第2話 農業との邂逅
一樹と功は展示場前駅でゆりかもめを降りて、東京ビックサイトに向かった。
今日はコミックマーケットが開催されているのだ。
コミックマーケットは一般的にはコミケと呼んだ方が通りがよく、エントランスを歩いていると。同人誌とおぼしき出版物をキャスターで引っ張っていく人々や、アニメのキャラクターのコスプレをした人が目につく。
「ほら功、あそこのけものフレンズの女の子かわいくない?」
「ガンおたのくせに節操のないやつだな美紀ちゃんにちくるぞ」
功は軽口をたたいているうちに少し気分がほぐれてきた。
一樹も功も高校生の頃から取り立ててスポーツができるわけでもなく、学業成績もごく普通。
功は席が近かった一樹と、アニメの話がもりあがったのがきっかけでアニメ研に入った。
その後功と一樹は同じ大学に進学し、大学時代はアニメおたくとしてキャンパスライフを楽しんでいた。
就職してからはそれほど趣味にかまける時間があるわけでもなく、一樹と会うのもしばらくぶりだったのだ。
功が考え事をしている間に、一樹はコスプレイヤーを見とれていて別の会場から出てきた中年の男に思いきりぶつかっていた。
なにやら詫びの言葉をつぶやいているらしい一樹に向かって、スーツ姿のその男性が何か声高に話している。
その男性は肩幅はがっしりていて胸板も厚い。浅黒い顔にカールがかかった短髪は、そのスジの人を連想させた。
功としては他人のふりをして立ち去りたい気分だが、友を見捨てていくわけにも行かない。
成り行きを見守っていると、その男と目が合ってしまった。
「君もお友達かね、時間があったら少し話を聞いていかないかい」
どうやら、因縁を付けられていたわけでは無いようだ。
話を聞いて行けと言われて初めてその男の出てきたブースを見てみると、そこには「農業人フェスティバル2012 全国就農相談会」という大きな看板が出ていた。
一樹はぶつかってしまった手前、断ることもできずその男について会場に入っていく。
どうやら一緒に行かざるを得ない状況になってしまったようだ。
案内された会場はなんだか就職説明会の会場とよく似た作りだった。
違うのは、パーティションに仕切られたブースに入っているのが企業ではなく地方自治体らしいことだ。
一樹と功は「まほろば県」と書かれたブースに案内されたが、近隣のブースは西日本の県名が並ぶ。
どうやら全国の都道府県がそろっているらしい。
「二名様ご案内」
先ほどの男が居酒屋の客引きのように告げると、机の上にパンフレットを並べていた男が言った。
「岩切さん、また別の会場にきた人を引っ張り込んだんじゃないでしょうね」
「いいじゃないか植野君、少しでも多くの人に話を聞いてもらうのが我々の仕事なんだし」
図星だったはずだが、悪びれもしないで男は答える。
功はおそるおそる聞いてみた。
「あの、あなた方はどういう仕事をされているんですか」
「僕たちはまほろば県の職員で、まほろば県で新しく農業を始めようとする人のお手伝いをするのが仕事です。今日は、東京からまほろばにきて農業をしようと志す人に、就農のノウハウや、受け入れできる施設を説明するために来ています」
功は一樹と顔を見合わせた。
彼ら二人は公務員のイメージからは程遠い気がしていたのだ。
植野と呼ばれた職員も色黒で何となく目つきが怖い。
「まずはまほろば県の概要から説明しましょうか。まほろば県は太平岸に繋がる海に面していて気候は温暖。ブロッコリーやキャベツなどの露地野菜に加えて、施設園芸といってビニールハウスで野菜を作るのが盛んです」
功は壁に貼ってあるポスターを見た。
ポスターの写真では、緑の山並みを背景に若い男女が並んで野菜を抱えており、岩切氏は話しを続けた。
「周囲には自然もたっぷり残っているし、海に行けば魚釣りもできるとってもいい所です」
功としては、こうやって説明されるまではまほろば県がどこにあったか記憶が定かでなかった。
「もし興味がおありなら、我々が運営している研修施設で短期研修もやっているので、野菜の栽培体験をしたり、農家を視察したりして、農的体験の機会を提供できます」
そこで、植野がパンフレットを広げて話を引き継いだ。
「研修期間中は県が運営する宿泊施設に安く泊まることもできますよ。本格的に農業を始めるための研修を受ける場合は四月入学の長期研修で一年間実際に野菜を作りながら技術を学べるようになっています」
「要するにまほろば県に移住して農業をしないかとおっしゃりたいんですね。」
一樹が話の腰を折る。
「うん。平たく言うとそういうことだね。直近では二月に三日間の短期研修もあるから興味があるなら是非ご参加下さい」
岩切氏はどこからともなくカラーのパネルを取り出してきた。屋外で飲食に興じる若い男女の写真で、その中には岩切氏の姿も見える。
「この写真はね前回の短期研修の打ち上げというか懇親会の写真。研修生と職員でバーベキューしているところ」
「うまそう・・。いいなあ俺こういうの参加してみたい」
食い意地の張った一樹は野外バーベキューの写真に食いついてしまった。
ひょっとして本当に参加するつもりなのかと思っていると、やおら功の方に振り向いた。
「俺は会社があるからちょっと無理だな、功おまえ見学に行ってみたらどうだよ」
功は何故俺に振るのだと抗議を込めた目線を送ったが一樹は知らん顔だ。
自称公務員の二人は一樹のフォローに少し勢いづいた気がするので、ここは何か別の質問をして話の矛先をそらさなければと功は考えを巡らせた。
「野菜作るのって儲かるものなんですか」
