倉庫

ニル

サミニアの路地裏

shape of you

 クレイは今すぐ、氷水に頭を突っ込みたい気分だった。

 死にたいわけじゃない。気が昂って憤っているわけでもない。言葉通り、顔が熱くて仕方がないのだ。


 それもこれも、ソファでぎゅっとクッションを抱きしめて眠る、同い年の少女––ラシェッドのせいだ。

 彼女は、エアコンが効きすぎたのか、寒そうに足を折り曲げて丸くなっている。寝顔は穏やかとはいえず、不安げにクッションを掴む指先に、彼女の半生の壮絶さが滲み出ている。


 と、いつものクレイなら、そういった感傷的な気分になっていただろう。

 今はそれどころじゃない。


 ––––何考えてるんだ僕は。


 2日前、曇雨の戦場で彼女から銃口を突きつけられた…その後。


 そっと抱きしめた、冷たく濡れた服越しの、じわりと温かい彼女の背中。

 嗚咽に紛れてほんの少し首筋を掠めた吐息。

 気まずそうに、クレイの胸に顔を埋めて表情を隠そうとする仕草。

 あの時あの直後の安堵や必死さが喉元を通り過ぎた今、思い出されるのは妙にくすぐったく居た堪れない五感の情報。


 ぶんぶんと勢いよく首を振ると、クレイはラシェッドの隣、というよりは、寝ている頭のすぐ横に座って、テレビをつけた。どうやら海外ドラマらしく、字幕と共に男女が争う場面が映し出された。耳に聞こえてくる言葉も画面下の文字列も、クレイには理解不能だ。

 時計をチラリと見ると、そろそろジャンとベロニカが訓練から戻る時間になっていた。今日は、彼らがクレイとラシェッドを西地区に送り届けてくれる予定となっている。


 クレイは、ラシェッドに視線を戻した。

「ら…」

「…」

 

 ちなみに、ラシェッドは普段、どんなに深く眠っているように見えても、小声で声をかければ目を覚ますし、肩に触れようものなら飛び起きる。しかし、ごくたまに、小声の呼びかけやそっと触れるだけでは起きない時がある。

 注釈しておくが、そっと触れると言っても、うっかり手の甲が掠めたとか、その程度である。クレイは、こっそりそんなことしたことはない。


 話は逸れたが、ラシェッドは今、ぐっすりと深く眠っているらしい。きゅっと閉じられ、ほんの少し尖らせた唇が、前髪の奥に見える。


 突っついてみたい。


 ––––いやいやいやいや! 気持ち悪すぎるぞ、僕…。


 降って湧いた衝動からすぐ我に返り、クレイは勢いよくラシェッドから視線を剥がし、テレビに向けた。

 ディスプレイの中では、男女がいい感じの雰囲気で、今にもアレなスキンシップを取っている。

 いつもなら流し見できるワンシーンすらまともに見られず、一方でラシェッドへの好奇心がどんどん膨らんでいく。


「んん…っ」

「!!」


ふと、ラシェッドが咳払いと共に寝返りを打った。心臓が破裂するのではと錯覚を覚え、クレイは身を固まらせた。彼女が寝相を変えた拍子に前髪が横に流れ、寝苦しそうな顔が露になる。


 クッションは、歪な形で少女の腕に収まっている。

 クレイは眉間に皺を寄せて、そっとラシェッドの力んだ手に自分のそれを重ねた。


 彼女が、いつか穏やかに眠ることができる日が訪れるのだろうか。


 何の不安も抱かずその双眸を閉じるには、ラシェッドの人生はあまりに苦難が多い。せめて自分がそばにいる時くらい、悪夢も見ないほど深く眠りについていて欲しいと、クレイは少女の手を少しだけ撫でた。

 

「んなぁ!」

 感傷に浸るのも束の間、ラシェッドがクレイの手を掴み、こちらに乗り掛かってきた。


「なっなっ何…」

「こっちのセリフだ」

 瞼は半分しか開いておらず、やや機嫌が悪い。しかしクレイは、彼女の機嫌を取る余裕などなかった。


 つい2ヶ月ほど前まで、寄り添って暖をとっていたはずなのに、今更この距離感が気恥ずかしい。身を起こすのが億劫なのか、ラシェッドがクレイの上にしなだれかかっている。クレイはぎゅっと目を閉じて、顔だけ背けた。


「あのっいや、えっと…なんでもない、です」

「じゃあ起こすな」

「わかった、ごめんって…」


 ラシェッドは訝しげにクレイを見ていたが、再びソファの上で丸くなり、目を閉じた。その表情は先程と異なり穏やかで、幾分幼く見える。クレイはほっと胸を撫で下ろして、ソファから腰を上げた。


「寒ぃンだよ、そこにいろ」

「ええ…」

 シャツの裾を乱暴に掴まれて、クレイはまた気まずい時間に引き戻された。


 少女が、クレイの側にいると不思議と安心して眠ることができることを、クレイ自身はまだ知らない。


 

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