始まりの数コマ 〜一コマシリーズ0

阪木洋一

1.平坂陽太


「勝負だ、鈴木ィっ!」


 五月も終わりに差し掛かった曇り空の下、男女合同体育の授業が始まる前の休み時間のことである。

 鈴木すずき桜花おうかが、ふわふわの長髪をアップに結び、少しだけズレていた眼鏡をなおしながら、準備運動を行っていたところ――クラスメートの男子生徒から、そのように声をかけられたのは 


「……勝負? 平坂くんと?」

「そうだっ!」


 声をかけてきた男子生徒の名を、平坂ひらさか陽太ようたという。

 身長百六十七センチの桜花と同じくらい(もしくはわずかに低い)の背丈に、細っこい身体。中性的な顔立ちと、所々にハネがあるくせっ毛。前髪をヘアピンで留めており、場合によっては女の子のようにも見える。


「ええと……なんで勝負?」

「フン、やたら人気があって、運動が出来て、実力テストだけでなくこの前の中間テストでも学年トップで……女のおまえにこのまま調子に乗られると、オレの男が廃るんだよっ!」


 ビシっと指さしてくる陽太。

 大きな吊り目はギラギラと闘志に燃えている。


「やだー、男の嫉妬って見苦しいー」

「平坂、サイテー」


 ただ、今の口上に、クラスの女子からは総スカンを食らっていた。

 その上、


「……平坂、現在進行形で男が廃り始めているようだぞ」

「うぐっ……い、いいんだよ。こういう細かいことを気にしてたら、それこそ男らしくなんてねェからな」

「そんな女顔で、男らしいだの何だの言っててもなー」

「うるせェよっ!?」


 友人らしき男子からも寒々とした目で見られ、陽太、わりと涙目である。

 あと、顔のことを言うのは、彼にとっては禁句であるらしい。

 そんなこんなで、女子生徒だけではなく、クラスの男子生徒からもツッコミを受けているのに、彼はどうにも空回っているようだった。


「……うーん」


 いきなりのことだったのと、この空回りとで、桜花も桜花でこの勝負に少し気が乗らなかったのだが、


「受けてやればよいではないか」


 そこで、桜花の友達である小柄な少女、姫神ひめがみナナキが口を挟んできた。

 おかっぱの黒髪を揺らしながら、桜花と同じデザインの眼鏡をかけた琥珀の瞳を、面白そうに細めている。


「ナナちゃん?」

「平坂少年、そこまで言うのなら、勝つつもりなのじゃろ?」

「おうよっ! もしオレが負けたら、何でも言うこと聞いてやらあァっ!」

「ん? 今、何でも言うことを聞くと言ったな? よし、オーカ、受けてやろうぞ」

「……もしかしてナナちゃん、今日の部活、平坂くんに手伝わせるつもり?」

「なんのことかのう」


 口笛を吹く仕草をしながら、明後日の方向に視線を向けるナナキ。

 こういうケースは口笛を吹けないのがお約束なのだが、彼女の場合はやたら上手だ。しかもベートーベンだ。悲壮という名の小難しい曲だ。すごい。そして可愛い。

 それはともかく。

 桜花の言う部活とは――ナナキが部長を務め桜花も所属している、校内奉仕および生徒達の校内活動補助のよろず請負を目的とした部である。

 本日の予定は、生徒会の書類仕事の手伝いとなっている。

 なるほど、人手が多いに越したことはない。


「んじゃ、ここは一つ、ナナちゃんのために骨を折りますか」

「ククク、やる気になったようじゃな」

「おい、もう勝った気になってんなよ? 昔っからオレは、ガッツだけは一人前って言われてんだからなっ」


 陽太がふんぞり返りながら言うも、周囲からは『ガッツだけかよ』というツッコミが入っていた。


「ほほう。その闘志に敬意を払って、平坂少年にも、もし勝ったときの見返りを与えてやろう。そうじゃな……オーカのスリーサイズ大公開でどうじゃ?」

「なっ……す、すりー……!?」

『おおおおおおっ!』


 ナナキの提案に、陽太が瞬時に顔を赤くしながら仰け反り、同時にクラスの男子達が大きく色めき立った。


「くぉら、ナナキ! なに勝手に決めてんだっ!」


