一月二十六日の夏休み/トリック・オア・トリートの前にアーメンを唱えな

天野橋立

「み、つ、や、サイダアッツ!」

「三ツ矢サイダー!」

 この部室の主、第三十五代目の部長である「蒼ィ空夏姫あおきそらなつき」――念のため申し添えるが本名――が上げた怒りの叫びに、部員全員が振り返った。

「み、つ、や、サイダアッツ! 夏の飲み物は、それしか認められんと、何度言ったら分かるのか! それでも貴様副部長かっ!」


 長い黒髪、清楚な白い肌、琥珀のように透き通った瞳。まさに美少女そのものといった夏姫の姿に、その罵声はどうも似つかわしくなかった。


「まあ、まあ、部長」

 罵倒された、当の本人である副部長、螽斯遊部きりぎりすあそぶは、一向に動じることなく、にやにや笑っている。

 マダラ状に茶髪に染まったぼさぼさの頭がサーファーのパチモノ風で、夏っぽいと言えば夏っぽい。


「こっちだって、夏のド定番じゃないすか。青空に似合いますよ、レモンテイストが」

 彼が右手にぶら下げたコンビニの袋、そこに入っていたのは「キリンレモン」の1.5リッターペットボトルだった。


 言い遅れたが、ちなみに彼の名前も本名である。

 詰襟の制服、その胸についた名札にも、ちゃんと「螽斯」の文字がある。

 本当は、この服装は夏としては失格なのだが、部室の外は気温わずか零度なんだから、これくらいは仕方がない。


「認めん! いかにも白々しいレモンフレーバーなど邪道!」

「まあまあ、部長」

「部則でも、認められてるじゃないですか、一応『キリンレモン』でもいいって」

 部員たちが、みんなで夏姫をなだめる。


 一体彼らは、何の話をしているのか。「部則」って、そもそも何なのか。

 そう、彼らこそ、贋伊勢地方随一の名門校として名高い「茹海老学園」の名物部活、「夏部なつぶ」の部員たちなのであった。


 どうして夏は、あんなに短いのか。

 赤海老海岸で陽を浴びながら泳ぎ、スイカを割り、駄菓子屋のベンチでロッテアイス・イタリアーノを食べたり、浴衣姿の夏祭りで花火を見たり。あの素晴らしい日々は、なぜ八月の終わりと共に去ってしまうのか。

 それを心から疑問に思った初代部長、剣剣也つるぎけんやが校長と直談判して無理矢理に創設したのが「夏部」の始まりだった。


 その活動とは、たとえ春だろうが秋だろうが冬だろうが、少なくとも部室内では、一年中夏休みが続いているものとして生きて行く、というものだった。

 ちょっと何言ってるかわからんというか、少々ならず脳がどうかしていると思われるが、剣・初代部長は本気だった。


 で、実際どう夏なのか。一例を挙げれば、一月二十六日であるところの今日でも、部室の中では冷房がガンガンに効いていて涼しい。

 部室の至る所、目につかない場所にガス・ファンヒーターが何台も隠されていて、部屋の温度を三十五度まで上げるべく、都市ガスに含まれた炭素分子を全力で燃やしているのだが、それに対抗するように、窓の上に設置された三菱エアコン「霧ヶ峰」が電力をフルに消費して冷風を吹き出しまくっているのである。


 こうやって、様々な手法によって部室内では夏が再現されているわけだが、その代償として部費はめちゃくちゃ高い。だから部員も、正・副部長を含めて五人しかいない。

 よくも五人も集まったものだとも言えるが、これを書いている天野橋立も、もし高校時代にそんな部活があったら入りたかったと言ってるくらいなので、世の中には変わり者も少なからずいるのである。


「お前ら馬鹿か。『キリンレモン』が認められるのは、あくまで『三ツ矢サイダー』の入手が不可能であった場合の、真にやむを得ない場合のみに発動される緊急避難的条項だ」

 美しい顔に怒りの色を浮かべて、夏姫部長は言い放った。こんな部活に入ってるのに、彼女は京都大学の法学部を目指す才媛なのである。


「剣先輩が……」

 彼女はそう言って、お辞儀をした。初代会長の名前を出す時は、必ず何らかの形で敬意を表する。これも、部則に定めがある。剣が自分でそう定めたのだが。

「当部を創設した時代には、そんな緊急事態もあったのだろう。しかし、コンビニやドラッグストアーが整備されたこの令和の時代に、そんなことあり得ん。なのにお前と来たら、買い物頼んだら何が何でも絶対キリンレモン買ってくる。馬鹿かお前は!」


