餞別

「そろそろ来る頃だと思っていたわ」

 しゃがれた声が響く。

「分かるのか」

「いいや、こう言っておけば騙しやすくなるからね」

「……なるほど」

 だだっ広い座敷に泰然自若として座る老婆が一人。ただ、その性判断は声だけであるからして正しいものではない。顔を覆い隠す黒い布がそうさせている。

「それから持ってきたものは見せなくてもいい。伝染(うつ)るからね」

「やっぱりそうなのか」

「しかしねえ、お前さんがそんなものどうして持っているんだい」

「名も知らぬものに解決を依頼された」

「うつされたものか」

「ああ、そうだ」


 屋敷の庭が少し陰った様に思えた。雲がかかって太陽が姿を隠す。座敷に入り込む光も失われて、そこは影の世界の入口のようにさえ錯覚させる。


「それで、これをどうしてほしいんだ。私とてこれはどうにもできん」

「これがなんなのか。教えてくれないか」

「なるほどね。分類しようってのかい」

「ああ、その通りだ」

「……まあそれくらいなら手伝えるか。いいだろう。教えてあげるよ」

 老婆は大きな座卓の上の紙の束を広げる。ばっと紙の香が漂って、俺の鼻孔を支配した。

「これは?」

「そいつに関連する文献全てさ」

「あんたの所でも追っていたのか」

「ああ、そうさ。でもな、こいつだけは手に負えなった」

「……こいつはなんなんだ?」

「分類不可。神でも悪魔でも仏でも鬼でも物の怪でも妖怪でもなんでもない。最も近いのは人と悪霊の狭間。だがその性質はそれら全てを凌駕する。まさに我々生きるものからしてみれば悪夢みたいなものだろう」

「ではこの文献は……」

「それ全部あんたにあげるよ。関わることをやめた方が身のためだからねえ。まあ少なくともあんたは解決しないと死ぬだろうけど」

「分類すら困難ってことか」

「いいや、不可なんだよ。この肥大するなにかを払うことなんざ誰にもできないのさ」

「……分かった。最後にこれだけ頼めないか」

「なんだい……。こんなものじゃどうにもできないよ」

 老婆は差し出した紙を受け取ることもせず、見ることもせずそう言った。

「いいんだ。できるだけの準備をしたい」

「分かったよ。餞別だ、用意させてあげるよ。もう二度と会えないかもしれないからね」

「ありがとう」

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