「いい質問だね。僕たちが勧めているのは施設園芸といってビニールハウスで野菜を作る経営形態です。設備投資に結構お金がかかるけど、経費を引いても売り上げの3割は利益が残るんだよ」
「売り上げがどれくらいかというと、三反のハウスでニラを栽培して、ざっと八百万円から一千万円くらいかな。がんばって面積を増やせば経費引き後の利益だけで一千万円プレーヤーも夢じゃない」
「さんたん」と言われてもなんだか解らない。アメリカの小説なんかで百エーカーの農場を持ってとか言うけど面積のことだろうかと、功が思ったままに聞いてみると、岩切氏は機嫌よく答える。
「面積なのは正解。でも反はメートル法の単位なので三反イコール三千平方メートルのことだよ。学校の体育館ぐらいの面積だと思ってくれたらいいよ」
「結構お金がかかるって言ってましたけど、どれぐらいかかるんですか」
功がさらに質問すると、岩切氏は、まほろば県の標準仕様らしいビニールハウスの写真を見せて、これを建てるのに一千平方メートル当たりおおむね千五百万円かかると教えてくれた。
あまりの金額に功はどん引き状態になった。
とうてい個人が準備できる金額ではない。
思った通りに岩切氏に伝えると植野氏がすかさずリースハウスだとか、新規就農者を対象とした給付金制度の話を始めた。
しかし、金額に打ちのめされた功はそのまま聞き流す。
「でも、野菜の栽培って難しいんでしょう。僕らは全然経験もないし無理ですよ」
話の腰を折って帰るきっかけを作るつもりだったのだが、岩切氏は空気が読めないのか生真面目なのか丁寧に説明を続ける。
「そのために、さっき植野君が説明した「農業体験研修所」があるし、それに加えて、栽培する品目が決まったら、その品目を実際に栽培している農家の元で研修を受けることもできます」
「本当を言うと、農家が教えてくれる研修が一番大事なんだけど、研修生があまりにも経験がないと受け入れ側の農家の負担が大きいから、基本的なことを農業体験研修所で覚えてもらうんだよ」
植野氏が岩切氏の話を補足した。
「その農業体験研修所で教えてくれるのはどういう先生なんですか」
「もちろん経験豊富な職員が懇切丁寧に指導します」
そういいながら岩切氏は自分を指さしてにっこり笑っており、功は彼がどこまでが本気で話しているのか不安になった。
「もちろん、専門分野については担当の県職員が講義に来るし、農家の方が講師になって教えてくれる場合もあるよ」
植野氏も話に加わり、彼らの勧誘活動のツボの部分に入ったようだ。
「まあ、いきなり長期研修というのは敷居が高いから、2泊3日の短期研修があるので興味があったらその当たりからがお勧めだよ」
「さっきも言ったと思うけど直近の予定が三月で、トラクターやうね立て機の取り扱いがメインです。参加する気になったら是非ここに連絡してください」
植野氏がパンフレットと相談受付カードを手渡してくる。
これに記入したら解放してくれるのだろうかと思い、一樹と顔を見合わせた功は、そそくさとカードに記入して挨拶もそこそこにブースを後にした。
「農業人フェスティバル2012」の会場を後にしてコミケの会場に向かいながら一樹が言った。
「俺、最初はそのすじの人の事務所につれていかれるかと思ったよ」
一樹は、ほっと一息ついてつぶやき、功も緊張が解けた表情でつぶやく。
「そのすじの事務所なんかこの辺にないだろ。まあ何事も無くて良かったじゃないか」
功は一樹と話しながら、もらってきたパンフレットを眺めていた。
「功、おまえ気分転換かねて、さっきの何とか研修所に行ってみたらどうだよ。」
一樹はアニメおたくといっても結構外向的な性格だ。
屋外バーベキューの写真に釣られて四国まで出かけて行きかねないが、功はそうも行かない。
「そういわれても、初対面の人ばかりの中で研修ってちょっときついな」
「どうせ再就職先が無くて煮詰まってたんだろ、目先を変えるにはどこかに出かけてみるのがいいんだよ。農業始めるための体験研修受けに行くと言えばなんだかお題目が立つじゃん」
一樹は功のためにと勧めているが、どうやら本音の部分では自分が行きたそうな口ぶりだ。
「まあ、実態がどんなものか分かったものじゃないから、俺が強いて勧める話でもないな」
「気が向いたらだけど、参加について検討してみようかな」
気分転換に引っ張り出した一樹の意図どおりに、功の気分は少しだけ前向きになっていたようだ。
「ほんとか、もし参加したら、バーベキューについて是非俺にレポートしてくれよ」
一樹は、押しが強い割に空気を読む。
それ以上無理強いしないで、本来の目的地であるコミケの会場へと歩き始めた。
コミケの会場は実は就農相談会の隣だった。
思わぬ寄り道があったが、功はコミケで掘り出し物を探したりして結構気分を変えることができた。
ガレージセールでゲットしたザクTシャツを抱えた功は、一樹と途中で別れて帰路についた。
一人になって、思い出したのはやはり行きがけに遭遇した新規就農相談会のことだった。
通りすがりの人間を捕まえて相談の押し売りをしていた公務員の岩切氏を思い出すと顔は怖いが微笑ましく感じられる。
そして野菜を育てることで所得一千万円といっていた岩切氏の言葉が、なんだか頭にこびりついていた。
功は初期投資数千万円を忘れたわけではないが、のどかな田園風景の中で野菜を育てながら年収一千万円という生活も悪くないかなと思い、体験研修への参加を考え始めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます