第9話 まほろばの人々

 移住すると決めても、人一人が引っ越すのはそう簡単にはいかないものだ。

 功はとりあえず住居を確保しないと話にならないと思い駅前のアパマンショップ辺りで安いアパートを探すつもりだと山本事務局長に告げたのだが彼は功を笑い飛ばした。

「そんなもんあるわけないだろ。地方の小さな街は人の動きが少ないから、アパートや賃貸マンションは少ないんだ。公社の研修生宿泊施設を使ってくれ」

 功は失念していたが、臼木農林業公社には研修用の宿泊施設があり、そこに住むことができるとのことだった。

 山本事務局長の話では、研修生を受け入れるために、廃校になった小学校の職員用住宅を使えるように町役場を始めあちこちに掛け合ってずいぶん骨を折ったらしい。

 窓口になってくれる山本事務局長と何回か連絡を取り、研修生用宿泊施設への入居日が決まり、ようやく功はまほろば県に足を運ぶことになった。

 功は手持ちの資金が目減りしないように、今回も苦手な高速バスで再びまほろば県を目指すことにした。

 功はよく眠れないまま高速バスに揺られて翌朝JRに乗り継いでわだつみ町に着いた。

 駅のホームに降り立つと、町並の向こうに海が見えている。

 そこにはコバルトブルーと呼ぶのがふさわしい海が水平線まで広がっている。

 わだつみ町を通る鉄道は第3セクターだが、JRも相互乗り入れしている。

 人件費節約のためか、乗車中に乗務員が切符を回収するシステムで、駅の改札は無人だ。

 駅前の広場はロータリーになっているが、木陰になった片隅にタクシーが停車し、車内で運転手が居眠りしている以外は人気がない。

 山本事務局長は誰かを迎えにやると言っていたが、それらしき人影はなかった。

 功が周囲を見回してしていると、駅のロータリーにワンボックス型のライトグリーンの軽四輪自動車が早い速度で侵入し、タイヤを軋ませながら功の前で急停車した。

 功は危険を感じて身を引いたが、運転席から作業服姿の真紀が顔を出す。

「迎えに来たよ。出がけに事務所の前で野口君に捕まってどうでもいい話をしばらく聞かされたから遅くなっちゃった。待った?」

「今着いたばかりだよ。野口君て誰?」

 真紀の話は時として理解しづらいところがある。

「野口君は野口君だよ、公社の近くの農家でニラ栽培の先生もしてくれるからすぐに仲良くなると思うよ。彼は私を見かけたら寄って来るんだけど、今日みたいに予定がある時は困るのよ。」

 功が真紀にも苦手な相手がいるのものだと考えながら荷物を持って軽四輪自動車に乗り込もうとすると、彼女は手招きしながら荷物を積めるようにテールゲートを開けてくれた。

 功がラゲッジスペースに荷物を放り込んでテールゲートを閉めると、彼女は車のキーを功の目の前に差し出した。

「駅で功ちゃんを回収したら運転してもらえって局長の指示よ。午前中に町内の主立った地区を一回りして来いって」

 そう言われても功はまだ右も左も解らない状態だ。

「僕はこの辺に土地勘がないんだけど」

「私がナビするから大丈夫、とりあえず運転してよ。この車トロくさくて運転しているとイライラするの」

 功はナビシートに乗り込む彼女を横目に運転席に座った。

「ペーパードライバーにいきなり運転させて同乗するとはいい度胸だね」

「交通量が少ないから問題ないわ。山本事務局長も言っていたけれどまずは練習よ」

 功は運転席に座って操作系を眺め、軽四輪自動車がオートマチック仕様と確認して一安心した。

 功は軽四輪自動車を発進させると真紀の指示に従って駅前のロータリーから2車線の道路に乗り入れた。

 そして川沿いに伸びる道路を走行する。

 功が事前に勉強した知識によると、道路脇の川はわだつみ町を南北に流れて海にそそぐイザナミ川のようだ。

 川の水量は豊富で水は青く澄んでいる。

 真紀の案内で流域に点在する集落を回ると彼女は告げる。

「わだつみ町は見ての通りであまり土地がないの。元々は漁師町なんだけど少ない土地でも収入を上げるために、キノコの栽培もしているのよ」

「キノコの畑はどこにあるの」

 隣で彼女がむせるのが聞こえた。何の気なしに聞いてしまったがどうも失敗だったらしい。

「功ちゃんって天然入ってるところがなんだかいいわ」

 彼女はニヤニヤしながらが言う。

「メルヘンチックに地面からキノコが生えてるところをイメージしてたんでしょ。この辺で作っているキノコはエリンギが主流よ。培地を入れた瓶を使って空調施設で栽培するの」

 どこにそんな施設があるのかと見回していると、彼女が指さした。

「ほら、あれがその一つ。」

 彼女が指した方向にある建物は、見た目は倉庫のような地味なたたずまいで、そうと言われないとわからない。

「川崎さんも研修生用の宿舎に住んでいるの?」

「ううん。港の近くに私のおばさんの家があるから、そこに下宿しているの。」

 功は短期研修の時の懇親会で、彼女のおばさんの話を聞いたことをかろうじて思い出した。酔いつぶれたときは往々にして記憶が飛んでいることが多い。

「功ちゃんは研修生になるってことは大学とか行かないの?」

 功は自分がずいぶん若く見られていたことに気が付いた。彼女が気安い口調で話していたのは自分より年下と思っていたためのようだ。

「大学はもう卒業しているよ」

 功があっさりと告げると、真紀は驚いたようだ。

「うそお。みんなが、功ちゃんって呼んでかわいがっているから、私よりも年下だと持っていた。失礼しました先輩」

 彼女は居住まいをただしたが、本気で言っているのかは定かでない。

「歳が上だからって変に気は使わなくていいよ。仕事では川崎さんが先輩だからね」

 功は変に持ち上げられてもやりにくいだけだと思ってそのとおりに真紀に告げる。

「うん、功ちゃんのそんなところが皆に好かれるのよね。私のことは真紀って呼んで。呼び捨てが恐れ多かったら真紀ちゃんでもいいわ」

「それでは真紀ちゃん。僕は何処に行ったらよろしいですか」

 わだつみ町の主要道路は町の真ん中を抜ける国道一本だけで道に迷うことはないが、道なりに走っていたら、すぐに隣町に抜けてしまう

「ごめん案内するのを忘れていたわ。この辺が川沿いの集落では大きい方の伊佐よ。臼木は川沿いよりも一段高い高原みたいになっているから、ちょっと集落のたたずまいが違うのよね」

 真紀が示した伊佐集落は集落といっても川の両側にぽつぽつと家が見える程度だ。

 周囲には山が迫っていて田んぼや畑もあまり広くない。家の近くにはこじんまりしたビニールハウスが見える。

「このまま道なりに進むといざなぎ町まで行ってしまうから次の交差点で右に曲がって」

 功は言われるままに国道から脇道に入ったが、道路の細さに思わずアクセルを緩めてしまった。

 その道路はガードレールも無く、対向車が来たらすれ違うのに苦労しそうだ。

 崖と言っても差し障りの無い急斜面は一面の杉林となっており、細い道はつづれ織りに登っている。

「この道はいったいどこに行くの」

「どこって、うちの事務所がある臼木に決まってるでしょ。この前も研修に来ておナスの主枝をちょん切ったりしてたじゃないの」

 功はそんなエピソードは思い出さなくていいのにとちょっと苦々しく思う。

「こんな道だったっけ。人に運転してもらうのと自分が運転するのとでは印象が違うのかな」

 功が山肌にへばり着くように付けられた道のヘアピンカーブですんなり曲がりきれなくて、ハンドルを切り返していると真紀がにこやかに眺める。

「そう言えばあのときは荷稲の方から登ったような気がするわ。あっちの方がもう少し道が広いみたいね」

「ましな道があるならそっちの方を案内してほしかったな」

 功がぼやくと、彼女はわざとらしい東北弁で言った。

「あんたはこれからここで仕事をするんだから、これぐらいの道には慣れねばなんねさ」

 功はちょっとむかついたが運転に必死で言い返す余裕がなかった。

 幸い対向車が一台も来ないうちに坂を登り切り、峠とおぼしきところを超えた。

 周囲はいつしか名前も知らないような広葉樹の林になり、更に坂道を下ると林はとぎれて眺望が開けた。

「ここからが臼木よ。農作業受託の仕事は町内全般が対象になっているけど、あらかたこの地区内から受託するから、地元のつきあいは大事にしてね」

 広いと言っても先ほどまでの国道沿いの谷底の土地よりはという意味で、決して広大な農地が広がってるわけではない。谷に沿って走る道をしばらく行くと見覚えのある建物とビニールハウスが見えた。

