第五話 謀略の全容と秀吉暗殺

「最初から滅亡させるつもりであった。」


これはまごうことなき秀吉の本心だ。その理由はいくつか挙げられる。


一、土地の振り分けに必要な領地が足りない


二、早くから臣従の姿勢を示していた上杉、毛利などの五大老候補に比べて北条は臣従するまで時間がかかったから。


三、来たる朝鮮出兵に向けて東国征討を迅速に進めるための見せしめとするため。


四、北条が日本統一国家を嫌い、独立独歩の姿勢を貫いたため。


五、北条の支配体制は我ら豊臣の支配体制の思想と相容れないから。


などだ。


当初は交渉の余地があることをちらつかせて三河の徳川家康に折衝役を任せていたのだが、意外にも破綻スレスレを行く北条氏政の巧みな外交によって上手く有利に立つことができずに苛立った。


できることならばこちら有利で和平交渉を進めてその後に彼らの領地をかすめとり、最終的には完全な弱体化を図ろうとしていたのだがこれではだめではないか。


秀吉は残り僅かになった頭髪のシワを擦り合わせながら頭を悩ませる。


「あの北条め、なかなかにやりおる。氏政は交渉を先延ばしにしつつしれっと領地を拡大させることで、できる限り対等でかつあちらに有利な結果をもたらすよう小賢しく働きかけおる。」


「さらにはわしの寝返りの約束の書状や本領安堵の令状に対して一向に興味を示さない北条家臣と来たものである。まさに取り付く島がない。」


苦虫をかみつぶしたように彼は顔のしわにより一層削りを深めていくが、それすらも小姓の点てた一杯の茶とともに飲み下す。


「ならばそなたらの心、へし折ってくれるわ。」


そう。ここからの状況打開の一手こそ秀吉の得意とする必殺の奥義だ。



彼は朝廷に働きかけることでついに太政大臣、関白へと就任。天皇の政策代行者の名目を手に入れ着々と小田原征伐の入念な準備を進めていくのである。


名胡桃城の言いがかりとその謀議とともに。




それ即ち嵐の前の静けさというものである。





ときは過ぎ、出兵の刻。


ここは北条方の山中城付近の箱根山山麓。

秀吉は供回りを連れて、敵方の城を偵察し、どこから手を付けるべきかと思考する。


すでに討伐軍の本軍十七万の精兵は目前の三枚橋城やその他各城に詰めており、ここからが正念場といったところである。


周囲数里にも及ぶ巨大な防衛施設を抜け目なく観察して、秀吉はいぶかしげに口を開く。


「...............不気味な城じゃのぉ。」


独特な障子状の堀に、小高い砦が囲み、一段また一段ときりがなくその構造が続いていく。ここを通ろうものなら、鉄砲の脅威にはばまれひとたまりもないであろう。

さらにこちらからは見えぬ場所にまた狩場のように戦闘場が用意されているのかと思うとさすがに秀吉ですらその背筋に悪寒を感じざる負えなかった。


いつの間にやら北条方はこれほどまでの大規模かつ遠大な堅城を築いていたようだ。


敵方城将は松田康長と援軍の北条氏勝とみられ、その兵数はおよそ3400人とのことであった。


「........もしや囮か?」


この城郭は明らかに一万、二万が立て籠もる規模の城のはず。わざわざ箱根峠の要所であるこちらに兵力を集中させないのはいかんせん怪しいというものでであろう。


ここは二つないし三つの手段が考えられる。



一つは、兵力の八割方が小田原城に詰めているか。


はたまた箱根山中に伏兵を仕掛けて遊撃戦を展開するか。


さらには箱根山中後方の鷹ノ巣、宮城野の城にあってこちらへと援軍を遣わすつもりか。



どれであろうとも各城の抵抗が激しければ激しいほどに苦戦を強いられることとなる。なるほどこれは侮れぬ戦となりそうだ。


秀吉はこれを部下に伝え迅速に伝達すべく、一呼吸置き、水を一杯飲みつつ言った。



「.....うむ。まあ良い。いくら時間をかけようとも、この戦必ずや勝つ。」


「ハハッ!して、お下知を。」


「うむ。」


「まずはこの山中城を先方隊七万で取り掛かるのじゃ。豊臣秀次率いる二万を中央軍に据えて、右軍に池田輝正ら一万八千、左軍に徳川家康率いる三万を当ててこれに取り掛かれ。失敗は許さぬ。緒戦は必ずや諸将の奮戦を期待している。」


「..........」


「..........」


しかしその威勢の良い甲高き声は空を切るかのように空しく遠ざかっていく。


「おい。わしは下知を下したぞ。早うせぬか。」


「............」


「.............」


「...........??どうした?具合でも優れぬか。聞こえておるか!」


「.............」


明らかに殺伐としたこの様子に秀吉は戦慄とする。いつの間にやら供回りが誰一人といなくなっていたのだ。周囲を見渡しても、ただただ木々が連なるだけで人影すらも見えない。


まずい、とにかくまずいぞ。


急ぎ、本陣の元へと戻らねばならない。幸いにも距離は近い。


額に冷や汗をかきつつ、秀吉は静寂の中を駆け降りる。

一刻も早く、とにかく早く戻らねば。


しかし、道中に警護をさせていた兵は一人としておらず、より一層不安を駆り立てる。


「殺されてなるものか。この秀吉、今は、今はまだ死んではならぬ。死んではならぬのだ!!ええい者ども出会え出会え!!急ぎわしの元へ参るのじゃ!!」


尚も沈黙を深める山々に、秀吉はより呼吸を荒くして止まらぬ汗をぬぐいもせずに叫びまわる。


その姿はまさに行く先を見失った幼子の如き醜態であった。



「わしはここにおるぞ!!早く出てこぬか!はや--------------」


バタン


呼吸を荒立て、汗がほとばしり顔の生気がみるみる消えていく。意識の淵で彼はその心中を悔しそうに語る。


「先ほどの............水、か。おのれ、おのれ悔しい。悔しゅうて口惜しゅうてならん!!なぜ、なぜ北条の小童めにわしは死ななくてはならんのじゃ。。」


「む、無念。。」




秀吉は尚も苦しげに呼吸を続けるも、その意思に反して体は硬直していく。



意識のほとぼりが覚める頃にはすでに遅きに失した。


のちに家臣が遅れてその冷え切った体躯を抱えたが、その老体はいかにも年相応といったところで、もう息をしていない。


箱根山は黙認してあたかも諭すように彼を包み隠し、ただ乾いた寒風が吹き抜けるのみであった。


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