第4章 祭りまで

1 佐藤創名

え・・・?


初対面の女の子に抱きしめられた・・・?


僕は予期しない状況に理解が追いつかず、固まってしまった。


「聞いたっスよ。この間お兄さん、過呼吸の発作を起こしたそうっスね」


小柄な佐藤さんの頭は僕の顎下辺りにある。


そのまた下には佐藤さんの胸。

余り大きいとは言えない控えめな胸だが、抱きしめられているからにはその感触がどうしても伝わってくる。


「可愛そうなお兄さん。こんなにいたら心を病んで発作も起こるっスよね」


佐藤さんは背伸びをして僕の耳元でささやく。


「安心して欲しいっス。お兄さんを苦しめるは、きっと、自分が取り除いてあげますからね」


そう言って佐藤さんは僕の頬に軽く口づけをした。


何だか穏やかじゃない事を言っている様にも聞こえたが、それ以上に佐藤さんの一連の行動で、(マナミさん以外の)年頃の女の子にほとんど免疫の無い僕は、完全に頭が真っ白になっていた。


「さて、じゃあ自分はチェックインしてくるっス」


固まっている僕をよそに佐藤さんは祝旅館の中に入っていく。


何だったんだ?

今のは?


・・・あ、多分アレだろう。

僕、かなり緊張しやすい性格だから、佐藤さんには僕がキョドっている様に見えたのだろう。


だからアレは、佐藤さんが面白半分で僕をからかっていたに違いない。


昔から僕、人見知りで口下手だし、からかわれやすい性格だったものな・・・。


佐藤さんは人をからかうのが好きな女性なのだろうか・・・?


等と僕が考えていると、後ろから声を掛けられた。


「一部始終は見せて貰ったわ!本間鐘樹!!」


この声は・・・。


「まさかマナ姉さまだけでは飽き足らず、あんな何処の馬の骨とも分からない女とも二股しているとはね・・・。この件はマナ姉さまに言い付けてやるんだから!」


名二三だった。

何だか決定的瞬間を捉えた事で得意げな顔をしている。


「姉ちゃん。あんまり本間さんを煽るの止めなよ・・・」


勝吾君も一緒にいる。

決定的瞬間の目撃者である姉がこれから煽り倒すであろう僕の事を、少し気の毒そうな表情で見ている。


・・・いや、僕にとっても意味不明の決定的瞬間だったのは間違いない。

だって、間接的にとは言え、女の子の胸の感触を味わったのなんて初めてだし・・・。


当たり前だが、マナミさんにも抱きつかれた事なんて無いし・・・。


僕は未だにボーっとしていた。


リアクションの薄い僕に名二三は少し興をそがれたかの様に言った


「ど、どうやらバレたのがグウの音も出ない程にショックだった様ね。べ、別に言い訳があったら聞いてあげても良いんだからね!」


「・・・知らない女の子に急に抱きしめられた」


僕は独り言の様に言った。


「な、何よ!?知らない人がいきなりアンタの事抱きしめる訳無いじゃない!」


「だって、実際そうなんだもん」


僕は言う。

と言うか、そうとしか言い様がない。


「俺にもそんな感じに見えたな。あの女性が一方的に本間さんに抱きついて、本間さんは呆然としている様に見えた」


・・・!

助かる!

ここに客観的に物事を見てくれる勝吾君がいて本当に良かった。


・・・いや、別に名二三は客観的に物事が見えないと言っている訳じゃ無いんだ。

うん・・・多分。


勝吾君の発言に名二三は異を唱える。


「ふふん。ショウ君にはまだ大人の世界は早いみたいね・・・。お姉ちゃんの女の勘がビンビン言っているわ。あいつら二人は出来てると・・・ッッ!」


「姉ちゃんの勘が当たった事って、今まであったっけ?」

勝吾君は肩をすくめる。


「と、とにかく私が言いたいのはマナ姉さまに相応しいのはやはりこの私。中川名二三と言う事よ!せいぜいあなたはあの何処の馬の骨とも分からない女とよろしくやっていれば良いわ!」


名二三は一人で勝ち誇ってる。


「あの、名二三?」


「な、何よ?」


「あの人は佐藤さんってお客さんだよ。”何処の馬の骨とも分からない女”とか大声で呼ぶの失礼だから止めてくれない?」


僕は言った。

佐藤さんは祝旅館のお客様だ。

流石に人聞きの悪い言い方で呼ぶのは止めてくれと僕は名二三に釘をさした。


「フン。けどお父様の話じゃあの女、随分と怪しい奴みたいじゃない?」


「あっ!ちょっと姉ちゃん」


「私はお父様の密命を受けてやってきたのよ。あの佐藤って女、北さんの・・・。フガフガ!」


「あー。本間さん?姉ちゃんアホだから。時々よく分からない事言い出すんだ」


名二三が得意げにペラペラ何かを話そうとした所に慌てて勝吾君が姉を取り押さえた。

その様に見えた。


・・・密命って秘密だから密命って言うんじゃないか?

ふと僕はそんな事を思った。


「何処の馬の骨とも分からない怪しい奴で悪かったっスね。中川ナツミさん」


・・・!?

