第10話 3階層突入


 ついに、俺たちは3階層に入れる門の前に到着した。


 誰か先についた痕跡はない。出発地点にあったのと同じ織機の絵が描かれている壁の穴にアリアドネの地図を入れると地図がカギに変わる。


 カギを握るところ。二足歩行をする牛の腹にアリアドネの地図が残っていた。相変わらず俺と出口を表示してくれているし動けば地図の中も動く。


 門を見上げながら月夜が言った。


「準備はいい?」


「うん。」


 いつもの短いうんだったけどそこには緊張感とともに力強い響きがあっていつもより頼もしかった。


「何度も言ったけど、もう一度言うね。


 一つ、間違ったところは右の前足、左のひげ、しっぽの先、あごの下、牙だよ。そこを中点的に見ればすぐ探せる。


 二つ、今の俺たちの武器では三つまで探さないとちゃんとしたダメージはあげられないよ。それでも狙うしかないなら目と鼻、口を狙って。


 三つ、後ろを狙う時には尻尾に気を付けて。奴はミノタウロスの10倍以上は強いから緊張も緩めないで。


 四つ、そんなことはないと思うけど万が一にも俺が倒れたり気絶したら、俺を置いて逃げて。」


「四つ以外全部分かった。」


 ………苦笑いしながらカギで門を開ける。


 カチンとする音とともに門が開き1階層から2階層へとわたってきた時の白い光が漏れ出る。軽く深呼吸して月夜と一緒になかに足を踏み入れた。


「………久々に見たら余計に懐かしいな。この和風的なデザイン。」


 長方形の大きな部屋だ。床は畳になっているし天井は木で作られている。壁の役目をしている障子には月と花みたいな心を落ち着かせる絵が描かれていた。


 部屋の先には4階層に行ける門がいた。そしてその前には、門を守るかのように大きな絵が置かれていた。


 それを見つけた瞬間月夜は嘆きに似た息を垂らした。


 樹木が一つ存在するがけで乱暴そうな虎一匹が脅すかのように牙をむき出したまま降りてくる絵だ。


 墨で描いた白と黒の絵なのにも、いや、墨で描いた絵だからこそさらに迫力があって怖い。


 固唾を飲むと、虎の目が動く。俺たちと目が合ったそれは水が流れるような自然な動きでそこから出た。


[キャアアアアアア!!!!]


 咆哮に反射的に顔を隠す。きれいな猫みたいだった月夜からは全く感じられなかった恐れに冷や汗が走る。


「絵でも虎は虎だな。腰が抜けちゃいそうだ。」


「……私はもっと怖くできる。」


「なんだそれ変な対抗心もつな!作戦通り右のほうから行くーぞ!」


 入ってきた入り口のすぐ横には同じく墨で描かれた虎の絵が飾られていた。


 風景もポーズも全然違うけど、目の前にいる奴と全く同じデザインで描かれている。


 そこで唯一違うところ、右の前足を剣で刺した。


[キウウウウウウ?!?!?]


 その瞬間虎― ムールが苦しそうにうなり、虎の証拠ともいえる模様が体からいくつ消える。


 そのすきを逃がさず俺たちは右の障子を超えて全力で走った。


 ムールの体は8階層の冥王カメめいおうかめ並みに硬い。白虎を倒して作れる武器やランクを上げた強力なスキルじゃない以上奴の体には傷一つつけられない。


 まさしくDEVIL TAKERに似合う初ボスであって初めてここに来た時には初めてこのゲームをやめることを真剣に考えてた。


 そんな奴を武器もスキルもない状況で倒せる方法。それはさっきやったみたいに、この階層にいる虎の絵を探し出してムールとは違うところを探せばいい。


 間違い探し。それが3階層のゲームであり攻略法だ。


 2X5で分かれているこの階層には五つのムールの絵が隠されている。そこでムールの違うところを探し出せばムールの模様が少しずつ消えて防御力が大幅に減ることになる。


 今の俺たちの武器なら三つ消したくらいで十分だけど五つ全部消したらミノタウロス以上に簡単に倒せるようになる。


「同じ虎を殺すのはさすがにうすら寒い。」


「今更同族の情とか感じてるんじゃないよね。」


「うん。初めて見る虎よりも啓人が大事。」


「じゃあ任すから頼んだぞ相棒!」


 階段の前で、足が速い月夜はそのまま次の部屋へと移動して盾を持っている俺はムールを迎える準備をする。


 実際絵を探したところで、別にダメージを上げるわけじゃない。


 ただ一瞬体が弱まることで苦しみを感じさせるだけだから、回復した奴はすぐ追ってくることになる。


 予想通り月夜が階段をすべて上がってもないうちに障子を壊してきたやつと目が合う。さっきの感覚が気に食わなかったのか印象がさらに悪くなっている。


 だが奴は俺よりも次の部屋に移動しようとしている月夜のほうに視線を向けた。本能なのか、俺たちが何を狙っているのか気づいたみたいに俺を無視して月夜のほうへ飛んだ。


 ただでさえ速い四足歩行の生物なうえに大きさもでかくて一度のジャンプで届きそうだ。


「そのくらい、予想済みなんだよ!ストーンランス!」


 叫んだ瞬間月夜が階段をすべて上り、そんな彼女とバトンタッチするかのように木の床を突き抜いてきた岩のとげがムールの肩を刺した。


 レベル5のストーンランスを所持してレベル4以上のアースでとげを作れば得られる攻撃スキルだ。相手が相手なだけにちゃんとしたダメージはあげられなかったけど攻撃スキルなだけに刺す感覚に驚いて動きを止める。


