Horror Dinner 〜××高校の放課後怪奇譚〜

山下愁

第1怪:旧校舎の生徒

第1話【旧校舎の噂】

 ぎぃー、ぱたん。



 空は漆黒に塗り潰され、星明かりさえ地上に届かない静かな夜の世界。


 静寂を裂くようにして、蝶番の軋む音が耳朶を打つ。

 周囲があまりにも静かなので、錆び付いた扉を開く動作さえ緊張してしまう。誰かに気づかれてしまうのではないか、という恐怖心に駆られる。



「お、お邪魔しまーす……」



 律儀に暗い空間へ挨拶をした少年は、懐中電灯を片手に古びた木製の廊下に足を踏み入れる。


 どこまでも伸びる長い長い廊下。懐中電灯で照らせる範囲は見えるものの、奥に行けば行くほど闇の中に沈んでしまっている。

 廊下の床板は腐っているし、穴が開いている箇所もある。歩行さえ危険な状況だが、ここまで来たら行くしかない。


 少年は覚悟を決め、真っ暗な廊下をゆっくり進んでいく。



 ぎぃ、ぎぃ。

 ぎぃ、ぎしっ。



 歩くたびに床板が軋んだ音を立て、少年の心臓はその度にどくりと跳ねる。


 恐怖心を紛れさせる為に壁を懐中電灯で照らせば、黄ばんだ張り紙が何枚か見えた。

 廊下は走らない、挨拶をしよう、忘れ物はしないように――学校でよく見かける一般的な注意事項や標語である。年代が経過しているのか、紙が風化して今にも壁から剥がれ落ちそうだ。



「どこだよ、幽霊……」



 少年は行先を懐中電灯で照らしながら、床板の穴に気をつけて歩く。


 廊下を歩いてだいぶ経過した頃、少年から見て左側に部屋が並んでいた。

 割れた窓ガラスに横倒しとなった机や椅子、蜘蛛の巣のかかった黒板。時計はガラスが割れて時間が分からなくなっているし、時計の針さえ止まっている状態だ。


 随分と荒れ果てた教室である。

 カーテンさえない窓の向こうは夜の世界が広がっていて、懐中電灯以外の明かりはない。それなのに、


 何故か、少年がいる。



「…………?」



 教室に佇む少年は、無事な椅子に腰掛けてじっと机に向かっている。

 闇に沈む教室の中で、彼だけが浮かび上がっているようだった。それがまた、妙な気配を漂わせる。


 俯きがちに座る彼の横顔は純銀の髪で覆われ、暗闇の中に浮かび上がる白い影のようだ。着ているのは黒い詰襟で、裾や襟から垣間見える青白い肌は生気すら感じることが出来ない。

 黒板に向かって頭を垂れる姿は不気味の一言に尽き、まるで彼自身がこの世に存在している人間ではない雰囲気があった。



「あ、あのー……」



 懐中電灯を片手に握りしめ、少年は教室の彼へ呼びかける。



「あ、あのー……すみません。少しお伺いしたいんですけどー……」



 ス、と教室の彼が腕を持ち上げる。



 とん、とん。



 少年の質問に対する相手の回答は、指先で机を二度ほど叩くだけ。


 その得体の知れない行動に恐怖心がじわじわと忍び寄ってくるが、口を開いた手前、もう撤回は出来ない。「やっぱりいいです」など言おうものなら、相手がどう動くか分かったものではない。