 と、話を聞きつけた、桜花の幼馴染である少女、七末ななすえ那雪なゆきがナナキをどやしつけるのだが、もはや後の祭りである。


「平坂、絶対に勝てっ! 絶対にだっ!」

「六組男子の命運はおまえにかかってるっ!」

「男を上げるチャンスだぞ平坂っ!」

「勝てなかったら、わかってんだろうな?」

「ついに、ついに鈴木さんの神秘の一つが明らかに……!」


 男子の盛り上がりっぷりを見てると、もはや後に引けない状況だ。

 皆、平坂陽太という少年に、期待を、激励を、なおかつ重圧を向けている。


「すりーって……や、やっぱり、身体の? そ、その、胸とか? 腰とか? ええぇ……っ!?」


 一方の陽太、今も仰け反って固まったまま、ブツブツと呟いており、周囲の男子の期待の声も右から左に抜けている模様。

 どうも、こういう女性の肉体的な話題には、わりと耐性がないらしい。


「わたしは別に公開しても構わないんだけどなぁ。特に気にしているわけじゃないし。今ここで教えてあげたらどうなるんだろ?」

「……桜花はもう少し、男子の視点を気にした方がいいと思うぞ」

「うーん?」


 那雪がげんなりと呟くも、桜花はイマイチピンと来ない。

 スリーサイズが明かされたとしても、自分の身体をすべてをさらけ出すわけでもなし、あまり気にすることでは無いとも思うし、桜花にとって、さらけ出す相手はもう決まっていることだし。

 ……ただ、


「まあ、ゆっきーにそこまで心配かけるわけにもいかないし、本気出しときましょうか」


 それだけを呟くことで。

 準備運動をする桜花の中で、スイッチが切り替わるのを感じた。



 で。

 勝負の内容はというと、体育の授業で行われた、千五百メートルの持久走であったのだが。


「ふぃー、いい汗かいたね」

「はぁっ……はぁっ……そんな、バカな……!」


 結論から言うと、勝負は桜花の圧勝で終わった。

 平坂陽太はそこそこに足が速く、本人の言うとおり、持久力もあったのだが……一方の桜花は、クラスで一、二を争う快足であり、それは持久走に於いても例外ではない。

 実力差は歴然としていた上に、先程の女性の肉体的な話の耐性のなさと、男子から寄せられるプレッシャーが響いて、陽太は実力を出し切れず……終わってみれば、グラウンドのトラック一周半遅れという大差が付いてしまった。


「なんだ、あんだけ大口叩いておきながら、惨敗かよ平坂」

「使えねー、平坂マジ使えねー」

「男らしくねーぞ平坂。いっそのこと女装しろ平坂」

「おう平坂、着替え終わったら説教な」

「罰としてパン買ってこいよ平坂」

「三分な平坂」


 とまあ、期待していた男子一同からダメ出しおよびブーイングを食らい、しかもパシリ同然の扱いを受け始めて、居たたまれなくなったのか、


「つ、次は、絶対に負かしてやっかんなっ!」


 授業終了後、捨て台詞を吐いて涙目で去っていく陽太なのであった。


「……まったく。あの少年の負けず嫌いは相当なものよのう」

「あはは……まあ、常に高みを目指すのはいいことなんじゃない?」

「しかし先日、我に小テストの勝負を仕掛けて返り討ちになったし、ナユキにも家庭科の調理実習で勝負を仕掛けて返り討ちになったではないか」

「でも翌日にはしっかりとテンションを復活させて他の人に勝負を挑んでいる辺り、本人の言う通り、ガッツだけはあるのかも知れないな」

「うーん、つまるところ、相手の得意分野に挑戦するのはいいことなんだけど、勇気と無謀は違うってことをわかればいいんじゃない?」

「……桜花、何気に酷いこと言ってるぞ」


 と、桜花達が口々にコメントする通り。

 非常に負けず嫌いで、挑戦をしては連敗を重ねてもヘコタレることはなく、どんな時でも挑戦者なところが、何故か憎めない。


 それが、クラスメートから見た、平坂陽太という少年である。

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