 それをちらっと確認した月夜が門を超えて、ムールも今度こそ俺のほうに敵意を回した。


「ここからが本番だこのやろ。」


 月夜が絵を探して間違ったところを探し出すまでおよそ30秒フラット。死にはしないだろうけど大けがをするには十分な時間だ。


「頼むから急いでくれよ!!」


[キャアアアアア!!!!]


 俺の叫びに呼応するかのように大きな虎が襲ってくる。今度も一息で距離を詰めてくるのでよけるために後ろへとジャンプすると地面を壊して土煙を起こした。


 続けて命を刈り取る死神の鎌みたいな爪が飛んでくるので盾でガードした。


「くう……っ!!」


 力で押されて壁に衝突した。盾が壊れてはいないが大きな爪痕がはっきりと残ってしまった。


 急いで起きようとするのに、俺の腕よりもでっかい牙が目の前まで迫ってきていた!


 よけるのは―…… ダメだ遅い……!防御を……!


 ドカン!


 鉄とそれより硬いものがぶつかる音が響き渡った。


「ううウウっ……!」


 ぎりぎりに防ぎとめた盾がビキビキと不吉な音を出す。全身の力を縦に集中しないとすぐにでも崩れそうで身動き一つとれなくなる。


 ふ、ふざけやがって……!30秒どころか、たった10秒持つだけで…… 体中から気力も体力も魔力までも……!全部そぎ落とされた気分だ……!

 これがボス悪魔…… 俺が思ってるよりずっと強いってことくらい覚悟したけど、それでも、認識が甘かった……!


「う、おおおおお……!!」


 盾をかんだ顎にさらに力が入ると亀裂が入るのが感じられた。仕方なく左の盾をあきらめて右の剣を用意するのにー 突然押しつぶす力が弱まる。


 同時にムールの喉元から苦しそうな呻き声が漏れ出た。よく見たら顔の模様もいくつか消えた。


「よっしゃー!でかした月夜!!」


 歓喜の叫びとともに左目を刺した。


 目を守る瞼を簡単に切り裂いて、鋭い金属が黒い瞳の中に入る。


 血が噴き出た。


[キアアアアア!??!]


 今までの低い声ではなく高い声で悲鳴を上げながら後ろへと下がる。


 体を激しく振りながら血を散らまかしているけど傷には手も付けずにパニックに身を任すだけだ。


 これなら、と思いながらストーンランスで攻撃した。今回もダメージらしいダメージはあげられなかったけど防御力が低くなった分傷をつけて部屋から追い出すことに成功する。


 その姿を目から逃がさず、慎重に肺の中に空気を押し入れた。


 これであと一つだ!あと一つ探し出せば奴を倒せる。そしてその一つは、月夜が今入っている部屋の中にいた。


 一つの部屋に二つ隠されているのだ。本来製作者の意図は一つを見つけだしたらすぐ次の部屋に移ることだっただろうが、部屋全体を徹底的に見ていた俺には通じなかった。


 二つ目まで処理したのなら何とか反撃しながら今度こそ30秒以上持てる。やっと勝てるって確信に笑うのに、


「――――啓人。」


「……え?!?!」


 気配もなしに近づいてきた声に一歩遅れて驚く。こっちが反射的に何かを言うとするのに彼女は少し焦った声でよくない知らせを伝えた。


「絵がいない。」


「は?」


「啓人が教えてくれたところに絵が一つしかいなかった。」


 ……………どういうことだ?」


「見つけられないってこと?」


「違う。絵そのものがいない。啓人が教えてくれたところにも。部屋のどこにも。虎の絵がいない。」


 絵がいない?部屋のどこにもいないって?どうなってるんだ。彼女が何かを勘違いしたのか?

