ラストチャンス

 空に現れた黒い染みは徐々に広がり、大口を開けると少しずつ周囲の物を吸い込み始める。


 しかし、フリック達がこの世界に来る原因となったワームホールより小さい上に吸引力が弱いようで、大地に足を付け重力に縛られたエアレーザーが吸い込まれる事はなさそうだった。


自ら飛び込まない限りは。


「フェアリー、あのワームホールの先は俺達の世界に繋がっていると思うか?」


 並行世界ないし異世界がある事は実体験によって証明したとはいえ、世界が2つしかないのか、それとも無数に存在するのかまでは分かっていない。


 つまり目の前の穴にうかつに飛び込めば、下手をすればまた違う世界に飛ばされて元の世界には戻れませんでした、というオチが待っているかも知れないのだ。


「繋がっていると断言出来ます。ワームホールが開いたのと同時にネットワークとの接続が回復しましたので」


 フリックの世界では人類の勢力圏全域にネットワークが張り巡らされており、軍用機ならばどこでも最優先で接続が可能なのだ。


「どうしますか軍曹? 以前マルコス氏に迫られた時はこの世界に残ると仰っていましたが、本当に残られるのですか? 恐らくこれが帰還出来る最後のチャンスになると思われます」


 フェアリーの解析によると、今回ワームホールが開いたのはドラゴンのビームとライフルの攻撃が対消滅した事が原因らしい。


 つまりドラゴンを倒してしまった今、この世界では二度とワームホールが開くことはないかも知れないのだ。


「……決まっているだろ。俺はこの世界に残る」


 戦友やタナトスの乗組員達の事が気にならないといえば噓になるが、それでも元の世界に未練は無い。


 それよりも愛する人がいるこの世界に残りたいという気持ちの方が強く、元の世界に帰れる最後のチャンスを前にしてもフリックの決意が揺らぐことは無かった。


「ただフェアリー、お前には悪いがエアレーザーは送り返すぞ。軍人としての最後の責務だ」


 もし帰るチャンスがあれば、たっぷりと予算と時間が掛けられて開発され、試作機一機しか存在しないエアレーザーだけは送り返さなければならないとずっとフリックは考えていた。


 フェアリーのアッカへ対する気持ちを知っているが故に心苦しいとは思うが、フェアリーとエアレーザーはある種一心同体なのだから仕方が無いのだ。


「それなのですが軍曹。当機、エアレーザーは貴方に授与されました」


「……どういう事だ? 意味が分からないぞ」


 頭が疑問符で一杯になるフリックにフェアリーが説明を始めた。


「先程軍曹がこの世界に残られる事を決定されたのを受けて軍曹の退役願いをネットワークを通じて軍に申請し、同時に私の状態についての自己診断レポートも提出しました」


 フェアリーのレポートとは、自身に感情が芽生えるという重大なエラーが発生し、軍需品として利用するには問題があると判断し、自身を破棄すべきという内容だ。


「それだとお前が帰ったら消されるないし研究所送りになるというだけで、エアレーザーが俺の物になる理由にはならないだろ」


「ええ、確かにそうですね。ですが今軍曹は特殊な状況下に置かれており、現在までの給与や危険手当、退役後に支給される年金などの報酬が一切受け取れません。そこで軍規を参照すると軍が給与や手当などを貨幣で支給出来ない場合は、装備品等の軍の備品類を代わりとして良いと記されています。そこで現状軍曹の手元にあるのはエアレーザーとパイロットスーツ等の装備品のみですので、エアレーザーは貴方の物になったのです」


「いくらなんでも屁理屈過ぎるだろ。軍が認める筈が無い」


 確かにフェアリーの言っている事は一応正しいのだが、フリックが生涯軍に身を捧げたとしても、全てひっくるめて得られる報酬はエアレーザーの開発費の足元に及ばない。


 だからどう考えても報酬の代用とするにはエアレーザーには価値があり過ぎ、過剰な報酬なのだ。


「ですが軍からの返答が無いので現場判断を優先するしかないでしょう。ワームホール越しで繋がっているので回線に悪影響が出ており、通信に支障を来しているので上手く返答を受信出来ていないだけかもしれませんが」


 先程はネットワークと通じたと言っていたのに、今更不安定などと明らかに嘘を付くAIにフリックは頭を抱える。


 そんなフリックに止めをさす為、それに、と言いながらフェアリーはエアレーザーに搭載されているドローンを一機発進させると、ワームホールに突っ込ませる。


「あのドローンには軍曹が書かれたエアレーザーの試験運用評価レポートとこの世界で得た私のデータ、それに一応軍曹の退役願いも記録させてありますので試験機が失われたとしても恐らく問題ないかと思われます。寧ろデータ収集の役目を終え、不要になった試験機が世界が違うとはいえ民間の治安維持に活かせる人物の元へと渡るのは軍としても喜ばしい事でしょう」


 どうやらフェアリーは意地でもこの世界に残る気だと理解したフリックは、腹の底か笑いがこみ上げ、自分でもこんなに笑えたのかと思う程、大声で笑い出した。


「アッハッハッハ、元々人間臭い奴だとは思っていたがここまで人間らしくなるとはな。分かった、お前の言う通りエアレーザーは正当な報酬の代わりとして確かに受領した」


「ご理解の程感謝します、軍曹。そういえばもう退役されたのですから階級ではなくお名前でお呼びしてもよろしいですか?」


「構わないさ。……帰るか、フェアリー」


 こうして共に改めてこの世界に残る事を決めたフリックとフェアリーはワームホールに背を向け歩みだす。


 新たな人生へ、そして、愛する人がいる帰るべき場所へ。

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