9 発作

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1989年7月18日 火曜日

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翌日、僕は事前にセットしておいた目覚まし時計の音で起きた。

二階の子供部屋だった。

・・・あれ?僕はこんな所で布団を敷いて寝てたのか。


9時まで寝ていいとのマナミさんが言っていたので、取り合えず目覚ましは8時にセットしていた様だ。


昨日は大橋さんから物騒な話を聞いてしまったので、眠れないかもと思ったが人間疲れている時はそれでも眠気には勝てない様で、大橋さんが帰ってから僕はフラフラと倒れこむように寝てしまった。


顔を洗って、歯を磨いて、着替えて・・・。

準備をしながら考える。


昨日は大橋刑事の話が不愉快で・・・それを否定したい気持ちが先走って、自分でも驚くほど過剰に大橋刑事を嫌悪するような発言をしてしまった様に感じる。


しかし、大橋刑事の発言が、本人が言っていた様にただの怪談話だったとしても、妙に具体的な話だった様な気もする。


もしかしたら、大橋さんが怪談話と言ったのは、僕が話に嫌悪感を示したのでそれに対する大橋さんなりの気遣いだったのかもしれない。


そして、今僕がいる空き家・・・。


大橋さんの話が事実ならば、一番初めに失踪した男性と、その後失踪した妻、そして取り残された子供の住んでいた家という事になる。


改めて空き家を調べてみる。


まだ本の置いてある書斎。

化粧品等を収納してある女性部屋。

玩具やぬいぐるみが並べてある子供部屋。


それらの部屋はある程度片づけられた痕跡はあるものの、ほとんど手付かずのまま放置されている。


いやむしろ整理整頓されている様にも見える。


まるで、いなくなった住人がいつ帰ってきても良いかの様に・・・。


マナミさんは昨日この空き家を旅館の満室対策として使えないかと話していた。

そしてその提案を受け、五兵衛さんも電気水道を通した事になる。


それはつまり、各部屋に残された元住人の生活の痕跡を片付けて無くしてしまい、旅館の客室の様な部屋にしてしまうと言う話だろう。


10年以上現状維持をしてきた空き家の様相を変えてしまう・・・それは何だか縁起では無い話の様にも思えた。まるで、もうこの家の住人は帰ってこないと見切りを付け、諦めてしまったかの様な・・・。


見切りを付けて諦める?

本当にそうなのだろうか・・・。

もしかしたら、この家の住人は誰も戻って来ないのを寒戸関村の人々は知っているのでは無いか・・・?


”もし、寒戸関の方々が口裏を合わせて嘘の証言をしていたなら”・・・昨日の大橋さんのセリフが脳裏をかすめる。

普通何の根拠も無くそんな事を刑事が口にするだろうか?

僕は反射的にそんな話は聞きたくないと、耳を塞ぐかの様に大橋さんの話を拒絶してしまったが、本当にそれで良かったのだろうか・・・?


”警察は人を疑うのが仕事”そんなことも言っていた。


・・・いや、深く考えるのは止そう。


アレは大橋刑事が僕をからかってただけの話だろう。


準備を終えると、僕は旅館に行った。


マナミさんと弥栄さんが待っていた。


「9時ちょうどだね。私もうお腹ペコペコだよ」

とか言いながらマナミさんはお茶碗を箸でチンチン鳴らしていた。


朝食を頂く。

・・・余り食欲は無かったが、残すのは悪いので僕はご飯を無理やり胃袋に押し込む。


「よーし、それじゃあお客さんの部屋の掃除と行こう」


僕たちは客室清掃を行った。

まだ二日目だからか、別々に違う部屋を清掃するのでは無く、マナミさんと僕が二人で同じ客室を清掃する。


「今日は北さん一日中客室で過ごすって。だから客室清掃しなくて良いって」


「うん」


「~でさ、昨日母さんったら~で、笑っちゃうよ」


「うん」


「そう言えばナっちゃん、~だったなー。今度~しちゃおうっと」


「うん」


「カネちゃん?何だか手が動いてないよ?もしかして、もうサボる事まで覚えちゃったかな~?」


「うん」


「って、否定しないのかい!?」


「うん」


「・・・大丈夫?カネちゃん。何だかボーとしてるよ?」


マナミさんは心配そうに僕の顔を覗き込む。


「えっ?あ、ごめん。何の話だっけ?」


「カネちゃん、今日朝から元気無いように見えるんだよ。昨日眠れなかった?」


「あ、睡眠はちゃんと取れたよ。ごめん。ボケっとしちゃって」


僕は謝った。


「まだ本調子じゃないなら休んでても良いよ。昨日はあれだけ頑張ったもんね」


「あ、いやごめんちゃんと集中するから」


マナミさんは体温計を持ってくる。


「一応熱測って。夏風邪引いてるかもしれないし」


熱は無かった。

マナミさんは僕に仕事を続けさせて良いものかどうか迷ってるみたいだ。


「本当にゴメン。ちょっと考え事していただけだから」


「・・・そう?なら良いけど。ヤバそうなら上司命令で強制休憩入らせるからね」


何とか僕は集中して清掃を続ける。

マナミさんは僕の様子を注意深く観察しながら仕事をしている。

ちゃんと働かないと・・・。


取り合えず、客室清掃が終わった。

続けて、浴室や食堂等、旅館全体の清掃も終わらせる。


「お疲れ。カネちゃん。昼食は母さんが作るって。さっき母さんが冬馬さんに会ったって。今なら挨拶出来ると思うけど、どうしようか?疲れたならまたの機会でも良いと思うけど・・・」


