捌:樒

「呪い屋は捕らえた。ヤツの嫁は……今のところ無事だが、用件があるなら早く済ませた方がいいだろう」


 朝方近い時間、鳴り響くスマホに応対すると、通話口から聞こえてきた野太い声がオレの微睡みを吹き飛ばす。

 まあ、情事の真っ最中だったとしても応答するんだけどさぁ。

 隣で背中を丸めて眠っている名も知らぬ相手本日の恋人を起こさないように、そっとベッドを抜け出してキッチンへ向かう。

 

「んじゃあ、こっちも仕事に取りかかる。すぐ終わるからそっちの都合拷問が落ち着いたら、また連絡してくれよ」


 今すぐ出るしかないよなぁ。欠伸をしながら、オレはベッドへ戻ってぐっすりと寝ている女を眺める。

 起こしたところで、なんだかんだ説得するのも面倒だしなぁ……。

 ベッドに背を向けて、ソファーの上に置いてある服を適当に着る。それから、近くにあった付箋を引き寄せてメモを書く。

 字なんて滅多に書かないから、よたよたのたうち回ったミミズみたいな字になるのがもどかしい。静みたいにかっちりした字が書けりゃあいいのに……と思いながら、なんとか「用事ができたからでかける。カギはあけっぱなしでいいよ」とメモを残したオレは外へ出た。


 湿り気のある温い風が頬を撫でる。このまま歩いて行くのも面倒だ。たまたま通りがかったタクシーを拾えたのは、かなり幸運だった。

 朝方の道は、都内だというのに車がほとんどなくてすいすいと車が進んでいく。車窓から、白んできた空と街路樹を見てぼうっとしていると、あっというまに運転手が車を停めた。


「どうも。釣りはいらねえよ」


 適当に万札を数枚渡す。慌てた運転手に「いいっていいってぇ」と金を押しつけて、オレは呪い屋の家へ急いだ。

 宗玄そうげんがああいう連絡をしてきたということは、セシーリアは今にも自死をしそうだとか、理由はどうあれ死にかけているってことだろう。

 日が昇りきる前、青く染まっている閑静な住宅地で足音を殺しながら走る。殺気と呪いの気配がわかりやすいくらいはっきりと匂っている。見せしめという意味合いも強いんだろうな……。

 生け垣に囲われている一軒家の前で、オレの鼻がひん曲がっちまいそうなくらい強い刺激臭がした。ここだ。

 恐る恐る開け放たれた門を潜って庭へ入ると、半分開いている玄関の扉がある。


「……こいつぁ」


 扉を開くと目の前には、明るい褐色の髪をした女が一人、血まみれになった床の上に座り込んでいた。

 セシーリアは、オレがいるのも気が付いていないようで、ずっと血まみれの肉塊を抱きしめたままうつろな表情を浮かべている。


『ちょうどいい』


 静の言葉が頭の中に響いた。その声は、僅かに弾んでいるような気がして、オレも吊られて口角が上がりそうになる。

 なになに? たのしいことでも思いついたってわけかぁ?


『この憐れな母子を助けてやるとしよう』


 クックっと漏らすような声を出して笑う静は、とても楽しそうだった。

 オレは、静の言った通りのことを彼女に伝えるために血まみれの床に片膝を付いて跪く。


「セシーリアさん、オレのこと、覚えてるかな?」


 話しかけても、彼女はなんの反応も示さない。

 血まみれの服と床、抱きしめているヒトの形をした肉塊。何をされたのかは察しが付く。

 呪い屋の血筋を絶つためには、子まで殺す必要がある。オレたちが妻に用事があると言っていなければ、きっとセシーリアもどこかへ攫われて人知れず殺されていたのかもしれない。

 虚空を見つめながら、ぼそぼそと掠れた声でなにか呟くセシーリアの耳に顔を近付けて、しっかりと言葉を届ける。


「なあ、あんたの子供が生き返るって方法、試したくないか?」


 パッと彼女が顔を上げた。濁った色をした灰色の瞳は瞳孔が開ききっていて、油断をすると吸い込まれてしまいそうな妖しい魅力に満ちている。


「あナた……なに、いいましタか」


「子供が生き返る方法、聞きたいかい?」


 片腕で肉塊を抱きしめているセシーリアの、血まみれの手がオレの腕をぎゅうっと強く掴んだ。

 少し痛んで顔を顰めそうになるのを我慢しながら、オレは彼女に微笑みかける。


「森とか山とか、とにかく自然が大きいところにな、その壊れちまった体を放り投げてやるのさ。そうしたら、苦しんでいる子の魂が、あんたに助けを求めてやってくる」


 静かな表情のまま、セシーリアはしっかりと首を縦に振る。

 無垢だった以前の彼女と、同一人物とは思えない。殺気と絶望と血の匂いに塗れている彼女の手をそっと撫でて、それから、血まみれの頭が割れている彼女の子供だったものに触れる。


「コノ子……もどッテ?」


「そうしたらさ、名前をつけてやればいい。きっとあんたを守ってくれるたくましい子に育つだろうさ」


「ありガト……ございます……」


「お礼なんていいってぇ」


 頭をしずしず下げた彼女は、オレから手を離して、もう動くことのない肉塊をぎゅうと力強く抱きしめた。


『まだ、成井家の名は出さなくて良い。宗玄あいつの記憶を奪えなかったときの保険として、取っておきたいが……成井家のことを教えれば、すぐにでも復讐のために動いて、早々に返り討ちに遭うのが関の山だ』


 わかってるさ。

 でも、思っている以上にヤバい化け物が生まれちまう可能性もあるぜ?


