第十五話 第二次神流川の戦い③ 戦局と真意

《転》戦局の流離


「.....うむ。ここまで来れば問題はなかろう。」


「北条方もさすがに肝を冷やしたでしょうな。」


「.......」


「わしの知略は、これからが正念場じゃ。言ったであろう?『神流川は序の口』と。」


真田昌幸麾下3000の兵は、すでに神流川の戦域そのものを離れて上田城への帰路に就いていた。


「北条氏邦対上杉勢の戦いはまさに見物であったわ。わしがちとあの直江山城守に入れ知恵した程度で、あそこまで見事に引っかかるとは.....ムハッ、ふははははは!」


「お見事!殿の才知は我々に測りかねるほど底知れませぬな。」


「うむ。」


真田昌幸の目論見としてまず1つに、「北条氏邦を裏切り上杉軍を勝利させる」ことが挙げられる。


そこまで痛手を負わぬ程度にしっかりと敗北を見せつけておくのだ。さすれば....


さらに、わしが手を加えた車懸かりと、直江兼続の得意戦術を掛け合わせた戦術立案は確かに相手方のそれを上回っていた。


だが最も重要なことは、


「相手方が目前の戦闘に集中するために戦域全体に目が行き届かなくなる」ということであった。


真田昌幸率いる真田軍は最初から上杉軍10000人に溶け込んでいた。それ即ち、上杉軍3000の完全な隠蔽カモフラージュを意味しているのだ。


つまり、、


「殿、見えて参りました!前方より上杉軍3000を、しかと確認でき申した。」


「あの旗印は....!」


「どうやら本人が直々に参じて来たらしいぞ。まさかここまでやるとはの、」


「つつつ、つまるところ、これは明らかな軍規違反、失敗すれば.....」


「....うむ。だが目前の大きな魚が来ておると言うに、この賭けから逃れる理由もない。故にここからが正念場にて、各自気を引き締めて取り組むのじゃ。」


「ははっ!」


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


大地の息吹が如く轟き、熱気の渦巻いた川面も夜中になれば月の光の柔らかさに一体となる。


修羅の戦とはなんの縁もない時が流れていた。


「戦局は立て直した、か。」


「ははっ。どうやら真田昌幸はあれだけの演出を施した末に戦域すらも離脱したとのことで、さすがに敵方も動きが止まっておりました。」


「まさか独断でやってのけたか。いやそんなはずはない。


なぜならば、上杉軍を操る巧みさのみならず、あの不気味と言えるほどの戦術展開は上杉方の直江兼続とやらの力腕だけとは思えぬからだ。あの盤上が彼によって成っているは必定と心得た。ならばこの緒戦敗戦が決定的でなかったことも頷ける。同時に我らが立て直す時間さえ設けるとはな。ますます意図が読み取れぬぞ。」


「.........なにはともあれ、戦局は振り出し、いや。劣勢だ。」


緒戦敗北に、明らかに味方の士気は削がれていた。


また、兵の損失はやはり大きく1000人は喪ったやもしれないとのことだ。


そう。これはあの時と


「これは、以前の神流川での戦と一致している。」


敗北、油断、好転、そして勝利。

大逆転の法則はここにあるのだ。

と、いうことは。







「..........」


思わず彼は腰を浮かせた。

なにやら閃きと、とまどいと、焦りが見て取れた。



家臣がそれを見逃すわけもなかった。


「殿、いかがなされましたか?今は夜中ですが、もしや.....」


「そのまさかである、今からもう一度


「と、申しますと、」


「夜襲をかけて、明日明朝までに負けて帰って来るのだ。時間は限られておる!」


「な、なにゆえ夜襲を!?第一、あまりにも危険が伴いすぎまする。こちらとて兵は傷ついた者ばかりで、到底準備など、そもそもこの戦は長期戦を見越して敵軍を足止めすることが当初の目的!