 前回の研修でもお世話になった臼木農林業公社だ。

 車を止めて事務所に入ると山本事務局長と事務員の岡崎が功を出迎えた。

「思ったより遅かったけど、どこか寄ってたのか」

 山本事務局長が尋ねた。

「うん、町内案内してこいって局長がいうから伊佐まで行ってから山越えしてきた」

「ええっ。あんな道通らせたのかよ。せっかく来てくれた新人君なのに、いきなりいじめたらだめだよ。せっかくだからわだつみの港の方も案内してやったら良かったのに」

 先ほど通った道は事務局長でも驚くような曰く付きの悪路だったらしく、功は真紀を冷たい目で見た。

「これから、一緒に仕事をするなら、あれぐらいの道をでびびってたら使いものにならないでしょ。それに私海嫌いだし」

 真紀は平然と答えたが、事務所内にはなんだか微妙な沈黙が訪れた。

「もうお昼だからご飯にしたら。2人の分もお弁当をたのんでおいたから」

 沈黙を破ったのは岡崎だった。

 彼女は年齢不詳でソフトな雰囲気を醸し出している。

「金子商店の日替わり弁当っておいしいんだけどメニューが一週間ローテーションだから飽きて来ちゃうのよね」

「真紀。金子商店の弁当も買ってやってよ、売れ行きが悪いと弁当のデリバリー事業から撤退するかもしれないって大将がこぼしていたし」

 やりとりを聞いていると、職場としての雰囲気は悪くなさそうだ。

「へいへい、毎日ご飯食べに出かけるわけに行かないもんね」

 そうつぶやいた真紀は事務所の床に文字通りの意味で転がっていたナスを拾い上げると事務所の奥に消えた。

 功が気配を感じて振り返ると山本局長が功のそばに立っている。

「功ちゃん、今日運転してもらったハイゼットだけど実は研修やめて故郷に帰ったやつが残していった車なんだよ。」

 そういえば、公用の車らしからぬボディーカラーだった。

「三十万円で売ってくれと頼まれているが、良かったら買い取ってもらえないか」

 功が運転していたのは研修を受けた時に騒動になっていた西山が所有していた車だったのだ。まほろば県の農村部では自動車を持っていないと生活が成り立たない事は想像に難くない。

 功もまほろばで中古車を探そうと思っていたところで渡りに船だが、車の年式とか考えると少々高い気がした。

「もう少し安くなりませんか。」

 功としても気が引けるのだが、背に腹は代えられない。

「そうだよな、俺も三十万円は高いと思ってたんだよ。どう見ても十万円以下の代物だもんな」

 山本事務局長はあっさりと三分の一まで値下げしてくれた。

「局長もう一声安くしてくださいよ。」

 功が我ながら少々図々しい思いながもう一押ししてみると山本事務局長は少し考えてから答えた。

「それじゃあ、登録費用は別にして、車両本体は五万円ということでどうだろう。手続きを自分でするのは面倒だとおもうから、ここの車のメンテナンスを頼んでる修理工場を紹介するよ」

 それは功にとってはハンマープライスだった。

「買います。登録手続きの代行もお願いします」

「よし、契約成立だな。お金は西山の口座に振り込んでやってくれ。」

 山本事務局長は銀行の口座番号とメールアドレスを書いたメモ功に渡した。功がいつ振り込みしようかとメモを見ていると山本事務局長は言った。

「そんなのそのうちでいいよ」

 彼は功を来客用らしい応接セットの方に案内し、テーブルの上には業者が配達してきた弁当が二つ乗っている。

 ここでお弁当を食べなさいということらしいく、功が弁当の箱を開けていると後ろから山本事務局長の声が聞こえてきた。

「理香ちゃん、徳弘モータースに電話して車の登録手続き頼んでやって、西山が乗ってたハイゼットの件だって言えばわかるから」

 理香というのが岡崎の名前らしい、彼女はお昼時なのにてきぱきと電話をかけ始めた。

 功が聞き耳を立てていると、目の前にどすんとみそ汁の入ったお椀が置かれた。

 真紀が事務所の台所でみそ汁を作って戻ってきたのだ。

「事務所の中で料理つくったりできるんだ」

「給湯室にシンクとガスコンロもあるから、みそ汁ぐらいつくれるよ。ちなみに具に入っているおナスは私が作ったんだからちゃんと味わって食べてよ」

 彼女はソファーに座るとおもむろに弁当を食べ始めた。みそ汁の具はさっき彼女が拾っていったナスのようだ。

 金子商店の弁当は焼き魚がメインで一見地味な印象だったが功はアジの干物とおぼしき魚を食べてそのおいしさに驚く。

 単なるアジの干物なのだがジューシーで肉厚な干物は功の干物のイメージを変えるのに十分だった。

 コンビニのアルバイトで賞味期限切れになった幕の内弁当を食べたことがあるが、コンビニ弁当の焼き魚とは別物と言ってよかった。

「地元の魚や野菜を使ったお弁当なんか口に合わないかもしれないわね」

 電話を終えて、お茶を持ってきた岡崎が功に言うとに功は勢いよく答えた。

「口に合わないなんてとんでもない。凄くおいしいですよ」

 それは功が地元の新鮮な食材のおいしさを知る最初の出来事だった。

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