 つまりこのやり取り、すでに何十回も繰り返されているのである。そんなら、副部長に買い物頼むのなどやめればいいと思うのだが、それもやめない。理由があるのだ。


「困ったな。じゃあ、返品して来ますよ」

 螽斯副部長が、肩を落として部室を出て行こうとする。

「いや……。まあ、待て。それでは、店の人が迷惑だ。社会に迷惑をかけず、我々だけが夏で在る。それも『夏部』の重要なルールだ」

 夏姫部長は重々しくうなずいた。

「この際、やむを得ない。……おい、旗良はたら。グラスを用意しろ。他にないなら、仕方ない」


 はーいと、ツインテールプラスハーフΣの髪型がカワイイ系の一年生部員、旗良はたらキアリちゃん――本名――が、戸棚から年代物のグラスを五つ出してくる。


 これは昭和の頃のキャンペーンで、キリンレモンを買うと必ずもらえたというディズニー・グラスという奴だった。ミッキーやらドナルドやらの絵が描かれていたのだが、さすがに時代を経てすっかり色褪せてしまっている。

 しかしこんなものが残ってるということは、つまり昔から実際にはキリンレモン買ってることが多かった、という証拠みたいなものである。


「ゆらぎ風」モードにしたUSB扇風機の風で、チリリチリンとそれらしい音を奏でる風鈴の響きの中。五つのグラスは、泡立つ透き通った液体に満たされた。


「うむ。緊急用の代用品としては許せる範囲だな。この際、仕方ない」

 窓の向こうの澄み渡る青空を、右手に持ったグラス越しにキラキラと光る瞳で見つめながら、夏姫部長は重々しくうなずく。


 部員はみんな知っていることだが、実は彼女、キリンレモンが大好きなのである。しかし、法律家の道を目指す夏姫としては、何か名目が無ければ、「緊急条項」にしか定めがない非常用の清涼飲料水を持ち込むことは出来ない。

 そこで、副部長がこれを買ってくるのが判っていて、わざと頼むのだ。剣剣也も、罪な条項を定めたものである。


 しかし、毎度使いに出される螽斯遊部きりぎりすあそぶとしては、その度に罵倒されることが決まっているわけで、これでは割が合わないのではないか?

 いや、そんなことはない。美しい夏姫に罵倒されると、彼の脳内では大量の快楽物質エンドルフィンが分泌されるのだ。副部長も、実にまっとうな変態なのだった。つまり、みんなハッピーという訳だ。


 その時だった。窓の向こうに、白いものがちらつき始めた。外界は一月二十六日なんだから、そりゃしょうがない。

 旗良はたらたち下級生部員は、慌ててカーテンを閉めようとした。そんなものが見えては、夏を維持できない。


「良い、良い。そのままで」

 そんな部員たちに、夏姫部長は優しい言葉を掛けた。

「君たちは見たことがないかもしれないが、これは、マリンスノーという現象だ。我々は今こうして、海底リゾートで過ごしているのだから、こんな珍しい自然現象を見ることができるのさ」


 そうか、これがマリンスノーか、とみんな笑顔を浮かべた。見えてるのは青空だと思ってたら、蒼い海だったのだ。海底リゾートで過ごす夏休み、最高じゃないか。


 こうして、「夏部」の一月二十六日は、穏やかに過ぎて行くのであった。

 水曜日の午後一時十五分。授業はとっくに始まっているはずだったが、今は夏休みなわけだからそんなものはないはずで、そこはまあ、これでいいのだ。

(全然良くないので、後ほど彼らは全員、職員室に呼び出しをくらうのだった)


~HAPPY END~



・あとがき

天野は三ツ矢サイダー派です。そりゃ、大瀧詠一師匠がCMソング作ってたんですから。EPOのキリンレモンもいいですけどね。

(昭和でごめん)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る