なにゆえ、なにゆえ殿はお急ぎになられるのです?」





静寂が彼の悲壮な覚悟を滲ませる。





「..........」


「どうか、これをわしの最後の言葉と思って聞いて欲しい。」


「.........」


「まず第一として、『ここまでは昌幸殿の計画通り』なのである。」


「と、申しますと、」


「まだだ。まだ敵方の油断が足りぬ。意識がこちらに傾いておらぬのだ。」


「確かに、緒戦は上杉軍先鋒5000と、真田昌幸の3000を遠方から眺めただけにて、全体規模で見ると全く相手にされておらぬと......」


「いかにも。そしてそれは必ずや明日明朝までにとりおこなわなくてはならぬのだ。」


「.........」


「援軍は、必ずや南方から来る。必ず。」


「........」


「以前も同じであったであろう、?戦いは傷を負うものであろうとも、戦歴と記憶こそそなたらとわしを繋げる唯一の、」


「フフフ、ふ、ハッハッハッ」


「......何が可笑しい。」


「殿がらしくもないことを仰せになるのでこちらもらしかなく笑いが込み上げて止まらずつい......粗相をお許し下され、殿。」


「まあ良いが、わしの覚悟が可笑しいというのが、いまいちわからんのだが......」


「『本当はもっと武功を上げ天下に名を轟かせてから死にたい』」


「......!!」


「今の殿が仰せになったこと、まことを言えばこういったことなのでございましょう?」


「......いかにも。鋭いな」


「............然らば、もはや我々に殿への助言など必要ございませぬな。例え無謀な突撃であったとしても、決して無意味な戦いにだけはせぬよう尽力いたしますぞ、殿。」


「.......いつも近くで支え、親衛隊として、鉢形の軍として、よくぞ働いてくれた。そなたならばよもや会話など宙を舞う塵に等しい。


もう二度と会えぬであろうそなたへ最後の言葉を送るぞ。」






「ハッ。しかと。」




−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−




『我らが戦いに、北条に、そして鉢形に栄光あれ』





「うおおおおおおおお!」


「夜中とはいえ、敵方も準備しておったか、だがそれもじき終わる、


松明を多く持て!軽装備で斬りかかり、なるべく多くの将兵を道連れにせよ。もし敵方が反撃しようと怯むな!恐ろしいこともわかる。無謀な突撃なのもわかる。だが、だがしかし鉢形の者共の戦いはこんなものでは終わらぬぞ、さあ突けや斬れや、駆けよ!」


「オオオオオ!」


後世に名をはばかる無名の臣。それは鉢形衆と氏邦による極めて特異な支配の在り方を象徴しているようであった。


「エエイ!」


「うぐっ、」


「ご覚悟!」


「推参な、こやつ」


松明に朗々と揺れる銀の切っ先が敵の首をものの見事に刎ねる。


「突っ込めエエェェ!」


「オオオオオ」


「関東武士が、生意気な」


「関東武士以前に、我らは鉢形の兵也。貴様ら弱兵とは張り合う価値無し!」


「ムグッ、グフ、、」


「南方、続々と夜襲に成功。しかし北側はまだ火の手も上がっておらず、渡河できたかさえもわからぬ状況!」


「殿、、、」


「ここは一旦殿の勢いに合わせるため一度引くべきかと。」


「まだ足りぬ、まだ足らんぞこの夜軍は。もっと深く、より強く斬り込めエエェェイ!」


「!?っさ、さすがにやりすぎでは」



「声が聞こえぬようならわしが先を行くぞ馬鹿者。我らが郷里を守れずして、誰がこの豊かな関東の沃野を守るのだ?殿の御為、北条の御為、我らは決死の覚悟で命を散らすのみぞ!やりすぎなくては後世に恥を残すことになる!」


