第3話 突然の雨



 パンケーキを食べ終えた私とエレナ先生は計らずも、一緒にお店を出た。


「ここのお店初めてだったけど、なかなか美味しかったな。夏奈かなはどうだった?」


「私もすごく美味しかったと思います!」


「夏奈と一緒だったから、余計に美味しく感じたのかもしれない」


「わ、私と一緒だったから、ですか?」


 先生があまりに思ってもないことを言うから、胸が急にドキンとして、頭がほわほわしてきた。


「食事は誰かと一緒だと、より美味しいし、楽しいと思わないか?」


 さらりと先生はウィンクして、そんな仕草もすごく決まってて、私は思わず頷いた。


 星花せいかに入学してからずっと一人だったし、一人に慣れたつもりだったけど、私は素直に人と一緒は楽しいって感じた。


 それを教えてくれたのは目の前のエレナ先生。

 何より先生は私の赤い髪も褒めてくれた。


「さて、これからどうしようかな」


 先生は空を見上げて、私も釣られて空を見た。さっき少し覗いた晴れ間はまた厚い雲に隠れている。


「先生はお休みの日はいつもカフェに来てるんですか?」


 ふと疑問になったことを聞いてみる。そう言えば学校の先生って仕事をしていない時は何をしてるんだろう。先生だって人間なんだから、暇があったら遊びに行ったりするよね。エレナ先生は何をするのか、俄然気になってくる。


「カフェに来るのはいつもというわけではないけど、気が向けば来るよ。今日は近くのジムによって、腹ごしらえでここに来たんだ。夏奈は学生だからそんなしょっちゅうカフェには来ないかな」


「私もカフェはたまにです。さすがに毎週だとお小遣いがすぐなくなります」


「確かにな」


 先生は白い歯を見せて笑った。夏の太陽の代わりみたいに、眩しくて明るい笑顔に、うっかり見惚れてしまった。エレナ先生が人気な理由が改めて分かった気がする。


「さてと。私はそろそろ帰る予定だけど、夏奈はまだ街で遊んでいくのか?」


「えーっと、パンケーキ目当てで来たので、他にどうするか決めてなくて⋯⋯」


 普通に考えればここで先生とはお別れだけれど、何だろう、とても離れがたく感じる。先生とちょっとだけ通じ合えたような気がするからかも。


「そうか。でも今日はもう帰った方がいいかもしれない。一雨来そうだ」


 先生が見つめる空は段々と灰色が濃くなってきている。


 ゴロゴロと低い雷鳴が聞こえた。


 雨の中街をぶらぶらするのは気が向かないし、先生の言うとおりに帰るしかない。


「雨が降る前に帰ります」


「うん。今日はその方が賢明だ」


 私たちはしばらく並んで歩き、駅前の大きな通りに出た。


「夏奈はバスで来たのか?」


「はい。そうです」


「雨が降る前に帰れそうでよかったよ。私はあっちだから。またね、夏奈」


 先生はバスのローターリーがあるのとは違う方へ足を向ける。


「先生、今日はありがとうございました!」


「こちらこそ、ありがとう。夏奈と食事できて楽しかったよ!」


 寂しいけれど去って行く先生の背中を、手を振って見送った。


 エレナ先生と一緒だったから、いつもよりたくさん喋った気がして、喉がからからだ。


 先生が角を曲がって見えなくなってから、後ろ髪を引かれながらも、バス乗り場の方へ歩いていく。途中で見つけた自販機でサイダーを買っていたら、空から獣が唸るような低い音が断続的に響いた。雷だ。


 黒い雨雲は時折、ピカッと光の筋を放つ。

 私は駆け足でバス停まで向う。


 けれど雨が槍のように突然降って来て、私の体に当たる。


 羽織っていたパーカーはみるみるうちに染みを作り、その染みは広がり、ようやく屋根のある所まで来た時には、すっかりずぶ濡れになっていた。


(はぁ、ついてない)


 さっきまでのエレナ先生との楽しい時間が嘘みたいに、体は水気を吸ってぐったり重い。


 こんな状態じゃバスにも乗れないから、学園まで歩くしかない。


 私はため息をついて、途方に暮れていた。取り敢えず駅舎の屋根のあるところで、雨が止むのを待つことにする。


 通り過ぎていく人たちも突然の雨に戸惑っている様が見られた。


「もう通り雨最悪〜」


「これいつ止むかなぁ」


「まだ降りそう」


 そんな行き交う人々の向こうに私は晴れた空色の傘を見つける。鮮やかな色に目を奪われて、ぼんやり見ているとだんだんと近づいて来る。その傘の持ち主をよく見ると金色の髪が揺れていて。


(エレナ先生⋯⋯!?)


