第6話 初めての夜

 冒険者ギルドを出たゴキブリたちは、最初にいた館に帰ってきた。ただ適性試験はまだ受けていないので、明日また行かなくてはいけない。


「ところでミーナ」

「あなたという人はどうして平然と名前を呼び捨てにするの? 私は年下でもないし親しくもないし部下でもないのだけど」

「腹減った。飯」

「ゴキブリは鼻糞でも食べてなさい」

「ミーナさん。あたしもお腹ぺこぺこー」

「夕食は用意させてあります。とりあえず二人とも食事と寝る場所については心配しなくて大丈夫よ」

「あるじゃん夕食」

「ええ、あります。今から私が鼻ほじるからそれでも舐めてなさい」

「えええ! あたしもですか!」

「……ああもう面倒ね。二人とも食事はちゃんとしたものを用意してあるわ」

「わーい」

「わーい」


 ゴキブリ女子高生ゆるふわ痴女とハイタッチをした。


「じゃあ寝る場所もあるのか? ふかふかベッドを希望する」

「ゴキブリは家具の裏に巣でも作っていればいいのよ」

「あの……冗談は良いとして、まさか相部屋とかじゃないですよね。そのゴキ……死ねばいいのに便所虫と」

「名前を家名に言い直したところで致命的になにも改善しないのはむしろ誇るべきことよね」

「そんなことよりふかふかベット」

「さすがに相部屋は嫌」

「あーもう! ベッドはふかふか! 部屋は個室! これで良い?」

「わーい」

「わーい」


 ゴキブリ女子高生ゆるふわ痴女とくるりと回ってハイタッチをした。


「あなたたちって……文句言っても仕方ないわね。しばらくは我慢するけど、稼ぎがなければ早々に追い出すから、それだけは覚えておいてね」

「そんなことより飯だ、飯。どこ行けばいいんだ?」

「ダイニング……はあ、どう見ても人選ミスよね……。無能な女神どもめ」


 ミーナは渋々とゴキブリたちをダイニングに案内した。



*****



 それにしても陰鬱な館である。そしてこの世界であればどこも同じ──ではなく、むしろこの館だけが特殊であることは、昼間の散策で分かっている。

 趣味だとすれば、相当な悪趣味と言えるだろう。でも慣れてしまえばどうってことはない。


 食事は美味しい。ただ不満はあった。ゴキブリ女子高生ゆるふわ痴女と同時にその不満を口にする。


「マヨネーズ欲しい」

「マヨネーズ欲しい」

「なによそれ?」

「魔法」

「神秘」


 食事は洋風だった。ただフランス料理のコース料理というより、日本の洋食レストランといった様子である。パン、スープ、ハム、サラダ、焼いた肉。塩胡椒中心の味付けだが、調味料は揃っているようだ。

 しかしマヨネーズは見当たらない。


「よく分からないけど、無いわよ」


 ゴキブリ女子高生ゆるふわ痴女と視線を合わせた。同時に頷く。


「マヨネーズが無いなら」

「あたしたちが作ればいいじゃない」

「あなたたち、なんで突然に息ぴったりなの?」

「なんか暇で」

「たぶん寝たら元に戻ります」

「そう……。で、マヨネーズってなに?」

「俺たちの世界にあった調味料だよ。確か簡単に作れたはず。ゆるふわ痴女、パンツ脱ぎながら解説してやれ」

「脱ぎません……脱がないタイプの痴女なの。いや待ってそもそも痴女じゃないし」

「じゃあ変態革命」

「うるさいゴキブリ」

「ねえ……。マヨネーズって、?」


 ごつん。なにか硬いものが床にぶつかった。


「…………」

「…………」


 椅子に座ったまま、ミーナは棍棒を振り下ろしていた。

 さすがにイライラさせすぎたか。血塗ちまみれの受付嬢を思い出し、ゴキブリたちは姿勢を正す。

 あれ、血糊じゃなくて本物だったからな……。


「解説よろしく」

「らじゃ」


 女子高生ゆるふわ痴女が説明を始める。


「まず卵黄を用意します」

「なんの卵?」

「鶏……いますか?」

「いるわ」


 ミーナは頷く。


「それから油を用意します。サラダ油とかオリーブオイルとか……食べられる植物油ですね」

「サラダ油は分からないけどオリーブオイルは分かるわ」


 またミーナは頷く。女子高生ゆるふわ痴女も頷く。そして彼女は最後の材料を伝えた。


「最後になんか混ぜます」

「なにを混ぜるのよ」


 ミーナはがくっとなって前のめりの姿勢になった。額がテーブルに付くほどに。


「忘れました。ゴキブリは覚えてる?」

「忘れた」

「あなたたちね……。ここまで話しておいてオチがないとか殺意が湧くのだけど」

「うーん。あ、アレかもしれない!」


 女子高生ゆるふわ痴女は手を叩いた。ミーナは嘆息。


「アレってどれよ」

「マヨネーズ!」

「…………」


 ミーナがまた頭を、額をテーブルにぶつけていた。


「あのね……。マヨネーズを作る話をしているのに、どうして材料にマヨネーズが出てくるのよ」

「それだけマヨネーズが優れているということですよ、ミーナさん」

「優れていようがなんだろうがマヨネーズ作るのにマヨネーズが必要だったら誰もマヨネーズ作れないでしょう。だってマヨネーズが無いのだから」

「そういえば……うーん」


 ゴキブリも一緒に悩む。昔、家庭科の授業で習ったんだけどなぁ。マヨネーズの滑らかな味わいからではイメージのつかない、刺激的なものだったと記憶している。

 回想していると……閃いた。


「あ!」

「どうしたのゴキブリ。産卵でもしたの?」

「もしそうならあんたの寝床に産みつけてやる……じゃなくて、マヨネーズの話。材料思い出した」

「え!」


 女子高生ゆるふわ痴女が嬉しそうに声を上げる。俺はグーサインをして、それからミーナに言った。


「材料は卵黄、植物油、それからだ」


 女子高生ゆるふわ痴女がぱしんと手を叩く。


!」

「待って。唐辛子はこの世界にもあるけれど……本当? からいんじゃないの?」

「そこが違うんですよ。卵黄の力で『乳化』っていう現象が起きまして、油と唐辛子が融合してマイルドな味わいになるんです」

からくなくなるの? 私、からいものが凄く苦手なのだけど」

「少しもからくありません」

「ふーん、そう……面白そうね。明日試してみましょうか?」


 ミーナはそう言った。少しだけ楽しそうに。



(注)マヨネーズの材料は卵黄、植物油、そして『酢』です。

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