第一話  疎開

 人間の感覚では昔。

 わしとっては瞬きとそう変わらない程度の昔。

 世界を巻き込んだ戦争と云うものがあった。

 まるで集大成と言わんばかりに人間の武器は進歩し銃や戦車、爆弾などと云う殺戮兵器を生み出した。

 戦争に巻き込まれ、わしの分身体も何体化か破壊された。

 ある者は雨のように銃弾を浴びて。ある者は爆弾の熱に焼かれ、中には捕われ拷問を受けた者もいる。時に知覚外から頭を撃ち抜かれた者もいた。

 大抵の分身体は傍に守らんとする人間がいて本性が出せなかったようだ。

 伝わる分身体の痛みや熱さ、死に際の断末魔はあまり気分の良い物ではない。鬱陶しいので早く戦争を終わらせろとも思うが、まあ人間同士好きに殺し合えば良い。

 そんな世情もあり、空襲などから逃れるために人間は疎開と云う都会から血縁者を頼り、田舎へと避難を行った。

 あの娘もその中の一人だった。

 その日は静かな山の奥深くに住むわしの耳に

「はぁはぁはぁはぁ」

 と、幼子の荒い息が遠くに聞こえていた。

 草木を分ける音。葉に裂かれる皮膚の音。そこから僅かににじみ出る血の匂い。

「あっちだ! 追いかけろ!!」

「まずいよ! そっちは奥の方さまのお屋敷があるって…」

 最初に聞こえた幼子の息とは別のわらしの声。先に走るは女子おなごで、後から来るはの子か。

 だが、ここに来ることはできまい。

 麓の村の者とは古くから不可侵の約定を結び、さらに血によるしゅを施して人間除けをしてある。抜けられるはずも無し。

 ……ほう。最初のしゅを抜けよったか。となると村長むらおさの血筋か。

 さて、どこまで来れるものやら。

 縁側に立っていたわしは、軒下にある漆塗りのぽっくりに足を乗せて庭に出る。

 しかし、この唐衣裳と云うものは大人しくしている分には問題ないが動くには不向きなものよ。

 ゆっくりとした所作で庭を左に行くと人間が四脚門と呼んでいた門に観音開きの扉がある。門から左右に八尺ほどの高さの塀が屋敷を取り囲む。こちらから外は見えるが外から中は霧に煙って見えないよう施してある。

 出入りは四脚門のみ。

 入ってくるとするならば、それはそれで面白い

 右手、塀の向こう側を回って来た女子おなごの足音が門前まで来た。

 微かに軋んで門が開くと足音の持ち主の女子おなごが姿を見せた。おかっぱ頭に大きくて丸い目は黒々として、低い鼻は薄い小さい唇と合わせたかのよう。日に焼けた身に着けているのは白い肌着だけのようだ。

 やれやれ。日の本の恥じらいとやらは何処へ消えたのやら。あるいは戦争で着る物にも不自由しているのだろうか。

 門から内側に入ろうか迷っていた女子おなごは、元来た方向を見、慌てた様子で庭へ駈け込んで来た。

 そして、わしの足にすがり

「たすけてくだ――」

 と言いかけて、わしの目を見て黙った。

 再び口を開こうとした時に追いかけて来たのであろうの子が門をくぐる。

「若子! てめぇ、こんなところまで逃げやがって!」

 一番やんちゃそうな、額に星マークが入ったカーキ色の帽子のの子が手に若草色の洋服を手に怒鳴る。

「お前、若子ぉ言うんか?」

 足元の女子おなごはわしの足元にしがみ付きながら頷いている。

「わしに助けて欲しいんか?」

 同じく、今度は激しく頷く。

「と云うことや。若子ぉの話は聞いた。平等にお前等の話も聞いたる。なんで若子を追い回すん?」

「そんなの決まってる!」

 他の二人が初めて見るわしにオドオドしているにも関わらず、帽子のの子が怒鳴り、その声に反応して若子が震える。

「そいつがよそ者だからだ。よそ者は地元の人間の言うことを聞かないといけないんだ!」

「それで若子ぉの服を脱がしたんか?」

「よそ者のくせにキレイな服を着てるなんてナマイキだからだ」

 呆れた理屈にピキっと額が引きつる。

「ほうか……ならば、疾くね……」

 静かに。声に圧力を込めて。

「若子を…よこせよ」

 帽子のの子の声色が先ほどよりも弱くなる。

「聞ぃたことあらへん? 山の奥に鬼が住んどるって?」

「…それって奥の方さまの話じゃ…」

「でも奥の方さまは鬼だって。あの女、ツノないよ」

「そんなのどうでもいいんだよ!」

 取り巻きの怯えた様子に腹が立ったのか帽子のの子が声を荒げた。

「若子をよこせよ、鬼。シミーズも脱がして裸を見てやるんだからよ!」

「鬼か。うん、鬼なぁ。それはこう云うんか?」

 左目上の額辺りからミシミシ音を立て頭蓋骨が尖り捻じれて、皮膚を突き破って赤黒いツノが天を突く。

「おっ、鬼だ! にげ、逃げないと!」

 取り巻き二人は、既に逃げ腰になりそろそろと後ろに下がりだす。

「若子、こっち来い! お前も食われるぞ!」

 帽子のの子が若子の服を持った手を差し出してから、己が行為を思い出して左手を出し直した。

 わしの足にしがみ付く若子はより強くしがみ付き嫌々と首を横に振っている。

「おや? 一本じゃ足らへんの。そんなら」

 左と同じように右の額にもツノを生やす。

「おまけもあげようなぁ」

 人間で云うところの犬歯を太く大きめに伸ばし大きく口を開き、わしは言った。

「さあ、疾くね。粗相そそうしたお前達を今すぐ食ろうてもええんよ。お屋敷に入ったもんには何をしてもええて約定があるさかいになぁ」

「それなら、わっ、若子も食うのか? そんなダメだ! 返せ、返せよ!」

 この帽子のの子が逃げようとしないのは若子を好いておるが故か。となると意地悪も……まぁ、わしには関係ない。

 右の指先をの子に向け、爪を伸ばして足元に突き刺す。

「次は無い…」

 さすがに恐怖を感じたか、の子らは、うのていで門から逃げ去った。

 わしは、再びの子に門を開けられぬように両手を振った勢いで門を閉じる。

 拒否対象として刻み込むことで、もう二度と門をくぐることは叶うまい。

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