 いやそれはない。いくら急いでいるとしても彼女はこんな時に仕事を適当にする性格ではない。

 部屋のどこにもいないってことは隅々まで探したのにもいなかったって意味だ。


 何がどうなってるのか戸惑っているのに、壁を壊しながらムールが戻ってきた。


「どうする?」


 武器を握りながら彼女が問う。どうするって……?決まってんじゃねえか。


「次の部屋に行くぞ。掩壕頼む!」


「うん!」


 ないなら他のを探すまでだ。左から2番目の部屋。彼女の掩壕があれば遠回りする必要もなしにムールを超えていける。


 月夜が軽重グラビティーけいじゅうグラビティーとつぶやきながら身構えを変えていく。


 体にかかる重力を弱める土系のスキルでただですら速い彼女のスピードをほぼ2倍まで引き上げられる。


 競走のクラウチングスタートポーズに似た構え、それよりもさらに腰を落としたので限界まで押さえられたばねを思い出させた。


 軽い音で地面をけりながらムールとの距離を一気に詰めた。


 左の目を失ったムールは反応が遅くなり、ほっぺへの傷を許してしまう。


 たとえ彼女の攻撃でも深い傷は与えられなかったけど明らかに噴き出る血の量が違う。慌てる顔のムールが急いで彼女の姿を追った。


 天井まで届いた彼女は天井も蹴って奴を狙うことを続けた。


 休まない攻撃はまるで嵐のようだ。


 何度も俺から奴に関する説明を聞いたし、天才レベルの戦闘センスを持っている彼女は自分なりに攻略法を構想したみたいだ。


 どれだけ攻撃しても致命傷にはならないのなら、スピードで優位をとって、動きを縛りつけようとしているのだ。


 ……正直危険な曲芸をしているのと同然だった。いくら彼女が速くても、あいつが弱まったとしても、今すぐにはムールのほうがずっと強いからだ。


 一発でも食らったら致命傷だしかまれたら終わりだ。それさえ彼女は甘受している。


 だから俺も急いでそこから抜け出た。


 入口と出口がいる部屋を超えて階段を上るのに、ムールが反撃する音が聞こえた。続いてドカン!と何かが壁に衝突する衝突音まで聞こえてきた。


 ……おそらく、今ので月夜が攻撃を受けた。彼女のことだから死んだりはしてないと思うけど、今の響きを考えれば絶対無事ではないってことも伝わってきた。


 不安が襲う。一瞬戻ることを迷ったけど、歯を食いしばって階段を上り続けることを選んだ。


 今俺がするべきこと。それは感情に流れて月夜の元に戻るのではなく、勝利の可能性を確実な線まで釣り上げておくことだ!


 だから門を開けて中に入る。


「絵は……!」


 広い部屋に似合わず中央には昭和時代に見れそうな暖炉がいる。壁には数多い掛け軸がかかっているが、虎の掛け軸が飾られている場所は正確に覚えていた。


 ………何でいないんだ?


「うそだろ……」


 正確に虎の掛け軸がかかっているべきところだけ、何の絵も存在しなかった。誰かが運んでおいたみたいに、すぐ前まではあったみたいに、そのあとだけが残されていた。


 どうしてだ…… なんでいないんだ。おかしいだろ!あそこにいたのに、絵の位置が変わるはずもないのに、どうして攻略アイテムだけが、いないんだ?


 頭に血が上って他の壁から絵を探す。焦ってすぐにでも吐きそうな気持を抑えるのにー


 後ろの門が壊れた。


 反応する暇もなく巨大な質量が背中にぶつかって体を押し付けた。


 ヤバい……!と思った瞬間質量と壁が体を踏みつぶした。


 油圧プレスに圧着されたみたいに平たくなった体がゆっくり地面に向かって落ちた。もう体に力が入らない。

 痛みで頭が暑苦しいのにも悲鳴どころか傷だらけの虎を見上げることしかできなかった。


 そんな俺を見て、奴が口をスガーと開く。血とつばの匂いでいっぱいな喉元の一番奥は地獄とつながっているってことが感じられた。


「啓人……!!」


 切羽詰った声に視線を下げると月夜が見える。何とかここまで来たけど、ボロボロだし左の腕を抱えている。


 目が合う。彼女が首を横に振った。水気あふれる瞳が透明に色あせた。泣かないで、大丈夫。そういってあげたかった。


 いつも俺自身に言ってあげた言葉だった。大丈夫、大丈夫。俺は大丈夫。


 その言葉しか頼れることがなくて、その言葉だけを頼って生きてきた。


 でも本当は大丈夫じゃない。だって、大丈夫なわけないから。


 俺の人生で大丈夫だった時なんか、一度たりともいなかった。


 地獄の入り口がすぐ目の前まで迫ってきた。月夜が走ってくるのが見えたけど間に合わない。俺はもう口の中に入ってしまったし、虎は口を閉ざすだけでいいから。


 異世界とはチートがいないと成立しない物語だ。


 チートも何も持ってない少年が自信満々に挑戦すること。


 そして少年が思ったより巨大だった異世界が、チートを持ってない少年を蹂躙する物語。


 自分の無力さを死ぬ寸前に気づいて、絶望しながら死ぬ少年の物語。


 実に現実だらけの、誰も読んでくれないそんな物語。


 いったい誰の物語かって?見ればわかるだろ……











「――――――ストーン……ランス!」


 少なくとも、くそ俺の話ではない。


 左腕と脇の間。そこからわき上がった岩のとげが虎の口蓋をつらぬいた。悲鳴を上げながらムールが後ろへと下がりびっくりした月夜もその場に立ち止まった。


 血と胃液を一気に吐き出した俺は、立ち上がって、強く敵をにらみつけた。

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