第三話  麓村

 上空から見下ろすと、わしのいる山に向かう出入り口の辺りに村人達が集まって見える。

 若子やの子らを探しに出るのだろうか。

 ちょうど良いと思い、音も立てずに近くに降り立つ。

「若子ぉの血縁はおるかのぉ?」

 怖がらせないように優しく言ったにも関わらず集まった村人達からは戸惑いと恐怖が垣間見える。

「とっ、当然現れやがって! お前は何もんだ?!」

 猟銃を構えた偉丈夫は村長むらおさの長保んとこの直系か。血の臭いが濃い。

 真似するように他の男衆が猟銃や鋤や鍬を構えて威嚇する。

 まあ突然現れたのは確か。

「山の奥の方ぉに辿り着けんお屋敷があるやろ」

 後ろの山の上の方に右手を向け、屋敷のあるあたりを指差す。

「わしはそこから来たんよ」

「山の奥…」

「奥ノ院……」

「まさか…」

 ある者は不安げに、ある者は驚きで、集まった村人達が囁き、やがてざわめきへと変わった。

「そのお方に手を出してはならんぞ」

 集まった村人の背後から声が聞こえ、村人が道を開けた先に猟銃を構えた長保と似た顔の皺の多い男が姿を見せた。

「奥の方様、お久しゅうございます。先の震災の時にはお世話になりました」

 深々と頭を下げる姿に見覚えがあった。

「ああ、長保の信太郎かぁ。えろう皺皺になってぇ。分からへんかったよ」

「これは手厳しい。あれから二十数年、人間年を取るものでして。奥の方様はお変わりなくお美しい」

「じいちゃん、その女は誰だ?」

 会話に割り込んだ信太郎の孫は未だに猟銃を構えてわしの頭を狙っている。

「話したことがあるじゃろう。御山の奥深くに住む奥の方様の話を。事あるごとに村を災難から守って下さるお方じゃ。先の震災でも村をお守り下さった」

「んなの言い伝えじゃねぇかよ」

「何を言う! わしはこの目で見たんじゃ。奥の方様が村を襲わんとする土砂を腕の一振りで払う御姿を。奥の方様がいなければ今この場に村なんぞありゃあせんのだぞ!」

「し、ん、た、ろぉ」

 孫を叱る背にわしは声をかける。

「なんでしょう、奥の方様」

「あの時、わし何て言うた? 危のぉさかい。だぁれも付いて来たらあかん言うたよねぇ?」

 怒気を孕ませた口調で言っても信太郎は動じもせず返事をよこす。

「ですが! 当時も変わらずお美しくか弱き御姿。少しでも何かお手伝いができればと」

 もう小さく弱く皺皺になってしまったが、信太郎はそういう人間だった。力持ちのお人好し。震災からの復興も率先して汗を流している姿が屋敷からも見えていた。

「まあ、その話はええわ。わしは、若子ぉ村に返しに来ただけ。親はおらへんの?」

「………あたしです……」

 村人の中から手を上げて震えながら出てきたのは村人達と比較するとかなり栄養が足りない痩せた女だった。臭いは若子と同じだから母親であることに間違いはない。

「お屋敷に迷い込んで困っとってな」

 眠っている若子を起こさないようにそっと母親に預ける。

「やっ、山には行かないよう言い聞かせています。何か理由があって山に入ったのだと思います。どうか娘に御慈悲を!」

 若子を抱きかかえたまま母親は必至の形相で頭を下げる。母親の方は、村との約定を知っているようだ。屋敷に入ったということは、わしの自由にして良いことになるのだから。何をされても――たとえ殺されても文句は言えない。

「若子ぉの首んとこ見てみ」

 若子の左首の真ん中あたり。小さな星形のほくろがある。吸血によって付けた印だ。

「困っておった若子ぉはわしに助けて云うた。その答えがそれや。そもそもわしが若子ぉに危害を加えるなら、わざわざ村まで連れて来へんよ」

 ふふっと笑うと母親はほっとしたように吐息を吐く。

「でもなぁ。わしやのぉて、こん村に若子ぉに悪さするのがおるんよ。ほぉら、そっから出て来よるわ」

 わしの指差す方向から、まるで示し合わせたかのように森を割って泥だらけのの子が三人、飛び出す。

「鬼が、化け物が森に! 若子が食われ……」

 みなまで言えずに帽子のの子が、わしの顔を見つめる。

「こん子らぁはなぁ。若子ぉを裸にひん剥こぉ思て服を脱がしたんよ。それで若子ぉは逃げてわしの屋敷に来てしもぉたん」

「うそつき鬼!」

 帽子のの子は、慌てた様子もなく堂々とわしを指差し怒鳴る。

「こいつはうそをついてるんだ。見て、俺は若子の服なんて持ってない」

「嘘吐きはどっちかやろなぁ」

 土にまみれた若草色の洋服を人差し指に引っかけてくるくる。

「土に埋めて証拠隠滅。ざぁんねん。ご覧の通りわしには通用せぇへんよ」

 埋めていることは知っていた。だから森から出て来る方向も分かっていたのだ。

 人間の目に留まらぬ速さで拾って来ただけのこと。

 悔しそうな帽子のの子に、わしはふふっと笑って見せる。

「次、若子ぉに何かしたら死なすよ?」

「そっ、それだけはご勘弁を!!」

 帽子のの子を後ろに隠すように太った女が前に出てきた。母親であろうことは臭いを嗅がずとも行動から分かる。

「そんならちゃぁんと云い聞かすんやな。贔屓せぇとは云わへんけど、若子ぉも母親も余所者や云うて村のもんと同じに扱わんかったら許さへんよ」

「分かりました。同じ村人として扱うよう改めて通達します」

 信太郎が深々と頭を下げ、追いかけるように村人達が頭を下げる。

 これで若子と母親がいじめられることもないだろう。

 若子を返し、釘も刺した。

 わしは屋敷に戻ろうとして一つ付け加えることにした。

「そうそう。若子ぉも、もうお屋敷に来させたらあかんよ。御山ぁは危ないさかいなぁ。ええな?」

 釘を刺して、わしは屋敷に戻った。

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