輩が初めて見せる、年相応の少女の顔だった。


「そうそうそれそれ。それが見たかったのよ、エリィさん」

「こほん。いえ、神聖な『お茶会』の場でとんだ失礼を……」

「本性を隠す方が失礼というものでしょう。これから私たちは――」


 ユレィヌはそこで一拍置き、多少は緊張の緩んだエリィの瞳を覗き込んだ。


「――姉妹になるのですから」


 姉妹。ようやく出てきたその単語に実感が湧いてきて、エリィはもう一度姿勢を正した。


「さあ、そうと決まればさっさと手順を済ませてしまいましょう」

「は、ハイ」


 そこから、ユレィヌは手際よく茶会の準備を進めていった。

 派閥の文様が刻まれたティーポットと、一組のカップを小さなテーブルに。

 茶葉は何でもよいとされるが、派閥の威信を示すためにも高級なものが使われることが多い。らしい。エリィにはそこまでの差はわからないが。


「……男の人はね」

「はい?」


 ふと、ユレィヌが会話を再開した。


「お酒の入った盃で、似たようなえにしを結ぶことがあるらしいと聞きました」

「へえ」

「私たちからすると、どことなく野蛮にも感じますがね。私たちの場合は、あくまでも静謐に優雅に――さあ、いきますよ」


 ユレィヌはお湯の入ったティーポットを掲げ、それぞれのカップに注ぎ始めた。


 これより注がれるのは、真っ赤な紅茶。

 先輩から注がれる紅茶の赤は、血の赤に等しく。

 揃いのカップでそれを口にした後輩は、先輩の血をそのからだに取り込む。

 すなわちその行為は、こう宣言するに等しい。

 我らこれより、同じ血を流す姉妹である――と。


「…………」


 黙ってその時を待ちながら、エリィは自らに確認していた。


 数多いる二年生の中から、このユレィヌ先輩に見初められたのは、僥倖である。

 頂点に近いこの先輩のもとにいれば、自らも自然と頂点に近づくことができる。


 何より――あのメリアではなく、自分を選んでくれた。

 それだけでも、この人に尽くす理由になる。


 まだその理由のすべてが明らかになったわけではない。

 それでも事実として、この人は私に価値を見出してくれた。

 それで十分だ。それだけのことが、エリィには泣きたいほどに嬉しかった。

 だから。


 だから私は、ユレィヌ先輩の妹になろう。


 エリィは顔を上げた。

 目の前にはなみなみと注がれた一組の紅茶のカップがある。


「よろしくお願いします、先輩」

「ええ、こちらこそ」


 そして二人は、無言のまま優雅に、ゆるりと中の液体を飲み干した。

 この瞬間、二人の女子生徒の関係性が、決定的に変わったのである。


 これより姉は妹に無償の愛を与え、妹は姉のために尽くす。


「では、これからは愛を以って……こう呼ぶわ。エリィ、と」

「はい。私からは、僭越ながら……お姉様」


「ふふ。まだ少し恥ずかしいわね」

「意外。お姉様……のように堂々とした方でも、そのような感情はあるのですね」

「実際のところ、まだ会って日が浅いもの」

「それは確かに……」

「だから」

「?」


「これから知ってゆきましょう。もう私たちは、血を同じくする仲なのですから」

「お姉様……」

「大丈夫。あなたは、私が見初めた子よ。安心してついてきて」

「……はい」

「もちろん、私の見初めた貴女らしさを失わないようにね?」

「私……らしさ」

「ええ。当面の目標は?」

「目標……それは、もちろん――」


 エリィは己の中でその目標を反芻し、再確認した。

 途方もないことを言っているのはわかっている。

 それでも自分の一番の目標といえば他になかったし、それを成し遂げてこそ、このお姉様に己の価値を見せることができるとも思った。


 だからエリィは大きく息を吸い込み、再度その言葉を叫んだ。


「「メリアの野郎をぶっころす!!」」


 二人の声が、揃った。


「お、お姉様……!?」

「うふふ。私の目に狂いはなさそうだわ」


 中庭に差す陽光が、二人の制服を朱く染める。

 赤く照らされた互いの顔を見合わせながら、生まれたての姉妹は砕けた笑いを交わしあった。

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