 私が気づくと離れた場所の先生と目が合った。先生はこちらに走って来て、その走る姿も何だか映画の一場面みたいで。


「夏奈! よかった、ここにいたのか。あちゃー、その様子だと雨にやられたようだね」


「急に降ってきたから、この通りです」


 私は濡れて色が濃くなったパーカーの裾をつまんだ。


「先生、帰ったんじゃなかったんですか?」


「夏奈は傘を持ってなさそうだったから、これを渡しておこうかと思って追いかけてきた」


 先生はカバンから、今差している傘と同じ色の折りたたみ傘を私の前に出した。


「もう少し早く気づいていればよかった。ごめん、夏奈」


「何で先生が謝るんですか? こうして戻って来てくれて嬉しいです!」


 私は胸の中に優しい気持ちが溢れて来るのを感じている。雨に濡れたけど、先生の気持ちが嬉しくて嬉しくて、自然と笑顔になってしまう。心がすごく満たされている。


「夏奈、ありがとう」


 そう言って先生は私の頭を撫でる。


「⋯⋯⋯!?」


「ごめん、ごめん、つい」


「大丈夫です」


 触れる先生の手が温かくて、もっと撫でてほしいなって思ってる。もう小さな子供じゃないはずなのに。


「夏奈、私は今日車で来てるんだ。それでバスに乗るのは気まずいだろう。学園まで送って行くよ」


「いいんですか、先生?」


「もちろん、大事な生徒だからね。あそこの車止めで待ってて。今車持って来るから」


 先生は私の手に傘を渡すと、来た道を颯爽と戻ってしまった。傘からチラチラ覗くポニーテールが遠ざかる。


(今日はやっぱりついてるのかな)


 嬉しいことがたくさんあって、でもどれもエレナ先生がいたからで。


「ふふ、先生は幸運の女神様なのかも」


 見た目も女神様と言っても過言じゃないし。


 しばらくすると車止めに黒いセダンがゆっくりとやって来て、私の前に止まった。窓が開いて先生が「夏奈」と私の名前を呼ぶ。助手席のドアが開く。


「乗って」


「⋯⋯でも私濡れてるし」


 私は雨でくたっとした服を差す。


「大丈夫だから気にするな。生徒がそんな気を遣うものじゃないよ。さぁ」


 と言うので私はおずおずと助手席に乗り込んだ。車の中は何となくいい香りがする。先生の香りなのかなと思うと、何故かどきどきした。


「夏奈、これ使って」


 先生は後部座席からバスタオルを取ると私の頭の上に被せる。


「先生、用意がいいんですね」


「ジムによく行くから、いつでも思い立ったら行けるように車に何枚か置いてるんだよ。ほら夏奈、遠慮してないでちゃんと拭かないと風邪引くぞ」


 先生はわしゃわしゃとバスタオルで私の髪を拭く。


「はい、ありがとうございます」


「その上着は脱いだ方がいいかな。体が冷えるとよくないから」


 私は言われるままにパーカーを脱いでTシャツ一枚になる。今日は髪色に合わせて赤いTシャツを着てきた。


「夏奈は服も苺色だ」


 先生が微笑むから、これをチョイスした自分を褒めたくなった。


「それだとちょっと肌寒いかな」


 また先生は後部座席に手を伸ばして、今度はチャコールグレーのカーディガンを私に渡した。


「学園に付くまでそれ羽織ってて。私ので悪いけど」


 私は一瞬迷って、でも断ったら失礼だよねって思って、ゆっくりカーディガンに手を通す。私には大きめだけど、ゆったりして着心地がいい。それに何だか先生にぎゅってされてるみたい。なんて私ってば何考えてるんだろう。


 車は学園に向って走り出す。雨はさっきよりも小降りになっていた。

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