第七話  微睡 壱

 ゆらゆらと水の中で漂っているような感覚。

 キラキラと輝く水面に向って身体のあちこちから光の糸が伸びている。



 まどろみの中を漂う。

 ふと目を開くと若子がいる。

 周りの様子を探るとどうやらわしの屋敷らしい。

奥座敷で寝かされているわしの身体に若子が覆いかぶさって大きな声を上げている。

「おくのかたさまぁしなないでぇー!!」

 何度も叫んだのだろう。その声は掠れ文字通りに泪も枯れてただ叫び続けているように見えた。

若子の頭でも撫でてやろうと右腕を伸ばす――と二の腕から先が無い。真ん中あたりから先が透明に透けて風景に溶けている。

 身体を構成する物質量が足りないか。

 無事な左手を解体して右腕に回して再構成。それでも足りない分は脚からもらう。

「心配するな、若子ぉ。わしはこれくらいでは死なんよ」

 炎で焼かれた器官から掠れた声を出しながら再構成した右手で若子の頭を撫でる。

 弾かれるように顔を上げた若子は二、三度瞬きして、顔の向きを変えると奥の方に向って大声を上げた。

「おかぁさん! おくのかたさまがおきたぁ!!」

「あいかわらず騒がしい…」

 母親も無事のようだ……

 無事とはいかないまでもわしも屋敷には戻ることができた。

 とりあえずは良しとしよう。

 若子の母親が近づく気配を漢字ながらもわしはうとうととまどろんだ。



 まどろみの中を漂う。

 ふと目を開くと若子がいる。

「お早うおくの方様」

 髪が伸び少しふくよかになっている気がする。血色も良い。暮らし向きに問題は無いようだ。

 右手を伸ばして健康的に肉の付いた頬を撫でると若子がくすぐったそうに笑う。

「若子、小学校三年生になったんだよ」

「元気そうで何よりだな、若子ぉ」

「はい! せんそうも終わったの。それでねアメリカの人がたくさん来てるって。ガムとかチョコレートくれたんだって。村には来ないからお話だけ知ってるの」

 何度かまどろみから覚めたものの長時間では無かったせいか今日の若子はよくしゃべる。

「そうか…」

 時折相槌を打ち、頭を撫でながら若子の話を聞いてやる。

 若子の声でわしの覚醒に気付いた若子の母親もやって来て現在の状況の補足説明が始まった。

 空襲から逃れて後、わしの屋敷に着いてから慎太郎を頼った事。

 あの後にもっと大きな爆弾を広島と長崎に落とされ大量殺戮が起きた事。末期には沖縄で味方からの自死の強要やアメリカ兵への誤解も含めて多くの人々が死んで敗戦が決まった事。

 戦後は日本の占領管理のためにGHQ(連合国最高司令官総司令部)が置かれているそうだ。

 若子の言うチョコレートをくれると言うのは、敗戦国の日本人を馬鹿にしているからだと若子の母親は苦々しげに言った。

 生活のために米兵に身体を売る者がいれば、意にそぐわず無理矢理手籠めにされる者もいたということが心証を悪くしているようだ。

「奥の方様のおかげでございます」

 ひとしきり世情を聞いた後、若子の母親が両手をついてが深々と頭を下げる。

「子供たちが無事で私が身体を売ることも無くこうして平和に暮らせるのは、全て奥の方様のおかげです。私たちのためにお身体まで投げ打っていただいて…」

「気にする必要はない。わしは若子を助けると約束したし、手足などそのうち元に戻る。それよりもわしが眠りについている間に不都合は無かったか?」

「不都合など!」

 若子の母親は、それこそ畳に頭を擦り付けて大きな声を出す。

「奥の方様のおかげで村長は良くしてくれますし、このお屋敷の畑で取れる野菜や果実のおかげで私達も村も潤っています。ここはまるで天国の様です」

「そうか…それならいい……」

 一通り話を聞いたわしを強烈な睡魔が襲う。

「わしは眠る。若子ぉ、健やかに育てよ」

 若子の頭を撫でて、わしは目を閉じた。



 まどろみの中を漂う。

 ふと目を開くと若子がいる。

 若子は、わしの唇に接吻をしていた。

 水の中をたゆたうわしの身体から伸びる線は肉の身体と繋がっているようだ。

 と言うのも身体を拭かれる感覚や時折唇に触れる細く小さな指。頬に触れる若子であろう唇の感触を感じていたからだ。

 若子は目を閉じていてわしが目を開けていることに気付いていない。

 様子を見ていると若子の舌が唇を割って入って来た。

 わしが舌を伸ばして応えると若子は目を見開いて口元を手の甲で隠しながら顔を離す。

「どうした、もういいのか?」

 顔を赤くしている若子はまた少し成長し腕で抱える胸元に膨らみが見えた。

「ほう、若子ぉも女らしくなってきたな」

 さほど大きくない乳房に触れるとまだ固く未成熟の果実に触れていると実感する。

若子はと言えば、身体を震わせたものの拒む素振りはない。

 ただ、目を見開いて驚いた顔をする若子は視線を漂わせ口元を隠す手を開いたり閉じたりと大忙しだ。

「いっ、いつから起きて……んっ、くすぐったい」

「ほんの今しがた。若子ぉがわしの唇にキッスしたからな、いつもと違う感触で目が覚めた」

「……ごめんなさい…」

 とうとう目を逸らしてしまった若子についつい笑みを漏らしてしまう。

「謝ることはないぞ、若子ぉ。わしも嫌ではないからな」

「本当ですか? 良かったぁ……」

ほっと胸をなでおろす若子の手が乳房に触れるわしの手と重なる。

「あの、おくの方様、おっぱいくすぐったい」

「ああ、すまん」

 未成熟な感触を確かめていたわしは芯の残る硬さと柔らかの混ざる若子の胸から手を離す。乳房から手を離すのを名残惜しいと感じるのは、成長する若子を嬉しく思う半面で生きる時間のズレを感じるからか……

「それで? 頬にしていたキッスをわざわざ唇にしたのにも理由があるのだろう。差し詰め東京に帰ることにでもなったか?」

「どうして分かるの?」

 頭を撫でながらわしは再び笑みを浮かべる。

 見た目は大きくなっていても本質は変わらないらしい。

 最初に東京へ帰ることが決まった日。別れ際に若子はわしの頬に接吻をした。

 それと同様の行為だとわしは推測しただけなのだ。

「お父さんが生活できるようになったから東京に戻って来いって」

 かくんと首を落とした若子は寂しそうな顔でわしを見上げる。

「いつでも遊びに来るがいい。若子ぉなら歓迎する。もっともまた寝ているかもしれんがな」

 また頭を撫でてやると若子は笑った。

 それから今度はわしから若子にキッスをして、またまどろんだ。

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