佐藤さんがいつの間にか玄関先に戻っていた。


「あれ?自分の後をつけて来たのは一人だけかと思ったんっスけどね。中川家姉弟きょうだい二人でいらしてたんっスか?」


チェックインを終わらせ、荷物等は客室に置いてきた様だ。


て言うか、今の会話聞かれてた?

あー・・・。言わんこっちゃ無い。

僕は面倒な事になったと重いため息を付く。


・・・ん?

何だ?

名二三が僕の後ろに隠れて急に大人しくなった。


「あ・・・あの。は、初めまして。私はこの村の住人で・・・」


名二三の自己紹介を佐藤さんが途中で遮る。


「初めましてじゃ無いはずっスよね?中川ナツミさん。あなた剣道の全国大会で自分に勝ってる人っスよね?何スか?勝った相手の事なんて覚えて無いんスか?」


え・・・?

佐藤さんと名二三は剣道の全国大会で対戦したことあるのか。

そして名二三は佐藤さんに勝っている・・・?


”佐藤創名は少なくとも過去数年の間にマナミや名二三と数度面識があるはずや。少なくとも本人は鮮明に覚えとるそうや”


ふと、北さんのセリフを思い出した。

北さんの発言が正しければ確かに佐藤さんと名二三は”初めまして”では無いはずだ。


「ヒェッ!?ち、違うんです!覚えてましゅ。その節はお世話になりましゅた・・・」


何だ?

名二三が僕の後ろに隠れながら無茶苦茶どもってる。


マナミさんから名二三は本来人見知りが激しい子だと聞いてはいたが、ここまでとは・・・。


僕との初対面のやり取りで名二三と僕は一気に心理的距離を縮められたと言うマナミさんの分析はあながち間違ってなかった様だ。


てか、さっきまでの威勢はどうしたんだよ・・・。


名二三はオドオドと僕の背で戸惑っていたが、小声で僕に無茶苦茶な事を言う。


「ちょ、ちょっと。本間。アンタの女なんでしょ?何とかしなさいよ」


・・・名二三って内弁慶な人間なのだろうか?


佐藤さんは名二三のセリフが聞こえた様で、指を鳴らしてニッコリと笑った。


「ナツミさん。良いこと言うじゃないっスか。そうっスね。自分、お兄さんの女になりたいっス♪」


え・・・?

ええ!?何言ってるの佐藤さん!?


「ほ、ほら。佐藤さんあんな事言ってるわよ?わ、私はもう帰ろうっかな・・・」


「ナツミさん。もう帰っちゃうんスか?密命とやらは良いんスか?」


「ヒャッ!?な、何の事だか分からないでしゅ・・・。す、すみませんでした!失礼します!」


あ・・・名二三が一目散に逃げ出してしまった。


本当にあの子両極端だな・・・。


残されたのは僕と佐藤さん、それに勝吾君。


「すみませんね。ウチの姉が。姉ちゃん、超人見知りなんです。親しい人以外はあんな感じなんです」


勝吾君が佐藤さんに話しかける。


「俺は名二三姉ちゃんの弟で・・・」


「中川勝吾君っスよね?」


「へえ。よく知ってるね。北さんに聞いたの?」


「そんな所っス。アナタも村長さんからの密命とやらは受けてるんスか?」


勝吾君は軽くため息をつく。

うーん。姉が姉だけにこの少年は色々と苦労してそうだ。


「そんなもの無いよ。ようこそ寒戸関村へ。村長の父に代わってアナタを歓迎します。佐藤さん」


勝吾君は佐藤さんに右手で握手を求める。


と、取り合えず勝吾君が名二三のおかげで無茶苦茶になった状況を収めてくれそうで助かる。


勝吾君と佐藤さんが握手をする。


5秒・・・10秒・・・。

長い握手だった。

ふと僕は勝吾君と初対面の時、握手をした事を思い出した。

あの時確か・・・。


そうだ、勝吾君は合気道に似た技を使う。

ひょっとして今それを佐藤さんにやってるのか・・・?


15秒・・・20秒・・・。


佐藤さんは涼し気な顔をしている。

対する勝吾君は・・・初めこそすました表情だったが、顔がかなり真剣になっている。


25秒・・・30秒・・・。


突然、勝吾君がビクッと身体を反応させたかと思うと、左腕で佐藤さんの右腕をはたき、自分の右手を佐藤さんから離すと同時に、凄まじい速さでバックステップを踏み、佐藤さんから距離を取る。


「アレ?もう良いんスか勝吾君。もっと本気を出してくれても良いんスよ?」


勝吾君は顔に大量の汗をかいていた。

それは暑さから来る汗では無い。

明らかに冷や汗と思える汗だ。


「・・・十分です。 すみませんね。年上の人に試すような事しちゃって」


「ありゃ。じゃあ今のが勝吾君の本気だったんスね。ちょっと拍子抜けっス」


「別に。俺は姉と違ってガチで武道やってる人間じゃないんで」


勝吾君はすました顔で返事をするが、ちょっとだけショックを受けている様にも見えた。


「それじゃあ、佐藤さん。本間さん。俺は帰ります。お騒がせしました」


そう言うと勝吾君は帰って行った。

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