 ゴキュリと生唾を飲み込んで口の中の渇きを無理やり潤した少年は、



「あ、あのー……ここに幽霊が出るって聞いたんですけどー……」



 回答は至ってシンプルだった。



 とん。



 一度だけ机を叩いた相手は、スッと音もなく真っ直ぐに指を向ける。


 その先にあったのは蜘蛛の巣がかかった黒板だ。

 何かが書かれているとか、そういう訳ではない。上部に蜘蛛の巣が張られ、全体的に埃を被っているせいで汚いという印象しかない。


 黒板の前にはボロボロになった教卓が放置され、そして。



「ひ――」



 少年は上擦った悲鳴を漏らす。


 教卓の前には、顔がなく非常に背の高い女性の教師が立っていた。

 のっぺらぼうとか可愛げのあるものではなく、顔面の中心に渦のようなものが出来て捻れに捻れている。その異様な姿は、悪夢と呼んでも差し支えない。


 カクカクとした動きで教卓の上に転がる古びたチョークを摘む女教師は、黙ったまま黒板に向かう。



 カッ、カッ。

 カッ、カッカッ。



 女教師は教鞭を執るかのように、チョークを埃っぽい黒板に叩きつけていく。

 文字を書いているようだが、どう頑張っても日本語で書かれている気配がない。明らかに読めない文字の羅列が並んでおり、それが余計に不気味さを増長させた。



 ひゅー、ひゅー。

 ひゅっ、ひゅー。



 少年の息が漏れて、隙間風のような音を奏でる。


 逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ。

 今すぐここから逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ。


 懐中電灯を取り落としてしまった少年は、足を縺れさせながらその場からの逃走を図る。



「何だ、何だ。もう逃げるのか?」



 聞き覚えのない声が耳に触れる。



「せっかくオマエの望んだ幽霊とやらにご足労願ったのに」



 振り返ってはダメだと心の中で念じながらも、身体は正直に振り返ってしまう。



「――もっと怖がってくれよ、なァ?」



 先程まで黒板と向かい合っていた女教師の歪んだ顔面が、すぐ目の前にあった。


 それだけではない。

 俯きがちに座っていた教室の彼が、少年の目の前に立っていたのだ。恐ろしくも美しい顔に、カッと見開かれた赤い双眸。ニヤリと笑った口元から、艶かしく赤い舌が覗く。


 気配もなく、足音も立てずに少年のすぐ側まで移動してきた銀髪赤眼の彼は嗤う。



「今日の晩餐はオマエにしよう」





 ――ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、と少年の悲鳴が夜の帳が下りる廊下に木霊した。



 ☆



 月無町つきなしちょうという田舎町がある。


 田舎とはいえ、住宅もそれなりに建っていて学校もある。

 ただし周囲を山に囲まれている影響で都心にまで出る利便性がなく、大体は栄えた駅前で揃ってしまうという有様だ。若者は減少傾向にあり、高校を卒業すれば大学入学と同時に上京してしまうのが当たり前だった。


 そんな田舎町の片隅に、××高校という名前の学校がある。


 名前は分からない。「言ってはいけない」と月無町に住む人々が、口を揃えて言うのだ。

 その理由さえも不明で、わざわざ山を越えて××高校に通う生徒は不思議に思うだけだった。思うだけで、自分からその理由を探ろうとする人物はいなかった。


 何故なら、みんなして血相を変えて「調べるな」と言うから。



「…………」



 ××高校三年、幽ヶ谷鬼灯かすかだにほおずきは玄関前で立ち止まっていた。


 何かいる。

 明らかに触れてはいけない、何かが。


 下駄箱の隅に隠れるようにしてすっぽりと収まる小さな男が、じっと鬼灯を恨みがましそうに見つめていた。衣服の類は身に付けておらず、体毛の一本も生えていない得体の知れない人間だ。

 やたら身長は小さく、立ち上がったところでまともに歩けるようには見えないほど手足は痩せ細っている。下駄箱と柱の隙間に小さな身体を捻じ込んで、目の前を通り過ぎる生徒たちに視線を投げかけていた。


 ああ、まただ。

 また見えてしまった。



「見てない見てない……」



 自分自身に言い聞かせるように呟いた鬼灯は、手早く下駄箱から自分の上履きを取り出して革靴を叩き込む。


 一刻も早く、この下駄箱の前から立ち去りたかった。

 だって、見えてはいけないものがそこにいるから。



「ねえ、聞いた? 二組の白石君の話」


「聞いた聞いた。旧校舎に行って、朝まで気絶してたんだって?」


「『幽霊を見た』とか言ってるけど、本当なのかな?」



 ちょうどそこへ、同じクラスの女子生徒が楽しく噂話をしながら下駄箱の前までやってくる。


 なんてことはない、ただの噂話だ。

 どうせタカが知れている。ロクなことにはならないのだ。


 そんなことを思っていたはずなのに、どうしてか鬼灯はその噂話を聞き入っていた。



「その旧校舎の幽霊、願いを叶えてくれるんだって」


「嘘でしょ?」


「ただの噂話なんだけどね。本当かどうか分からないって言うか」


「その話」



 二人の女子生徒の間に割り込んだ鬼灯は、真剣な表情で「願いを叶える」という幽霊の噂話をしていた生徒を見つめる。



「詳しく、聞かせてもらえますか?」

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