第二話 朝食を食べながら

 暖かく明るい太陽の光が山小屋を照らし、仄かな樹々の香りが緩やかに鼻腔を撫でる。

 そんな優しい朝の食卓には、変わらず三人がついていた。


「ゴッセルさん、お弼を頂けますか」

「勿論じゃとも。これから食べ盛りじゃからな、どんどん食べなさい」

「おぅ、じゃあ私も頂くか」


 机の傍のお弼を引き寄せた老人と、それを受け取った少年。そしてそのお弼に、年甲斐もなく傍からしゃもじを突っ込んだ女性だった。

 老人は洗練された所作で、少年は淡々とかつ丁寧に、女性は勢いよく豪快に。各々の性格を映し出したかのように、彼らは朝食を食していた。


「其方の成長期などとっくに過ぎただろう、ヘレナ。食べ過ぎるとふとるぞ」

「爺さん、幾らなんでも淑女レディーふとるはないだろうよ。第一私なら、やろうと思えば大型獣ガズルと同じ食事を食っても問題無い」

「〈意志〉に頼り切り過ぎなんじゃよ。大体それよりも、この冬の米が無くなる方が怖いわい」

「それは安心しな。今日なり明日なりに下山するつもりさ」


 ヘレナは魚の塩焼きに齧り付きながら何事でもないように言ったが、丁寧に箸で崩しながら食事をする少年には初耳だった。


「下山? するんですか?」

「おいおいアセラ、ここに一年でも二年でも籠るつもりだったか? 基本的な戦闘訓練と旅の知恵を身に付けたら、後は世界を歩き回るのが一番さ。適度に戦闘に巻き込まれて、金を稼ぎながらな」

「其方の場合はむしろ、戦に首を突っ込むじゃろうに…」

「ほっとけ。私の元で戦火が絶える方が不思議なんだよ」

「え、でも師匠、この二ヶ月間、一度も戦ってませんよね?」

「面と向かっては、な。何処で場所を嗅ぎつけたか、何人かこの山に入ろうとした暗殺者はいたぞ。殺意丸出しだったから、お前を斬ろうとするついでにぶった斬っておいたが」

「そ、そうですか…」


 さらりと恐ろしい事実を告げられ、少年は少し引く。ヘレナは殺意と共に入山した者を、相対することもなく無色無音の斬撃で叩き斬っていたのだ。訓練を中断することもなくそれをやってのけるのだから、この女性の力は底が知れない。

 師匠が本気で暴れたらどうなるんだろう…と少年は、考えても実態には到底追い付かない無意味な妄想に浸ってみたりする。物語の時代の戦士など、歴史の時代の人間にとっては未曾有の大災厄と大差ない。まともな戦も天災も経験したことのない少年にとって、それを想像するのは些か難題だった。


「それにしても、どちらに降りる気じゃ? 〈御光の注ぐ山麓アイゼンライツ帝国〉に降りるのは得策でないぞ」

「そりゃ、〈太陽神教〉の教徒からすれば〈陽光山〉は聖地だからな。それも帝国の国教は〈アイゼン派〉だ、清めてもない一般人なんかが下山してきたら問答無用で成敗するだろうよ。流石に私だって、下山した直後に帝国と戦端は開きたくない」


 そもそも個人と国で戦争をするなど馬鹿極まりないのだが、それが出来てしまうのが〈錨刀の抜刀者〉ヘレナである。個人相手と舐めてくれればいいものの、アイゼンライツほどの歴史ある大国が、ヘレナの恐ろしさを知らぬわけがない。開戦ということになれば帝国は総力を尽くした戦闘を仕掛けることとなり、そうなればヘレナはその全てを蹂躙するだろう。これまで数え切れぬ程の人間を殺してきたとは言え、ヘレナは別に、人を殺して快感を得る快楽殺人鬼ではないのだ。


「だから、東や南に下山するつもりはないさ。北西の〈遍く照らす陽光サンズファーク王国〉に降りるつもりだ。帝国とくらべれば小さな国だが、国教は〈太陽神教〉の〈ファーク派〉。〈アイゼン派〉とは違い、幾分も穏健な教派だからな」

「なるほど。そこでアセラの装備を整えるのじゃな?」

「ついでに資金調達もだな。さらに言えば、アセラに国に慣れてもらうのも兼ねる」


 少なくとも彼の記憶の上では、アセラは国に住んだことがない。山小屋でルリと暮らしていた日々が、彼の経験した生活の全てだった。

 幾ら本で知識を得ようとも、実際に暮らすのは全くの別物だ。どんな一般常識が欠けていてもおかしくはないし、一般人では――ゴッセルとヘレナは決して一般人ではないが、国に住んだことはあるという意味では一般人だ――何が欠けているか予想がつかない。

 ヘレナはアセラに、そういう生活に必要な知識も覚えてもらうつもりだった。そのために、旅に出るより前に、一ヶ月ほどは何処かの国に留まるつもりだったのだ。


「サンズファークなら問題ないじゃろう。国民は穏やかで強かじゃ。確かに、最初に向かうにはうってつけかもしれん」

「そもそも国に入ったことがないっていう、アセラが特殊なんだがな。まぁ、これで行くつもりだ。アセラ、今私が話したことぐらいは、お前も覚えておけよ」

「大丈夫です、覚えました」


 その弟子の答えを聞いて満足気に頷いてから、ヘレナはもう何匹目かも知れない塩焼きを頬張る。


「にしてもよく食べますよね、師匠」

「何しろタダ飯だからな。食うに越したことはない」


「……そういう理由ですか……」

「また戻ってきてももう食わせんぞ……」



 少年と老人の溜息が、食卓の上に漏れた。

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