マナミさんは言いながら迷っている様だ。

多分僕が朝から不甲斐ない状態だからだろう。

これ以上マナミさんに心配かけさせる訳にはいかない。


「挨拶する」


「うん。じゃあ私も一緒に行くから。母さんちょっと冬馬さん家行ってくる」


「分かったわ。いってらっしゃい」


弥栄さんを見ると、消化の良さそうなオジヤ等を作ってくれている様だ。

弥栄さんも僕の体調を心配してくれているみたいだ。


・・・僕は妙な考えを頭から振り払った。


ちゃんとしないと・・・。

しっかりしないと・・・。


大橋刑事の事はもう忘れよう。


僕たちは冬馬さんの家に向かった。


呼び鈴を押す。


程なくして扉が開く。


長身でやせ型、そして無表情な顔をした男性だった。


ドクン。


「こんにちわ冬馬さん。今日は挨拶に来ました」


ドクンッ!


「真名美、この男が以前言っていた本間鐘樹か?」


ドクンッッ・・・!!


冬馬さんが僕を見る。


ドクン!ドクン!ドクンッッ・・・!!


僕は挨拶をする。


「初めまして・・・僕は、祝旅館で、働く・・・ことに、なった・・・」


何だ?

息が苦しい。

胸が苦しい。

言葉が続かない━━━。


「ほんま・・・かねき、・・・と」


僕はいつの間にかかがんでいた。


「カ、カネちゃん?どうしたの!?大丈夫!?」


”大丈夫”、と僕は答えようとしたが、言葉が出てこなかった。


「と、冬馬さん!カネちゃんが!!」


「落ち着け真名美。テーブルと布団を持ってこい」


オロオロしているマナミさんと対照的に冬馬さんは素早く僕の衣服を緩める。

マナミさんと弥栄さんが机と布団を急いで持ってくる。

冬馬さんが机に布団を敷いてその上に僕の上体をうつぶせに寝かすようにする。


「真名美、こいつの背中をさすってやれ」


「わ、分かりました」


冬馬さんはしばらく僕の症状を観察すると言った。


「本間、よく聞け。呼吸を”ゆっくり”と行え」


僕は冬馬さんの指示に従い、ゆっくりと呼吸を行う。


「よし。次に息を2秒程止めろ」


息を止める。


「止めた息を10秒位かけてゆっくりと吐け」


息をゆっくり吐く。


「しばらくそれを続けろ。急いで息を吸おうとするな」


言われた通りにする。


「俺は車を用意してくる。真名美と弥栄は、しばらく見てやっててくれ」


「分かりました。カ、カネちゃん。きっと大丈夫だからね!」

「鐘樹さん、お気を確かにしてください」


マナミさんと弥栄さんが背中をさすってくれる。

1分、3分、5分、とそれを続ける。

呼吸が楽になってきた。


「あ、普通に呼吸が出来るようになってきた」


「カネちゃん、無理に喋っちゃダメだよ!」


何だか僕よりマナミさんの方が狼狽えている。

普段のんきなマナミさんがオロオロしているのが珍しくて、ちょっと笑ってしまった。

少しだけ余裕が出てきたみたいだ。


冬馬さんが車を用意して戻ってきた。


「本間。お前は乗り物や、狭い空間は苦手か?」


「いいえ。そんなことはありません」


「よし。なら俺が相川の病院まで連れていく。乗れ」


「待って下さい。私も行きます」

とマナミさん。


「カネちゃん。朝から元気無かったんです。無理に仕事をさせてしまった私にも責任があります」


マナミさんは申し訳なさそうに言った。


「あ、すみません。僕が元気が無かったのは、個人的な考え事をしていたからで、集中出来てなかったからなんです」


僕も申し訳なさそうに言った。


「カネちゃん、個人的な考え事って何?」


「実は・・・昨日空き家に帰ってから、大橋刑事って人が来て、そのことで・・・」


僕は曖昧な返事しか出来なかった。

何をどこまで話せば良いのか分からなかったからだ。


しかし、僕の言葉を聞いて、弥栄さんとマナミさんが驚いた表情になる。

冬馬さんは表情は変わらなかったが、何かを察した様に見えた。


冬馬さんは不意に二階の客室の窓を見た。


僕もつられて視線をたどったが、二階の客室の窓には誰もいなかった。

・・・?

何だったんだ、今のは?


「真名美、お前は来なくて大丈夫だ。俺に任せろ」


「でも・・・」


「お前はこの後、祭りの打合せで出かける必要があるだろう?・・・後は俺に任せろ」


「な、なら私が同行します」

と弥栄さん。


「真名美も弥栄もいない状態で”客”だけ旅館に置いておく訳にもいかないだろう」

弥栄さんとマナミさんが顔を見合わせ、頷く。


「・・・分かりました。カネちゃん、これ診療代。領収書も持ってきて。労災扱いにするから」


「え?良いよそれくらい自分で払うから」


「ダメダメ。こう言うのはキッチリしないと。じゃあ冬馬さん、カネちゃんの事よろしくお願いします」


僕は冬馬さんの車の助手席に乗り込むと病院に向かって出発した。

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