『作り方がわかっていれば、出来上がるモノがなんなのかは絞りやすい。邪魔になるなら殺すだけだ。……ボクを信じろ、斑』


 クックック……あんたを疑ったことなんて一度もないさ。

 オレの言葉を聞いた静は、冗談を言われた時みたいに鼻で笑って気配を消した。

 ああ、こういうときに、この体があんたのものだったら、あんたは眉尻を下げて少し冷たい目でオレを見下してくれたのかい?

 そんなことを考えながら、オレは頭を下げているセシーリアの肩に手を置いて顔を上げるように伝えた。

 その時にそっと触れている部分から、オレの霊力を彼女に注ぎ込む。


「オレはあんたの夫に世話してもらってたんだ。嫌な予感がしてきてみれば、こんなことになっちまって……」


 少しだけ顔色の良くなった彼女だったが、背後に伸びる影がまるで黒い業火のように蠢いている。

 気が付かないフリをして、大袈裟にかぶりを振りながら顔を背けた。眉尻を下げた彼女がオレの顔を心配そうな表情で覗き込む。


「あの、主人ハ、なにしテしまったですカ?」


「え? 聞かされてなかったのかい? そりゃあ……ううん。言うより見て貰った方が早えだろう。ちょいと、ご主人の部屋へ案内しちゃくれないか?」


 負の感情が噴き出しているとは言え、こうして味方だと信じさせてしまえば話は早い。

 オレはすんなりと家に上がり込み、呪い屋の私室前まで案内された。家の中は荒らされていなかったようで綺麗な室内を、血まみれのオレとセシーリアが進んでいく。

 彼女が「ココです。普段はあぶないカラ、はいらないデいわれてました」と涙ぐんだ声で呟き、抱えている肉塊の頭を優しく撫でた。涙が頬についた血を洗い流して、筋を作っている。そんなセシーリアに背を向けて、オレはドアノブを捻る。

 鍵がかかっていると思っていたが、あっけなく扉は開いた。

 部屋の中には、禍々しい気配を放つ呪いの品々や、紫外線ライトで照らされている大きな水槽が置いてある。

 成井家あいつらが家捜しをしていなくて助かった。これなら、モモに使った呪物も簡単に見つかりそうだ。

 意識を集中させるために目を閉じて、モモが漂わせていた腐敗臭を思い浮かべる。

 甘い匂いに紛れて漂っていた匂いの気配を嗅ぎ取ったオレは、部屋の隅にあるかめへ目を向けた。

 赤黒いかめは、小さな子供が座っては入れそうな程大きい。和紙のようなもので封をされているから、中身が見えないが、ここからは確かにモモから感じたものと同じ匂いがする。まちがいない。


「半戸さんから譲って貰うはずだった品だけ、貰ってもいいかい? 旦那さんの形見だ。これ以外の遺品は、あんたが好きにするといい」


 扉の方を振り返ってそう言うと、セシーリアは素直に頷いた。

 オレがこいつの旦那を殺す手伝いをしていたと知ったら、彼女はどんな顔をするんだろう。

 ムズムズと好奇心が腹の中で鎌首をもたげる。


『斑、さっさとそいつの口を開け』


 オレの好奇心を見抜いたのか、静がそう口出しをしてきた。

 わかってるって! あんたの計画を台無しにする真似なんてしないさ。

 オレは、かめの封を剥いで中を見た。

 うぞうぞと動いているものが目に入る。封が開いたことがわかると、それらは一斉に外へ飛び出して来た。

 一目散にどこかへ駆けていった獣は、逆立った赤黒い毛をしたモルモットくらいの大きさをしていた。セシーリアが驚いた声を出していないと言うことは、あやかしなのだろう。


血塊ケッケ……か』


 静が呪いの原因を捕らえたらしい。もうここにいる必要は無い。

 オレは空っぽになったかめに手を突っ込んでから、何かをとってポケットに入れる真似をして、セシーリアがいる方を振り向いた。

 礼を言うと、彼女は家に訪れた時の茫然自失な様子が嘘みたいに感じるほど穏やかに優しく微笑んでオレを見る。

 そのまま玄関まで来て、オレを見送ろうとしてくれている彼女の耳元に顔を近付けた。


「半戸さんの知り合いで、セシーリアさんを助けたいってヤツはいると思う。がんばってくれよ」


 それだけ伝えて、オレは呪い屋の家を離れた。

 これでうまいこと呪い屋の関係者に繋がってくれて、いい傀儡に育ってくれりゃあ良いんだが。

 ああ、そういえば……家にまだ誰かいるのかなー。めんどくせえが……まあいいいや。適当に誤魔化すのは別に苦痛じゃない。

 ピヨピヨと鳥がさえずり始めて、登り始めた太陽が住宅地をきらきらと眩しい光で照らし始める中、オレはくたびれた体を引きずって帰路に就いた。

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