「っな?!」


「鉢形衆は、殿と共にあり。殿は今死線をくぐり抜け、敵を斬り捨て蹴り上げ猛然と進軍しておられる。我らが、死なんとてなんの悔いが残ろうか!」


「......馬鹿者は何者だ馬鹿者。そんな当然の心掛けを我らがいつ何時忘れようか!」


「ッグっ......やはり殿は死をも恐れぬご覚悟で。」


「戦中にあって一度も生を望んだことなど、無い。覚悟はすでに決まっておる。」


「もう一度聞け者共。全軍わしと共に突っ込めエエェェイ!」


「オオオオオオオオオオオオオ!」



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


一方の氏邦方は、南からの滾る闘志を眺め、臣下の誠を胸中に抱きながら進んでいた。


「渡河は入念に、そして慎重に行うのだ。昼のことを忘れず心してかかれ!」

「ははっ!」


ザムザムザム

蟻の行進のように細く、それでいて途切れなく進んでいく。



「周囲にもう一度偵察を。夜中とは言え危険である!」


「よし。ここまでくれば..」


その時、相対す城が瞬きを見せた。





「......うッうぐ」


「グハッ」



ダダダダダ




静寂と打って変わり銃声が轟いた。



「殿!?」


ダダダダダダ


降り止まぬ轟音と弾丸の雨。

暗闇の中、撃ち抜かれる者たちの音だけが近くでこだまする。


「鉄砲の雨は、やはり見つかっておる!?皆一斉に隠れよ。殿を急ぎ後陣へ!」


「ハッ!」


「ウッ、やはり夜襲を見抜くとは、侮れぬ、侮れぬぞ、前田......!!」


相対す前田軍がとっさの判断で反撃し、呼応するかのようにより攻勢を強めてくるなど、氏邦には予想できなかったのだ。


だがもちろん殺られたのは前方の軍だけであって、陣に戻り帰った兵数自体は大して変わらない。


余計に恐ろしさがこみ上げてくる。

夜襲ではこちらの損害すらもわからない。


それを如実に示していると理解しつつも、氏邦は言い放った。


「あちらの鉄砲も放つ量は多いが、見よ。まるで当たっておらぬ。夜中は命中率が極めて低い。とにかく、蛇行して玉に中ることなく進軍し、南方を大いに援護せよ!」


「はっ!」


あと一息というに、どうしても届かない。南方があれだけに踏ん張っていると言うに、我らのなんと不甲斐ないことか......。


「殿、見てくだされ。あの騎馬は」


氏邦はもう一つ見誤っていた。それは朗報であり、そしてやはり......


遠方より微かに見えるその軍団の正体。


「........」


矢傷に翻ることなく、返り血に怯えることもない、豪胆で強靭な精神をもつ、老練たる軍。


「おおお、河越城軍!満身創痍の中よくぞ、、」


氏邦の感嘆の声に、壮年の部隊の指揮官ともとれる将が応える。


「.......潰れ役ならば我々が受け持ちましょう。」


「我々を差し置いて先に逝くなど、できるわけがござらん。」


覚悟のほどは氏邦以上とも見受けられる彼らにはなにやら信念があるようにも見えた。


「.........しかしなにゆえそこまで...」


「『我ら老骨の戦いにて氏邦殿をよくもり立てるべし』主の言葉である。」


「主、、そうかそなたらにも主がいるのか。河越城におられるという......一体誰なのか、知る由もない、か。


「........」


『地黄八幡』


「!?」


「我らはすでに死んだ部隊。覚悟なぞとうの昔に。」


地黄八幡、それは忘れられることのなき名将の軌跡。


「な、なんとそなたらが.........誠にかたじけない。」


「と、言いたいところだが。あいにく、後方より上杉軍の敵影ありと見て、多くはそちらへと向かわせ申した。」


「.......時間稼ぎか。」


「いかにも。我々少数部隊は殿のお命を守るために馳せ参じた次第。手荒くこき使ってくだされ。」


「なんと感謝すれば済むか......」


氏邦の無謀とも言えた作戦に乗るとは、なんと図太い精神の武人なのだろうか。


「殿。いよいよ夜が明けまする。お下知を。」


「うむ!」



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